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明らかに別格の

 "ハールス"

 町名を冠する果物で、かつては町の特産品だった。

 乾燥させると極端に味が落ちる点から足の速い果物としても有名だが、物好きや金に糸目を付けない豪商などが露店で売られているのを購入して帰るようだ。


 200年前は探せばすぐに見つかるほどありふれたものだったが、魔王の影響を受けたことでその数は劇的に減少した。

 現在では、偶然森で見つける以外に入手ができない貴重な果物と言われる。


 3メートルほどの高さの木に生るハールスは、房から黄金の麦畑のような美しく輝くブドウによく似た形の実を連ねて結び、小さめのプラムを連想する大きさだけではなく、皮や種まで食べられる不思議な果実だ。

 一口で芳醇な香りと優しく上品な甘みが広がり、えもいわれぬ幸福感を食べた者に等しく与え、別名"女神の果実"とも言われているとハンネスさんは話した。


 ……だが、そのあまりにも衝撃的な味と香りに俺の思考は完全に凍り付いた。

 どうやらそれは俺だけではなかったらしく、ハンネスさんとカーリナさん以外の全員が俺と同じ表情で固まっていたと、落ち着いた頃に教えてもらった。


 世の中には、これほど美味い果物があったのか。

 いや、美味いと形容するのもおこがましく思える。


 鮮烈で、それでいて蒼天のように清々しく、さっぱりしてるのに深みがある果汁は少しもしつこくなく、またクドくもない。

 その美味さを俺の語彙力で表現することは不可能だと途中で考えるのを諦めるくらい、明らかに別格の果物だった。


「ホッホ。

 みんな良い顔をするのう。

 カーリナにお使いを頼んで正解じゃったの」

「お店に行っても売ってない場合が多いですから、購入できて良かったです」


 とても嬉しそうに笑うハンネスさんとカーリナさんだが、俺たちはなおも反応が一切できずに凍り付いたままだった。


 それほどの味。

 それほどの香り。


 これまでの旅で美味しいものはそれなりに食べてきた。

 しかしこれは、ダントツで衝撃的な食べ物なのは間違いなかった。

 むしろ、人が食べていいのかも分からないほどの極上の果物だ。


「ワシはこの果実に目がなくてのう。

 その数が極端に限られてしまっているのは口惜しいが、こうして購入できることに感謝をするべきなんじゃろうな」



 あまりの衝撃に思考が停止していた俺たちがようやく動き出した頃、ハンネスさんは満面の笑みで言葉にした。


「……これが、"ハールス"じゃ。

 ひとたび口にすれば、生涯記憶に残り続けると言っても過言ではない。

 これまでの価値観を圧倒する存在感は、すべての食物において類を見ないほど衝撃的な味と香りでの。

 ワシは子供の頃からこの実に魅了され続けとるよ。

 ハルト殿たちの世界にも、似たようなものはあるのかの?

 もしあるのなら、無理とは分かっていても一度は口にしてみたいのう」

「……い、いや……こんな美味い果物は、ねぇと思うぞ……。

 マスカットとかマンゴーみたいな高級なものはたくさんあるし、俺は食べたこともねぇんだけどさ、さすがにこれほど美味いとは思えねぇな……」


 確かにその通りだ。

 果物に限らず、世界中の食べ物を探し出しても、これほどの衝撃を受けるものは存在しないはずだ。


「……高級すぎて食ったことなかったが、こんなに美味いもんだったのか」

「サウルもヴェルナも、食ったことなかったんだな……」

「そりゃそうだろ。

 アタシらは金に困るほど稼ぎは低くねぇが、ひとつ100万の果物買うほど心の余裕はねぇよ……」


 ここまで凄い果物となると、俺の世界に存在していないのは確実だ。

 もし存在するのなら、確実に争いの火種になると思えた。

 その痕跡が歴史書に残っていないことが証明だと、人間の愚かさを再確認した気持ちになって悲しくなるが、これを巡って戦争が起きていたとしてもなんら不思議ではない。


 残念ではあるが、ある意味ではないほうが良かったのかもしれないな。


「そうそう。

 これも伝えようと思っとったよ。

 以前ハルト殿がこの町に来た際、住民が喜んで祝日に決めるやもしれんと言ったのを憶えておるかの?」

「えぇ、ティーケリ討伐のお祝いに、という話でしたね」

「うむ。

 あくまでも可能性の話をしていたつもりなんじゃが……」


 なにか……。

 ……嫌な予感がする……。


「……実はの。

 ハルト殿が町を訪れたのが第三週の4日目なんじゃが、毎月その日になると住民たちがお祭り騒ぎをしておっての。

 販売店はもちろん、冒険者たちの中にも休日にする者が出とるようじゃ。

 魔王の影響もあって、何の日か(・・・・)は忘れとるのが幸いじゃのう」


 苦笑いで答えるハンネスさんとは違い、俺は思わず額を右手で覆ってしまった。

 やはり完全に記憶が消去されるわけではなく、妙なところで残るようだ。


「まぁ、ハルト殿に意識が向かないのであれば、放置しても大丈夫じゃろ」

「……じいちゃんは笑ってっけどさ、結構凄いことだと思うぞ……」

「ホッホ、確かにそうじゃの」


 楽しそうに笑うハンネスさんとは対照的に、苦笑いしか出ない俺たちだった。


 ともあれ、色々と話が聞けたのは良かった。

 すべての記憶がなくなっていないのであれば、とはさすがに思わない。

 それはどう言葉を取り繕ったとしても"呪い"にしか思えないからだ。


 本音を言えば、魔王を倒しても救われるとは言い切れなかった。

 世界中の人たちは、今いる場所から旅立たなければならない。


 それをハッピーエンドと言えるのかは人によって違うだろうけど、少なくとも俺にはあまり良くないエンディングにしか思えない。


 ……だとしても。


 俺たちがするべきことは変わらない。

 その道しか残されていないからな。



 そこに強い切なさを感じながらも、ハンネスさんたちとの話を日が暮れるまで楽しんだ。


 随分と長居をしてしまったが、それでも笑顔で対応してくれたふたりに感謝しつつ、俺たちは宿へと戻った。


 明日の早朝、俺たちは町を出る。

 そして、もう戻ってくることはないだろう。


 今生の別れとなるが、それでも俺たちは悲しみを見せることはなかった。

 彼らの行き先は、光に溢れた穏やかな世界だと信じているからな。

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