進み続けているのなら
ひと月半前。
それは、ヴェルナさんがサウルさんとこの町で久しぶりに再会した日のことになるらしい。
「あの日……。
正確に言えば200年前になるんだが、結構な雨が降っててよ。
雨宿り目的でこの店に来たのが始まりだ。
当時アタシはヘルプで参加したチームの依頼を終えたばかりで腹も減っててな。
強い雨で体は冷えるわ腹も減ってるわで、最悪に思いながら歩いてたよ。
そんな時、匂いに誘われて偶然ここに入ったのを今でもよく憶えてる。
結局その感覚も繰り返すように過ごすことになるんだけどよ。
……ま、それはまた別の話だな」
「あん時のことは、俺もよく憶えてる。
ずぶ濡れのヴェルナが入ってくるのが見えてよ、店内もかなり空いてんのになぜかほっとけなくて、強引に同席させたんだよな」
「それが、"ひと月半"ってのと関係すんのか?」
「いや、アタシが言いたいのはそこじゃねぇんだよ。
それからひと月半後に"闇が世界を覆った"ってことに気付いたんだ。
その話はふたりのほうが詳しいんじゃねぇか?」
ヴェルナさんは、視線をアイナさんとレイラに向けた。
思えばふたりは200年間の記憶が残っているが、どうしてそうなれたのかは分からない。
素人なりに推察や推論は立てられるが、答えの出ない問題だからあまり深く考えずにいたんだよな。
だが想像していた以上に、ふたりはとんでもない闇を抱えていたようだ。
それにようやく気付かされたことに申し訳なく思えた。
「ヴェルナさんたちの感覚と正しいかは分かりませんが、少なくとも私もレイラも覆われる瞬間を目撃しています。
これまで感じたこともないほどの強い喪失感と、とても言葉では言い表せない絶望的な恐怖感は今でも忘れることができず、心の奥底にこびりついて離れません」
「……同時にあたしたちは、ある一点を見ていた。
もちろんそれは偶然に過ぎないし、それが今に繋がっているのかも分からない曖昧なものだけれど、あたしたちは確かに見たの」
「……見たって、何を見たんだ?」
ふたりに訊ねる一条だが、その声色からはおおよそ理解していると窺えた。
俺たちはそれを目にしているし、たくさん話を聞いてきたからな。
その答えは、ひとつしか考えられない。
むしろ、それ以外にはありえないだろう。
「"光"です。
空に昇る、糸のように細い光。
でも、あれは確かに、私たちの状態を好転させたと自覚できるものでした」
「……文字通りの意味で救ってくれた光だと、その時のあたしたちは確信したの。
アイナとこの件で話をしたのはそれから少し後だけど、世界が狂い始めたと知ったのもあの瞬間だった」
記憶の消去。
ある期間を過ぎるとこれまでの記憶が消失し、昨日した約束を忘れてもまったく疑問すら感じない人が出る。
そのはじまりとも言える"最初の瞬間"を、彼女たちは体験したんだな。
それがどれだけ異質だろうと、世界は変わらずに動く。
まるでゲームのキャラクターのように、同じような言動を取り続けたらしい。
「おぞましい世界だと、私は本気で思いました。
明らかな異常に気付かず、気付こうともされず、強引に続けられる会話。
言葉の端々に首を傾げるどころか支離滅裂な内容が何事もなく成立される瞬間は、何度体験してもおぞましいの一言しか出てきませんよ……」
「……全部、魔王の影響なんだろ……」
「そうだ。
だが、アタシが言ってるのは、そこでもねぇんだ。
なんてことはない話になるんだけどよ、ただ分かっちまったんだよ。
アタシらがいつ、どのタイミングで記憶が飛んじまっていたのかを」
「それがヴェルナの言う"ひと月半前"、か……。
俺の頭で欠けていたものが補完されたような感覚だな、これは。
どこかスッキリしたようにも思える、不思議な気持ちだよ」
エルナの発した一言で、それに気が付いたのか。
何が影響するのかも人それぞれだろうけど、ほんの少しだけでも記憶が正常化されたんだな。
そうでもなければ、憑き物が落ちたような表情はできないはずだ。
だとしても、素直に喜ぶことはできないが。
「……俺にはいまいちよく分かんねぇけどよ。
世界を覆った闇が一瞬で人の命を奪ってるんだから、記憶もその瞬間ぐしゃぐしゃにされたってことじゃねぇか?」
「あんまり認めたくはないんだけどよ、たぶんその推察は合ってると思うぞ。
今でも記憶に曖昧な部分はあるし、それが完全に蘇ることもないのは仕方ねぇと諦めることもできる。
……けどよ、なんか癪だろ、そういうの。
やられっぱなしってのは、アタシの性に合わねぇよ……」
リヒテンベルグの英傑たちが必死の思いで組み上げた"光の壁"。
その影響を肉眼で視認したお陰で呪いから外れた存在になれたのか、俺には答えが出せないし、女神様に聞いたところで何がどうなるわけでもない。
失った命は二度と戻らない。
記憶が完全に元通りになるとも思えなかった。
そう言える非道を相手はしたんだ。
世界中に住まう人の命を弄び、冒涜するだけでなく、これから最悪な手段で囚われた魂を使われてしまう。
もしもそれを赦してしまえば、魂は輪廻の輪に戻ることは適わなくなると女神アリアレルア様はとても辛そうに話していた。
それだけは絶対に阻止しなければならない。
「……ま、気付いたことっ言ってもよ、そんなもんだ。
少なくとも、ひと月半前にエルナの記憶がなくなっちまってるのは確かだな」
早ければ2週間ほどで影響が出る場合もあると、女神様は言っていた。
半年経過すれば確実になくなるらしいから、最低でも2回はエルナの記憶に影響が出ているってことになる。
昨日した約束すらも忘れ、大切に想ってる気持ちも失う。
これは彼女だけに限った話じゃない。
世界中にいる、ほぼすべての人に言えるんだ。
その呪縛から逃れたのは、恐らく数名だけじゃないだろうか。
最西端から登る"光の壁"を偶然目撃した人たちと、リヒテンベルグの民だけだ。
「おかわり!!」
「こっちもだ!!」
「俺も頼む!!」
「は、はい!
追加オーダー3人前です!!」
「……うるせぇ客がいるな……。
ちょっと殴ってきていいか、鳴宮……」
「よほど腹が減ってるんだろうから、自由に食わせてやれよ」
「チッ、わぁったよ。
……ったく、幸せそうだな、あいつら……」
「そうだな」
俺は騒がしい男たちに視線を向けずに、悪態をつく一条へ答えた。
元気なら、元気で冒険者を続けているなら、それでいいじゃないか。
逆に言えば、それだけ大変な日々を過ごしてるってことにもなる。
冒険者として大切な技術を学びながら、こうして夕食を仲良く取ってる。
俺にはそれが分かっただけで十分だよ。
結局、すべての記憶がなかったことになってるのか?
……いや、違う。
少なくとも、何かは変わってる。
小さくて気付きにくいことかもしれないけど、確かに変わってるんだ。
そこに俺のいる場所がなくなってしまったとしても。
それでも確かに変わっていることに俺は気付けた。
再会することも叶わなくなったが、3人が前へ向かって進み続けているのなら、それでいいと俺には思えた。




