第一話
晴れ渡った空に浮かぶ太陽は、すでに山間にその身の下端をこすり付けていた。横合いから突き刺す陽光は赤くなり、町へ続く道も道の両側に広がる鬱蒼とした森も背後にそびえ立つ山も、皆一様に赤色に染め上げた。
何人もの人が数え切れないほど通ってきただろう道は、踏み折れて固められた草がじゅうたんのように広がっている。
その道をひし形のフォーメーションで足取りも重く歩いている女四人組、その先頭を歩く私は重ったるい溜め息を吐いた。
「はあああああ、疲れた……」
私は空色の瞳がのぞく目元にクマをこさえて、汗ばんだ額に痛みがちの金髪を張り付けたままよろよろと歩いていた。肩や胸など、要所に黒ずんだ鎧をまとっており、腰からは長剣を提げている。その鞘は膝が曲がっている今、道に薄く線を引いている。
だらしなく両腕をぶら下げて歩いている私に、後ろから声が掛けられる。
「リーダーがいちいち道を確認してるから魔物に囲まれたんじゃないかー」
振り返って確認すると今しがたの発言は右、黒い髪をまとめて尻尾のようにちょんと下げた髪型で、褐色の肌と茶色の瞳が特徴的な鍛錬狂のものだった。急所を隠しただけの軽装であるだけでなく、そこ以外は衣服すらまとわない薄着っ子である。
クソ生意気な小娘から目を逸らして前を向き、私は億劫に言葉を返す。
「迷って敵に囲まれて、逃げ道も分からず危険な場所がどこにあるかも知らず……なんていう四面楚歌の状況になるよりはよっぽどマシだ。間違って魔物の巣に逃げ込んだりしたらそれこそ目も当てられないよ」
とはいえ、今回は自分の慎重さが仇になったケースでもあった。
魔物の声を避けて進んだり、物音に敏感に反応したりしているうちに後方を取られて、えらい目にあったのだ。小型魔物のクロネズミでよかった。中型のゴブリンだったら今頃洞窟のなかで死肉を貪られているころかもしれない。
ようやく見えてきた町灯りに、疲れ切った身体が励まされてにわかに力が回復する。
「早く帰って、ゆっくり休もう、みんな」
返事は、死に掛けたゴブリンよりも低くて小さかった。
町に着いた頃は日も暮れて、すっかり夜になっていた。疲れ切った一同は即決で宿に直行し、即座にそれぞれのベッドに飛び込んで泥のように眠ったのだった。
明けて翌日。
目が覚めて、ほこりっぽい空気のなかに木のにおいと味噌汁の香りが微かに混じる。天井からは歪んだ面長の顔に見える木目が私を見下ろしていた。
私が起き上がって部屋中を見回してみると、二人は寝ていたが一人はすでにベッドを空けている。それに気づいた私は渋面を作った。
「またトレーニングしてんのか……あのバカ、疲れてるときは寝ろっての」
ベッドから下り、女にしては長身の体を曲げてストレッチをする。腕を回し腰を捻り脚を伸ばして、ふと動きを止めた。
筋力がついて陰影ができている太ももを撫でる。
「やっぱ……脚、太いよなあ……」
溜め息一発。
重い荷物を抱えたまま魔物から逃げるために突っ走ったりしているうちに、気がついたらここまでたくましくなってしまった。脚を曲げると「もりっ」と筋肉が膨らむことが私を憂鬱にさせる。
仕方ないのだ。生き延びるためには体力をつけないといけないのだし、見ようによってはこれは歴戦を生き延びた冒険者の証であるとも言える。
しかし、しかしやっぱり女の子としては細くてしなやかな足にも憧れを捨てきれず……。
溜め息一発。
「気にしてもどうしようもないか。ガンナがうらやましい」
もう一度体を伸ばして、二人を起こさないようにそっと部屋を出た。歩くたびに床板がきしむ廊下を歩いていく。
木造二階建ての民宿「柳亭」は、あの洞窟の最寄街にある旅館群のひとつだ。部屋にはベッドしかないが、格安の値段と割のいい料理、なにより気のいいオバちゃんが経営しているので私たちは安心して利用している。
そのオバちゃんがあらゆる意味でボリュームのある体を揺らして食堂で朝食を振舞っていた。
「おはようございます、オバちゃん」
「ああ、おはようさん。朝食かい?」
オバちゃんは聞いているそばからすでに御飯をよそっていた。私は苦笑を浮かべながらも首肯する。
朝食のセットを盆に載せて運ばれてきた。私は四つある六人掛けの大テーブルの一つに腰を下ろしながらそれを受け取る。
「ありがとうございます」
並べられる御飯の量はオバちゃん基準であるため女性にしてはやや多いが、食事の不安定な冒険者の身にはちょうどよかった。
さっそく箸を持つ。持ち方が手首と指を固定したもので、フォークやスプーンと似た持ち方のままだ。そのまま茶碗に盛られた御飯を刺すように突っ込み、持ち上げて食べる。
オバちゃんが呆れたように私を見下ろす。
「あんた、この町に来てもう半月だっけ? いつまで経っても箸の持ち方覚えないねえ」
「はは……すみません。どうにも慣れなくて」
苦笑を浮かべながら、煮物の人参をグサッと突き刺して口に運ぶ。
そうして朝食と格闘しているうちに、仲間が一人食堂に入ってきた。彼女はオバちゃんと挨拶を交わし、ずれてしまった箸を持ち直している私の隣に座ってネイビーブルーの瞳を細めて笑いかけてくる。
「おはよ、リーダー」
「ん、ああ。おはよう、ビオラ」
ビオラは箸の扱いに苦心する私をクスクスと笑う。染め上げた紫色の髪が揺れて、ローブのような薄くて裾の長い衣服からこぼれる。
私はそんなビオラを、特に片腕で抱えられそうな彼女の細っこい胴を眺めて、鼻で溜め息をついた。その横からオバちゃんがビオラに朝食を渡す。
「ほら、あんたも食べなさい」
「ありがとう、ってオバちゃん。私こんなに食べられないよ」
「あんたそんなガリガリだと体に悪いよ。もっと太らないとだめだね」
えー、と悲鳴を上げながらも笑顔を浮かべるビオラの痩身から目を逸らし、私は朝食を食べることを再開する。
私がようやく最後の米を口に入れるころには、ビオラはすでに食べ終わっていた。彼女は箸を扱えるので、私のように米が箸からこぼれ落ちて食べにくい思いをするということがないのだ。
食器と礼をオバちゃんに返して、食べ終えるのを待っていてくれたビオラと一緒に食堂を後にする。隣接する手狭なエントランスを抜けて、無人の帳場の前を抜けて木製の扉を開け、宿を出た。
寝坊しがちのガンナといつもどこかに行っているマーガレットのために買い出しなどを済ませておくのが私たちの日課だ。
宿から出た私たちは近くの市場に向かう。石造りの建物や木造の建物が混在する通りを抜けて、出店が所狭しと商品を並べて人の混雑を助長している市場通りを歩く。ここは野菜や果物などの生ものを販売している店が多いのだが、しかし中にはこの場にそぐわない物々しい武具を並べて、まるで野菜のように一山いくらで売っている店も混じっている。
この街は、あの洞窟が発見されたあとに出来た街で、"魔窟"である洞窟に挑まんとする冒険者のために旅館や薬品店、武器屋などを中心にして栄えている。それでこのようなシュールな光景が見られるのだ。
また、このような冒険者をメインターゲットとした商店では、魔窟で魔物に襲われたあとに片手ですぐ使える応急薬品などが開発されており多く販売されている。私たちも、昨日の戦闘のせいで擦り傷切り傷を大量に作ってしまい、それらを存分に活用したばかりなのでその分を補充する必要があるのだ。
店先の商品を眺めて回るビオラが思い出したようにつぶやいた。
「あと、ガンナの弾薬も買っておかないと」
「ガンナの銃は確かに強力だけど、高いんだよね……」
溜め息一発。冒険者はお金になるようなものは魔物から剥ぐか洞窟内で掘り出すくらいしかないので、基本的にまず黒字にはならない。私たちも、積み重なった赤字が順調に膨らんでおり、今や数値を考えたくもない。
とはいえ魔窟には一発逆転の貴重品が眠っていることがあるので、運がよければ一瞬で勝ち組に仲間入りが出来る可能性も秘めている。
目当ての薬品と火薬・弾丸の全てを取り扱っている冒険者向けの商店に向かって歩いていると、目の前にいたガラの悪い大男にぶつかった。
「おっと、すみません……」
「ってぇな! んだ、このアマ舐めてんのか?」
反応が早い。分かっててぶつかったな。
仲間は三人。いずれも携行する武器はなし。鎧慣れした身体の形からして、こいつらも冒険者か。大方、女冒険者であると言うだけで目立っている私たちの噂を聞いて、ちょっかいを出そうというのだろう。全員怒ってるフリの表情に隠せない下卑た笑いが見える。
掴みかかろうとした男の腕を払い、腕でビオラを下がらせる。騒ぎに気付いた周囲の人垣が蜘蛛の子を散らすように引いていき、一定距離を取った途端に足を止めて野次馬となった。
私は男を見つめながらぬけぬけと微笑んでみせる。
「ああ、重ねてすみません。職業柄、反射的に動いてしまいました」
「あン? ふざけてんじゃねえぞテメエこら」
背後のビオラを横目でうかがう。彼女は常の笑みを消し、冷徹な目つきで静かに男たちを見つめていた。彼女の髪が静電気で広がる。やばい。
怒気を噴出させているビオラを落ち着けようと口を開いた時、余所見をしていた私は腕を男に取られた。
「おいテメエ聞いてん」
「せィヤッ!!」
華麗な後ろ回し蹴りだった。私ではない。
背後から弾丸のように突進してくると同時に打ち込まれた、延髄を刈り取るような強烈な一撃に男はなすすべもなく地面に頭から突っ込み失神する。私はようやくつかまれたままの腕を振り払った。
顔を上げると、そこには褐色の肌と茶色の瞳、小柄な小娘が立っている。口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべた彼女は言った。
「や、リーダー。お困りかな?」
バチーンとウインクしようとして両目とも閉じてしまっている。
私は頬を緩め、素直に彼女に礼を告げた。
「ありがとう、マーガレット」
「人前でその名前を呼ばないでよ、あんま好きじゃないんだから。それと、どーいたしまして。これも鍛錬のうちかな」
彼女は屈託なく笑って額の汗を拭った。また今朝も走り込んでいたらしい。
打ち倒された男の仲間は、突然自分たちに攻撃を仕掛けてきたマーガレットに怒り、彼女に殴りかかろうとした。
マーガレットは途端に目つきを鋭くして、跳躍。スピンしながら飛んだ彼女の足が男の拳を払い、ついで振り上げた脚の甲が男の頬を蹴り飛ばした。着地と同時に地面を蹴って次の男に肘鉄砲を打ち込む。鳩尾に深く肘が埋まった男は糸が切れた人形のようにくず折れる。そいつの体を踏んで、振り返り、最後の男の顎に回し蹴りをお見舞いした。
一人で男四人を倒した彼女は一息吐いて、腕を腰に当てる。
「全く、女と見るやすぐに絡んでくる。こういう気質のアホはいつになったら消えるのかな!」
「同感だけど、この惨状はやりすぎじゃない?」
不思議そうに見返してくるマーガレットに、私は「なんでもない」と溜め息をついた。
騒ぎが沈静化したことを見て取った野次馬たちは、各々好き勝手なことを言いながらよどんでいた流れを再開させる。私はそんな人々を見回して、肩をすくめた。もう他の冒険者を煽るような噂は立たないでほしいものだ。
女の冒険者に対する風当たりは強い。だから返り討ちにするなどで変に目立つのはまずいのだが、これはマーガレットが悪いのではなく社会が責められるべきことだ。
興奮状態にあるビオラをマーガレットに任せ、男たちをまたいでその場を後にした。
市場を抜けて隣の通りに入り、薄暗い緑の外壁が目立つなかなかに立派な店構えをした商店に入る。この商店は冒険者協会に参加しており、冒険者の採って来た採集物や魔物の肉・皮などの買取も行ってくれる冒険者の友だ。このような店が無ければ冒険者は存在しえないだろう。
規則的に棚に陳列されている商品は値段から質から、ピンからキリまでの豊富な品揃えがなされている。冒険者の財布の具合によって買うものを調整できるようにされているのだ。私はそんな薄汚れてよれた値札の置かれる陳列棚を眺めて回る。
肝心なのは性能と重さと大きさのバランスである。かさばってしまうのは好ましくない。そして何より大切なものは、値段だ。予算オーバーは問題外だが、ケチりすぎて粗悪品ばかり集めても意味がない。要は兼ね合いである。
私が値札を見ながら無い頭を絞って暗算をしていると、店の扉につけられた鐘が澄んだ音を響かせる。二人組が店に入ってきたようだった。
「この町の魔窟はなかなかに盛況のようですわね」
奇矯な言葉遣いに興味を引かれ、その二人をチラリとうかがって見れば、二人共に女性だった。それも私たちと同じくらいの妙齢だ。
『ですわ女』は、セミロングの黒髪を揺らす黄色人種だった。漆黒の瞳が店内を見回す。猫のように釣りあがった目は大きくパッチリとしていて、無駄に自信たっぷりな笑みを口元にたたえている。その服装はまたおかしなもので、黒と紫の布を巻きつけたようなどこかの民族衣装風だ。
その連れも同じ髪・瞳・肌の色をしていて、顔立ちも似ていることから姉妹かと思われた。こちらは『ですわ女』よりも目つきが悪く、長い髪を頭の後ろで縛っている。
魔窟、と話題に出てるからにはこの二人は冒険者だろう。同じ身空であることにわけもなく親近感を覚える。私は見繕った商品を抱えて店主に購入する旨を伝え、勘定してもらっている最中に店主の剥げ頭に口を寄せて問いかける。
「あの人達、いつからこの街に居た?」
「さあ、俺ぁ初めて見るな。新顔か、他所の顧客かだな」
私はふぅんと鼻を鳴らし、店主から商品を受け取った。ライバルが増えたことに代わりはなく、うかうかしていられない。
彼女たちとすれ違うように店を出て、表へ出た。空から照りつける日差しは優しくなく、気温が上昇し始めている。しかし人波に変化はなく、市場は更なる盛況を見せていた。
私が宿に戻ったときには、マーガレットもビオラも、そしてガンナもすでに起きて食堂に集まっていた。
みんなが集まっている大テーブルに歩み寄り、買ってきた商品の山を机の上に載せる。
「みんな揃ってるね。ガンナ、体の調子はどう?」
私と同じ空色の瞳と金色の髪を持っているガンナだが、彼女の白磁のような肌と金糸のような髪はいずれも驚くほどのキメとツヤを持っている。右手人差し指をいじっていた彼女は生来の鋭い目つきで私を見返し、平坦な声で答えた。
「平気よ。怪我も大したことなかったし」
「そう。それじゃあ、早いトコ出かけようか。日暮れまでに戻ってこれなくなる」
私が宣言し、三人はめいめい応じて準備の仕上げを始める。
私は部屋に戻って即座に鎧と装備をまとい、買ったばかりの薬品を皮袋に入れて腰に巻いた。準備が終わるなり部屋を出て廊下を歩く。宿のエントランスにはすでに誰もおらず、すぐに表に出る。待っていたみんなが意気揚々と「行こう」と言って笑う。
洞窟へと向かって街道を歩いていると、屋台ののぼりに目を引かれたビオラがゆらりと隊列を外れた。
「ってビオラ! いきなり寄り道しようとするな!」
「だって、ほら、健康になるたこ焼きって……」
こんな山間の町で売られる海産物を使った料理なんてマトモじゃないに決まっている。香ばしい匂いを発する屋台に吸い寄せられるビオラの襟首を引っつかんで誘導した。溜め息一発。
他人事のように大口を開けて大笑するマーガレットがビオラの細い胴をつつく。
「あっはは、ビオラは『健康』って謳い文句に弱いなー!」
「だって、老後も健康に暮らしたいじゃない。健康寿命を延ばすには若い頃からの積み重ねが大事なのよ」
マーガレットを見て一本指を立てるビオラ。老後を気にするような年ではないハズだが、早いうちから健康に関心を持つのも悪いことではない。
だからって健康と書かれてるだけの食材を買いあさるのは間違っているとしか思えないが。食事制限してサプリメントだけバカ食いするのは、健康オタクとして落第だ。
「ていうかガンナもどうしたの。そんなじいっと食い入るように甘味処の『おいしくやせる! ダイエットシュークリーム』の看板を見つめて」
「え、い、いえ、別にあんなの見つめてなんかないわ? 早く行きましょ」
急にガンナの歩くペースが上がる。
私たちは彼女に置いていかれそうになり慌てて追いかける。
「ま、待って。置いてかないでよ! つかビオラもいつまでも後ろ向きながら歩いてるな!」
苦労は絶えない。