第二話
洞窟にたどり着く。洞窟内は薄暗いが、この山はどうにも亀裂が多く空から光が差し込んでいるところもままあるのが特徴だ。とはいえ携行照明は必需品であり、その代償として魔物が反応して近付いてきやすい面がある。
通常の洞窟なら、生息する魔物は基本的に光に慣れておらず弱視で、代わりに聴覚や嗅覚が優れている場合が多い。しかし、ここはそうではないイレギュラーな魔窟だった。
私は皮袋からカンテラを取り出し、火を灯した。ふわりと暖色の光が広がり、周囲の岩肌を柔らかく照らす。
カンテラを腰に吊るし、みんなを振り返る。みんなそれぞれ照明を装備し、私を見返してうなずいた。
「さて……行きますか。魔窟へ」
未開の洞窟は、奥から風の音とも魔物の声とも分からない唸り声を上げて、私たちに口を開けていた。
魔窟の定義は、至ってシンプルである。そこに人間を襲う凶暴な魔物が生息しているか否かだ。
だから固定した住処を持たない、もしくは失った魔物がたまたま居ただけの場所は魔窟ではないし、村の片隅に魔物が住み着いていた場合はその村は魔窟になる。
そして、魔物の定義。慣用的に人を襲う凶暴な人外の獣が魔物だという解釈なのだが、実は詳しく調べていくとそうではない。厳密には、いかなる理由であっても人を襲う者のことを言う。
最後に、冒険者。確かに冒険者も魔窟で魔物と戦うが、単純に魔窟に分け入って魔物を狩る者は『討伐者』や『開拓者』と呼ばれるため、それらとは毛色の違ったものとなる。
それは一口に冒険者と言ってもその目的や理由はピンキリであるから一概には言えないが、いずれにしても魔物との戦いはその過程のひとつに過ぎないという点では一致している。
私たちは冒険者だ。奔放を伴侶に欲を武器に、己の思うがままに生を全うする。
誰に笑われようと、後ろ指を差されようとも、私はそれを変える気はない。
岩ばかりの洞窟は、お世辞にも足場がいいとは言えず、歩きにくい。
ここ半月のあいだほぼ毎日通い詰めて慣らした私たちの脚をもってしても、数時間も歩けばすっかり疲弊して棒のようになってしまう。だから私たちはそこまで疲弊することを避けるために小まめに休息を取ることにしている。
その何度目かの休息の中で、私はカンテラの灯りを頼りに自作した洞窟内の地図を参照していた。
コンパスの示す方位と、慣れによる方向感覚を照らし合わせながらこれまでの道のりを確認し、重ねて地図に書き漏らした分岐が無いことも確認する。磁場を狂わせる厄介な魔窟があることを考えればまだ楽なほうだが、しかしコンパスだけで脱出できるほどこの洞窟は簡単な作りになっていない。
私が入念に地図を確認していると、マーガレットがひょいと地図を覗いた。
「そんなに細かく確認する必要があるの?」
「迷ってからじゃ遅いよ。こんな入り組んだ洞窟じゃあ、常に自分のいる場所を把握しておかないと」
ふーん、とマーガレットは鼻を鳴らしながら水筒を傾けて口を湿らせる。
私は立ち上がって地図をたたみ、大事に懐に仕舞いこむ。振り返ってみんなの様子を眺めた。みんなも疲れは取れたようで、それぞれ岩場にも慣れた様子でくつろいでいる。
「それじゃあ、行こうか」
みんなが立ち上がったのを確認して、私は今頭に入れた道のりを歩き始める。
分岐に突き当たり、迷わずに左を選択する。しばらく歩くと足を止めて耳を凝らす。耳に刺さるような静寂が帰ってくることを確認して、また歩き出す。少しでも魔物の気配を確認したら、安全が確認されるまで様子を見る。
男の冒険者は言うだろう。腰抜け、と。魔物が怖いなら魔窟に来るな、と。
しかしそれでも私は警戒を決して怠らない。
生き残らなければ、意味がない。
何度目かの分岐を過ぎた頃、脚を止めた私の耳に遠くうめくような声が聞こえた。
「……何か居る」
自分でも分かるほど緊迫した声でつぶやくが、その声にはすぐに返答が返された。ガンナが私の後ろから、下手に響かないよう声を殺して耳打ちする。
「……そうね。おそらく、冒険者だわ。ずっとうめいている、負傷しているのかもしれない」
振り返れば、どうする? と問いかけるような目を向けられた。
私は頭の中で地図を開き、この辺りの地理を思い出す。そうしながら、歩き始めた。
「回り道をしよう。そいつのそばに行くのは危険だ」
ガンナが歩き始めた私の背中に向けて、声を投げる。
「見捨てるの?」
「うん。あいつは、ずっとうめき続けてる。声に反応した魔物が彼に近寄っているかもしれない。彼の近くに行くのは危険だ」
言っている最中に、短くて甲高い悲鳴が上がった。まるで女のようなその声は洞窟内をこだまして引き伸ばされ、地獄の底から響く怨み節のように尾を引いて消えていく。
私たちは沈黙した。彼の死を悼んでいるのではなく、彼に止めを刺した魔物が私たちの方にやってくるかどうか確認するためだ。そのなかでガンナだけが暗い表情で顔をうつむける。私は肩をすくめて耳を澄ませた。
うなり声はもちろん肉を食らう湿った音すら届かない。思ったほど近くではないらしかった。
「先に進もう」
私たちは、暗い魔窟の中を進み続ける。
やがて、地図の末端までたどり着いた。ここから先は私たちの未踏の場所である。一切の気の緩みも許されなかった。
足元の岩が崩れるかもしれない。魔物の巣があるかもしれない。まだ知らぬ恐ろしい天然のトラップが待ち受けているかもしれない。
会話もなく進む私たちだが、不意に腕をつかまれた。振り返ればガンナが私の腕を持って銃を片手に構えている。私は彼女の意を汲んで息を潜めた。ビオラもマーガレットも息を殺して耳を済ませている。
ほとんど足音など無かったが、ごくかすかに鼻を利かせる音と、毛が岩をこする音が聞こえる。そんな音が聞こえると言うことは、近い。
その音が不意に止まった。
息を殺す。下手に相手を刺激しないためにカンテラを腕で隠す。ジワリとガントレットが熱を帯びていく。道の先に意識を集中する。一切の油断も慢心も許されない。生唾を飲み込もうとして、口の中が乾いていることに気付いた。
毛が岩をこする音。
途切れずに一気に大きくなる。
私がカンテラを持ち上げて道の先を照らした途端、金属をひっかくような耳障りな鳴き声が聞こえた。
「来た!」
私の一声で、みんながそれぞれ持った武器を構える。
姿を現したのは一見するとクロネズミ、しかしその姿は家庭犬ほどの大きさであるクロネズミよりも一回り大きかった。オオネズミだ。
私は腰に帯びた長剣を抜き、オオネズミを突き刺そうと踏み込む。
しかし、見かけ通りに俊敏なオオネズミは駆け出して私に突っ込んできた。体当たりを食らって、思い切り吹き飛ぶ。突き出した岩に脚を取られて転倒した。左腕に鋭い痛みが走る。とがった岩に手を突いてしまい、ガントレットがへこんでしまったようだ。
体を起こし、長剣を構えなおす。マーガレットが両手に二本の装飾の多い剣を持ってオオネズミを斬りつけている。ビオラは祈るように銅製の杖を両手にささげ持ち、静かに瞑想して集中している。ビオラの髪が静電気で広がっていた。
私は膝を沈めて、踏み込む。同時に声を掛けて注意を喚起。
「マーガレット!」
「あんまその名前を呼ばないでってのに!」
マーガレットが私にも意識を割き、タイミングを合わせてオオネズミに回り込み挟撃する。私の剣はオオネズミを捉え損なったが、マーガレットの剣がオオネズミの喉に吸い込まれて切り裂いた。
オオネズミは血を吹いて倒れる。濁った悲鳴が喉から吹き出す血のあぶくに呑まれて醜く響き、自分の血の海に溺れているかのようにオオネズミは悶えている。その額に私は長剣を突き立てて止めを刺した。
オオネズミは一度大きく震えた後、あぶくを立てながら深く息を吐き、疲れたように動きを止める。
私は剣を引き抜き、皮袋から布を取り出した。剣についた血を丁寧に拭う。その間にガンナがナイフで息絶えたオオネズミから脚を切り取る。彼女は肉を上から踏んで、しっかりと血抜きをしてから袋に入れた。
本当なら皮でも剥ぐか臓器を持って帰るところだが、まだ先に進むのだ。あまり血の臭いがするものを持ち歩きたくない。
私は布をオオネズミの血の海に捨てて、身の回りを確かめる。ガントレットがへこんで痛むかと思ったが、意外に腕に刺さるような状態ではなかった。
折れ曲がった接合部をなでて、溜め息一発。
だが他に負傷もなく、また他のみんなにも被害はなかった。
安堵した私たちが先に進もうとしたとき、背後から騒がしい人間の声と足音が聞こえた。振り返った私たちの目の前に、疲れ切った顔をした男たちが洞窟の影から飛び込んでくる。
「ああ、よかった。誰だかは知らないが、旅は道連れ世は情け、ちょっと一緒に行こうじゃないか」
三人の男が安心したように頬をほころばせていた。