1話 生徒会長と中二病
生徒会長とは生徒から選出された代表のことである。これだけを書き出すとひどく権力があるように見えるが、実際にはとくに権力はない。むしろ、体育祭や文化祭の仕切りだけをやらされる教師のお手伝いのようなものだ。役得があるとすれば、ほんの少しだけ内申点が良くなるのと特に知り合いでもない女子生徒から気軽に「会長」と呼んでもらえるくらいだ。
反対に言えば、野口和彦という名前が呼んでもらえないということでもある。だから、特にいいことがあるわけでもないし、悪いことがあるわけでもない。
だが、世の中にあふれる小説やアニメの中では生徒会長という奴は、とんでもなく権力があったり訳が分からないくらいハイスペックな人間であることが多い。超金持ちの御曹司だったり、なぜか先生よりも権力を持っていたり。あとはなぜかかわいい女の子にモテモテなんて羨ましいものもあるが、現実はそんなことはない。だから普通の人間ならそのあたりをわきまえて生徒会長に大きな期待を描かないはずなのだが、たまにそれがすとんと抜け落ちた奴がいる。
瀬田菊である。彼女がどういう人間か語るのは一言で足りる。
中二病。
ただそれだけである。彼女はどんぐりみたいな大きな瞳の一つを眼帯で隠しているが、決して眼病に苦しんでいるわけではいない。視力検査のときにはきちんと眼帯を外して左右ともに1.0という良好な視力を有していた。頭についた無駄にでかいリボンはなにをあらわしているのかよく分からない毒々しい紫色でポニーテールの爽やかな印象を打ち消している。ときおり彼女は訳の分からない言葉をつぶやいているが、おそらく右手がうずくとかそういう理由なのだと思う。
痛々しい身なりと言動によって瀬田はクラスから乖離している。ほぼ孤独な彼女ではあるが、俺には話しかけてくることが多い。話しかけてくると言っても俺と瀬田は親しい間柄だったわけではない。彼女が俺に話しかけてきたのは単純に生徒会長という役職のためだ。彼女は生徒会長に過大な期待をしている。
「生徒会長。全生徒の頂点に立つというのはどういう気持ちなのだ?」
彼女のファーストコンタクトは、実にロクでもないセリフから始まった。この問いかけに俺は何と答えたかはいまいち覚えていないが「なるほどな。ボクには分からない感覚だね」と言いながら彼女が眼をキラキラとさせていたことだけは覚えている。
生徒手帳には『生徒会役員は全生徒による公選とする』とあり、彼女が望んでいるような優秀な血統とか学校への多額の寄付という項目はない。だから、俺は彼女が望んでいるような特別なものではない。
基本的に瀬田はクール系を気取りたいらしく、基本的に会話は弾まない。「そうだろ」とか「やはりね」という彼女のセリフが出ると基本的に次につなげる言葉が見つからない。だが、言葉と裏腹に眼だけは正直なので喜んでいるのか困っているかはすぐにわかる。例えば、昼飯のあと飲み物でも買おうと購買に行くと瀬田が並んでいた。彼女は紙パックの甘いカフェラテに手を伸ばしていたが、俺に気づくと無糖のブラックコーヒーを慌てて手に取った。
「瀬田はブラック派か?」
「と、当然だよ。甘ったるいコーヒーなんて邪道だよ。闇夜のような黒にミルクを足して泥水に変えてしまうなんて愚かしい限りだ」
自慢げに語る瀬田に「そうか? 俺はわりと邪道も好きなんだよな」と言って瀬田が取りかけていたカフェラテを手に取る。
「カフェラテなんて子供の飲むものだよ。生徒会長もブラックにしなよ」
瀬田は持っていたブラックコーヒーを俺に押し付けようとする。
「なんだかんだ言って俺はまだ未成年だからなぁ。ブラックはまだ早いんだよ」
そのまま瀬田が持っていたブラックコーヒーを受け取ると俺の持っていたカフェラテと一緒にレジに置いた。購買のおばちゃんは俺たちの会話など気にならないのか業務的に「二百二十円だよ」とレジを打った。ポケットの中を探るとちょうど二百二十円があったのでそのまま手渡した。
支払いが終わったのでブラックコーヒーを瀬田に渡す。
「たまには奢ろう」
「あ、え、あ」
ひどく動揺する瀬田が面白かったので、そのまま購買の近くにある長椅子に腰を掛ける。瀬田は何とも言えない表情で隣に座るとじっとブラックコーヒーを睨んでいた。カフェラテの口を開いてストローを差し込む。隣では俺の動きをまねするように瀬田が紙パックを開いて深淵を覗くようなゆっくりとした動きでストローを刺している。
「どうした? ブラックは嫌だったか?」
「いや。そんなことないさ。コーヒーはブラックと昔から決まっているんだ」
必死に頭を左右に振って見せるが、その表情は死刑を宣告されたようで眼帯をもう一つつけても感情を隠せそうになかった。いい加減、可哀そうになって来たので俺は瀬田に提案した。
「そうか。なら、俺もブラックを試してみるか。ああ、でもカフェラテを買ってしまったんだった。どうだ。俺のカフェラテとお前のブラックを交換しないか?」
瀬田は俺と手元のブラックコーヒーを交互に見比べて「し、仕方ないやつだな。本来ならブラック以外は飲まない主義なんだけど生徒会長がそこまで言うなら変えてもいいよ」と不服そうな声を出したが眼だけはひどく喜んでいた。
カフェラテの紙パックを渡すと瀬田は、少しだけ恥ずかしそうにストローに口をつけると「あー甘い。甘いなぁ。これだからカフェラテは苦手なんだよ」とうまそうに飲み干した。俺はその様子を眺めながらなんとなく苦いブラックコーヒーをゆっくりと流し込んだ。
こんな感じで瀬田はクールぶりたいのにクールぶれない残念系中二病なのである。だが、瀬田自身には残念系であるという自覚がない。むしろ、「今日も私はクールにふるまえてる」と、心底信じている。俺にはその自信がうらやましいほどであった。
それを直接、瀬田に言ってやろうかと思ったが「ふふん! ボクの凄さに気づいたみたいだね」とか勝ち誇られるか「だ、誰が残念だっていうんだ!」と猛抗議されそうなのでやめた。やめたのはもう一つ理由があって瀬田が好きそうな話があったからだ。
「そうだ。瀬田。秘密結社って知っているか?」
秘密という言葉が出たところで瀬田が、好奇心に満ちた目を輝かせる。分かりやすい奴だと思う。
「知っているさ。イルミナティーとか金曜俱楽部とかショッカーみたいなやつだろ。あんなものはだいたいが創作や既存の組織が色眼鏡で見られた結果で本当の秘密結社なんてものは存在しないものなのさ。やれやれだよ」
表情と言葉が矛盾する。瀬田の中ではクールぶりたい瀬田と非日常に憧れる瀬田がせめぎ合っているに違いない。俺はそんなクール瀬田に一枚の紙を渡す。そこには次の文章が書かれている。
『拝啓、第四十四代生徒会長殿
私たち、団々とボール団は来る文化祭において企画展示を行う。先代生徒会長は私たちを止めようと粉骨砕身したが、徒労に終わった。貴君は生徒会長の本分を忠実に果たすことにを願っている。
このように連絡をするのは私たちが生徒会に最低限の敬意を持っているからである。もし、先代生徒会長のように邪魔をするようならどのような不幸が起こるか、文章にすることはできない。お互いの幸せがあることを願っている。
団々とボール団 団長』
この手紙から分かることは三つ。一つは、文化祭において企画展示がしたい。もう一つは、企画展示を邪魔するなら生徒会長である俺に何らかの危害を加えること。そして、最後だが団々とボール団という組織、物活動、生徒はこの学校には公式にはいないということである。
「教養のない脅迫状だね」
教養のある脅迫状というのはどういうものなのだろう、と俺は瀬田に疑問を持ちながら彼女の言葉を待った。
「去年の生徒会長は実際殺されたの?」
もし、先代生徒会長が殺されていればしっかり事件になっていただろうが、幸いにも先代は生きている。この手紙が届いてすぐに俺は三年四組の戸を叩いた。先代は阿比留緋衣良は名前もキラキラしているが、実物もキラキラしている。主に髪と指先がアメリカのお菓子みたいな原色に染まっている。
「当代じゃん! なになにアタシに聞きたいことあるって? 引継ぎでわかんないとこあった?」
ひどく軽い話し方をする人だが、引き継ぎ書は綿密で読みやすい字で書かれていた。正直、俺はこの人ほど見た目と中身が乖離している人を見たことがない。カラー綿あめの中身がりんご飴でしたくらいにギャップがあるのが先代である。
手紙を手渡すと先代は馬鹿笑いというのが相応しい大声で笑った。
「あー、今年はそういう名前なわけね。そーそーアタシが生徒会長のときは『青春韋駄天ボーイズ』だったけど毎年のことだから。ヒミツ結社? みたいな人たちが文化祭中になんかするから生徒会は捕まえてみろよってノリな予告状なのコレは。で、アタシはこいつらを探して校内を走り回ってたら階段から落ちて骨を折ったわけ」
笑えないオチがついているが先代は笑う。
「それは突き落とされたとかですか?」
「ないない。ふつーに三段飛ばしで階段駆けあがってたら滑った感じ」
「じゃーこの粉骨砕身っていうのは」
「アタシの自爆をあてこすってるわけ。性格悪いよねー。ってわけだから当代は勝ってよね。ナイショの引継ぎではヒミツ結社と生徒会の対決は十七勝二十三敗三分けで負け越してるから」
そんな伝統の一戦があるとは知らなかった。おおまかな流れが分かったところで俺は先代にある質問をした。
「先代、ありがとうございます。よく分かりました。質問なんですが、先代の髪と手ってがっつり校則違反になってません?」
先代は何だそんなことかと優しい笑顔を浮かべた。
「ワタクシこのたび推薦でR大に合格いたしまして、残りの高校生活は消化試合になりましたので全力乙女で女子高生することにしました」
俺は「なるほど」と自分の数か月後の目的地を見つけたような気持になった。
「先代生徒会長は生きてるよ。自滅で骨は折ったようだけどな。それで分かったのは文化祭の裏側では生徒会とこの秘密結社の間で暗闘が繰り返されてきたということだ」
瀬田は「なにそれ面白い」と言った感じで口を開けて話を聞いていたが、口を開くと「くだらない争いを続けているなんてよほど暇な秘密結社なんだね」と割とまともなことを言った。実際問題、文化祭のたびに非公式企画を阻止するというのは面倒な話だ。おそらく去年もなにか企画が実行されたのだろうが、大きな騒ぎになったという話を聞いたことがない。
つまり、放置してもいいのではないか、というのが正直な気持ちである。
「しかし、学校の風紀を乱すのは良くないね」
毒々しい紫の巨大リボンと目が悪くないのに眼帯をつけた瀬田がそれをいうのかと俺は驚いた。
「珍しく正義に目覚めてるじゃないか。別に邪魔にならないならほっておこうかと思ってたんだがな」
「良くない。良くないな生徒会長。こんなくだらない争いを終わらせないないといけない。秘密結社を壊滅させよう」
秘密結社を見つけようならまだ理解できる。
秘密結社を壊滅させようは理解できなかった。ただ、その言いようは実に瀬田らしく俺はそれにうなずいた。