この場にいる資格はない
明確に意思を示した彼女は、アイナさんの横に立ちながら眼前の男と対峙した。
それは、あまりにも衝撃的な姿だったんだろう。
ぽかんと口を開けたまま、ヴァルトさんの元部下は呆けていた。
肩口で綺麗にまとめられたプラチナブロンドの髪が、さらりと風に揺れる。
アクアマリンを思わせる瞳の色は、美しい宝石にも見えた。
レフティ・カイラ。
ラウヴォラ王国最強の騎士どころか、歴代でも群を抜いて強いと言われる。
アイナさんの上司であり、王国騎士団の団長でもある彼女は人格者と聞いていたが、ここで俺たちの側についてもらえたことはこの上なくありがたかった。
もしも彼女と敵対するようなことになれば、アイナさんでも太刀打ちできない最悪の刺客となると本人が言っていた。
恐らく、俺が直接戦わなければならない相手だっただろう。
そうならなかっただけでも重畳だと言えた。
現状が掴めない男性は、なおも呆けたままだ。
それが悪手だと分かっていないようだな。
敵として眼前に立つ相手へ質問するなど、実戦においてありえない。
その瞬間に切り捨てられる世界だと、安全な日本に生まれ育った俺よりも生き死にを肌で感じられる場所にいた彼なら知ってるはずなのにな。
そういったところも精神的に未熟だと証明してるようなものだ。
やはり彼は、ヴァルトさんとは比較対象にするのもおこがましい。
相手にすらならないと言い切れるほどの差があるのは間違いなかった。
むしろ副隊長の役職すら彼には務まらないだろうな。
「な、何を言ってるんですか、レフティ様……」
そう言葉にしたのは若い副隊長ではなく、彼女の部下だった。
どうやら彼らに話をしたわけではなさそうだ。
可能性として考えられるのは、魔王の矛先を彼らに向けないようにするためか、それともすべてを説明した時点で魔王が動き出す危険性を考慮して動かなかっただけか。
ほかにもいくつか思い当たるが、それは彼女に直接聞けば済む話だな。
「ごめんなさいね。
貴方たちを巻き込みたくはなかったので話しませんでしたが、この機会を逃せばもう二度と好機は訪れないと判断し、ここからは私の自由に行動をさせていただきます。
同時に、私は王国騎士団団長の座から退き、この世界に生きる者のひとりとして剣を揮います」
「ま、まさか、レフティ様も王国を裏切る、つもりですか……」
何も知らない彼からすれば、彼女の姿はそう映るだろうな。
だが、最早そういった状況ですらないんだ。
彼に説明しても仕方がないと判断されたんだな。
彼女は波長を変えず冷静な表情のまま話した。
「言葉にしたところで、貴方には理解できないでしょうね。
けれど私が忠誠を誓うのは、"ロヴィーサ・フォン・アシェル・ラウヴォラ様"ただおひとりにのみです。
ロヴィーサ様が旅立たれてからは退団する機会を失っていましたが、いつでも去れるように準備はしていましたよ」
「お、王国に反旗を翻すおつもりですかレフティ様!?」
「……現状でその程度の認識しかできないのであれば、この場を去りなさい」
レフティの部下がいる後方から、ひとりの女性が歩きながら言葉にした。
銀色のロングヘアーを背中まで伸ばし、白金の細工が上品に施された黒紫ローブに身を包む高齢の女性だ。
とても穏やかで優しげな表情とは裏腹に、翠玉の瞳に映る光は強い信念が込められたものを確かに持っていた。
再びとなる大物の登場に、一種の威圧的な効果をもたらしたようだな。
若い副隊長は完全に思考が凍り付き、言葉にならない様子だった。
「……お久しゅうございます。
それと、先ほど王都に戻りました」
「えぇ、レイラ。
無事に戻れたことに嬉しく思うわ」
柔らかな表情と口調で高齢の女性は言葉にした。
彼女が王国魔術師団の頂点に座している方か。
噂じゃ世界でも最高峰の魔術師だって話だが、レイラが手も足も出ないほどの強さだと言っていたところから判断すると、実力は凄まじい領域にまで到達してるみたいだな。
彼女の登場にいちばん驚いたのは、どうやら彼だったようだ。
信じられないといった表情を浮かべながら、若き副隊長は呟いた。
「……く、クリスティーネ様まで……。
……これは……悪夢、なんすか……」
「現実を受け止めきれないのであれば、この場にいる資格はないと知りなさい。
子供と遊んでいられるほど、わたくしたちは暇ではありません。
素直に道を開けるか、それとも魔法で凍り漬けになるか。
どちらでも貴方のお好きな方を選びなさいな」
辛辣にも思える言葉を言い放つ高齢女性。
だが彼女の言うことはもっともだと思えた。
こんなところで油を売る余裕なんてないんだ。
威圧を撥ね除けもできず、けれども引き下がれない。
そんな彼は義務感のみで突き動かされているのが明確に伝わった。
……だからこそ子供扱いをされたんだ。
そこに気付けないと嫌悪感しか抱かれないぞ。
「そ、それでも僕は、王国のために……」
「そう。
では凍りなさい」
「――ま、待った!」
魔法が放たれる瞬間、ヴァルトさんは止めに入った。
クリスティーネさんは副隊長に攻撃を当てず、左に逸らした。
どうやら前方にいる騎士全員を狙っていたようだな。
凄まじい勢いで左の家屋を屋根まで凍り漬かせた。
しかし、違和感を覚える。
広範囲が氷漬けされた状態なのに、寒さを感じない。
それどころか、涼しい程度の冷気しかないなんて、ありえるのか?
まるでその姿は氷ではなく、結晶体のようにも見えた。
「一応聞きますが、なぜ止めたのですか?」
「もう一度だけ機会を与えてやって欲しい。
この状況を見ても同じ言葉を吐けるなら、俺はもう止めない。
……どうなんだ、まだやるのか?
これだけ圧倒的な戦力差があれば、敗戦は必至だ。
それでもまだ戦うってんなら、お前は確実に死ぬぞ。
同時に、部下を死なせる覚悟があるなら行動してみろ」
ヴァルトさんが止めた理由は、彼が優しいからだ。
本当なら、さっきの一撃で確実に終わっていた。
それが何を意味するのか、ヴァルトさんは知らない。
聡明なクリスティーネさんとレフティさんなら想定の範囲内かもしれないが、魂だけの存在でもう一度死を迎えれば、それは魂の消滅に繋がると女神アリアレルア様が言っていた。
そうなれば魂の循環もできず、輪廻の輪を離れることになる。
つまり彼らにとっての死は、"無"を意味する。
転生できず、完全な終焉をもたらしてしまうんだ。
……だが、それを話さずとも事態は落ち着きを見せそうだな。
精神的な支えを失い、それでも部下を死なせるなんてことをできるはずもないと判断したのは英断だろう。




