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帰還 2

 秋月翔馬が生きており彦根新田藩を脱出すると聞き、関所を固めて三日目である、関所には村井圭吾はじめ数十名の武士が備えていた。今の時期は正月用の品物が荷車に山高く積まれて行き交う、普段より通行が多かった。

 見知らぬ若い百姓の大八車が大きな荷物を大番所の前に運んできた。

「お前は見かけぬヤツだがどこの者だ?」

「へぇ、美濃から山城国までまいりやす」

 山積み荷物のムシロから不審な白煙が漏れていた、役人が気付き大きな声をあげ、皆が駆け寄ろうとした時、若い百姓(三郎)は大八車を大番所に突入させた、同時に腰袋からこぶし大の礫を駆けつける役人に向け四方八方に投げつけた。

”ドーン!” ”ドッカーン!!”

 大番所の一角が壊れ、黒煙や白煙がそこら中に立ち込めた。

「やや、現れたか!逃すでないぞ! 切り殺してかまわぬ!」

 村井圭吾が指揮を執る、ゴンは煙幕に身を隠し次々に礫(爆薬)で煙幕を広げて行く、怒号と共に皆がパニックになる。敵か味方か分からない中を村井が正気に返り皆を落ち着かせようとするが、もはや手のつけようが無かった。

 関所の裏道にあたる峠にも数多くの侍が待機していたが、関所で大爆音が響き、ただ事で無い様子に皆そちらに駆けつけて行った。

 誰もいなくなった峠道に、雑木林の中から姿を現したのは翔馬と弥助だった、三郎の計画は関所で騒動が起きれば皆がそこへ集中するはず、そのスキをついて峠を越えると言うものだった。正に成功したように思えた。

 翔馬と弥助は誰とも会わず難なく峠を登り切ろうとしていた、だが手前にある文殊堂に怪しい人影があった。影は二つ、いずれも浪人者と思えた。

「若造! 秋月翔馬か!」

 藩士とは思えぬ浪人者から呼び止められ、相手の正体を訝ったが松吉が言った父親の仇、高市源蔵の名前が脳裏に浮かんだ。

「高市源蔵か!?」

「源蔵、源蔵と小ざかしい!武士の情けで野島丈四朗と名乗ってやる」

「彦根藩監視役新井信吾を殺ったのはお主か?」

「口惜しや、それこそ源蔵。だから今度はわしの手柄にするのじゃ問答無用!」

 翔馬も喋る気にはならなかった、実戦は初めてと言って良かった、道場と違いこれは誰も止めには入らない、どちらかが倒れるまでの真剣勝負である。

「弥助、離れていろ!」

 二人の浪人は翔馬と90度の位置に構えた、左の丈四朗は正眼を崩さず、右の名乗らなかった方は正眼から八相に構えをとった、翔馬は左足を引き居合の構えをとる、三人とも身なりは良いと言えないが、剣の心得がある者が見れば一段上の試合であった、乱闘ではなくお互いの呼吸を読み、打ち込むスキを窺っているのである、見物人がいないのが惜しまれるほどだ。

 関所の黒煙がこの峠まで上がってきている、下の喧騒と違いここは小鳥の声が聞こえる静かな戦いだ、いつまでこの状態が続くのかと思った瞬間、左側の剣先がスーッと伸びて来た、翔馬は咄嗟に二人の間の空間に身を移した、すかさず右側の剣が肩先から振り下ろされる、これも尋常でないスピードと正確さである。流石に剣を抜いてそれを払った、相手は居合の抜き打ちが崩れたと看てとり、たたみ掛けて斬り込んできた。丈四朗は自分の出る幕では無いと刀を引いた。

 防戦一方に見えた翔馬だが、相手の甘い打ち込みを見逃さなかった、悪い足場で一瞬甘くなった打ち込みを強くいなし、返す刀で見事切り倒したのである。

 横で見ていた丈四朗にしてもなぜ逆転されたのか分からなかった、しかしそれはどうでも良く、今度は自分がやれば良いコトであった。

「小僧! やりやがったな!」

 分からない内に冷静な気持ちが失せていた、ただこれまで鍛えて来た剣の腕は一流で正眼の構えにスキは無かった。翔馬も血濡れた刀は鞘に戻せず、正眼の構えをとっていた、だがもう待つことはしない、じりじりと間を詰め切っ先が触れ合うほどに寄った時、追い込まれた丈四朗が渾身の気合いで打ち込んできた。

「きえーー!」

 刀が動いたのは同時だと思えたが、相手の身に届く時間は明らかに翔馬が早かった、翔馬は切っ先で丈四朗の喉を切り、少し首をひねるだけで良かった、丈四朗もまた切っ先を翔馬の喉に差し込んだが、そこには相手はおらず幻影を刺したのみだった、一瞬速い翔馬の剣が丈四郎の手元を狂わせたのだ。

 翔馬は初めての実戦で武士の宿命を感じた、人の命を奪って気持ちの良いモノでは無い、だが強い気持ちでその思いを退けなければ武士として生きて行けないのである、志の高さが苦しみを消してくれると思いたかった。

「大丈夫ですかの? 三郎さんも大丈夫ですかのぅ……」

 隠れていた弥助が遠目に声を掛けて来た、心細いのである。

「大丈夫だ、ゴンいや三郎は大したヤツ、きっと切り抜ける! 急ごう!」

 峠を越せばもう彦根藩である、翔馬は急に気が抜けた、若干二十二歳の若者である。 初めて経験した真剣勝負での全神経の集中が解け、虚脱感に支配される中、弥助の励ましでやっと峠を下りることが出来たのである。


 彦根城下の外れ、後に井伊家ゆかりの寺となる天寧寺の前身萬年寺である、そこに安置される羅漢像はその数を二十体に増やしていた、和尚の人柄であろう、各地より名だたる仏師が、「金に困れば売れ」と寄進をしてくれるのである。

 大名も欲しがると言う見事な作品、迫力の二十体が並ぶ薄暗いお堂に入った瞬間は、誰もが足のすくむ思いがする。やがて眼が慣れてくると、それぞれの羅漢の表情に自分の心を見透かされたような気持になる。だが気持ちを強く持ち、よくよくその表情に問いかけると今度は色々な事を語り掛けてくれるのである。

 そう、ここでは二十体の阿羅漢がそれぞれの智慧で自分を導いてくれる、正に魂の癒される場所なのだ。

 早苗がいつも通り羅漢と対話をしていた、答えの無い問いかけに厳しい表情の羅漢が優しく答えてくれる、答えは無いのに不思議に満足を覚えるのである。

「早苗どの、お茶茶が冷めまするぞ !?  お女中が可哀想でござるぞ !?」

 早苗が女中を連れて和尚の待つ部屋に入って来た。

「和尚様いつもわがままを許して頂きありがとうございます」

「何を言うておるぞ、あんな羅漢ごときを相手にしておってもつまらんじゃろ」

「いえいえ、わたくしの心の一番休まるところでございます」

「ほーう、そんなもんかのぅ? わしなんかは日頃の行いが悪いでの、一時でもあんなお堂に閉じ込められたら怖~て怖~て!」

 供の女中がケラケラと笑う。

「コラ! おぬしを一時閉じ込めようか !?」

「お許し下さい」

「ハハハ、自分が出来ぬコトを人に求むなと言う教えじゃ、怒ってはおらぬぞ?」

「早苗さんももう随分羅漢と対峙されていなさるが、何か変化はあるのかな?」

「わたくしがここでお祈りするのは翔馬さまのことのみでございます、自分で言うのもおかしなコトとは思いますが、十九人の羅漢様はお許しになられますのに、お一方だけはいつも怖い顔でお睨みになられます……」

「ほほー? 怖い顔で……」

「ただ、不思議な事に今日はその羅漢様が微笑んでいるように見えたのです」

「ほほー? 微笑んだ……」

「イヤでございますわ、和尚様オウムではありませんよ !?」

「いやすまぬ!お女中も必死で笑いたいのを堪えてござる。しかし早苗さんはあの恐ろしい雰囲気の中で羅漢の一人一人と対話をなされたか、強い精神力じゃ」

「……」

「わしも翔馬に武士の志などと吹き込んだが、あやつ今頃どうしている事やら、ここで賑やかにしていた頃を思うと少々不憫でのう」

「和尚様がそのように申されるとまた答えが遠ざかって行きますわ」

「おおそうじゃの、今日はいつも怖い羅漢がそなたに微笑んだのじゃ、希望を抱いて帰るがよいぞ、愚僧の弱音は聞かなんだことにしなさい」

 いつものことだが、お供の女中が湯呑を洗って簡単に掃除もしてくれた、早苗が帰った後に夜の勤行を唱え、いつもの様にその日が終わろうとしていた。

 和尚が仏壇の行燈を消しに本堂へ向かう途中、何者かが裏木戸を開けたような音がした、そちらに向き渡り廊下から声をかける。

「どなたかな?」

 影は庭木に潜み慎重に辺りをうかがっていたがすくっと立ち上がった。

「和尚、秋月翔馬でございます。」

 和尚は持っていた燭台を取り落としそうになるほど驚いた。

「しよ、翔馬か!」

「翔馬でございまする、突然に申し訳ございませぬ」

「何を申す、はよう此方へ! はよう来て顔を見せよ!」

 たかだか三月(みつき)ほどの間である、だが三月を毎日会うよりも一日も会わぬ方が絆が強くなる、三月前には想像もしなかった涙の再会である。

 庫裏で温かい粥を頂く、もちろん弥助も一緒だ。

「こんなコトなら羅漢の一体でも売って馳走せねばならなかったのう」

「和尚十分です、今宵の寝床だけをお願いするつもりでまかり来ました」

「何を言うぞ、いつまで居ても良いモノじゃがお主も考えがあってのコトと思う、好きなように使うが良いぞ」

「かたじけのうございます、色々な事があり過ぎて考えが纏まっておりません、ご中老様に申し上げる事がございますが、早苗さんを巻き込んではならぬことと考えます、先ずは松野宗助どのにお会いし、助言を頂こうかと……」

「わかった、わかった、いや分からん!俗世のコトは引導を渡す事しかわしは分からん、じゃがお前の味方には間違いない、仏道に背かぬ限り協力は惜しまぬ」

 三か月の出来事を語り、整理を付けた、和尚の助言もありがたかった。

 囲炉裏にあたり粥をすする、弥助の安堵した顔、何もかも包んでくれる和尚の大きさを感じながら久しぶりの団欒を過ごした。

 風呂に入って寝床につく、久しく忘れていたやすらぎに幸福を感じた、今後この様に安寧な日々を暮らせたらどんなに幸せな事か……。

 目を閉じると河井政之助の豪快に酔った姿が目に浮かんだ、無邪気で純な新井信吾の笑顔が浮かぶ、ゴンはどうしているだろう? あれほど尽くしてくれる者はいない、どう応えれば良いのか…… 温かい粥を食べさせてやりたかった。

 自然に涙がこぼれる、今日は泣き虫でいい、誰にも見られぬ布団の中で思い切り泣くことも許されると思った、そんな自分を大きく包んでくれる和尚を感じた。

 一方これほど満たされた想いの中で何か足りないと思う心があった、そんな筈はないと満たされた想いに帰ろうとするが、帰り道が見つからない、おれはどこに帰ろうとしているのか、もがいてもがいてどうにもならない恐怖に目が覚めた、その時早苗の顔がはっきり見えた、早苗さんに逢いたいと思ったが、全てが終わるまでは逢わないと決心している、どうにもならない切なさが身に染みる。

 もう一度目を閉じる、河井、新井、ゴン……。 再び嗚咽がこみ上げた。



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