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江戸 1

 江戸は上野・寛永寺、不忍池の辺には今年も桜の花が満開で、連日数多くの花見客が繰り出し賑わっていた。 その中でも、人の目を引き寄せるのは若い女子衆である、元禄の世の中で一躍広まった浮世絵の影響で、歌舞いた娘たちが、言わば女人祭りのように騒がしいのである、男連中も花見・酒の席と一緒になって浮かれるので、それを目当てにまた人が集まる。

 秋月翔馬と新井信治郎が江戸に来て十日が経つ、翔馬は信治郎の友人の伝で商人の別宅へ居候をしていた。信治郎は井伊家の江戸藩邸に入った。

 互いの暮らしが落ち着き、十日目にして上野で再会したのである。

「翔馬さん江戸の暮らしはいかがですか、慣れましたか?」

「生き馬の目を抜くとは正にこのこと、どうしてこう活気があるのか」

「ははは、そうでござるな。藩邸の中も彦根とは雰囲気が違います」

「あなたのおかげで、良い所に居候させてもらっているが、出来るだけ早く住家を探すつもりでいます」

「いや、いつまでもと言ってもらっている、翔馬さんさえ良ければ遠慮なさるな」

 茶店で飯を食べ、信治郎は小用があるのでと先に帰った。翔馬はそこに佇み、彦根城を囲む掘りの桜を思い浮かべていた、水面にきらきらと無数の星屑(太陽の反射光)が瞬く、それがキレイだと言った早苗のことをである。

 店の奥には上客用の間があり、そこで供を従えた女将が翔馬を見ていた。

 小半時過ごし、翔馬が席を立とうとしたとき前方の花見の集団が急に慌ただしくなった、集団同士の喧嘩である。

 ”火事と喧嘩は江戸の華”と当時言われたかどうかは分からないが、普通は放っておくものである。ただ一方の相手は侍であった。

「こら町人! もう一度言ってみろ聞捨てならぬぞ」

「何が気に障ったのかねぇ、伊庭さまが一番っていうのが気に入らねえのか?」

 伊庭と言うのは上野を拠点とする”心形刀流”伊庭道場のことである。

「こやつ、斎藤道場を散々コケにしやがって」

 九段下が拠点の”神道無念流”斎藤道場の門下生がいたのである。

「コケにしたって、本当のことを言ったまでじゃねえか、斎藤って言うのは力でぶん回すだけで、それに比べりゃ伊庭様は品があって頭に脳みそが入ってらぁ」

「おのれ町人、その減らず口を二度と喋れないよう叩き切ってやるわ!」

 翔馬が駆け寄ったときにはすでに三重ほどの人だかりが出来ていた、みんな止めはしない、こう言うのを待っていた、酒の肴にもってこいなのだ。しかし最後は元気のよい町人がスットコドッコイと逃げ出し、収まることも知っていた。

「おい、止めぬか!静まれ!」

 翔馬が野次馬をかき分け前に出た。

「なんだ? 貴様!」

「落ち着け、まあ落ち着いてくれ」

 侍の仲立ちで一旦収まる様に見えた、面白くないのは野次馬だ。

「こいつぁ伊庭の侍だぞ!」

 誰かが焚き付ける。

「なにぃ! 町人を守るなら刀で来い!」

「お前らのような頭が空っぽではないんだよ!」

 言い合っていた町人が翔馬の後ろに隠れた。

「よし決めた、お主の片腕を切り落とし、わしの腹の怒りを鎮めよう」

 斎藤道場の武士が抜刀した、町人ならここで逃げて収まるのだが、翔馬はそうは行かなかった。

「ま、待ってくれ」

 武士は酔ってはいるが余裕のある構えから相当な腕前と見た、相手せざるを得ない状態だ、華やかな江戸ではあるが、一歩間違えば恐ろしい所なのである。

 翔馬も刀を抜いた、伊庭の心形刀流には居合の形があるので、門下生と確信付けてはいけないと思ったからだ、静かに下段に構え刀の峰を返した。

「わしは腕を切り落とすと言ったぞ、峰をもどせ」

「私は小手をとりましょう、骨が砕けたらお許し願う」

「なにをこしゃくな!」

 正眼からガラ空きの腕をめがけ電光石火の剣が唸った、だがそれは虚しく空を切っただけで、代わりに自分の右手首に翔馬の刀の峰が乗っていた、見事な寸止めだった。武士も一変に酔いが醒めたのだろう。

「参った!」

 あっと言う間の勝負で、野次馬たちは何のことだか分からない者が多かった、武士の仲間も手出しする者はいない、変なヤジが飛ぶ前に翔馬が言った。

「伊庭道場には縁もゆかりもない、ただの浪人でござる」

 翔馬は立ち去ろうとした。 これを先ほどの茶店畳の間で、立ち上がって見ていた女将が従者に小声で言いつけた。

「あのお方、失礼の無いようここに連れてきておくれ」

 信治郎と一緒の時とは全く違う思いで桜の下を歩いていると、後ろから。

「もし、お侍さま」

 振り向くとあどけない町娘のような少女が申し訳なさそうに頭を下げた。

 翔馬は茶店に戻ることはイヤだったが、娘を無下に見放す訳にもいかず、来た道をまた娘に連れられ引き返していった。

「先ほどのお相手は斎藤道場の仙波重成と言われるお方でございます、剣術の腕は確かでございますが、少々酒癖がお悪うございまして」

「……」

「そのお方を相手に、血の一滴も流さず見事に事を収められるとは……」

「いえ、江戸に不慣れでどうしたモノかと思いましたが」

「立派でございました、そこであなた様に一つお願いしたき儀がございまして、無礼をお許し下さい」

 女将が言うには、同業の船問屋「両国屋」がタチの悪いやくざに絡まれ難儀をしていると言う、両国屋は船着き場に借家も営んでいるが、そのやくざのせいで店子(たなこ)が全員住めなくなったのである。

 当時のやくざは幕府が表で処理の出来ないことを裏でやってのける存在だった、一般のもめ事にも介入してくれて地域で共存できるモノなのだが、両国屋に絡んでいるのは上総国(かずさのくに=千葉)から来た「上総組」と言う集団で、いわゆる売り出し中なのである。 両国屋も地元やくざの「相沢一家」が頼りなのではあるが、武士の堕落と同じく、元禄の世が長かったので新興勢力に押されてしまっていると言うところなのだ。

「話は分かりましたが、私には関係のないコトですので、奉行所にでも」

「奉行所も上総組に取り込まれてしまって頼りにはなりません」

「なら両国屋も金で済ませれば、大人しくなるのではないのか?」

「それがお金では済まないんですよ、一人娘のお嬢様を差し出せとか……」

「誰か中に入る者はいないのでしょうか」

「もう何人もが仲裁してくれているのですが、何せこれからという新興のヤクザは手の付けようがございません」

「ならば、私が何か出来ることもありますまい」

「ございます、金や権力で動かせないなら、排除する方法はただ一つ、番頭の堅吉、ハヤブサの堅吉と呼ばれている男を排除して欲しいのでございます」

「それは……、私の意に沿わない」

「無理なお願いは承知です、ですが堅吉を排除せねば、お嬢様の命がないのです」

「……」

「お嬢様を差し出すのが三日の猶予、三日目には上総一家が踏み込んで来るはず、そうなるとお嬢様は自害すると決めていらっしゃるのです」

「……」

 夕方、桜の茶店から二寵(ちょう)(かご)が出て行った、翔馬は籠の中でまだ迷っていた、上総組の相手が自分一人で出来るのか? 昼間の喧嘩のように放っておけばそれなりに落ち着くのではないのか? それにしても江戸と言う所は厄介なところである……。

 籠は両国屋の前で止まった、結構な大店である。店前の大川の(はしけ)には伝馬船が幾船も係留されていた。閉じている玄関横の木戸を潜り中に入った。

 翔馬を連れてきたのは、同じ船問屋「墨田屋」の大女将で登美子と名乗った、彼女が従者に言った。 

「義忠さんと早代子を連れてきて」

 翔馬が登美子を見た。

「”さよこ”と言われるのはここの?」

「そうでございます、あるじ義忠はわたくしの兄、早代子は姪でございます」

 しばらくして、二人が現れた。見ると早代子は相当な美人、そういえば登美子も美相であり、凛とした振る舞いは商人とは思えなかった。

 登美子が今日の出来事を話し、翔馬を紹介したが、両国屋の主・梶田義忠は乗り気でないのがありありと分かった、大店の主人に似合わず気の弱い性格なのか? 一応の挨拶だけだった。

 早代子も、絶望に追い込まれ憔悴しきった様子で、一言も発しなかったのが気の毒だった、翔馬は彦根の芸妓・紗代子のことを思い出していた。同名の響きにも押され、翔馬は三日間屋敷に逗留し、早代子を守ると約束した。その間は登美子の従者が翔馬の世話をして、登美子も再々様子を見に来たのである。

 一日目は何事もなく過ぎた、二日目の昼間に何人かのごろつきが玄関前でたむろしたが、リーダーらしき男の指図でどこかへ散らばった。

「あれが堅吉、上総組事実上の親分ですよ」

 二階から見下ろす登美子と翔馬を見つけ、不敵な笑みを見せ立ち去った。

 三日間両国屋の前と裏には見張りらしき者がいたが、その目を盗み義忠と早代子を墨田屋に移した。三日目の夜、両国屋には翔馬ただ一人だったのである。

 夜もどっぷりと暮れたころ表の入り口に戸を叩く音が聞こえた。

「入って来い、かんぬきは掛けておらぬ」

 数人のやくざ者が乱入した、親分と堅吉もいた、堅吉が言う。

「早代子は! 今日親分の嫁にもらう約束だ、奥で化粧でもしているか?」

「嫁にやる約束は聞いてないが?」

「てめえは誰だ! 義忠!早代子! 出てこい!」

 裏口からも数名、合わせて15人ほどが薄暗い土間に揃った。

「貴様たち、言っておくが止めるなら今だぞ」

 番頭席から翔馬が座ったまま静かに言った。

「なにっ!? こいつ頭がおかしいのか?」

 表の扉がバタンと閉まり、裏も閉まった音がした。

「ほら、出られなくなったじゃないか……」

 やくざたちは顔を見合わせた者もいたが、根っからの荒くれである。

「おめぇ一人で何が出来る、今日は祝言で手荒なことはしたくなかったが、余興のつもりで可愛がってやらぁ! やれ!」

 土間の両側から襲い掛かったが、上がり端で三名が転んだ、油が塗ってあったのだ、転んだ者は膝や肘まで油まみれになり自由に動くことが出来なかった。

「こざかしい真似を!」

 油のないところを見定め数人が上がり、奥の部屋を開けようとしたが、カギがかかっているようにビクともしなかった、ならばと二階への階段を駆け上ろうとしたがここの中間ところにも油が塗ってあり、滑って下まで落ちてしまった。

「ヤツから片付けろ!」

 翔馬が動いたのはこの時だった、天井の梁に仕掛けていたロープを片手で持ち土間にいる親分のもとに一瞬の内に移動したのである、同時に親分の背後から片手をねじ上げ、脇差の切っ先を喉仏に浅く刺した、皮を破って血が吹きだす。

「動くな!こやつの命がないぞ!」

「ううう……」

 親分はぐうの音も出なかったが、喉に刺さった切っ先の圧力に恐怖を感じた。

「てめえたち、動くんじゃねえ!」

 声を絞り出し、翔馬の仲間のようになっていた。

「どうだ親分、命あっての物種と言うが、両国屋から手を引いちゃぁどうだ!」

「お、おおう、分かった! 分かったから勘弁してくれ!」

 子分たちもこの男には敵わないと思ったか、戦う気力は失せていた、情けないと思ったのは堅吉だった、丁度翔馬の斜め後ろに位置していたので背後を狙いやすかったのだ。

「てめえ、死にやがれ!」

 匕首をわき腹めがけて突進したが、翔馬がくるりと向きを変たため、ブスリ!と刺したのは親分の腹だった、また翔馬の脇差は親分の喉元を離れ、勢いよく突進してきた堅吉の胸を貫通していた。

 バタバタと玄関が開き、地元やくざの相沢一家が入ってきた。

 玄関の外にいた義忠がへなへなと崩れそうになり、登美子に支えられた。


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