第三話
男たちはそれぞれ、ジャン、ヨハン、ジョフと名乗った。
「いやあ、戦闘の音が聞こえて慌てて走ってきたんだが、必要なかったみたいだな」
一人が笑いながら言い、ナイフでオオネズミを解体する。バラした臓腑を厚紙に包んで、私たちに軽く持ち上げて見せる。
「あんた達も持って帰るだろ?」
「私たちは要りません。どうぞ、お好きに」
「あー、そうかい? なんか悪いな、後から来て盗んでるみたいで」
男は申し訳なさそうに笑い、しかし遠慮なく自分の袋に詰め込んでいった。オオネズミは頭と、ごっそりとえぐられてわずかに残った腹、背骨周りと血の海だけが残される。
男はオオネズミの死骸を岩場の影に移すと、片手で素早く十字を切る。
「申し訳ないが、これも自然の摂理だ。……さあ、俺たちも早く行こう」
「ええ、そうですね」
私は彼にそう答え、別の男が照らした洞窟の先を見た。
男たちは薄暗く空気のこもった魔窟の中でも明るさを失わずに、笑いを絶やさなかった。
「そうか、お嬢さんたちはそんな若いのに冒険者をやってるんだな。最近の娘子もバカにできんな!」
「それにしたって、こんな華奢な子も付いて来て大丈夫なのか? 俺なんか片手で担げそうだ!」
男たちに笑みを向けられてビオラが控えめに笑い返す。その深窓のお嬢様のような奥ゆかしい態度に男たちは誇らしげに「魔物が来ても俺たちが倒してやるから、安心しな!」と口々に言った。
また他の男は口を引き結んで歩くガンナに歩み寄り、彼女が携える銃を見ながら尋ねる。
「なあお嬢さん、あんた銃なんて扱えるのかい? 聞けば、銃ってやつは小難しい機構が色々あって整備が大変らしいじゃないか」
ガンナは横目で一瞥するのみで答えない。男が困ったように頭をかいた時、マーガレットが歩く早さを緩めて男に笑みを向けた。
「あんまりソイツに話しかけないでやってよ。知らない人と話すのはあんまり好きじゃない奴でさ」
「そうなのか。そいつは悪いことをした。すまなかったな」
「……別に」
ガンナの短い答えに、男が明るく笑う。
途中に行き会った魔物は、言葉通り彼ら自身が打ち倒した。その都度回収できそうな部分は回収し、袋に詰めていく。そのたびに彼らは私たちにも勧めたが、私たちは頑なに受け取らなかった。今までの私たちとは比べ物にならない足の速さで洞窟を奥へと進んでいく。
やがて、道の先にやたらと明るい場所が見えた。山肌に亀裂が入り、この洞窟まで外の明かりが降り注いでいるのだ。どこから種子が入り込んだものか、雑草が寄り添うように葉を伸ばしていた。
光の強さから見て、今は昼下がりだと思われる。
彼らはここで一休みしようと言い出した。私たちも疲れが出ていたため、その提案を受け入れた。
干し肉をほお張る男が私の手元を覗き込む。
「なんだいそれは。地図か?」
「ええ。ここまでの道のりを記しておこうと思って」
私は彼に笑顔を見せて、膝の上に載せた地図にペンを走らせた。片手に持ったコンパスの向きを確認して、道のりを書き記す。通らなかった分岐があることもしっかりとマークした。
男は感嘆の溜め息をついて私の地図を見つめる。横目で見た彼の顔には、笑みが浮かんでいた。
書き終えた私は地図を畳んで懐に仕舞う。そして取り出した水筒に口をつけつつ、道の先に目をやった。明るいここからでは道の先がひどく暗く見える。
座るに程よい大きさの石に腰掛けたマーガレットとビオラは、男二人と談笑していた。
「へえ、じゃあお嬢さんたちは一日でここまで進んできたのか。俺たちは寝ずの番を交代で務めながら三日かけてここまで来たぜ」
「あっはは、まあ私たちも楽じゃあなかったけどさ。魔物はめちゃくちゃ苦戦するし、散々だよ」
「でも、リーダーが几帳面で食料とか薬剤とかを多めに持ってきてるから、大丈夫だと思いますけど」
「頼りがいのあるリーダーさんだな!」
男たちが笑い、マーガレットとビオラも笑う。私は枯れかけた雑草を手でいじくりながらその様子を眺めていた。
ふと私の横にいた男が声をかけてくる。
「なあ、あんた達はなんでこんなところに入ってるんだ? 差別的であまり言いたくないが……女の身じゃ大変だろう。何か理由でもあるのか?」
私は男の顔を見た。彼は真剣な表情で私を見つめている。何か余程の理由があると考えているようだった。
苦笑し、地図を収めた懐を鎧の上から押さえる。
「単純に、魔窟を踏破したいと思っただけですよ。……私はね」
私の言葉に、男は変な顔をした。私は微笑を浮かべて天井の亀裂からのぞく細い空を見上げる。
やがて休憩を切り上げて進み始める。しばらく歩き続けていると、ふと男が私の横に立って尋ねた。
「どうしたリーダーさん、そんなに後ろを気にして」
「あ、いえ……魔物が来るような予感がして」
私が慌ててそう答えると、男は一笑に付した。
「慎重って言うのは本当だな! 大丈夫さ、そんなに心配しなくたって魔物はそうそう来やしない」
来たところで俺たちが倒すさ、と腕を曲げて見せる彼に私は微笑を浮かべて礼を返した。男は笑みを深めて先へ進む。
私はもう一度後ろを振り返り、みんなを追う。
それからも、魔物は彼らが担当して早足に魔窟を奥地へと進んでいった。彼らは私たちとは異なり亀裂から光が降り注ぐところを好んで通る。
やがて急なアップダウンを超えてたあとビオラが男たちに休憩を促した。
しかし男たちは初めてそれを断った。
「もう少しで、もっと安全なところに出るはずさ」
男たちは明るく笑ってそう繰り返す。
足場がいいとは言えない道を歩き通して、さすがに私の脚にも疲労がたまってきて疲労第一段階に達した。私の口からも休憩を提言しようと口を開こうとした時、下り坂を先行して歩いていた男たちが急に振り返る。彼らは明るく笑っていた。
「そろそろ疲れたか、お嬢さんたち?」
マーガレットが溜め息に混ぜて答える。
「さっきからそう言ってるじゃんさー」
男は笑いながら「それはすまんな」と詫びた。そしておもむろに剣を取り出すと、私たちに向ける。
ビオラが立ちすくむように硬直した。
「悪く思わないでくれよ、俺たちも生きるのに精一杯なんだ。強いほうが生きる、それも自然の摂理だろう?」
「……なんのつもり?」
ガンナが険しい声で問い詰める。
別の男が答えた。
「俺たちは仲間の一人も失って、そのうえまともな食料も薬品も底を突いたんだ。そこにお前たちがいた、本当に助かったよ」
「おまけに地図までもらえるってんだから、なあ!」
男たちが笑っている。
「全く、その辺で引き返すってんなら俺たちも無理な手段に出なくて済んだんだが……女のくせにどこまで進む気なんだ。魔物ともろくに戦えないくせに」
呆れたように吐き捨てる男の目には、明確な侮蔑。
マーガレットが腰に帯びる双剣に手を添えたが、男の一人がマーガレットに剣を突きつけた。
「おっと、下手な抵抗はよしてくれよ。大人しくしてくれたら、そうだな、一人くらい生かして楽しまないか?」
「ははは! 俺もそれは考えてた!」
男たちは明るく、明け透けに笑っている。
マーガレットは目を軽く伏せ、双剣から手を放した。怒りのあまり震える息をはいて、降参するように両手を挙げる。男たちが目を細める。
ふらり、とビオラが歩を進めた。彼女の髪は静電気で広がっている。
意外な人物が真っ先に動いたことに男たちは目を丸くして驚く。子供に対してするような、大げさな驚き方だ。
ビオラは杖を持って、深く踏み込んだ。
彼女の叩きつけるような一撃はあっけなく受け止められて、男は本気で気遣っているような表情を見せる。
「お嬢さん、無茶はやめといたほうが」
男が大きく痙攣して、倒れた。白目を剥き泡を吹いて気を失っている仲間に男たちは動揺を見せる。
その隙にビオラはもう一人の男に杖を押し付けた。
「ぁ」
男の鼻や耳から血が噴出し、頭からひっくり返る。
何が起こっているのか分っていない最後の一人も同様に顎に杖を突きつけて、終えた。
あとには焦げ臭いにおいと三つの男の死骸が残った。
私はビオラに笑顔を向ける。
「ご苦労さま、ビオラ。――雷使いの名は伊達じゃないね」
ビオラは私のほうを向いて、控えめに微笑んだ。彼女の広がっていた髪はゆっくりと収束していった。
魔術、というものがある。
体に起因したエネルギーを体力と呼ぶならば、精神に起因したエネルギーを魔力、もしくは精神力と呼ぶ。
体を動かして物理的現象を起こすことは体力を使い、精神を使って超自然的現象を引き起こすことには魔力を使う。
人間は『体を使う』ことに慣れ、昔から積み重ねてきた文化のなかで『精神を使う』ということを忘れてしまったらしい。それが私たちが魔術を使えない理由だそうだ。
ビオラはのっぴきならない理由で『精神を使う』ことを知り、そのお陰で魔術を使うことができるようになったようだ。
魔術を使えるようになった理由、というものを、彼女は決して教えてはくれない。
ただ、彼女の痩身に刻みつけられた、脇腹を覆うような大きく深い傷痕が関係してるのだろうと私は思っている。