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武士の志 1

江戸時代、彦根藩の若き青年、秋月翔馬が巻き込まれるお家騒動。思わぬ方向性に笑いと痛快性を絡め、二人の女性の恋心も描いた長編力作です。

 元号が平成から令和に変わり早2年目となる、昔の改元は天皇の崩御に限らず、天災や大事件、江戸時代では将軍様の代変りにも改元されており、短いものでは2年しか続かなかったものもある。

 その江戸時代、大体数年で入れ代わった元号だが、ここに享保きょうほうと言う21年間続いた元号がある、この物語はその頃に起こった、現代には何の影響も無く、全く知らなくても良い出来事である。


 シューーーーッ、バァーーン!!

「おお~、カギ屋ぁーー!!」

「ばか、今のはタマ屋だよ!」

 シューーーーッ、バァーーン!!

「よぉ!タマ屋ぁーー!!」

「ばかだねぇ、今のがカギ屋じゃねえか!」

「るっせえなぁ~、ばかはどっちでぃ! どうせ聞こえやしねえんだし、おめえが黙ってりゃ分かりゃしねえんだよ!」

 江戸の大川(隅田川)に両国橋が架けられ、祝いの花火が打ち上がったのである、現代の両国花火大会の起源である。

 バン! バン! バン!

「おい、今のは何でい? 三つなったぜ?」

「おお、おっかねえ~、花火って言うのは一個ずつでいいんだよ~」

「いや、でもすげえぜ! もう一回やってくれよ~!」

 バン! バン! バン! バン!

「ひえ~! やったぜ~ こりゃすげえや」

 江戸の庶民は大喜びであった、花火は家康の時代からあったが、戦が無くなった後、火薬を花火として専門に扱う職人により急速に発展したのだ、だが江戸においては危険なため打ち上げ花火は禁止とされ、地方を中心に発展して行ったのである。 そして今年、飢饉のため多くの人が死んだことへの弔いと、両国橋が架かった祝いを兼ねて、数組の花火屋を地方から江戸に呼んだのである。

 カギ屋とタマ屋は江戸でも知られていた、と言うか屋号はその二つしか知られていない、この時代はまだどこの花火も単発で打ち上げていたのだが、バンバンバン!と連続でやったのは近江屋と言う彦根から来た花火屋が初めてだった。

 その彦根藩江戸下屋敷は大川の対岸にあり、花火を見るには絶好の場所だった。

「おおう、上がっておるのぅ!」

「は、ご家老さま。わが彦根、近江屋のモノが一番と思われまする」 

「うむ、連発とは驚いた、花火も進化するものじゃ、来年は殿も来られる、ここでこうして眺められるであろう、早くも待ち遠しいことじゃ」

「はっ、お国の花火をきっとご自慢なされましょう」

 近江屋の花火はすこぶる評判が良く、皆の大人気となった、この花火会を恒例として、来年も近江屋を呼んで欲しいと幕府に嘆願書が届くほどの勢いだった。


 ところ変わってここは、近江・彦根藩。 数十年前、徳川四天王の一人、井伊直政が関が原の戦功として石田三成の佐和山城を拠点とする佐和山藩を立藩した、その後二代直孝(正確には三代)が兄の建築した彦根城に入り彦根藩を立藩したのが始まりである。

 あまり知られていないが、彦根藩の支藩で彦根新田藩と言うのが一時存在した、

その彦根新田藩の家老屋敷の一室で夕刻数名の者が膝を寄せていた。

「先日の江戸での花火、彦根の評判は上々じゃそうだのう?」

 そう聞いたのは家老の右腕と語られる大目付・前田左近。

「はぁ、いささかやり過ぎて皆に近江屋と知れてございまする」

 答えたのは郡奉行・早坂源内である、家老・青木丹膳は中央でじっと目を閉じ聞き耳だけを立てていた。

 今度は勘定方の藤堂が口を開いた。

「源内どのが見込んだ弥助と申す花火師、大したものでござるのぉ~」

「うむ、腕は確かだが、われらの意に沿える者か……、そこが気にかかるわ」

「まあまあ、まだ一年、手懐なずける手段はあり申す、こちらにもその手の人材は豊富でござれば……」

「そ、そうでござるの~ わははは……」

 皆は笑ったが家老の青木丹膳が黙ったままなので笑いはすぐに収まった。 彼が静かに目を開けてドスの利いた声でしゃべり出す。

「各々(おのおの)がた、これは遊びではない、藩のため、我ら子孫のために命をかけた戦いなのじゃ、笑うて収める話し合いではないぞ?」

「左近の計画状に各々の名前を入れ、各々が責任を持ち、万全と事に当って初めてこれが実るのじゃ、忘れるでないぞ!」

「はは!」


 彦根藩、城の南東半里も行かぬところに萬年寺と言う寺がある、後に彦根城下の宗徳寺と合併して、五百羅漢で有名な天寧寺となる城下外れの小さな寺である。

 その墓地の一角に一人の若侍が野の花と手桶を持ち、昨年亡くなった父母の墓を参っていた。見ると眉目秀麗でどこか品のある若者である。

 彼の名は秋月翔馬(名前の決め方が難しいんだよなぁ~まあ、いいだろう)父は彦根藩で長年寺社奉行に勤め、軍務としては足軽大将を任されるなど人望の厚い人であった、清廉潔白な性格の上、出世も望まなかった為、石高は20石と低く、家族と用人数名を養うのがやっとだった。

 ある事情で父が亡くなり間もなく母も後を追った、藩は父親のこれまでの功績を称え10石加増されて翔馬に家督を継がせたのである。

 翔馬が墓参りを終え、住職に挨拶をするべく庫裏に寄ると、和尚は若い娘たちとお茶を飲み雑談しているところであった。

「和尚、いつも世話をして下さり、かたじけのうございます」

「おおう翔馬さんか、丁度良かったこちらへ来なさい」

「いえ、じゃまになるといけませんので私はこれにて」

「いや、いや、この場にそなたが必要なのじゃ、どうぞこちらへ」

 と言われては断れない、土間を横切り小さな庭園のある縁側に出ると、和尚と小柄な娘二人が和尚さんの話しを夢中で聞き入っている様子だった。 一人は上質な小紋の単衣着物で、一見して武家の娘である、もう一人はお供のようだ。

「翔馬さん、こちらは中老・平野忠次殿のご息女早苗さまじゃ」

 早苗は話の余韻なのかニコニコしていた。

「はは、わたくしは寺社奉行に奉公いたしまする秋月翔馬、父の急死で役職を頂き登城が浅いものですから、ご中老様にはお目にかかったことはございませぬ」

 翔馬が緊張気味に言うと。

「ははは、なにを硬くなっておる、ここは城内ではない、ご中老もいないぞ?」

 和尚が口を挟む、偶然の出会いなのか仕組まれたものなのかはまだ分からない、

和尚の話が面白く何事も理にかなっているので、聞いて飽きることが無い。

 世の中の道理や人の生き方などは将来への道標みちしるべを説いてもらっているようであった、お茶も三杯目を数え、帰りが少し遅くなってしまった。

「翔馬さん、早苗さんたちを送って進ぜよ」

「はい、城下までは半里足らず、まだ明るい内には着きましょう」

 早苗は笑顔の可愛い娘だった、お供の娘にも優しく姉妹の様に接していた、翔馬は初対面だが心を惹かれていた、ただ身分の違いは現実のものとして受け入れなくてはならず、寺を出ると主従の関係に務めたのである。

 翔馬は両親が健在のときは先祖のお墓参りも無縁のモノで、菩提寺の萬年寺にも足を踏み入れることも無かった、今までしてきたことは剣術なのである。

 父親は寡黙な人であったが軍務では足軽大将の役をもらっている、日頃統率の取れていない者たちを動かすにはそれなりの実力が無ければならない。

 一朝一夕で得られない実力(剣術)を翔馬にも求めていたのである。

 関が原の戦いでは一等戦功の井伊家も、続く大阪夏の陣では不覚をとった、徳川の世が安泰であり、もう戦はしたくないと誰もが思っていたが、一度戦となれば井伊家として再び遅れをとるわけには行かないのである。

 その精神が井伊家を支える彦根藩の中枢にあり、秋月家にもあった。だが翔馬は両親の死から、剣を持つ時以外は本当に優しい青年になっていた。

 翔馬は両親の月命日には必ず萬年寺を訪れた、早苗も伯母の墓参りを翔馬に合わせていた、墓参りの後は庫裏で和尚の話を聞く、寺では身分も日常も忘れてよかった、時折商人や農民が訪ねて来るが、これも和尚が簡単には帰さない、皆で雑談をするのが楽しみとなっていたのである。

 何時しか翔馬と早苗も寺にいるときは、幼馴染でもあったかのように、親しく話せるようになっていた。

「翔馬さんは剣術がお出来になるようで、どのくらい強いのかしら?」

「いや、人並みなので剣を使うような機会は避けたく思います」

「ほほほ、優しいのですね~、先日墓地に向われるとき境内にいたヘビをお逃がしになりましたね? 普通は殺してしまいになられますのに?」

「……あれは噛まれても害の無いヘビ故、またこちらが構わなければ噛むこともござるまい、まして寺の中で殺生は……」

「お強い殿方はそうお考えになっても、私たちは嫌ですわ?」

「はぁ、ならば今度は殺しておきましょう」

「ほほほ、やっぱり翔馬さんは優しいお方ですね、でもやっぱり殺生は控えた方がよろしいのでしょうね、和尚さんに叱られますもの」

 笑っていると、少しの間外していた和尚が帰ってきて。

「和尚が何じゃと? わしは相手を褒めてこそ、叱ったことなど一度もないぞ?」

「あら、聞こえていました……」

「おぬしたちは寺の住職をどう見ておる? ま、我々は人からどう見られようと気にするモノでは無いがの? 坊主は皆、最後は仏になりたいと思うておるのじゃ」

「はぁ」

「他人を叱っておっては仏にはなれん、相手に対し腹が立つときほど相手を褒めるのじゃ、怒りは腹を立てた自分にのみ……、御仏の深い慈悲にすがるのじゃ」

「和尚様のような心の深い人間になりたいものですね」

 翔馬がポツンとこぼすと。

「なにを言っておる、これから藩を支えて行く若いお主が、今から志を捨てて何とするぞ! 後三十年間は藩のため事を成し、それを終えた後に考えるが良い!」

 早苗がにっこり笑って。

「和尚さま、いまお怒りになった?」

 和尚があわてて、

「あ、いや、えっ? そんな~」

 みんなが大笑いとなった、平和な時が流れるのである。

 笑いの後に翔馬がたずねた。

「和尚、私にはまだ志と言うモノが見えぬのですが……」

「案ずるでない翔馬さん、人は生きている間に何がしか大きな仕事をしなければならん、だがそれが何なのかは、それに出くわすまで分かるモノでは無いのじゃ」

「……」

「だが、その時は絶対来る、時もお前を待っているのじゃ、自分がそれを定めだと思ったときに志が生まれる、その時は持てる力を発揮せねばななんのう」

「分かりました、和尚の言葉を心に刻んでおきまする」


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