三刻 飛び出し注意
ビビビビッ!!と短針が六時を指す目覚まし時計の奇襲により、全身が強張って目が覚めた。
視覚を塞ぐ陽光と全身につき纏う暑苦しさ。
アラームに便乗してハモる小鳥のさえずり。
その二つの音色に合わさるがんがんと打ちつけるような後頭部の痛み。
今度こそ、本当に目が覚めた。
そう実感できる要素は十分身をもって感じられる。
「知ってる天井、だよな」
見るからに自室の天井なのだが、こう口にすることではっきりと実感する。
あの無闇やたらに真っ白い空間ではない。
色とりどりのオタク部屋。
配置も完璧。一切狂いがない。
んっ?いや待て。
『愛ゆえにアイラブユー』の1巻がないぞ!どういうことだ!!
ガバッと音をたてて身を起こし、辺りを見回す。
タペストリーやフィギュアの位置それらは一寸たりともズレがない。
ただ一つ、愛読書の一冊がないということは明らかにおかしい。
俺はまだ夢から覚め切っていないのかもしれない。
先ほどまで明確に夢から覚めたと実感していたとは思えないほどに掌を返した。
「畜生、あの王様野郎。俺が現実世界にいないことをいいことに、お気にを奪っていったんじゃないだろうな。トロイとの物々交換かっての。っていうか、夢なんだから現実まで反映してるわけなかろうに――」
思わずだ。
本当に思わず。
もしかしたら、全部夢であったと思いたかったからではなく、思わず右手首を見た。
何も無ければそれでいいのだ。
何もかもが杞憂で終わればそれだけでよかったのに。
まるでそんな心を見透かしたかのように、右手首には黒々とした腕時計――トロイが巻かれていた。
『一つは無理にトロイを外そうとするとトロイに仕込んだ毒針が刺さり死に至らしめるということ』
リドルの言葉が脳裏によぎった。
本能的に脳が警報を鳴らした。
こいつを外そうとしたらお前は死ぬんだぞと。
わかっている。
そんなことはあの夢で十分過ぎるほどわかっている。
『お前はこれからここにいない誰かと王の座をかけて殺し合ってもらう』
トロイの存在でリドルの言葉が現実であるということを認識させられた。
つまり、殺し合いをする状態が俺の身に降りかかるということ。
他人を殺し、身を守らなければいけないということ。
ある意味、殺しが合法化した。
くらりと体が揺れ、とっさに枕に手をかけた。
羽毛枕にしてはやけに固い何かに触れた。
笑うしかなかった。
何も、夢なんかじゃない。
あの空間も、リドルという王の存在も。
政権争いも、トロイも。
何もかもが現実だった。
もう、否定しようがないほどに今が現実であることを鮮明に理解してしまった。
「困っちゃうよな、こんなこと」
何が何だか、もう投げやり気味になってきた。
これから起こりうる不幸を想像すると何もかもが無駄に思えてきた。
必死に生きてどうすんだ?
人殺してどうすんだ?
殺されてどうすんだ?
このデスゲームに参加させられた時点で未来が閉ざされたといっても過言ではない。
なりたかった夢――はないが、見たかった夢はある。
『愛ゆえにアイラブユー』の主人公のように誰かに求められる人生を送ってみたかった。
せめて、そんな夢を見るだけでよかったのに……。
「認められたいよな」
夢。
一言で表すとそうだろう。
誰かに認められたい。
みんなに認められたい。
必死に生き抜いていくための目標。
俺は確かにあの場所でそれを掲げた。
覚悟?
決めてたよ、あの時は。
でも違うじゃん?
夢みたいな非現実的な世界での約束を現実まで引きずる?
存在さえ不確かなのに、命かけて戦いますとか言える?
見ず知らずの奴との約束守る意義がある?
存在しないから、見るだけで済むから夢なんだよ。
それがこうやって現実に侵食してきたから頭抱えてんだよ。
わかってるさ、これから始まる戦いが現実のものになるって。
だったら冠取れば、願いが叶うことだってさ、現実じゃん。
でもそのために殺さなきゃいけないんだぜ?
何の罪もない人々を殺して、冠取り合って、願いが叶うなんてさ。
人の命があまりにも、あまりにも軽すぎる。
もはや、使い捨ての駒以下。
王の戯れに選ばれ、人を殺す武器と権利を与えられた。
さながらコロッセオ。
それでも、俺たちは奴隷でなければ、眷属でもない。
願いを叶えるために、相手の私利私欲を満たすことはしたくない。
ましてや人を人と思わないやつの道理なんて、蹴っ飛ばしてやりたくなるほどに。
そうだ、殺しは悪。
殺すということはそいつの存在を否定することだ。
そんなことはあってはいけない。
殺しては――。
【本当にそうかい?】
心底の底の底。
どこまでも深く、限りない深淵の中から、黒々とした手が声とともに心臓を鷲掴みにした。
息苦しさと気持ち悪さ。
破裂しそうなほどに脈打つ心臓。
視界がチカチカと割れ、頭を揺さぶられる感覚。
誰かが俺に入り込んでいる。
それでも、人殺しは絶対的な悪なわけで。
【それが君の】
法律で決められてる。
【君の否定する理由なの?】
一段と強く、握り潰される手前まで黒い手は力が入った。
ギチギチと悲鳴を上げて、ドクドクと脈を打って暴れだす心臓は、次第に抗うことを忘れる。
【殺すことが怖いから、逃避を選ぶの?】
まるで答えを促すように、ハンドグリップをするかの如くにぎにぎと心臓に問いかける。
よくはわからない。
ただ、考えることすら困難で、飛んでいきそうな意識を繋ぎとめるのが精一杯だ。
今はそう、耐えるのが得策。
【違うだろ?】
耐えればいい。
きっとこの苦しみも解放される。
【わかっているんだろ?】
これは、外部からの精神攻撃か。
リドルの言っていた能力の一端なのか。
【君が逃げる理由はただ一つ】
今は耐えて、相手が飽きるまで堪える。
そしたらきっと戦わなくて済む。
殺さなくて済むから。
【死ぬのが怖いだけだろ?】
ブチュっと、まるでトマトのように心臓が握り潰される。
全身から力が抜け落ちて、干からびて、死骸へとなり変わっていく。
体中に蛆がわいて、チビチビと皮膚を食い漁る。
髪が抜けて、臓物が露出して、いずれはそれら全てが骸になって、それから――
【死ぬ】
「うああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
ガバッと勢いよく身体が起き上がった。
全身からは汗が滝のように流れ、息が上がっている。
目が、覚めた。
どうやらベッドの上でうずくまって寝ていたらしく、ベッドの中央で変な格好で身体が起き上がっている。
咄嗟に目覚まし時計に目を向けた。
時刻は7時ちょうど。
アラームの設定は6時。
俺は確かにそれを聞いた。
どうやら二度寝に耽って悪夢を見たらしい。
それにしても最悪の夢だった。
死という感覚とまるで俯瞰したように自分の死骸を見るなんて。
「うぷっ」
思い出すと胃液がせりあがってきて、右手で口元を覆った。
しかしその手首には確かに、トロイが巻かれていた。
胃液が元来た道を戻り、酸味だけを口の中に残していく。
リドルも悪夢も嫌なもんばかり残していきやがる。
でも、そうなんじゃないかとは思っていた。
先ほどまですら夢で、何もなかったなんて目を瞑りたくても瞑れない。
これほどまで証拠という名のナイフを突きつけられた以上、否定しようがない。
俺は確かに、冠合戦にエントリーさせられたわけだ。
そして、あの悪夢のいうように死を恐れているんだ。
あんな姿になることを。
殺すことが怖いなんて恰好つけた理由並べて自分を偽っていたが、ご明察の通り死ぬのが怖いんだ。
だから否定した。
この争いも、トロイも、運命さえも。
ダサくなりたくなかった。
否定されたくなかったのだ、俺自身を。
笑われたくなかった。
また、醜態を晒すわけにはいかなかったから。
だから身の丈に合わない言葉を吐いて強がっていた。
それでも、中身は変わることなんてできないし、現実の目はすでに俺を見破っている。
逃げるなんて選択肢、端から存在しない。
◆ ◆
生まれた時から道化師で、後ろ指さされて生きてきた。
理由なんてわからない。
それでも完全に俺とその他との間には見えない壁が常に存在していて、歩み寄るほどにその壁の厚みと高さは増していき、強度な要塞へと姿を変えていった。
そこから目を逸らすように、二次元の世界へと逃げ込んだ。
平面で、俺とを隔てるのは紙かガラスやらそんな薄いものだけで、向こうから懇切丁寧に胸の内をさらけ出してくれる。
俺もその住人でありたいと、狂うほどに読んで、観て、買って、集めて。
周囲を平面の隔たりで覆えば、俺も同じように内側の人間になれるとそう信じていた。
でもそれが、孤立への拍車をかけることになった。
「あのアニメ見てる?」とか「俺も最新話見たよ」とか、入れてもいない世界を語ることで、周囲の視線は刺々しいものになっていった。
この頃には既にオタクへの偏見があって、あることないこと噂を流された。
俺はただ、お前達の要塞の門をノックしているのに、返ってくるのは銃口だけ。
いったい幾つの傷跡が俺に刻まれたのか、30を超えたあたりから数えていない。
当時は、やられた分やり返そうと考えていたけれど、中学を卒業するまでそれが無くなること一切なかった。
もちろん、職員にも親にも説明した。
それでも、結局は「チクられた」ってことで倍になって返ってくるんだから、意味のなさを実感した。
高校では大人しくしていようと思った。
何も言わなければ、目立たなければターゲットとして認識されることもない。
それでも違った。
見てる奴はいるのだ。
そいつの一挙手一投足を。
それが伊神だった。
「俺もその漫画見たぜ」
過去に何度もかけたことのある言葉が、こうして自分に返ってきたのは初めてだった。
なんていうか、俺に対して適した質問だったからなのだろう。
気持ちのいいものだった、好きなものを聞かれるということは。
伊神は聞き上手だった。
一方的に話を進めるのではなく、相手の意見を尊重し、自分の考えと擦り合わせるようなやり方。
でも、ちゃんと自分の弱みも見せる。
似た境遇なんだと「俺たちゃ嫌われ組だな」と笑い飛ばす姿が格好良くて、俺に
欠けているものがそこにはあった。
◆ ◆
だからこそ俺は伊神を信頼している。
そんな奴でも、矛先は向けられるのだ。
ただ自分達とは違うだけで、軍隊を作って攻め落とそうとしてくる。
願いはただ一つ。
「偏見の芽を摘む」
それが俺の果たしたい悲願であり、二の足を踏む理由だ。
死ぬのは怖い。
でも、伊神のようにいいやつが苦しむ世界にしたくない。
ヒーロー思考で、偽善的で、それでいて現実的な身体。
思うことはできれど実行できないのが人間だ。
誰だって死ぬのは怖い。
どんなに立派なもの掲げても、心根は脆く、一瞬として形を変えてしまう。
恐怖は常に普遍的に心の底に姿を顰めている。
死が近づくたびに顔を覗かせ、後ろ髪を引いてくる。
惹かれるせいで、やたら実感するのだ。
自分が今どの立場にいるのか。
どんな状況下にいるのか。
鮮明に、ありとあらゆる情報を認識する機会を与えられるからこそ、恐怖に身を任せてしまう。
今だってそうだ。
死ぬのが怖い。
何も考えず、無闇に身を投げ出せば戦える。
でも、戦うことで何がもたらされるのか、どうなってしまうのかを理解してしまうからこそ、逃げ出したい。
やりたいことだって山ほどあるんだ。
クラスの奴らと少しでも親睦を深めて、みんなでカラオケとかファミレスで勉強会とかして、高校生らしい青春を送りたい。
まるで死亡フラグだけど。
でも、俺はいつも自分を殺して、頭下げて、笑われて生きてきた。
高校ではそうなっていないけど、いつまた自分を殺さないといけなくなるのかわかったもんじゃないし、考えたくもない。
自分を殺したくなんかない。
「ん?」
そういえば、昔から自分を殺してばかりだった。
あれ?でも何で、何度も自分を殺しているのに、死ぬことに恐怖を感じているんだ?
そんなの――
「今更じゃないか」
そう口にした途端、全身にかかっていた重圧が消えたような気がした。
そうだよ、俺は何度も殺してきたじゃないか、自分を。
なのに何で、死を恐れているんだよ。
死ぬのなんて慣れたもんじゃないか。
殺されたら、ただあれが永遠に続くだけなんだから、今までの世界と何ら変わらないじゃないか。
「馬鹿みたいだ」
本当に。
恐れることは何もなかった。
死ぬことは恐怖の対象ではなかった。
克服できるものの一つであると、俺はそう思わずにはいられなかった。
◇ ◇
「戦うには、まず能力の把握からだよな」
薄っぺらい覚悟を決め、トロイに映し出される幾つものアイコンから自己確認アプリと表記されたオレンジ色のアイコンをタップする。
パッと画面が変わり、【能力】【状態】というように項目が縦に並んであり、その下には詳細が映し出されている。
能力の下には【融合】とその説明が記載されており――
『自身のそれぞれの手に持ったあらゆる物体を混ぜ合わせることが可能。
融合した物体は適した形へと変化し、個々の個性が反映される。
※遠隔での融合は不可能。
一度の融合に可能な物体は二つのみ。
融合は同時稼働不可。
人体への影響はない。』
となっている。
つまるところ俺は、融合という異能を手に入れ、これを駆使して戦っていくことになるわけだ。
「終わったかもしれん」
空の見えない天井を仰ぎ、俺はそんなことをこぼした。
今まで以上に空が澄んで見える。
一面真っ白だけど。
確かに最初は「壁と人をくっつけて動けないようにしてから叩ける。これは最強だ」とか思ってたけど、最後の注意書きで俺の希望は潰えたよ。
やりやがったな、あのエセ王様野郎。
この能力にはいくつか縛りがある。
最後にある通り、人体・遠隔は不可、同時に融合を行うこともまたできない。
そして、融合するための材料は両手で触れていなければいけないこと。
遠隔という時点で理解していたが、この世に存在しないものを融合の材料としては使えない。
つまりは、銃を作るには銃を生み出すための部品を所持していないといけない。
でも、このご時世にマズルやらスライドなんてそうそう手に入るものではない。
ましてや、銃を強化するにも肝心の銃がない。
いくら融合といっても、できる範囲はかなり狭いといえるだろう。
まぁ、そのための武器管理何だろうけどさ。
ホーム画面に戻り、緑の武器管理アプリのアイコンをタップして起動させる。
形は先の自己確認と同じような配列になっており、【武器】という欄には与えられた武器が画像とともに表示されている。
「にしても【木剣】って」
そこに映し出されたのは、紛れもなく剣の形を模した木製の棒で凶器とはどう考えてもとれないもの。
木刀とは異なり、刃が直線的且つ両刃。
しかし、その肝心な部分が丸く殺傷性を完全に消失している。
それが、俺の獲物となるわけだが。
俺はこれから殺し合いをするのではなかろうか。
それにしては、心許ないというか。
致命的な欠陥があるというか、ありすぎるというか。
剣としての長所を殺して、打突に特化したこれでどう戦えと?
必殺には一歩足りなさすぎではないか。
やっぱ、あの王様気取りの骸骨野郎は獰猛犬の餌食にしてやる、剣だけにな。
にしても、こいつをどうやって取り出すかだね。
とりあえず、トロイの画面を適当にタップしてみるが反応はない。
トロイ自体にもボタンの類は一切なく、液晶のみ。
取扱説明書もなければ、AI補佐もない。
こうなれば音声入力に賭けるしかない。
まだやっていないとすればそれくらいしかないし。
武器は持ってりゃ嬉しいコレクションじゃないみたいなこと誰かが言ってたしね。
「あの~、すみません。木刀いただけませんかね」
あくまで遜って、威圧的にいけば機嫌を損ねてしまう。
真実の泉法則と同じように、こちら側に害意がないことを表せば、快く引き受けてくれるはず。
まるで俺の誠意が伝わったかのように、前方、空中で虹色の四角いブロックのような物体が収束して細長い棒のような形を模す。
ホログラムだ。
ゲームのようなエフェクトを用いて現実に映し出されたホログラム。
それも干渉することのできる三次元の投影体。
エフェクトの集合体によって形成された棒状の物体はその形を保ちながら空中に悠然と浮かぶ。
「もしこれがそうなのであれば」という意を込めた左手で、そのホログラムを確かに握った。
パキィンと音を立てるかのように四角いエフェクトが弾け、現実世界に召喚された木剣の姿を現す。
俺は、確かにそれを握っている。
重量も、感触も、何もかもが左手に乗っている。
「嘘だろ......」
正直以外という言い方が適しているのか。
まさか、画面上の物体を現実世界に取り出すことができるとは思わなかった。
トロイが存在している時点で今更だと言われればそれまでだが、今目の前で起きた現象は否定しようがない事実であり、フィクションに属するものだ。
矛盾そのものが今俺の手の中に現存している。
そうなった以上、驚きを隠せなくなってもしょうがないだろう。
今こうして馬鹿みたいに大口開けて呆けていても許されることが起こったのだから。
「にしても、やっぱり木剣なのよね」
こうして取り出してやけに感じる、木感。
ログハウスのようないい匂いがしそうだ。
どうみても、否定しようがない木剣。
これを振り回して戦えと。
ちょっと頭おかしいんじゃないでしょうかね。
でもまぁ、無いよりかはましなのかもしれない。
実際の凶器を使用すれば証拠が残る。
この木剣みたいにトロイと現実とで出し入れできるのなら見つかりようがない。
あれ?そういえばこれは戻せるのか。勝手にそう思い込んじゃったけど。
「戻ってください、木剣さん?」
口に出した瞬間、やけに金がかかってそうな先ほどの演出とは打って変わって、木剣の輪郭がぐにゃりと歪むと一瞬で姿を消した。
これで出し入りは確信した。
証拠は残らない、死体以外は。
よくよく考えてみると、『非参加者にバレるとペナルティ』だというのに、死体が残っていたら感づかれる可能性が高い。
検死解剖に回されれば簡単に尻尾を掴まれる。
このルールがある以上、死体と場所、人目を無視するができない。
融合で死体を隠そうとも思ったが、人体に影響しないから考えるだけ無駄。
どこかに運び入れるか、埋めてしまうか。
まるで犯罪者の考えだ。
――だからあいつは、俺を罪人と言ったのだろうか。
余計なことは考えるな。
死体をどうするか、しっかりそれを考えた方がいい。
プラスして能力の使い方も理解しなければ。
俺に能力が与えられるってことは、他の奴らも同じように異なる能力を与えられているに違いない。
普通の肉弾戦とは明らかに異なる。
目には目を、歯には歯を、異能には異能を。
使いこなせなければ、死と同義。
戦う術を与えられたのなら、どう活かすかは俺にかかっているわけだ。
せめて、他参加者にエンカウントする前に融合の使い方を――
ぎゅるるるる~
腹の虫が冷静さに欠けた俺の思考を停止させてくれた。
「まずは、朝食でお腹を満たしてからだな」
ベッドのスプリングを利用して勢いよく立ち上がり、着替え、リビングへ速足で向かう。
リビングに着くと家族の姿はなく、静まり返っていた。
今日は土曜日。
ってとこで、俺の思考は天才的回転速度で答えを導き出す。
「今日は千優の入学式だったか。首席代表挨拶があるからって、両親のやつ出席しに行ったな、俺の時は来なかったのに」
なんて愚痴りながら、すでにテーブルに準備されたラップのかかった朝食一式を睨みつける。
ラップの上には何やら書かれた付箋が貼られ『昼食は家族みんなで外食してきます。昼食は自分で調達するように。By ママ』などと、家族に俺が含まれていないことを感じさせるメッセージが残されていた。
別に両親から嫌われているとか、愛情を貰っていないとかではない、たぶん。
ただ、俺を連れに戻ってくるのが面倒くさいだけだ。
むしろ、そうであってくれ。
時刻は十一時。
そろそろ、入学式も終わる頃合い。
遅めの朝食、早めの昼食とでもしゃれ込もうかね。
どのレストランに行っても、この味噌汁だけは絶対味わえないのだから俺はきっと幸せ者だ。
なんだかこの味噌汁少ししょっぱいな。
次は目玉焼きだと箸を向けた瞬間――
「ギャアアグャァ!!」
女性の悲鳴が家の外から放たれる。
それも歪な、喉に何かしらの障害が発生したような不気味な悲鳴。
平穏な空間を切り裂くような甲高い声。
全身が強張って硬直した。
持っていた箸が地面に転がり落ちる音で、何とか意識は正常に働いた。
外で何かしら事件が起こった。
わかっている。
外遊びをする子供たちはよく声を上げる。
でもそれとは異なる、明らかに恐怖を孕んだ声。
襲われたんだと判断するしかないだろう、女性が。
わからない。
年齢、体系それらを認識するにはあまりにも情報が少なすぎる。
悲鳴から聞き分けられるわけがない。
でも女性だ。子供かもしれないし、大人かもしれない。
近所の人かもしれないし、たまたま通りがかった人かもしれない。
俺を呼びに来た家族かもしれない。
あいつが可哀そうだと、仲間外れはいけないと千優が声を上げれば、みんなが流される。たまに甘えてくる時があるから、それが今なのかもしれない。
だとしたら?
襲われたのは千優かもしれない。
迎えに来た千優が偶然巻き込まれたのかもしれない。
最近、犯罪が増えている。
増え続けている。
逃亡犯は後を絶たず、右肩上がりに伸び続ける。
いつどこでそいつらと遭遇してもおかしくない。
今がそれなら?
罪人が家族を襲っている。
その可能性は低くない。
確率の話ならだ。
目にするまで結果がどうなっているかわからない、シュレディンガーの猫と同じ。
でももし、他人だったら?
それと家族の安否を天秤にかけて意味があるのか。
可能性があるのなら潰した方がいい。
一縷の望みに賭けると言い換えてもいい。
家族に魔の手がかかっているのなら振り払うのが長男の役目だろ。
自信に活を入れ、部屋の窓から外を覗く。
誰もいない。
何も起こっていない。
違う。
玄関側。
窓の無いその先。
住宅街の通り。
そこだけはまだ見えていない。
誰かが気付くかもしれない。
通報とか入れて、サイレンが聞こえてくる。
それで終わりなのに、そうならないと自分の中で確信している。
嫌な予感。勘と言えるそれが、期待するなと脅してくる。
可能性があるなら――わかっている。
結局は自分しか信じられない。
他人に期待するな。
信じるな。
あいつらは何時だって、自分の欲を満たすことしか考えていない。
だから俺が証明する。
証言者になる。
声を上げてやる。
俺も同じように自分の欲の為に行動する。
ヒーロー思考で、偽善的で、それでいて可能性に踊らされる現実的な身体。
玄関のドアノブに手をかける。
強く、それを握りしめ、覚悟を決める。
確認すればいいだけ。
自分を安心させるために。
ただそれだけでいい。
覚悟は何時だって逆転する。
先までの威勢は消え失せ、弱気になりつつある。
それでもやると決めたからにはやる。
「無事でいてくれ」
一瞬、家族の顔が脳裏に過る。
まるで走馬灯のように。
これは、新たな始まりを意味しているのか、何かしらの回線に切り替わったのだろうか。
そんなことよりも、やっぱり自分の身体にはほとほと嫌気がさす。
なぜって?
そんなの、さっきまでの思考と意を反すかのように、勢いよく扉を開けたからに決まっているからだろ。