第五話
魔窟から引き返そうと体を返したそのとき、甲高い声が響き渡る。
「話は聞かせてもらいましたわッ!」
私たちが来た道に、いつの間にか見知らぬ女性が二人立っていた。黒と紫の布を巻いたような民族衣装、黒髪と漆黒の瞳、淡い黄色の肌で、黒髪をセミロングと長髪を後頭部で縛った違いのある姉妹。
あ、と声が漏れる。彼女たちは、今朝商店で見かけた二人じゃないか。
セミロングが強気な笑みを浮かべてダガーを振り回す。
「本当ならここで待ち伏せて騙し討ちし奪うところですが、同じ身空で冒険者をやっている身……察するに余る苦労に免じて正々堂々とその魔鉱物を賭けて勝負ですわ!」
「勝負、って……」
私は困惑する。向こうも親近感を持っていたということに感動を覚える間もなく、なんて事を言い出すのだ。
彼女は不敵に笑みを吊り上げると、続ける。
「別に受けて立たなくても構いませんわ。……こちらが殺してでも奪い取るだけですから」
その凄絶な笑みに込められた冷然とした殺気を感じ取る。
私たちはそれぞれ武器に手をかけていた。彼女の笑みが深まるのを見て、私は長剣を引き抜く。
「ヤヨイ、抜刀しなさい。行きますわよ」
「……はい」
ヤヨイと呼ばれた長髪は手に持っていた長い剣を抜く。その反りが入った片刃の剣……特徴的なその形状は、刀といったか。
「少し、違います」
ヤヨイは青眼に構えて、静かに、水の流れるような滑らかな踏み込みで迫る。
私の構えた長剣が、一瞬のうちに二回の斬撃を浴びせられて弾かれた。一撃が重い。大きく体勢を崩された私を、ヤヨイが感情の読めない目で見つめていた。
「これは、太刀と呼ばれるもの。……まあ、小さな差異ですが」
右後方に大きく流した太刀を、返す。
羽より軽く踏み込んで、風より速く剣を操る。その滑るような刃が私の首を刎ねようと振るわれる。
がんっ、と鈍い音と共に斬撃が止められた。
「リーダーのへなちょこ!」
マーガレットだ。彼女が両手の剣であの太刀を止めてくれたらしい。私は慌ててヤヨイと距離をとる。
私たちの後ろでガンナが銃を構え、ビオラが杖を構える。いつもなら頼もしい二人なのだが、名前を知らないほうの女が二人を見てせせら笑った。
「そっちの杖の方……魔術師ですか? 各地を回ってきましたけど、魔術師に会ったのはこれで二度目ですわ。電気使い、ですわね」
ビオラが息を呑む。初見で自分が魔術を使えること、どころか扱える現象まで見抜かれたのは初めてだ。
「気付かないと思って? ここに来るまでにあった男たちの死骸は『感電死』としか見えませんでしたわ。誰かが強烈な電流で殺したということ。しかし電気を発生させるものを持ち込み、さらにそれで武装した男を殺したとなると普通の装備はちょっと考えられません。しかし、魔術ならそれが解決できる……。簡単な話ですわね」
ここに電気ウナギのような魔物が生息しているなんて言うなら話は別ですけど、と笑う彼女を見て、奥歯を噛み締める。こちらの虎の子を見抜かれているとなると、一気に対処が苦しくなる。
彼女の言葉はそこで途切れなかった。
「そちらの銃士の子も、怖いなら待っていればいいのでは? 人を撃つのに躊躇ったままこの場にいるのであれば、死にますわよ?」
肩越しに背後をうかがう。ガンナは唇を噛み締めて、白い肌をさらに蒼白にしながらも震える手で銃を握っていた。
彼女はまだ人が死ぬことに慣れていない。ましてや人を撃つことなどもってのほかだ。戦力として期待できない。
実質戦力は、私とマーガレットだけ。それも私の貧弱な剣術ではヤヨイの一刀に伏せられるだろう。
冷酷な笑みが深まるのが見えた――……。
「……姉さん。ミツキ姉さん」
ヤヨイが姉らしい女を呼びかけた。ていうか、じゃああれは妹に身長を抜かれてるのか。逆だと思ってた。
乗ってきた雰囲気に水を差されたミツキは不機嫌そうにヤヨイを振り返る。
「なんですの?」
「やっぱりやめようよ、人から奪うの。よくないよ」
ミツキは呆れたふうに溜め息をついた。人差し指を立ててヤヨイの鼻先に突き立てる。
「なにを今更言ってるんですの!? いつまでもパンの耳で暮らす生活なんて私は嫌ですわ! 魔力を帯びた魔鉱物って聞こえてから散々話し合って決めたことなんですわよ!!」
ヤヨイは気弱そうに眉を下げて「でも……」と語尾を濁らせる。
そういえば確かに、私たちが魔鉱石に浮かれて騒いでからかなり経って彼女たちは出てきたが、それまでずっと話し合っていたのか。
ふとガントレットを引かれる気配。振り返ると、なぜか涙ぐんだビオラがいた。
「パンの耳……可哀想だよ、栄養が偏っちゃうよ」
「……いや、確かに同情は禁じえないけど、今私たちアレに殺されかけてるんだよ?」
「アレって言うなですわ! 人を指差したらいけないんですわよ!!」
人差し指を向けたミツキからなぜか怒られた。いや、言ってることは間違ってないんだけど。
それに続いてミツキはビオラに向かって逆切れする。
「情けをかけられるほどひどい食生活してませんわ! 確かに主食はパンの耳ですけど! 揚げると結構おいしいんですわよ! それに、私たちには特製健康ジュースがありますもの!」
「健康?」
ピクリと反応するビオラ。こいつらいい加減にしろ。
私が大喝してやろうと息を吸ったとき、ガンナの絹を裂くような金切り声が響いた。
驚いた拍子に空気のかたまりを飲み込んでしまい、せき込みながらガンナをうかがう。彼女は白い肌をさらに蒼白にさせて金魚のように口をパクパクとさせていた。震える指で彼女が指差すほうを見て、声が漏れる。
「ぇ……?」
ミツキが叫んだ。
「なんですのこの潰れたイソギンチャクみたいな醜悪な顔をした気色の悪い黒ずんだ巨人はああああッ!?」
面白い悲鳴だ。
彼女がいみじくも言った通りの怪物が、ガンナの銃声をずっと引き伸ばしたような咆哮を上げる。あまりの轟音に耳をふさぐ。
「やばい。多分やばい。すごくやばい!」
私は切羽詰って口に出した。あれは噂に高い魔窟の元凶としてポピュラーな、クイーンゴブリンだ。簡単に言えば女王アリのゴブリン版である。
今の咆哮で、ゴブリンを呼んだのではないだろうか。私は慌てて周囲に目を走らせる。クイーンゴブリンはミツキたちのほうに近い位置にいる。あちらの出口はクイーンゴブリンの腕が届く場所にあった。
私は道の先に目をやる。この先にも道は続いている。
振り返ると、マーガレットと目が合った。彼女も道の先に気付いたようで、私にうなずいて返す。
「行こう!」
私は剣を収めて走り出した。
道に飛び込み、先を照らすために着脱自在なカンテラを取ろうと腰を探ったとき、
がくん、と。
臓腑が浮き上がるような浮遊感、背筋が内側から気味の悪い寒気にさらされる。
「う、そ」
崩れる体勢のまま首を回して下を見る。カンテラの灯りに照らされてぼんやりと下方まで岩が陰影を落としていた。道があると思っていた前方には滝ができていて、流れ落ちる水が下方に消えている。
「で、しょおおおおおおおおおおおッ!?」
誰がこんな落とし穴を作った、と思いながら私は真っ逆さまに落ちていった。
§
絶え間なく流れる水の音に目が覚めた。
私の鎧は全て取り払われており、ほぼ半裸で打ち捨てられていた。起き上がって周囲を見回す。
すぐ目の前に川が流れている。頭上は高く、巨大な洞穴のようになっていた。私が座っているのは川が大きく曲がっている地点の川辺だ。大小さまざまだが角が丸い砂利がたまってできた川原だろうか。
「起きた?」
声に振り返ると、そこにはカンテラのよこに座り込んでいるガンナがいた。
私は起き上がり、右手人差し指をいじっている彼女の横に腰を下ろす。
「ここは?」
「分からないわ。崖から落ちて、ゴブリンから離れようってことで慌ててここまで逃げてきた」
彼女は私の地図に目を落とした。乾かすためか広げられているそれを横からそれを覗き込み、思ったより濡れていないことに安心する。とりあえず問題なく見ることが出来る。
私は地図がすでに乾いていることを確認して、鎧のそばに置いてあった皮袋からペンを取り出す。クイーンゴブリンがいたあの空洞までの道順を記録する。
それを書き終えてから、私はガンナに尋ねた。
「みんなは?」
「何かないか探しに行ったわ。そろそろ帰ってくる頃だと思うけど」
その言葉が終わらないうちに、ビオラとマーガレットの話す声が聞こえてきた。
健康談義をしている二人は私に気付くと駆け寄ってくる。
「リーダー、起きたか」
「怪我はない? 平気?」
「うん、大丈夫。そっちこそ怪我はない?」
私が尋ねると、二人は苦笑を浮かべて腕やらをさすった。
「崖を転がったせいで擦り傷たくさんこさえたけどさ、まあそのくらい」
転がった、と聞いてもすぐには分らず「どこを?」と尋ねると、マーガレットがさっき落ちたところは急勾配の崖になっていたのだと答えてくれた。私はその斜面を飛び越えて一直線に水没したらしい。余程の勢いで飛び込んだのかと恥ずかしくなる。
マーガレットの後ろから顔を出したミツキが微笑む。
「まあ、なんにしろクイーンゴブリンから逃げ切れたのは幸いですわね」
「そうだね。ここまではゴブリンも追って来ないみたいだし……ミツキ?」
いつからそこにいたものか、ミツキは水気を帯びて黒艶の増したセミロングの髪をかき上げて私を見返した。
「お目覚めですわね。調子はどうですの?」
「うん、怪我はないし、大丈夫。それで、どうしてミツキが?」
「……あ、私も」
控えめに自己主張するヤヨイだが、問題はそこではないので無視してビオラやガンナを見る。ビオラが可笑しそうに笑いながら教えてくれた。
「クイーンゴブリンから逃げるとき、ビックリしててリーダーの掛け声に従っちゃったんだって」
「……自分たちのすぐ後ろに逃げ道があるのに?」
「うるさいですわね! ちょっと気が動転してただけですわ!」
プリプリと怒り出すミツキを見て、あきれる。この人は本気で冒険者やってるのだろうか。子供の遠足じゃないんだから。
溜め息一発ついて、とりあえず鎧を着けようと振り返ると、ガンナが険しい目つきでミツキたちを見ていた。