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琵琶 2

 翔馬が江戸に発つ前の晩、紗代子が夕飯の後に琵琶を奏でてくれた、時に優しく時に激しく、直線的に響き曲線のように漂う音色は、目を閉じて聴くとそこに天女が舞っているようでもあり、聞き方を変えると鋭い剣が襲ってくるようにも感じられた、正に名手なのである。

 琵琶の音が止んでもしばらくは目を開けることが出来ないでいた。

「お聞き苦しかったこととお詫びいたします」

 静かに目を開けると、紗代子は労わる(いたわる)様に琵琶を抱えていた。

「不思議な気持ちです、琵琶に何の興味もなかったが……」

「このようなモノを好む殿方は少な…… いや、どなたもおられません」

「いや、私が無知であった、今迄これ程に心に沁みる音色を聞いたことが無い、貴女の技が成せるモノと感服もするが、その琵琶にどうしてそのような不思議な音色が宿るのでしょうか?」

「……どうお聴きになられたのでしょう?」

 翔馬は上手く表現は出来なかったが、感じたままのコトを不思議そうに述べた。

「翔馬さまはお優しい方でございますね、この琵琶の音をそこまでお感じ下されたお礼に不思議? のカラクリをお見せしましょう」

 立ち上がり一旦部屋を出たがすぐに戻ってきた、その手には小さな斧が握られていた。ゆっくりと琵琶を手に取り、振りかぶった斧を力いっぱい振り下ろす。

 ”バ・ビ・ヨ~ン!”

「アッ! なにをされる!」

 四本の弦の最後の悲鳴と同時に、見事な螺鈿の入った琵琶の胴が無残に割けた、紗代子は何事もなかったように琵琶を抱き。

「胴の中に不思議のカラクリが隠されているのです、ご覧ください」

「……」

「琵琶の胴は弾かれた弦の音を増幅するだけのモノではないのです、華やかな表の半月や(ばち)面に目を奪われがちですが、この裏に隠されたこの小さな振動板が弾かれた”ただの音”に命を吹き込むのでございます」

 見ると丸い胴の内側に複雑な曲線の板が胴木として張り付けられていた。

「……」

「この隠れた板が琵琶の心なのでございます、弦は強く弾くと強い音を発しますがそれをそのまま外に出せば聞き手は必ず反発を覚えるでしょう、人も同じ一度心で受け止め表現を加えることで相手を説得することが出来るのでございます」

「良いことをお教え頂いた、だがその琵琶が無残……」

「いえ、これしき。これの最後の音色が翔馬さまの心に響き、貴方様の進む道への(はなむけ)となれば…… これもうかばれましょう」

 諸法無我、自分もまた紗代子の人生に何事か影響を及ぼす存在なのか? そうであればこの方の将来がどうか平穏なものであって欲しいと心から願った。


 さて気になるのはゴン、いや三郎と花火師弥助のその後である、作者もどう書こうか思案中なのである……。

 三郎は関所で大暴れの後、峠越えしたように見せかけ実は彦根新田に潜伏していたのである、目的は青木丹膳一味の情報収集と高市源蔵の探りであった、勿論翔馬から頼まれたモノではなく、自分の意志としての行動だった。

 青木丹膳の方は数回屋敷に忍び込み、同志の面子や人数を確認した、高市源蔵については潜伏先が鍛冶屋町浜屋と言うことは分かったが、屋敷への出入りが難しく、本人の確認が出来ずにいた。源蔵も雇われ主の早坂源内から身を隠すよう命じられていたので、出歩きはしても目立つことは控えていたのである。

 ただ、刺激のない日が続くと、逆にイライラし出すのが源蔵の弱点だった。

「おぬし、見かけぬヤツだな」

 源蔵は川岸に釣り糸を垂れる下人風の若い男に声をかけた。

「……」

「おい、答えぬか」

「あっしは旦那のお顔はちょくちょく拝見させて頂いてますがね?」

「嘘を申すな、おぬしとは会ったことはない、それに下人ではあるまい」

 源蔵は男の釣り竿の捌きに、ただ者ではないと感じたのである。

 男、そう三郎は内心しめたと思った、相手の殺気が尋常ではないのだ。

「こんなところに魚はいないと思ったが、大きいのが掛かりやがった!」

 言うが早いか後ろ向きのまま、竿を引くと釣り糸の先の(おもり)が一直線に源蔵に飛んで行った、並みの相手なら額に喰らっているところだが、流石に源蔵、わずかに顔を振り後ろにかわしさま、抜きつけで糸を切ったのである、糸から放たれた錘は数間後ろの立て看板を打ち砕いた。

「おぬし何者!」

「高市源蔵」

「……」

「ははは、おいらが源蔵ならお前は誰かのう、なあ源蔵!」

 三郎が正面に構えていた、左手に十尺程の釣り竿一本ではあるが、それは仕込み(刀)の可能性もあり、源蔵は容易に近寄れなかった。

 先ほどの不意を突いた錘の攻撃もあるので、相手が形を決めるのを待っていたのである、しかし三郎から殺気は微塵も感じられなかった、源蔵にとって異様な時間が流れてゆく、ならばと抜いた刀を下段に構えジリジリと寄って行った。

 微動だにしない三郎を怪しく思いながら詰め寄る源蔵、その間が2間に狭まったとき足元から勢いよく白煙が噴出した、三郎による仕掛けである。

 三郎は咄嗟に3間の川幅を竿で飛び越えて向こう岸に渡っていた。

「源蔵! 江戸で会おうぞ!」

 言ったが早いか素早く路地に身を隠そうとした、だが丁度その時、その路地から二人の浪人が川筋の道に出てきたのである。

 二人は源蔵と同じく早坂源内に雇われている浪人者であった、源蔵が対岸から声をかけた。

「吉田! そやつを殺れ!」

 もとより鉢合わせをした時から無礼な奴と刀に手をかけていたので抜き打ちは速かった。三郎は1間を後ろに飛び間一髪でこれをかわす、もう一人の浪人は壁伝いに走り三郎の後ろに位置した、挟み撃ちの陣法だ。

「吉田、川島!ぬかるで無いぞ!」

 源蔵も加勢したかったが3間の川幅は飛べなかった。

 川島と呼ばれた浪人も抜刀しており、三郎の背後を狙っている、三郎の手に釣り竿は無く、後ろ腰に差した忍者刀の柄を握っていた。

「おぬし、忍びか」

 間合いをとることもなく勢いよく正面から吉田が切りつける、その対応時に背後から川島が切る段取りであったが、吉田の一撃を三郎が受けることはしなかった、刀が胸元に届く瞬間、スッと消えたのである。

 消えたかの様に見えるほど素早い三郎の体は、吉田の真横に位置していて、同時に後ろ腰から鞘走った忍者刀が脇腹を貫通していた。

「うう……」

 吉田も川島も人を殺したことはあるが、殺されたことはないのである、目の前で吉田が死んで行く姿を見ても川島は何とも思わなかった、自分ではないから。

「小僧死ね!」

 川島もまた勢いよく三郎の上体めがけて長剣を刺してきた、三郎は川島の足元をめがけて地面を2回転した、起き上がったときには、浪人の左足がなかった。

 川島の転がった先に吉田が倒れていた、目を見開き口が何かを言おうとした様である。無様なヤツ! と思い立ち上がろうとしたが、左にまた大きく転がった、左足が無いことに気が付いてないのである。しかし急激な脱力感と思考の廻らない初めての感覚で、切られたことがやっと分かった、吉田がこちらを見て無様なヤツ!と言った気がした、持ち上げていた頭がガクッと崩れたのが最後だった。

 三郎は駆け抜けようとした路地に消え、対岸に源蔵だけが残っていた。吉田と川島は手当てをしても無駄だと分かっていた。

 源蔵も近くに身を潜め、先ほどの三郎の人間離れした動きを反芻(はんすう)していた、こちらから狙うとしたら地面を転がって起き上がった瞬間である、ただ三郎は転がりながらも確かに対岸の源蔵の様子を見ていたのである。

「恐ろしいヤツだ、おれが動けばどう対応したのだろう、忍びとは……」

 三郎もまた源蔵の殺気を反芻した。

「あれほどの殺気、一撃の威力はどれ程のモノか、細い忍者刀では太刀打ち出来なかっただろう、翔馬さんが勝てる相手だろうか……」

 十尺釣り竿が棒のように刺さる小川の水面には、雲の切れ間から顔を出したお月さまが、何かあったのか? と言うように、ゆらゆらと揺れていた。


 彦根藩城下から少し離れた佐和山の麓に龍潭寺(りょうたんじ)と言う寺がある、元々は遠江国の古刹で井伊家の菩提寺であるが、井伊が近江国に転封となったとき、分寺してここに建立したのである。 その境内と山の境に広大な崖面がある、表からは見えぬ一角にこれも大きな洞窟があり、数人がそこで隔離された様に過ごしていた、その中の一人が花火師弥助だった。

 弥助は今この人里離れた世間とは無縁の場所で花火を作っていた、この男には天性の仕事であり、花火を作っている間は飯も要らないのである。

 ただ、この頃城下で妙な噂が広がっていた。

「昨夜も鳴ったで、数えたら十回や」

「おら寝とったから知らんが雨も風もなかったがのぅ」

「そうやで、まぶしいくらいの月も出とったし、稲妻も光らんかった」

「あれ、琵琶湖の水神様が怒っとるんとちがうか? おおこわ!」

「そうやで、何か悪いことが起こらんといいがな」

 真相は弥助の作った花火の試し打ちだった、人のいない未明に琵琶湖の辺で飛ばすのである、これは普通の花火ではなく、こちらに飛んでくる花火を打ち落とすための花火なのである。現代で言うスカッドミサイル。

 弥助は彦根新田で自分の作った花火が、今年江戸の花火大会で良からぬことに使われることを阻止する手段として、この花火の製作を松野宗助(彦根藩裏相談役)に申し出たのである。

 この日はお忍びで松野と共に平野忠次(中老)が来ていた。

「弥助、思う花火は出来ているか?」

「へえ、花火は問題なく出来上がっております」

「それは良い、何も問題はないのじゃな」

「花火に問題はないのですが、大きな問題が一つ……」

「なんじゃ、申してみよ」

「へえ、花火には軌道が決まっておりまして、打ち上って3っ数えると到達点が分かりやす、打ち落とすにはその同じ軌道上に打ち上げる必要があり……」

「分かりやすく言え」

「へえ、要は到達点を井伊様のお屋敷とすればそこから打つのが一番良いのですが、それは叶いません」

「当り前じゃ、屋敷から花火など放てば即刻お家取り潰しにあうわ!」

「ならばお屋敷外の軌道の真下で打つしかございません、ですが大川(隅田川)からお屋敷までの間に打てる場所があるかどうか……」

「軌道から外れては打てんのか」

「軌道真下であれば十に八つ、軌道外であれば十に一つでございます」

「打ち上げる場所か、うむ、困ったのぅ」


 龍胆寺の一室で中老・平野忠次と松野宗助が対峙する、松野が口を開く。

「どうしても殿を江戸に送らねばなりませぬか」

「出府を拒む大名はおらぬ、拒むとよい見せしめとなろうぞ」

 方丈庭園の借景は佐和山である、一瞬石田三成の妖気を感じた。


 近江国から北関東、東北へ続く東山道がある、秋月翔馬と新井信治郎はそれを通り江戸へ下ることにした。朝日に向かう二人は一見前途洋々に見えるが、信治郎にしてみれば弟の仇討ちが目的の江戸入りであり、その前途は眩しい朝日の向こうで待つ暗闇のようなモノでもあった。




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