個人企画に参加してみた ①と②それと③ +バンダナコミック01作品
ロスト・ハウス 〜 記憶から消えた家 〜
私は眠る。ただひたすら眠る。眠りの中で、夢の世界中だけで暮らす家があるからだ。深い眠りについたあと、ようやく失われた日常の扉が開かれる。
夢の中でしか現れない家がある、そういう体験をしている人はいるだろうか。私の見る家は町の中、山の中腹、海岸沿い‥‥家の建つ地域が変わる。気候は良く分からない。家にばかり印象を残しているせいか、着ている服も思い出せない。家の形も毎回変わるというのに、何故かその家がいつも夢の中でしか見られない家だとわかるのだ。
理由の一つは間取りだろう。果たして普通に暮らす家に、このような造りがあり得るのだろうか。その家の中は入ると広い玄関が現れる。古風な民家に感じる。黒く丸い石を敷き詰め固めたような足つぼマットのような床。床の工法など知らないが、下駄のような履物だと躓きそうな気がする。いつ訪れても綺麗に掃き清められていて、奇妙さを感じるわりに歓迎されているように思えたのだ。
玄関は他に飾り気はない。古風な広い玄関に飾りがないのは寂しい感じがする。だが必要ないように見えた。飾らない玄関に、龍安寺の石庭の奥深さのようなものはないのに、不思議と惹かれる玄関だった。
部屋の半分から奥に三つの入口がある。正面は台所になっていって、見知らぬおばさんがいつも何かを調理していた。白い割烹着というのだろうか。時代的には昭和から平成初期のドラマのワンシーンで見た記憶にも見えた。
朝や昼の連続ドラマなど見た覚えはないのだが、台所そのものは記憶にある昔住んでいた団地や社宅のアパートのものに変わる。その時には、台所に立つのは母の姿で、このおばさんはいない。でもこの少し古めかしい台所は知っている。
私はこの時に一つ気付いたことがある。目線だ。玄関は別として台所や棚の道具や食材など、もやがかかったように見えなくなるのは、あるのは知っているのに、その時は見えなかったものだ。子供の頃の記憶。だから目線が低いのか。夢を見ている私は大人で、視界が違うと知っている。台所の違和感は、夢を見る私が模倣して補った部分なのだろう。
夢の中のはずなのに、お腹の空いた私はいつもそのおばさんから、おやつ代わりの食べものをもらい口にした。三角に握ったおむすびに味噌を塗った焼き味噌おむすびを、あつっあつっ──と、かじりながら口に広がる焼いた味噌の味を楽しむ。
焼いたにんにくのホクホクした食感を楽しんだり、炙った海苔をバリバリと食べたり、あられの入った熱いお茶で舌を火傷しかけたこともあった。焼きおむすびの、焼いた味噌の香りがいまも好きなのは、昔の幸せな記憶から来ている。
台所にはそんな熱さと、温かさとが入り混じる懐かしさがある。誰だかわからない、おばさん。癖っ毛なのかパーマなのか、少し茶色みがかる髪と白い割烹着が良く似合う。いつもお腹を空かせては、台所にあるものでおやつを作ってくれる優しいおばさん。
玄関の左の部屋はトイレがある。家の造りが奇妙なのは台所からもこのトイレのある部屋に行けることだ。それも二つあって、もうひとつはその部屋からまた別のドアを進んだ先にあるのだ。
どちらも洋式の、おしりの自動洗浄ボタンのついていない昔のタイプだ。一つは給水タンクの上が手洗い用の洗面台付き。もう一つは何か黄ばみがあって汚い。夢を夢と感じさせない妙なリアルさがある。
極たまに記憶に紛れる和式の汲み取り式のトイレは、幼い頃の父の実家のトラウマだ。臭いの酷さと、落ちたら死ぬ‥‥子供ながらそんな生命がけな用便をする事に恐怖したのだ。
さらに奥の部屋に進むと、十年以上は見ていない学生の頃に私が使っていた学習机に出くわす。板の床の六畳間。学習机は、今はもう亡くなった父が買ってくれた私のお気に入りだった机だ。
家具屋で売りに出されていた、人気のアニメキャラの子供学習机ではない。デスク部分が開閉出来る飾り気もない書斎にあるような大人向けの渋い机。値段も安くなるのだが、変わった物を欲しがる私に父は笑って買ってくれたのを覚えている。
机の上部にはガラスの引き戸付きの書棚がついていて、色んな本を並べた。夢の中の机には何も飾られていない。まっさらな買ったばかりの状態。
私は知っている。私の部屋は弟と相部屋だった。私が部活の合宿中で留守中に、何でもカブれやすい弟が、流行りの不良漫画に憧れて出来た友達を連れ込んだ。
その時に私が大事にしていた机に油性マジックで、落書きされたのだ。橋の下のコンクリの落書きのような、下品極まりない絵や言葉。
私は弟に落書きしたやつを呼び出させた。思い出を汚された怒りをぶつけ────ぶん殴る。そして漢字の間違いを指摘してやった。難しい漢字を並べたて爆走する珍走団だろうと、当て字に使う漢字を調べて書道家かよって思うくらい無駄に上手い字を書くやつもいる。
悪ぶるなら悪ぶるなりの美学がある。そんな美学もなく、迷惑かけるだけというのならば、さっさっと死ねよ‥‥暴力と言葉の刃で追い込んだ。そんな若かりし頃の記憶の詰まった思い出の机だ。
一番腹が立ったのは、唯一煙草の煙で汚れていない部屋が、私の部屋だったのだ。家族の中で私だけが煙草を吸わない。まっさら部屋と机は、私の深層心理に刻まれた清浄な世界の記憶なのかもしれない。
奇妙な夢の中の家。この家は私が思い出す事のない記憶の日常を顕にする。間取りがめちゃくちゃなのに、頭の中では長方形に区切られた部屋が整然と並び、一つの建物として成り立っているのは私自身が無意識に区切りをつけているのだろう。
記憶の部屋は入れる時と入れない時がある。しかし、この家を訪れると台所とトイレ以外にもう一つ必ず見る部屋がある。それが浴場だ。
風呂ではなく、浴場。湯船が銭湯や旅館の風呂のように広いのだ。露天風呂ではないが、大きなガラスの壁や窓で眺めがいい。浴槽は昔の銭湯にあった、タイル張りが多いようだ。
ただ、この浴場は記憶にない。父の実家の離れの風呂場に似ている。浴室は座って肩まで浸かり、一人足を伸ばせるくらい広さがあった。だが、泳げるような広さはなかった。
団地でも、社宅でも、アパートでもマンションでも、借家でも、一軒家でも普通の家庭用のお風呂場だった。記憶している全てのお風呂にない浴室。旅行先の浴場にも、なかったと思う。
夢の中、記憶の部屋と言ったが、時折全く見たことのない和室も出てくる。床の間があって、小さなテーブルがあって。旅館の客室だろうか。やはり泊まった覚えのない、少し古い感じの部屋。旅行には何度も行った事がある。似たような部屋に泊まった‥‥その記憶が混じったせいだろうか。
夢の中で奇妙さを感じるのも不思議な気持ちがする。これは夢だとわかっていながら、夢から醒めない。夢遊病は眠っているのに、起き出して歩き回る様を言うようだ。それならば、夢の中で夢の世界を彷徨うのは夢中病とでもいうのだろうか。
結局はただの夢に違いない。あまりにもはっきり意識した夢の世界。夢が夢らしいのは、その間取が現実にあり得ない事を知っているからだろう。そして父方の実家など、もう取り壊されて残っていない建物達を懐かしんでいるのかもしれない。
家の中には知らないおじさんが二人いた。おじさんと言ってもどちらも若い。まったく記憶にない顔。夢の中の家で、二人を見た気はした。どうして二人の男が、私の夢の中にいるのかわからない。
おやつをくれるおばさんは、今ならなんとなく想像がついた。夢の話の人物を想像して、推測するのもおかしな話だが、あれは母方の祖母の若い頃の姿なのだと思う。
母の義理の姉に似ていたので、彼女なのかとはじめは思ったものだ。私は彼女‥‥つまり叔母さんが好きだったからだ。憧れも強かった。サバサバしていてハッキリ物を言うが、とても可愛がってくれたのを覚えている。
見知らぬ男の一人はあまり顔を覚えていない叔父なのだろうか。つまり叔母さんの旦那。資産家で大人一人くらいの、大きな水槽や模型の走るSLがあって、凄く興味をひいた。
叔父は父が私達子供を連れて遊びに行くと凄く嫌がった。母に対しても叔父の親族は召使のような酷い扱いをしたと聞いた。私一人が遊びに行った時は水槽の金魚に餌をやったり、汽車の動かし方を教えてくれたりしたので不思議だった。
外面がいい子だったわけじゃない。たぶん好奇心が強く、いつも真剣だったが叔母さんが可愛がってくれたのが一番の要因なのだと思う。
その叔父も、祖母と同じ時期、中学生の頃に亡くなった気がする。叔母さんはそれからずっと気ままに好きに生きている。見た目よりかなり若いのは、子もなく苦労もなく自由に生きているからだろう。
でも私の夢の中には叔母さんの家の部屋は出てこない。だからあの二人の男は、叔父さんではない。叔父さんでもないとすると、殆ど見たことのない父の兄弟だろうか。だが兄弟にしては父にまったく似ていない。
夢の中の家について探る旅は、思わぬ終結を迎える。父の亡くなった時に、母が昔の事を少しだけ話してくれたからだ。思えばこの両親は頑なに過去を話そうとしなかった。
叔母さんが連れ子である事を知ったのも養子の話が出た時だ。叔母さんは祖母に似ているが、母や母の妹達にはあまり似ていなかった。いや、母も妹達に似ていないのだが。
祖母の若い時分は戦争のあった頃で、血縁関係が複雑な事が多かった。当時の話を知る祖母は亡くなって久しく、母は話たがらない。
父の葬儀の後にようやく聞けた。話したくなかった理由もわかった。そして奇妙な夢の家の謎も解けた。
祖母は分かっているだけで二回結婚している。叔母さんは最初の祖母の旦那との子供だった。祖母とは血の繋がりはあるが、他の妹達からは、異母姉となる。サバサバした性格は父親似なのだろう。その最初の旦那は旅館を経営していた。
祖母は併設されていた料亭で働いていて最初の結婚した。私の夢の家の玄関や台所や浴場は、この旅館ではないかと思っている。すでに建物などなくなっていて、見てもいないのだがそう確信していた。
祖母の最初の旦那は結婚してまもなく、当時流行った伝染病で病死した。祖母がうがい手洗いに厳しかったのはきっとこのせいだ。汗をよくかくせいで身体が冷えて風邪を引きやすい私は、よく注意された。
そして二人目の旦那、おそらく血縁的には私の祖父に当たる人物と祖母が結婚した。旅館や料亭のある山の下流域の海辺の網元だった祖父。母は大きな畑で野菜を育てた事があると言っていたが、旅館と料亭で話が繋がった。新鮮な魚や野菜を届けていた縁で結ばれたのだろうと。
少し私は疑問だった。言ってはなんだが、私の幼少期は家が裕福だった覚えがない。いや貧乏だったと思う。それに長屋のような平屋の庭での母の写真は残っていたが、母の地元に住んでいた時は団地暮らしだった。
母が話したがらないのは、祖父が祖母との間に二人の娘を産んだあとに亡くなったからだ。てっきり戦争へ招集されて亡くなったと勝手に勘違いしていた。それだと母をはじめは母の妹達の年齢がおかしくなる。
祖父は戦争で亡くなったわけではなく死因はいまも不明だ。そして貧乏なのは、旅館も料亭も、農家や網元として持っていた土地の全てを失ったからだろう。
母は言わなかったが察しろと言いたげだ。おそらく賭博か何かで身を崩したか、戦後の投機で騙されたか……どちらにせよ祖母が祖父と結婚した後、全てを失ったのは確かなようだ。
母が話たくなかったのは、母が祖父の連れ子だったからではないかと思う。何となく祖母や姉妹の態度、叔母さんの親族の母への軽んじ方でわかった。母方の親族と、母と私の兄弟姉妹は血が繋がっていない事になる。確証を得たわけではない。戸籍を見ても、もう調べようがない。
重たい事実はいまさら変えようもなく、過去の事だ。そして私の夢の中の家の話を聞くと母も流石に驚いていた。母の子供の頃の記憶の旅館や料亭の姿と、私の見る夢の中の家の一部が酷似していたからだ。
理由は正しくはわからない。あくまで想像の事だ。裕福で幸せだった母の記憶と、辛い現実と忌まわしいその後の記憶を、私は母の胎内で受け継いで、自分の記憶と錯覚していたのだ。
二人の男は祖母の旦那。最初の旦那の顔がわかるのは、二人目、つまり祖父がまともだった頃に母を含めて交流があったのかもしれない。
叔母さんが母に優しい理由は、子供の頃から仲良しで、姉妹になったからだろう。私を可愛がってくれる理由も、血の絆を越えた思いから来ているのだと察する。
夢の中の家は相変わらず今も時々夢に見る。もっとも記憶から消えた部屋も多い。二人のおじさんや祖母にかわり、亡くなった父や友人やにゃんこやわんこ、疎遠になった学校や会社の人などに住人が変わっていた。
夢の中の家に住むことはない。しかし、夢の中の家は現実に疲れた私をいつでも待っている。記憶を重ねるうちに、かつての家は夢の中からも消えてゆく。
自分が大人になってみてわかる。過去の幼い頃の記憶よりも、新しい家族の思い出に左右されるものだと。思いの良し悪しに関係なく、夢の中の家は改築されていくのだ。
私が暮らした現実の住まいがなくなってゆくように、夢の中の家もいつか私自身に忘れ去られ記憶から消えてゆくのかもしれない。寂しく思うのは、現実の生活がそれだけ思い出にあふれ賑やかな証なのだろう。籠もりたく思うのは、現実が辛く逃げ場がなく感じているからだろう。
夢の中の家が記憶が消える時、私はすでに私ではないのかもしれない。知らない事は幸せ……知らなくていいことは、記憶にすらとどめたくない。
不思議な夢の中の家が現れる事はなくなった。私は今幸せである──そう思って生きている。
お読みいただきありがとうございます。
しいな ここみ様主催、純文学企画参加作品となります。
純文学を語れるほど‥‥そんな至高の考えや言葉は持っていません。純文学とはこういう感じかなと思い書き連ねてみましたが、美しい文章でもなんでもない日記みたいなものになりました。教訓めいた事はいっさいない、文字の羅列かもしれせん。