最終章‐1
「麻子!」
「あさちゃん!」
幸美、琥珀、雄二が部屋に突入すると男が麻子にナイフを突きつけて立っていた。
「この娘がどうなってもいいのか!」
「それは、どうかしら?」
「何だと!」
今まで、腕の中にいた麻子が男の腹に肘鉄を力一杯食わせた。記憶はなくても体は覚えていたらしい。雄二に教えてもらった護身術。今、ここで、その力を発揮したのだ。吹き飛ばされた男を情報屋が回収していく。
おそらく、この男は一生塀の中で暮らすことになるだろう。
愛情を知らない孤独な男の末路だ。
「あなたたちは誰?」
「私たちはあなたの味方よ」
――あさちゃん!
――麻子!
温かくて優しい声。
どこかで、聞いたことがある。
ずきり。
激しい頭痛がした。思い出そうとするが思い出せない。まるで、頭の中にも霧がかっているみたいだ。
それと、同時に残っているのは人を刺した感触。
流れる赤い血。
犯した罪の大きさ。
込み上げてくる罪悪感。
自分の中で芽生えた気持ち。
気持ちが押し寄せてきた。それを実感している。記憶を奪われていたとしても、やっていてはいけないことだ。琥珀、雄二、幸美に聞いても裁かれることはないということだった。麻子を愛してくれている人が許してくれているのだという。
こんな汚れてしまった自分を好きだと言ってくれているのだ。
傍にいてほしいとだきしめてくれるというのだ。
そんな彼のことを忘れてしまったことが悔しい。
悔しくて仕方がない。
いつか、ごめんなさいと言える日が来るのだろうか?
それとも、彼の前から姿をけした方がいい?
もういらないと言われたら?
顔を見たくない、声も聞きたくないと言われてしまったらどうしよう。
そんな感情が頭の中でぐるぐると回る。心がかき乱されていく。
「――私は」
「無理をしなくていい。ゆっくりでいい」
気遣う言葉。
どうして、この人たちはこんなに人を思うことができるのだろうか?
「私、どうしてあなたたちのことを忘れてしまったのかな?」
麻子がぽつり、と本音を零す。
くしゃり、と顔を歪めた。
「もしかしたら、彼を見たら思い出すかもしれないわね」
「――彼?」
「そう。麻子を愛してくれている人のことだ」
先ほど、昴が目を覚ましたと病院から電話があった。
「でも、昴君の負担にならないかしら?」
「昴君からラインがきているの」
<麻子を連れてきてほしい。記憶が戻るかやってみる>
琥珀が雄二と幸美にラインを見せる。昴とて目が覚めても傷が痛いはずだ。
ろくに動くことができないはずだ。自分よりも麻子を優先するとは彼らしい。
それに、麻子は昴のために。
昴は麻子のために。
生きているみたいなものだ。
そんな二人を引き離すことなどできない。
三人にとって二人は希望の光でもあった。この先にあるだろう結婚式――いや、子供が生まれるまでは死ねない。こんなことを思っていると知られたら、琥珀、幸美に笑われてしまうだろう。
心の中にしまっておく。
「行ってみる?」
「――うん」
麻子は雄二と幸美、琥珀と一緒に車に乗った。
*
コンコン
病室のドアをノックするとはいと返事が返ってきた。まだ、声変わりする前のボーイソプラノ。人の声が心地よいと感じたのは麻子にとって初めてのことだ。
琥珀、雄二、幸美が気を利かして二人にしてくれる。
麻子は病室に足を踏み入れた。
記憶を呼び戻そうとしているのか。
揺り戻しなのか。
ずきり、ずきり。
先ほどから繰り返し頭痛がする。
知っている。
自分はこの人を知っている気がする。
思い出せ。
思い出せ。
徐々に霧がとれて晴れやかになっていく。
本来の自分を取り戻していく。
――麻子。
懐かしい声。
聞きたかった声。
蘇った思い出。
そして、愛しい人。
好きだよと言ってくれる笑顔。
――そうだ。
私は中田麻子。
目の前にいるのは私の大切な人だわ。
封印していた記憶が戻ってきた。
薬も実験の始まりらしかったみたいで、そこまで、投与されなかったことも大きい。だからこそ、すぐに記憶を取り戻すことができたのだろう。
記憶を取り戻すことができなかったら、自分は殺人鬼になっていたはずだ。
それを、打ち破ることができたのは、麻子の生きたいという気持ちが強かったからこそ。
やはり、強い子だ。
「昴!」
「うん」
「昴!」
彼女は何回も彼を呼ぶ。
生きていることを確かめるように。
「おいで、麻子」
昴は両手を広げた。
傷の痛みなどどうでもいい。
麻子が抱き着いてくる。
彼は彼女をもてる力を使い強く抱きしめた。
けれど、こんなことで二人の絆は切れない。途切れることはない。
むしろ、強くなった方だろう。
「ごめん。ごめんなさい」
麻子は幼い子供のように、昴の腕の中で泣きじゃくる。彼は彼女が落ち着くのを待った。
瞳に残っている涙を指ですくう。
「僕の方こそ守れなくてごめん」
どれだけ、彼女が苦しんだことか。
しかも、その間自分は眠っていた。
何もすることができなかった。
「どうして、昴が謝るのよ!」
「ねぇ、麻子」
「なぁに?」
「何があっても麻子は麻子だから。そのことを覚えておいてほしい」
昴は麻子の額に自分の額を合わせる。ふわりとシャンプーのいい匂いがした。
疲れもあるのか、二人は手をつないだままうつらうつらしてしまう。
そのまま、眠りについた。




