そのくらいの分別は
誰もいない早朝の訓練場で、俺は一条と対峙する。
重さを確かめるように練習用の鉄剣を軽く振りながら、一条は言葉にした。
「……朝っぱらから悪いな、鳴宮」
「かまわない。
だが、休息を取らずに激しい運動はあまりしないほうがいい。
本格的な模擬戦をするつもりなら、しっかりと休んでからにしよう」
「あぁ、それでいいぞ。
俺も今は試したいだけだからな」
"試す"という言葉が、俺の脳裏から離れない。
いったい何をしようとしているのかは分からないが、少しでも勇者育成の力になれるのならいくらでも手伝うつもりだよ。
「まさか、実力差を埋められる何かが閃いたのか?」
少し冗談交じりに訊ねる。
しかし返ってきた言葉に、余計考えさせられることになった。
「そんな明確なもんじゃねぇよ。
ただ、今ここで動かずに休んだら、俺は絶対後悔する。
それが分かるから付き合ってもらってるんだよ」
何かを掴みかけてるってことか。
どこまでも沈み込むような嫌な気持ちを吹き飛ばしたいのかと思っていたが、どうやら少し違うようだな。
「わかった。
お前のタイミングでいい。
こっちから仕掛けないから好きに動いていいぞ」
「……わりぃな」
気にするなと心の中で言葉にした俺は、気配の質が変化しつつある一条に表現できない"何か"を感じ始めていた。
「……いくぞ」
「あぁ――」
そう言葉を返した瞬間のことだった。
刹那とも思える時間の隙に、俺は背後を取られた。
反射的に"明鏡止水"を使って回避する。
訓練用に刃を落とした鉄剣が空を切った。
……やってくれる。
この感覚はレイラと対峙した時と同じものだ。
まさかこいつに血の気を引かされることになるとは思ってなかった。
「……やっぱすげぇな、鳴宮は。
奇襲なら一撃当てられるかと期待したんだが、さすがに無理だったな」
「正直に言えば、今のは当たっていてもおかしくはなかったよ。
判断が遅れていたら、話すらできずに倒れていたかもしれない」
冷汗が右頬を伝う。
一気に体感温度が低くなった。
それほどの威力を持った一撃だった。
今のはレイラの動きを真似ただけだが、明らかに違う部分がある。
一条を覆い尽くす魔力による身体強化に"別の力"が混ざってる。
……いや、違うな。
これは意図的にふたつの力を混ぜたんだ。
「……まだ混ぜ合わせただけで、統合されてないってことか。
正直、信じられない気持ちだが、レイラの身体強化魔法に光の魔力を合わせることで相乗効果を持たせようとしたんだな」
「……本当にすげぇよ、鳴宮は。
俺のやろうとしたことを一度見ただけで理解するなんてよ」
一条はそう言葉にするが、それどころの話じゃないことをした自覚がないみたいだな。
恐らく昨日の夜から朝方にかけての間に練り上げたものだろう。
つまり、たったの一晩で新技術を編み出し、それを実行させてしまった。
レイラから身体能力強化魔法を利用した戦い方を学んでいたが、あれは彼女が長年をかけて確立したもので、そう簡単に使いこなせるような力ではない。
俺の見立てでは、1年でようやく形になるだろうと思っていた。
魔王戦を考えれば、討伐に向かう移動中も鍛錬を続けるべきだと考えていたし、実際そうなるだろうと俺を含めた全員が感じていたことだった。
しかし、こいつはそのすべてを覆した。
たった一振りの攻撃だったが、その内容はあまりにも衝撃的だ。
一条が一般人とは違う才能を持っていることは理解していた。
だからこそ最終的には何とか間に合うだろうとも感じてたくらいだし、こいつならやってくれると信じてた。
だがそれは、こんな爆発的な成長を見越してたわけじゃない。
明らかに異常と言えるほどの成長速度に血の気が引いた。
……恐らくはこれなんだろうな。
女神様が一条を勇者として招いた理由は。
"光の魔力"を使える者は、世界規模で考えれば限りなく少ないとはいえ存在するはずだし、アリアレルア様は"先見の力"を持つから一条がこうなることを知らなかったわけがない。
エルネスタさんを治療したのもこの時のためかもしれないなんて、とても失礼な邪推をした自分自身に嫌気が差すが、そういった方ではないことは間違いない。
……まずいな。
あまりに衝撃的過ぎて、思考が乱されて纏まらない。
現段階ではどこまでの領域に到達するのかは分からないが、少なくとも手加減をして凌げられるほど甘い相手ではなくなってしまった。
ここから先は訓練の域を超えてしまう。
俺も本気で相手をせざるを得なくなるだろう。
そうなると、様々な面で良くない。
直撃すれば即死する一撃を打ち合うことになるのは本末転倒だ。
「考えすぎだ、鳴宮。
俺はお前に勝ちたいと思ってるけどよ、お前を倒したいわけじゃねぇんだ。
倒すべき相手は魔王。
この力を本気で揮うのも魔王にだけだ。
そのくらいの分別は俺にだってあるぜ」
声を小さく出しながら笑った一条。
だがその表情からは、深い悲しみを感じさせた。
「ま、じっくりいくさ。
平和な世界を過ごしてもらいたい人は、ばあちゃんだけじゃないからな」
……そういう言葉は、今にも泣きそうな顔で言うもんじゃないぞ。
背中を向けたって俺には伝わることくらい、お前も理解してるだろ。
いっそ声を出して泣けたら、どれだけ楽だったんだろうか。
それができるほど、俺たちは子供じゃない。
同時に、大人でもない中途半端な年齢だ。
……だとしても。
時にはそういったことが赦されるんじゃないだろうか、とも思えた。
「悲しい時に泣くのは悪いことじゃない。
それが大切な人を想ってのものなら、なおのことだ。
俺は、そんなお前を笑ったりしないぞ」
「……馬鹿言え。
俺がここで泣けば、ばあちゃんが悲しむだろうが。
ばあちゃんはな……俺の笑顔が素敵だって……言って、くれたんだよ……」
「……そうか」
そうだよな。
エルネスタさんは、そういった方だったよな。




