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魔窟と冒険者  作者: ルト
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第七話

 怪我の手当てと小休止を取った私たちは、道の先へと歩き始めた。血肉の臭いを嗅ぎつけた魔物が来る前に、あの場を離れなければならなかったからだ。疲れた体も戦闘の興奮で奥底から体力を汲み上げる。生理食塩水で喉を潤し、気休め程度のエネルギーを補給する。

 見通すことなどできなかった天井がいつの間にかカンテラに照らされてうっすらと輪郭が見えるようになった。道は若干の下り坂のままだが、砂利の範囲が広くなってくる。

 神経を尖らせながら歩き通し、その緊迫感だけが空回りして集中力を削り取っていく。いつでもゴブリンに対応できるよう柄に掛けた手が疲れてくる。

 だから、道の先にごく小さな滝ができていてこの川に注ぎ込む支流を見つけたとき、うっかり安堵してしまった。ゴブリンの足跡状にこの辺りの道がぬれていたからだ。ここからゴブリンが来たとした場合、彼らの足がぬれていることも説明がつく。

 確かに帰れる見込みは高くなったのだが、しかし安心していい理由はどこにもない。ゴブリンがまた現れるかもしれないのだから。

 その滝ができる段差は脚の太ももあたりまでの高さで、これまでのような川辺の道はない。この支流をさかのぼって行くことになるだろう。


「ゴブリンが来た道はもっと先かもしれないけど……」

「リーダー、行ってみないことには始まらないよ。この道の先がどうなってるのか、あたしたちは知らないんだから」


 マーガレットが滝に脚を掛けて、滑らないか足元を確認する。なんとか足掛かりを見つけたのか、壁に手をかけながらひょいと体を持ち上げた。

 あっさりと滝を登った彼女は、肩越しに私を振り返る。


「さ、行こうよリーダー」


 私は溜め息をついて、彼女に続いた。足を上げて支流の中に突っ込み、滑らずにいられる足掛かりを探る。靴の縫い目からやたら冷たい水が染み込んでくる。この中に沈んでよくノンキに気を失っていられたものだとまたもや恥ずかしくなる。

 基本的にどこも滑りそうだったが何とかマシそうな場所を見つけて、一気に登った。足を滑らせることもなく、壁を頼りに何とか体勢を整える。

 支流は側面にくりぬいた小さいトンネルのような形をしていて、くるぶしの下くらいしか深さがない。幅も私が目一杯両手を広げれば両側に届くし、天井も手を伸ばせば届く高さしかない。水の流れは存外に速く、油断していると流れに脚をとられそうだった。カンテラの灯りに照らされた川の先は、ごく緩やかに左へ曲がっている。

 壁や天井が崩れて潰されるような危険がないことを確認すると、他のみんなが登るために場所を空けようと歩いて二歩目で足を滑らせて膝を突く。


「リーダー?! 大丈夫?」

「大丈夫。ごめんね、ビオラ」


 私は紅潮する顔を苦笑に隠して振り返った。鎧がすね当てまでどっぷり濡れて、右足が冷たい。

 ビオラが長いローブの裾を気にしながら登ろうとする。私は壁に手を突いて彼女に手を貸す。ビオラが登ろうと足に体重をかけて、重心が脚より前に移った瞬間彼女の足はぬるりと滑った。


「あっ」

「危なひぃ!?」


 彼女を支えようと踏ん張った足がそのまま滑った。ビオラの手を掴んだまま仰向けに倒れて行く私の襟首を、力強く鷲掴みにされて支えられ、事なきを得る。

 私たちを助けてくれたマーガレットが心底呆れたように笑った。


「リーダー、大丈夫?」

「ありがとう。でも、痛いよ髪ごと掴んでる!」


 私の訴えに苦笑したマーガレットは手を放す。私は立ち上がり、ビオラを引き上げて体勢を整えるのを見守った。右足の尻近くからずぶ濡れの私は鎧の隙間からズボンの裾を引っ張って肌からはがす。めちゃんこ冷たい。

 ビオラを先に行かせて、ガンナを同様に引き上げようと手を差し出した。


「いらないわ。また転ばれたら困るから」


 澄ました顔でそう言ってのけ、空色の目で川底を眺めると、彼女は壁に手をつくこともせず登ってみせた。自慢げに軽く顎を上げる彼女に、私は肩をすくめて先行を促す。

 そして残った姉妹の手助けをしようと見下ろした時、背後で短い悲鳴が聞こえた。

 振り返ると、長い金髪や服の裾を吹流しのように浅い川の中で遊ばせるガンナがいる。


「……大丈夫?」

「〜〜〜〜〜ッ、別に平気よ!!」


 跳ね起きた彼女は肩を震わせながら私を睨んだ。私は悪くないのに。

 身体の前面をびしょ濡れにした彼女は情けない声で「なんでこんなに冷たいのよ……」とぼやきながら壁を頼りによろよろと川を上っていった。

 ガンナを見送った私は溜め息一発ついて滝を見下ろす。姉妹を手伝わなければ。

 すでに脚を掛けていたミツキに手を貸して、引き上げる。顔を上げた彼女と目が合い、彼女はニヤリと口元を歪ませた。


「ようやく人を手伝えましたわね」


 足を滑らせずにマトモに登るのを手伝えたのはミツキが初めてだ、と。何の意味もなくからかわれた私は溜め息をつく気にもならず、投げやりに言う。


「……もういいから先行ってよ」


 ふふ、と婉然と微笑んだミツキは川の流れを蹴って上っていく。

 最後のヤヨイに手を伸ばした。ヤヨイはその手を取って、滝に脚を掛けると苦もなく登る。彼女はニッコリと優しい笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます」

「……いや、うん。どういたしまして」


 私の手を借りなくたって軽く登れたに違いないヤヨイに心から礼を言われると居心地が悪くて仕方がない。ともかくも彼女を促して川をさかのぼっていく。

 足元に細心の注意を払いながらも急ぎ足で川を上り、先行していたみんなに追いつく。そうして上って行くうちに思ったより体が火照っていることに気付いた。

 川の流れに逆らって進むのは思った以上に体力を食うらしい。この冷やりとした水もじわじわと体力を奪っていく。静かに蓄積する疲労は思考に霞をかけて、ただ耳に入る流れを蹴る音を右から左に通り抜けさせていくだけにしていった。疲労第三段階、と自然に荒くなっていく呼吸の合間につぶやく。

 支流は進むほどにごく少しずつ広くなっていき、今や二人並んで進めるほどになった。川の流れは幅が広くなって遅くなり、進むのは大分楽になってきて、足を滑らせることもなくなってくる。

 それでも黙々と川を上り続けた私たちは、やがて川の先に広まった空間を見つけた。そこは天井の大きな亀裂から月光が降り注ぎ、珍しい植物などが群生している神秘的なドーム型の空間だった。川の流れから上陸し、膝丈の草むらの中で私は膝に手をつく。

 支流はトンネル状でなくなっても続いており、この広間の中心に位置する湖につながっていた。湖には方々から水が注ぎ込んでいる。そこを中心に草木が広がっていて、点在する花が月光に浮かび上がり幻想的な光景を作っている。左側には崖があり、まるで一段高い通路のようだった。


「疲れたねー。ここどこ?」


 ビオラが私の隣に並び、辺りを見回しながらつぶやく。私は答えを持たず、無言で辺りを見回す。

 マーガレットが適当に手にした植物を眺めながら独り言のように言った。


「ゴブリンの歯形が残ってる。棲んでるよ、ここ」


 私たちの間に緊張が走る。ゴブリンは肉食だが、排泄を助けるために植物を食べる性質があるのだ。それも、なぜか自分たちの生殖地付近に生えている植物のみを。

 危機感に沈黙した私の耳に、遠くから物音が聞こえた。草木がこすれる音、それが大量に聞こえることからかなりの巨体であることが分かる。そして魔物にしては全く無防備に気配を隠す様子のないその動きは、おそらく。


「クイーンゴブリンだ……」


 結局、回り回って私たちはあのクイーンゴブリンがいる空間に戻ってきていたようだ。崖の上から見るのと下から見るのでは印象が違ったので気付かなかったが、確かに同じ光景である。そもそもこのサイズの空間がこの規模の魔窟にいくつもあるとは思えないし、ちょっと考えれば分かることだったはずだ。予想以上に疲労が私の頭を蝕んでいたらしい。

 足音が少しずつこちらに向かっているのに気付いて、私はみんなを振り返って声を掛ける。


「隠れよう」


 方々に散って草陰に隠れる。私とビオラ、ガンナで点在する木立の一つの陰に潜み、マーガレットが草陰に、ミツキとヤヨイが他の木立の影に隠れていくのが見えた。

 クイーンゴブリンは何の警戒をした様子もなく私たちの視界に入ってきた。その四メートル近い巨体を揺すって、適当な草を千切って食べている。

 魔窟となる原因の一つであるクイーンゴブリンは、奥地に潜んでゴブリンを繁殖させるという性質上、滅多にその身を危機にさらされることがない。そのため、なまじっか知性のあるあれは野生の勘というか、危機管理能力が欠如している。しかし、それを補って余りある膂力とゴブリンの群れを備えているのだから、並みの冒険者が敵う相手ではない。

 だがこちらにはガンナという優秀な銃士がいる。銃の強力にして迅速な一撃を急所に撃ち込むことができれば、致命傷を与えることができるだろう。こちらの姿を感知して再びゴブリンを呼ばれる前に止めを刺すことができれば、後顧の憂いをも絶つことができ、安心して帰ることができる。

 なによりも、魔窟の最奥に生息する類の魔物は当然見つかることが少ない。ゆえに通常の魔物よりも遥かに高値で取引されるのだ。魔物の研究者にも貴重なサンプルとして高値で売ることができる。つまり慢性的に借金苦の冒険者にとっては垂涎の『商品』であるわけだ。


「ガンナ。行けちゃう? 行けちゃったりする……?!」

「リーダー……とりあえずヨダレ拭きなさい」


 ガンナに指摘されて私は慌てて皮袋から取り出した布で口元を拭う。鎧を着込んでいると袖でさらっと拭けないのが面倒くさい。

 顔を上げるとガンナは銃を構えて不敵に微笑んでいた。


「私の銃で射抜けないものはないわ。……おおむね」

「頼もしいね」


 おおむね? と思わないでもないが、私は逸る気持ちを抑えて高鳴る胸をなだめながら、銃を構えるガンナを見つめていた。

 ガンナの空色の瞳がすがめられて、クイーンゴブリンの頭を狙う。草の根を分けて伸ばされた腕が微調整されて照準を定める。しかし、彼女は舌打ちをして私のほうを見もせずに言った。


「ちょっとアイツの気を引き付けてくれない? 五秒動きを止めてくれたら撃ち抜けるわ」


 私はガンナから視線をはがしてクイーンゴブリンを見る。クイーンゴブリンは歩きながら草を食んでいるので、頭が左右にフラフラ揺れているのだ。体がでかいだけにその揺れ幅も大きく、しかも危機管理能力がないだけ子供のような気まぐれな歩き方をしているので予測もしづらい。


「分かった。しっかり撃ち抜いてよ」

「任せて」


 私は身をかがませてクイーンゴブリンの近くまで歩み寄る。チラリと視線を横に走らせると、マーガレットが目を丸くしていて、ミツキが私を引き止めるように腕をメチャクチャに振り回していた。

 私は彼女らに微笑を返し、顔をクイーンゴブリンに向ける。潰れたイソギンチャクみたいな顔を気まぐれにあたりに振って暇そうにしていた。私はアイツの筋力を思い返し、緊張感を高める。たとえガンナの援助があっても、油断していい理由にはならない。

 私は一度草陰に身を潜め、クイーンゴブリンをうかがう。深呼吸し、疲労が第一段階まで引いていることを確認してから一気に飛び出した。

 クイーンゴブリンの前にわざと見つかるよう仁王立ちする。クイーンゴブリンは私を見下ろし、不思議そうに見下ろしていた。

 私はカンテラを外して高く掲げた。そしてそれをゆっくりと頭の上に円を描くように回す。

 クイーンゴブリンは私の行動が分からないといった顔で棒立ちしたまま私を見下ろしていた。カンテラがそんなに珍しいのか、興味を引かれてジッと注視している今は頭も動いていない。今こそチャンスだった。

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