限定した力
「……く、くそ……が……」
「どうした?
もう終いか?」
大の字に転がる男へ言葉にしながら、俺は別のことを考えていた。
前に別れてからひと月以上経っているが、想像していた以上に一条は強くなっているようだ。
しかし、強い違和感がある。
いくら厳しく鍛えても、鍛錬で培われたものとは明らかに別の力を感じた。
これが女神様からもらった"勇者としての能力"なのかもしれないな。
正確なところまでは分からない。
それでも、身体能力が極端に上がっているのは間違いないだろう。
一般的な盗賊や冒険者崩れを相手にするなら十分だとは思うが、残念ながら言葉すら通じなさそうな敵を前に通用するとは考えられなかった。
悪い面ばかりが目立っていたが、これは俺たちにとって好都合だ。
通常の鍛え方では1年でも足りないと思っていたから、心技体のうち体はある程度で妥協する予定だった。
本格的に鍛え出せば、最低でも数年はかかる。
しかし、それ以上待てないような気がした。
俺たちの個人的な話にも繋がるが、実際には別のところにある。
魔王がそれだけ長期的に何も行動を起こさないとは、とても思えないからだ。
恐らくは、そう遠くない時期に仕掛けてくるような気もするし、鍛錬に時間を割き過ぎないようにするべきかもしれないな。
……なんだろうな、この感覚は。
どちらかと言えば予感に近いものだろうか。
いい方のものならかまわないが、そんな感じはしない。
これについても女神様に訊ねておくべきだな。
だが女神とはいえ、そのすべてを知るとも思えない。
これまで疑問に思っていたことが明かされるとは限らないから、期待しすぎないほうがいいだろうな。
肩から息をする一条を横目に、俺は今後の勇者育成計画を考えていた。
とはいっても、転がる男にできることはかなり限られているからな。
しばらくは、ひたすら走り込ませるだけになりそうだ。
「すげぇな、あいつ。
想定してた範囲を越えてるぞ」
「前に見た時よりも確実に強くなってるな。
勇者として"覚醒"したってことなのか?
さすがに"光の魔力"は使わなかったみたいだが、そいつを使いながらでもハルトを倒す気概は必要なんじゃないかとアタシは思うが」
実戦形式だったこともあったし、ヴェルナさんの言うように最善の一手を見せるべきだと俺も感じた。
だが勇者の力とは、どうやらそういったものとは別のようだ。
「……元々勇者の力は、一般人に効果がない。
あっても目くらまし程度にしか使えないもの」
「なんだそりゃ。
魔王討伐に限定した力ってことか?」
「恐らくはそうだと思います。
地面や岩に放ってもらいましたが、霧散するように消えました」
「…………ゆ、勇者の、ちからは……魔王に……当てる……もんだ……」
「呼吸を整えて、回復に集中したほうがいいぞ」
呆れながら、俺は転がる一条に答えた。
随分と呼吸が荒い。
若干、酸欠気味にも見えた。
そこまで激しく動いたつもりはないんだが、呼吸法も鍛錬してないのか?
ちらりと保護者ふたりに視線を向けるが、首を横に振られた。
「まぁ、まだその段階でもない、か」
「本音を言えば、早めに体得してもらいたいところですが、カナタは身体的にもまだまだ改善する余地がありますからね」
「……はっきり"へなちょこ体力"だって言えばいい。
勇者として女神様にいただいた筋力や耐久力増強の加護がなければ、一般的なランクCの真ん中よりもやや上の冒険者止まり」
「……ぐ、ぬぬ……」
一条は言葉にならないようだが、レイラの分析は正確だ。
俺からすれば、"女神の加護"があるからこそ鍛錬のメニュー決めに苦労してるわけだが、できる限り早めに把握しておかないといけないな。
体力の強化はひと月やそこらで改善できるはずもないし、本音を言えばじっくりと上げていきたいところだ。
それでも随分と上達してる。
目に見えて強くなっているのも分かるんだが、全体的な粗さは目立つ。
そう簡単に改善できるものでもないから、時間をかけるしかないか。
「気長にいこう。
今はまだこの程度だが、鍛錬のメニューもおおよそ固まってきた」
「――剣の稽古だな!?」
勢いよく起き上がる男へ向かって、ため息をつきそうになる。
「……子供か、お前は……。
いま優先するべきなのは体力の向上だ。
たった5分動ける程度で剣術も何もないだろ」
「くっそ!
鎧が重くて動きづれぇ!」
それが分かる程度には自覚があったんだな。
「なら脱げばいいだろ。
移動速度が遅いと様々な面で不利だぞ」
「アホ言うな!
こいつは王都にいる武器屋の親父からもらったもんだ!
"魔王討伐のお役に立つのなら"ってな!
この鎧には親父の想いと願いが込められてんだよ!」
……その気持ちも分からなくはない。
託された想いを蔑ろにできるはずもないし、お前の考えは真っ当だよ。
勇者としても、人としても。
でもな、その考えは危険なことだって、自分でも理解してるんだろ?
だからそんな辛そうな顔をしてるんだもんな?
「……それについても、少し考えるといい。
単純に重い鎧を身にまとったまま動くことは体を鍛えられると勘違いされがちだが、身体的な負担は見えない部分に蓄積する。
肉体の限界を越えれば、大きな怪我になりかねないことも覚えておいてくれ」
「……そう、だな」
勇者に託された鎧、か。
それがどれだけ大切なことなのかは分かるつもりだよ。
そいつを着てずっと旅をして来たんだから、愛着だってあるだろう。
だとしても。
そのままでいいはずもない。
重い鎧を着て動けるやつなんていないからな。
それこそ身体的な能力を極端に底上げしなきゃいけなくなる。
「身体能力を強化する手段があれば別だが、それでも装備の重量はかなり厄介な問題になるからこそ俺も胸部の革鎧のみにしてる。
さすがに魔王討伐の装備がコレじゃ様にならないが、大切なのは結果だ。
使い古されたものだろうと、自分がいちばん動きやすいと感じるものを身に纏うべきだよ」
ゲームの中にあるような、肉体を極端に強化する魔法なんて存在しない。
それはアーロンさんからも聞いてるから、多少の上昇効果はあっても基本的に魔力を使うことも考えれば一条向きじゃないだろう。
魔法の効果を維持しながら戦うなんて、こいつには数年かけなければ難しい。
そもそも強化魔法を魔術師が使うのも、緊急回避の時くらいだと聞いた。
一瞬だけ極端に強くさせ、距離を開ける手段として用いるのが強化魔法だ。
身体的にも武術的にも拙いと言わざるを得ない魔術師が肉体を強化したところで、相手にナイフを確実に当てるだけの技術もなければ、強化魔法は回避にしか使えないと判断されても仕方がないだろうな。
「……そんなことない。
そろそろいい機会だし、カナタにも見せておこうね」
「では、私ともお手合わせをお願いします」
そう言葉にしたレイラは右手に持っていた杖をくるくると回し、アイナは満面の笑みで言葉にした。
「本気か?」
「……本気。
カナタに見せるのもいい頃合いと判断」
いつもと同じ眠たそうな目をしてるが、これまでに感じたこともないほどの威圧感を肌で感じ取ていた。
「……本気、なんだな……」
「……もちろん。
"魔導の真髄"を、ハルト君にも見せてあげる」
彼女の言葉に、思わず警戒心を強めた。




