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13:美しい夢と命

 彼ら彼女らがいるのは、6:60と7:00の狭間。現実世界において、この二つの間に一切の差はない。

 だから、表現としては多少不適切なのだろうが、彼ら彼女らの感覚の中では、この記述には何ら語弊はない。

 少しだけ時を、遡る。


「さて、空気を読んで、彼女の前では言わなかったけど、あなたの望みって、私を、丸一樹を助けることじゃないわよね?」


 雨季と分かれた後、一樹の姿をしたティファレトはすぐに、そう問いかけてきた。


「いや、一樹を助けるのだって、目標の一つだ。でも、当面の第一目標は、雨季に立ち直ってもらうことだけど、諦めたわけじゃない」

「ふーん。まあ、あなたが私を助けようとするのは、お姉ちゃんへの義理と、一年も私のことを忘れていた罪悪感がほとんどだよね? よくそんなものに生命を賭けられるもんだ」


 純粋に不思議に思うような声音で、美しい人は微笑む。

 人の隠したいところ、目を背けたいところにズカズカと入り込んでくる態度は、本物の一樹にも通ずるものだ。

 一樹の場合でも、ティファレトの場合でも、その行いに対する悪感情は抱けない。


 一樹は、そうすることで他人の痛みを消してしまうから、ティファレトは単に美しすぎるから。


 でも、一樹ならともかく、美しいだけのティファレトに、何もかも曝け出す気にはなれない。適当に理由をつけてはぐらかそうとする。


「お前には関係のない話だろ! それで、俺は何をすればいい?」

「別に、そこに立って、目に映る光景を心に刻んでくれれば十分。これから見せるのは、あなたが真に美しいと思う風景。でも、ちょっとした前座はどうかしら?」


 瞬間、美しい世界が変貌する。種々様々の花が花弁を散らし、現れたのは見覚えのある風景。

 戸門学園駅のホームだ。普通の駅であるはずのその場所が、ティファレトの魔術のせいか、絶景にすら感じられる。


「あなたは今、無自覚で感情に蓋をして、自分が何を美しいと思ったのか、目を背けている状態よ。別にいきなり、あの光景を見せてもいいのだけど、心の準備は必要よね」


 散った花弁が寄り集まって、ホームに二つの人形が造られた。女性を模した花弁の像を、男性を模した像が押し倒しているかたちだ。


 花弁の人形は、どんどんその容を人に近づけていき、ついには、変色して、本物そっくりの状態になった。


 押し倒されている女性は雨季、押し倒しているのは俺だ。

 端から見れば、これからコトが始まりそうな様子だが、俺はこの光景を知っている。

 ついさっき、金星世界に来る直前に、こんな光景があった。


『頼む。俺の前で死のうとするな』


 そう発したのは、人形からの音声か、俺から漏れた呟きか。どちらにせよ、その言葉を噛みしめながら、ティファレトが笑っていることは変わらない。


「ふふ、大切なお友達を前にして、随分と酷い言葉ね。まるで、あなたの前でなければ、死んでもいいって聞こえるけど」

「……」


 ティファレトの言葉に何も返すことができなかった。

 確かに俺はあの時、雨季にそんなことを言った記憶はある。


 どうして自分がそんなことを言ったのか、理解できない。でも、あの時は自然にそう口が動いた。


「ふふ、それじゃあ次に行こっか。あなたが何を美しいと思ったのか、もう少しで分かるだろうから」


 言葉と同時に、またも花弁が舞い上がる。俺と雨季を模した人の型も、6:66を示す電光掲示板も全てが花弁に埋もれていく。


 そして花弁の吹雪が途切れると、またも見覚えのある光景が目に入った。


 視界を埋め尽くさんばかりの炎、炎、炎。花弁が形作るのは、小さな黒い怪物。ぶくぶくと太った腹を持ちながら、胸は肋骨が見えるほどに瘦せ細っている。


 そう、ここは俺が初めて自分の意思で向かった異世界。世界の名は餓鬼道。怪物の名は餓鬼。

 金星世界でとんと見ていなかった異形の光景がそこにあった。


「醜いわね。でも、ここにあるのは単なる人形。貪欲で醜悪な本物の餓鬼ではないし、見た目だけならどうということはないわ」


 一瞬だけ嫌悪を顔に出しながらも、ティファレトは軽く手を振るい、餓鬼たちを塗り替えていく。

 大きな変化はない。目で見て簡単分かる違いは、ティファレトが行動を起こす前と大して変わっていない。

 でも何故か、餓鬼の人形を見て醜いと思う感性が消えている。炎の世界も、黒い異形も、そして異形たちを屠っていく樹木の槍も、美しいものに見える。


「あなたが初めて、左腕から樹木の化け物を呼び出した場面ね。生命の果実を食べた怪物は、宿主の危機に姿を現して、この世界の餓鬼たちを殺しまくった。そして、その矛先は、あなたを守ろうとしていた女の子にも向かった。それであってるわね?」

「ああ。それでそれがどうかしたのか? 暴走についてはいく姉が何とかしてくれたし、既に片付いた問題なんだが」


 ティファレトの確認に首肯しつつも、俺は疑問の言葉を口にする。

 それをうけて、ティファレトが微笑んだ。


「ええ、そうね、知ってるわ。お姉ちゃんが頑張てくれたのよね? でも、今回はほら別問題よ。ねえ、見て」


 そう言って、ティファレトがその指を餓鬼の骸に向けた。脳天を、大きな枝が貫いている。他には……、


「何で皆同じ殺され方をしているの」


 言われて気づいた。ある者は眉間を貫かれ、ある者は脳を潰されている。多少の差はあれど、頭を狙っているということだけは共通している。


「カウンセラー室で暴走した時に、腕が真っ先に土御門の末裔を狙ったことからも分かるように、暴走中の腕も、ある程度は自分の意思で動かせた。その『ある程度』をあなたは咄嗟に頭を狙うことにしていた。初めての状況なのにも関わらずね」


 ティファレトがそう言っている間にも、樹木の巨腕は、炎の巨人型の人形を倒し、周囲の餓鬼を全滅させてしまった。

 この続きを俺はもう知っている。


 暴走した俺の巨腕、いやっ、『ある程度は自由に動かせる』巨腕は、その矛先を雨季に向けた。


 雨季は巨腕の攻撃に驚きながらも、後退してこれを躱そうとする。巨腕の指の先が雨季の首に向かった状態で、二つの人形が制止する。


 時刻が7:00を回り、異世界の夢から覚める直前で、人形たちは動きを止めたのだ。


「『もしも、あの時ああだったら』なんてことを考えるのは、過去を変えられるような魔術師に任せたいところだけど、もしこの時、雨季が後退しなかったら、あなた、彼女の頭を潰してたよね? 『ある程度自由に動かせる』のなら、指を横にずらすことくらいできたのに」


 またも声が出なかった。

 何日も前の一瞬にも満たない咄嗟の判断。そんなものを覚えられるほど、ここ数日は平穏じゃなかった。

 だから事実を、『巨腕の指先が横に反れるでもなく頭に伸びた』という事実を、否定できない。

 いや、事実を肯定したくないから、あの時の記憶を無理矢理頭から追い出した。


 もしかしたら、そんな認識の方が正しいかもしれない。それほどの困惑が胸の中にあった。


「ふふ、疑った、疑ったわね? 自分の認識を、自分の在り方を、自分の美を。私の言葉と過去の事象に負けて、常識で塗りつぶしてた自分の〈願い〉を垣間見たわね?」


 三度、花弁が舞う。ティファレトの笑顔が語っている。


 ここからが本番だと。ここが答えだと。


 魔術師が化けている彼女も、心の底から楽しい時は、ああいう笑いを見せた。

 一瞬、状況も何もかもを忘れて、かつて付き合っていたはずの少女に見とれる。


 その思い出を彩るように、花弁が背景を形作る。戸門学園駅。俺と彼女が、小等部の時から、何百回、何千回と使っている駅。


 現実世界で一樹の写真を見た時、軽い頭痛を覚えたが、それと同じような違和感が頭の片隅を貫く。


 行方知れずとなった一樹の存在を誤魔化すため、正義の魔術師が封じた記憶の欠片。大切だったはずの思い出たちが浮かんでは消えていく。


 それに気を取られていたせいで気づくのが遅れた。


 ティファレトの姿が本の少しだけ変わったことに。

 花弁が変化した空の色が、美しい茜色だったことに。

 魔術師が自分に見せようとしている光景の正体に。


『この度は、金星世界理想探索ツアーをご利用いただきありがとうございます。終点『木村命の考える美の極致』に到着いたしました』


 アナウンスめいた口調で、ティファレトが告げる。

 いや、訂正しよう。告げたのはあくまで、ティファレトが操る駅内の放送器具だ。


 目の前で人の姿をとっているティファレトは、口一つ動かしてない。

 手持無沙汰に動いてもいない。

 ただ、ホーム内のベンチに座り、穴のような目をこちらに向けている。


 その目にも生気がなく、生命なき人形に対面している気分になる。


 整理して、もう一度言おう。一樹に似た誰かが、生命のない様相で駅のベンチに座っている。


「うっぷ」


 口を押さえる。喉の底から込み上げてくるものを抑えるために。

 何が金星だ。何が美しい世界だ。これは単なる悪い夢だ。人のトラウマを暴いて悦に入るティファレトという悪魔の見せる、悪辣な錯覚だ。


『数日前、現実で同じ光景を見た時も、あなた同じ態度をとったよね? でも安心して、ここは私とあなたの二人きり。現実世界みたいに監視する人は一人もいない。だから我慢しなくていいの。常識なんかで塗りつぶさずに、思い切り吐き出していいの』


 駅のアナウンスから声がする。黙れ! こんなものが美しいわけがあるか! 


『強い言葉で否定しようとしても無駄。あなただって分かってるでしょ? この世界で、この美しき金星では、何人たりとも私に悪感情を抱けない。いくら理性を保とうとしたって、究極の美の前では無意味なの』


 ダメだ。イヤだ。理解するな。認めるな。納得するな。無理解を貫け。そうしないと、壊れる。

 この光景を、あの結末を、その概念を、『美しい』だなんて思うな


『見て、見入って、魅入られて これがあなたの願う〈美麗〉の最果て。多くの異世界を見たあなたが抱く最善の答えよ』


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………う、つく、しい」


 必死に抑えていた言葉が喉に収まりきらず、唇から零れる。

 眼前にあるのは、始まりの景色。


 一樹を、妹を助ける最強の駒を用意するために自分の生命を使った少女、丸生枝の遺体がそこにあった。


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