一刻 普通の日常
ピヨピヨと小鳥のさえずりが聞こえる。
瞼を貫通して暖かい光が瞳へと照射された。
後頭部に痛みが走る。
朝が来た。
まさに、最低最悪の朝だ。
なぜって?
すぅ~と空気を肺に溜めて
「なんで枕の下に推しラノベ仕込んだのに夢を見ねぇんだよ!!」
高速と付くほどのスピードで枕を壁にぶん投げる。
そして覗くは至高の迷作『愛ゆえにアイラブユー』というラブコメ小説。
最近読み始めて虜になってしまった、知る人ぞ知る迷作だ。
主人公である羅武悠が由衛荷藍という隣人であるナイスボディのお姉さんに惚れるところから物語が始まる。しかし、藍には許婚がいて、しかもそれがクラスメイトの女子――関代子だったというとんでも事実。さらには、紆余曲折あり代子に惚れられて三角関係かと思いきや、妹の羅武未唯からも求婚されるハーレム作品なのだが、これにはいろいろと伏線が――。
ビビビビッ!!と枕元にある目覚まし時計が唸りはじめ、思考が現実へと戻る。
やかましいアラームも俺の集中をかき乱すだけのものではなく、セーフ装置へと変わり果てた。これがなければ一生脳内魅力語りを続けてしまうのでな。
それにしても、後頭部が痛くてあまり寝付けなかった。
愚痴交じりに高校の制服をハンガーから奪い取り、袖を通す。
我が校である知神高等学校は、学ランではなくセーターのため、誰しもが憧れるネクタイをつける称号を得るのだが、これがもう面倒臭い。考えずに結ぶと長さが不均等になったり結び目の形が歪になってしまう。鏡の前で何の面白みのない俺の顔を見ながら結ぶのもまた、嫌気がさしてならない。
俺たちのあの頃の憧れは幻想に過ぎなかったんだな。
こんなことをよくもまぁ飽きずに繰り返すのが俺――壮真遥斗という人間だ。
前日の課題と筆記用具一式をカバンに詰め込み、ラノベや漫画、DVD、ゲーム、フィギュア等いかにもオタク臭い自室から出る。
重い脚をナマケモノの如くゆっくりと動かし、リビングへと入る。
唐突に味噌の香りが鼻を抜けた。
我が家定番の味噌汁の香りだ。これを嗅ぐとどんな状態であっても食欲をそそられる。
朝は絶対に味噌汁だと言ってきかない父親により、朝食が白米であろうがパンであろうがスパゲッティであろうがお供に味噌汁が必ずついてくる。
そのせいもあってか、朝食に味噌汁がないと落ち着かなくなるのだが、飽きがくることもない。何と言えばいいのか、濃すぎず薄過ぎず程よい味加減で口直しとしても優秀。気づけば家族の大黒柱的存在になっている。
父親?味噌汁を超えることはできぬよ。
リビングの席に座り、机の上の料理に目を向ける。
本日は、白米に豆腐、鮭と、出ました味噌汁様です!!ありがたや~。
……なんか今日はやけに脳内がうるさいな。まぁ、いいか。
まずは、やっぱりお味噌汁様から。
う~ん、やっぱりこれよ。これがなきゃ一日が始まった感じがしないね。さっきまでの眠気はどこへやら。
お次は――
「ハル兄ぃ、食べるの早すぎだって」
けだるげな声を上げ、寝間着姿の少女がリビングへと入ってきた。
青色がかった黒髪をもったショートカットの少女は「~」みたいな目を擦りながら、どしどしとこちらに近づいてくる。
「早くない、時間通りだ。お前こそ休みのくせに今日は珍しく早いじゃないか」
「私代表だから、予行練習に行かないといけないの。台本さえ目を通してもらえばいいだけなのに、わざわざ対面とかめんどっちぃ」
少女はそういうとボサボサの髪をかきむしり席に着く。
最初に手にしたのはやはり味噌汁。ゴクゴクと炭酸飲料でも飲むかのように大黒柱を胃へと流し込んだ。
「そういえばお前、首席なんだってな」
「まぁ、ハル兄ぃより優秀なんで」
勝ち誇ったかのように無い胸を張る。
そういうとこは苛つくのだが、我ながら優秀な妹をもったものだ、一部を除いて。
俺の妹である壮真千優は一つ下で、今月の10日だかの入学式を経て晴れて知神高校の生徒となる。しかも、首席として入学式で演説を披露するのだから大したものだ。もしかしたら俺は脳みその半分くらいを母のお腹において来てしまったのかもしれない。
「それは大したもので。いうてもうちなんて進学校だから面白いものなんてないんだけどな」
俺の通う知神高等学校はどこにでもあるありふれた進学校だ。これといった特徴も無く、また治安が悪いというわけでもない。
かくいう俺は家から一番近い高校だったから選んだのだが、特に進学については一切考えていない。
「そう言うけどさ、ここって意外と偏差値高いらしいよ?そんな感じは一切しないけど。それ知って、ハル兄ぃって端から見ればキモオタだけど、中身は私と似て多少は優秀?なんだって思えたよ」
「私と似てってお前が俺に対して使う言葉としては不適切な気もするが。それに俺はキモオタなんかじゃない。正真正銘のオタクさ!」
「何が違うの?私にとっては同じことなんだけど。まったくさぁ、ハル兄ぃは喋らなければかっこいい……方なんだけどなぁ」
「おい、何だ今の間は」
そのまま、わぁぎゃあやっている内に食卓にいつの間にか両親の姿があった。
両親が向けてくる温かい眼差しがやけに心にきて恥ずかしくなってくるのだが、一方的に兄を貶してくるこの妹をどうにかせねば気が休まらん。いっそのこと、味噌汁攻めでもしてやろうか。いや、それは味噌汁様が可哀そうだ。ならば……。
思考の代わりに視線を彷徨わせていると、机の端にテレビのリモコンが置いてあるので、妹の声を遮るためにテレビをつけた。
テッテレ~と陽気なオープニングが流れ、報道番組が始まる。
『早速ですが本日のニュースです。
昨日19時頃、連続殺人の容疑者である山中敦美が護送中に何らかの障害により逃亡したとのこと。容疑者は現在も逃亡中のため、近隣の住民は不要不急の外出を避けるようにしてください』
ニュースキャスターはもう慣れてしまったのか、落ち着き払った態度で淡々と告げた。
それもそのはず、こういった事件はここ最近多発するようになった。まるで、裏で大規模組織が暗躍しているのではないと感じられるほどに。それでもそれはあくまで噂の範疇で一切証拠もなく、実際に再逮捕された者もいる。少なくともそんな組織が存在していたとしても、逃亡した誰しもが繋がりを持っているわけではないということは確かだ。
「不要不急ね~。神様が言っている、行かなくてもいいと」
「大人しく練習してこい」
まぁ、キャスターの状態と同じように世間もまた麻痺している。慣れがきてしまっている。そのせいか、彼らの忠告は誰の耳にも入らず、今日も今日とて普段の生活が始まるわけだ。
「ていうか、ハル兄ぃはそろそろ行かんでええんの?」
「なんだそのエセ関西弁は」と突っ込みを入れそうになったが、妹の一言を起点に壁の時計に目を向ける。
時刻は8時ピッタリ。うん、気持ちいい。
確認だが我が校の門限は8時20分。
門限を5回破ると一週間の停学処分をくらう。
今の俺は遅刻4回。リーチ!
家から高校まで徒歩で30分。
去年、土砂降りの中自転車を走らせスリップ。タイヤとハンドルの形を変えて使用不可に。プラスして買い換えていない。
つまり、間に合わない。
「神様が言っている、行かなくて――」
「行ってこい」
俺の覚悟はあっさりと父親の一言によって遮られた。
父さんはいつも眉間に皺を寄せて、威圧的な顔でこちらを見つめてくるから怖いんよな。ほれ、そのギロッとした目つきが怖いじゃけんの。
「へいへい。行ってまいりますよ」
と重い腰を持ち上げ、「いざゆかん」ということでカバンを肩にかけて勢いよく玄関の扉を開けた。
◇ ◇
「間に合った~!!」
なんて声を上げてしまったら絶対に腫物を見るかのような眼差しを熱烈に浴びてしまうので喉の中で押しとどめて、荒い息遣いを落ち着かせながら教室へと入っていく。
門限の2分前に到着し、あと一分後にはホームルームが始まる。にも拘わらずに生徒のほとんどが廊下で他クラスと話すか教室の中で騒ぎ合っている。
俺は窓際から二列目の最後尾の自席に座る。
「今回は遅刻じゃないってことは――賭けは俺の勝ちだな。ガハハハッ」
「むむむ。こんなはずじゃなかったにょに~。イガしゃんイカサマしたでしょ」
前方の席から上品さの欠けた汚らしい男子の笑い声がしたと思ったら、その隣からところどころ活舌が終わっている女子の悲鳴が聞こえた。
「お前ら、人を賭け事に使うじゃありません、お下品ですよ。特に伊神、その笑い方やめろ」
俺は前に座るオレンジ髪の少年――伊神兼信の後頭部にチョップをお見舞いする。腕を組んで天井を見上げていたからやけに当てやすかった。
「痛でッ!?おまっ、親友に手加減なしに手刀をかましてくる奴がいるか……」
「アホみたいに空仰いで馬鹿笑いしてるお前が悪い。それに、鹿島心音君?なに私は関係ないみたいな顔をしているのかね?未成年が賭博なんてするんじゃありません」
「う~。でも、イガしゃんが先に始めたから」
心音は自身の砥粉色のサイドポニーテールをいじりながら俯くが、そこには反省の色が見えない。なぜならば、髪にダークグレーのインナーを入れているからだ!!
「demoも製品版もない!いいか、やってはいけないことを誰かがやっていたとしてもやってはいけないことなんだ。誰がいつやっていたからといって決められたことは変わらない。ダメなことをやった心音も同じく罰せられる。それが世の中というものなんだよ」
「ぞんなぁ~」
「ヒーロー気取り反対!!」
「なんとでも言え。これに懲りたら大人になるんだな。ということで賭けの景品、どうせ飲み物だろ、二人が俺に奢れ」
この世に悪があるとするならば、利用される奴らなのだ。
残念だったな、俺を利用とするからしっぺ返しがくる。これで今日の水分は確保できたな。
「三人とも、うるさい」
そんな時だ。
俺が炭酸かスポーツ飲料か、カフェラテにしようか悩んでいた時、右隣から冷たい声が割って入ってきた。
普段そっちを見ないせいか首の動きがぎこちない。ぎしぎしと音を立てるように俺の首はゆっくりと声のする方へと向けた。
そこにいたのは、文庫本を熟読する一人の少女だった。
いや、知っていたことだ、俺の隣にはもちろん誰かいることなんて。
そうじゃない。俺が驚いたのはその少女が声を、俺たちに向けて発したことだ。
知神高校はクラス替えがない。そのため、この場にいる生徒は全員一年の頃から同じ顔ぶれで、この少女のことも人並みに知っている。
名前は柚子葉由紀。
容姿端麗、成績優秀。体育はいつも見学だから、スポーツは苦手なんだろう。
必要以外会話はせずに友達はその文庫本とでも言いたげな閉鎖的な性格。
口を開いたとしても相手を侮蔑で、そのどれもが的を射ているため、言い返せた例がない。
漆黒の長髪は腰まで伸び、窓際の席にいるため風に髪がなびく姿がまた絵になる。
細い手足に引き締まったウエスト、胸は……今後に期待かな。俺はどっちでも好きだけどね!
由紀は文庫本に目を落としながら、ただただ冷たい空気を俺たちに放ち続けた。
そういえば、彼女には二つ名がある。
彼女の氷の女王のような性格と激しい動きをしないことから『アイスキャッスル』と名付けられた。
いいよな。俺も欲しいよ、そんな二つ名。『アニメキング』とか『ヘンタイセンシ』とかな。ん?なんかおかしなもんあったか?
「すいません」
心の中ではタメ口なのだが、実物を見ると恐縮してしまう。
でも可愛いんだよな。
ほら、耳にかかる髪をかき上げる仕草とかさ。
まつ毛も長いし、唇だってプルっとしてる。淡い青色の瞳も綺麗だ。
二次元しか興味のない俺ですら惹かれるのだから彼女の美貌はあらゆるものを魅了する。
今ですら、伊神が鼻の下伸ばしてるし、心音はなんか知らんけど目を輝かせてる。女性ですら見惚れる人物といえるのか。そういう神の御加護でも受けてるのではなかろうか。
「柚子葉さんは何読んでるんすか?」
こんな時に声をかけられるのがうちのムードメーカー伊神。さっきまで下卑た視線を向けていたくせに。
由紀はまたも本から視線を動かさず「文芸」と短く答えた。
「へぇ、話すには話すのか」と内心思ったが、肩を下げた伊神を見ていたら可哀そうに思えた。
話すことに興味がないのだろう。伊神にも俺にも。
だから必要最低限の答えを残すだけ。
やはり、彼女は必要以上に俺たち、人間という存在を避けているように感じられる。言葉数も少なく、そもそも俺たちを見ようとしない。何かを恐れているのか、本当に興味が1ミリもないのか。
なのに文芸を嗜むのだからよくわからない。
なぜこんな思考に至るのかとか疑問にならないのだろうか。他人との関わりを持たない人間に他人の感情を読み取ることはできない。
それとも、知ろうとしているのか。本物と相対するのは怖いからまずは文面で馴らせるということか。
考えてもキリがないし、聞く気にもならない。ここは静かに伊神を宥めながらホームルームがくるのを待とう。
結局、時間が解決してくれるのだから。
◇ ◇
「よっしゃ、終わった~!!というこことで遥斗、今日は行こうな」
帰りのホームルームが終了した矢先、俺の動きを遮るかのように手を肩に回してきた。
「行くわけないだろ、あんなところ」
部活のことを思い出すとイライラする。
くそみたいな部員の顔を思い出すだけで吐きそうだ。
「いやぁ、わかるぜ。好きなもん馬鹿にされたら誰だってムカつく。俺だって、前に部長にさんざん言われたもんだぜ。『作画が悪い』とか『ストーリーが〇〇のパクリだ』とかな。あの時は本気でぶん殴りそうになったがよ、俺たちの活動内容はアニメの研究だ。あいつらはそういう観点で見た結果の発言なんだって考えたら、正しいのはあいつらだ」
「だからといって、言っていいことといけないことがある。俺の知る『アニメ研究部』はあんなんじゃない。もっと和気藹々として、ウェルカム精神な部活なんだよ。それがなんだ、ガリ勉みたいなのがメモ帳に評価書いてレポートしてくるってよ。これじゃあ、アニ研なんかじゃない。アニ論だ」
「何言ってんだ、お前」
俺にもよくわからないし、そんな可哀そうなものを見る目で俺を見るな。
仕方ない。俺のブーム『愛ゆえにアイラブユー』を馬鹿にしたんだぞ!?
「近親相姦はよくない」だの「同性婚は認めない」とか「隣人のお姉さんが可愛くない」とかよ。最後の言ったやつは誰だ!?ぜってぇ殺す!
兎にも角にも、あいつらはアニメを一つの踏み台として自分の評価を上げようとしているだけのクズだ。クズはクズカゴにポイだ。
部費でアニメが見れるのはいい。
だが、耐え難い侮辱の数々は見過ごせない。
故に退部する。
「今から退部届を出しに行く。一年耐えたがもう無理なんだ、邪魔をしないでくれ」
伊神の手を振りほどこうとしたがすでにそこに腕はなく、俺の前に立ち、背を向けていた。
背中からも感じる、重たい雰囲気。
その緊張感にごくりと喉が鳴る。
「やめんのか?やめてどうする?別の部活に所属するのか?いや、お前はそのまま帰宅部になる。そうなったらどうなるか、想像してみろ」
いかにも真剣といった声で優しさもなになく突きつける。
現実的だ。確かに俺だったらそうする。スポーツ系に入ったら秒で逃げ出すほどの絶対的な自信がある。わざわざ痛い思いをして、汗水垂らしながら身を削って、結果レギュラー入りできないなんて無駄な時間を浪費するほど馬鹿ではない。
それなら答えは決まっている。
「早く帰って、好きなものに没頭できる」
そんなこと、考える時間すらいらない。俺はやりたいようにやっていく。それが俺の人生であり、オタク道だ。オタクをなめんな。
伊神は俺の言葉を聞くと、ゆっくりとこちらに振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「その通りだな。なら俺もやめる」
全身にはりつく嫌な空気が消え、普段の慣れ親しんだ空間へと変わる。
やはり伊神は常に誰かを見ている。だからその人間の嫌がること熟知し、柔軟に対応する。ここで、無理にでも俺を引きずっても俺の気は優れないままだろう。そこを理解しているからこそ、こいつは受け入れてくれる。俺の考えを肯定してくれる。
さすが、俺たちの伊神!一生ついていくぜ!!
俺は絶大な信頼を伊神に向け、また職員室へと歩き出した。
いや、このやりとりなんなの?
◇ ◇
「先輩に伝えなかったけどいいんかねぇ」
夕闇に染まる帰路を俺と伊神は疲れ切った足で辿る。
「いいのいいの。あんな奴らに顔合わせるだけでも嫌だって言ったろ?っていうか、ゲーセン寄るとも言ってないんだけど」
職員室をあとにして、伊神の提案でゲームセンターへと直行した。
伊神としては、推しアニメのヒロインのプライズフィギュアが今日から登場とのことで挑戦したのだが、2000円かけて撃沈。つまりは、何の成果も得られないというやつだ。
俺は近くに由衛荷藍オンリーガチャがあったのでコンプまで回した程度。一回300円、総額1800円。
勝てる勝負しかしないのが俺なのだよ。
「お前だって楽しんでたろう?結果オーライじゃねぇか。嫌な気分にしちまった分はしっかり清算してやった」
先ほどまでは肩を落としていた伊神は、ニカッと笑いかけてきた。
この屈託のない笑みがこいつがムードメーカーたる所以か。
冗談なら誰でも言える。でもこいつはこの笑みを多くのものに向けてきた。だから皆がこいつに心を許し、頼るのだろう。
その気持ちはよくわかる。俺の数少ない心を許している相手だ。もう一人は心音。
こいつらと出会ったのは高校入学当初。移動教室の際、場所がわからず学校で三人揃って遭難という知る人ぞ知る事件があった。その三人が俺と伊神、心音だ。
俺たちの共通点は全員がアホだということと中学の知り合いがいないという点にあった。そもそも友達といえる存在がなかった。他の奴らの理由は知らない。互いに暗黙の了解となっていた。
今思うと可哀そうな奴らだけど、こいつらと出会って言葉を交わしてから変わった。何がとは言えないけど、昔よりかは誰かに触れられるようになったのかもしれない。他人の目をあまり気にしなくなった。
でも、この脳内独り言は減らないし、なくならない。うるさくて頭がおかしくなりそうだが、これが俺の個性ともいえる。そう、自分に納得できるようにしてくれた。
「許そうなんて言わないよ。逆に助けられてるんだ、ありがとうって言わせてくれ」
笑ったらいいのか、悲しんだらいいのか、どんな表情をすればいいのかわからなかったけど、口から出る言葉と一緒に身を任せた。
「なんだ、辛気臭ぇ顔してよ。こういう時はもっと笑え!こうだこう、ニィィ!!って。ほらやってみ」
口元に手を回してきて、無理やり頬を人差し指で持ち上げられる。
煩わしい気もするが、悪くない。
そこまで大柄でもないが、逞しい肉付きをしている。
それにしては暑苦しくない。
どこか落ち着く。
「そうそれだよ。笑うってのはそれな。ガハハハッ!!」
お前のそれはまた一味違う気もするけど。
俺は今笑っているのか。
確かに頬が顎が痛い。
楽しいもんな。
今の状況が生きていて一番楽しい。
今度は心音も連れてゲーセンに行こう。
そして、帰りにまたこうやって馬鹿笑いし合うんだ。
心地いい日常だ。
いつまでもこれが続けばいい。
フラグ?立ってないよ、そんなもん。
俺はいくらだってフラグを折り続けてきた男だぜ?
今回だって杞憂に終わる。
そう願ってる。
平穏が終わるほどの障害ってなんだ?
死ぬことか?
確かに犯罪者の蔓延るこの世界でいつ襲われてもおかしくない。
でも、不思議と怖くない。
俺には頼もしい友達が、親友がいるから。
今日の終わりが見える俺たちにはきっと、明日が待ってるはずだから。
◇ ◇
こうして俺は無事に自宅に着いた。
伊神からも『無事にベースへ帰還』とふざけたメールが届いた。
心音にも確認したが『大丈夫でしゅ』と帰ってきた。
って、メールまで活舌最悪ってどうなってんだ、おい。
「終わりよければ総てよし」
誰かが言った言葉。
イラつく先輩も門限の厳しい高校もクソつまらない授業さえも、終わってしまえばどうでもよかったこと。
無事に帰りさえすればそれでいい。
だから今日も良かったことなんだと、睡魔の進行してくる脳内で一人思い更けていた。
「そういえば、『愛ゆえにアイラブユー』仕込んでねぇわ」
棚から愛読書を取り出し、再び枕下に潜ませる。
これできっと、今日はいい夢を見ることができるのだろう。
二度目の正直ってやつ。
今度こそは――大丈夫。
いい夢を、俺……。