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12:夢の終わりと雨季

 部活が終わったのは5時半。ミコト先輩を待っていた時間を加味しても、戸門学園駅で皆と別れたのは、6時前。異世界の扉が開く時間はまだまだ先だ。


 いや、現在私がいるのも異世界で、ティファレトの魔術で理想の世界を体験しているだけなのだが、この世界が現実世界に属している以上、あの怪異もあるはずだ。

 しかし、


(あるはずではあるけど、どうなんでしょうね?)


 駅のすぐ近く。バスロータリのベンチに座りながら、私は空を見上げていた。


 実菜の手前、ミコト先輩がこの世界でどんな状態になっているかを聞けなかったため、今後の方針が浮かばない。


 そもそも、私とミコト先輩が理想の世界を見に来たのは、一樹さん捜索の情報収集のためだ。

 オカルト研究部のあの場に一樹さんがいれば、少なくとも超常の魔術を操るティファレトの予想では、一樹さんの救出は可能であると分かった。

 しかし、一樹さんはあの場にいなかった。別に、その事実がそのまま、一樹さんが救えないことを意味するわけではない。

 一樹さんが救われて、現実世界に戻ってきたとしても、オカルト研究部には入らなかったのかもしれない。そもそも、彼女は現状、異世界の中で一年を過ごしている。現実に戻れたとしても、日常生活に戻るにはリハビリが必要なのかもしれない。

 それでも、分からないという恐怖は、根拠の乏しい憶測を伴いながら膨張していく。


 ブ──ッ、ブ──ッ


 そんなことを考えていたら、スマホが振動し始めた。見ると、ついさっき入れたアプリからの通知のようだ。


『アプリ入れてくれてありがとーっス! これから、今まで知らなかったあーちゃんの趣味を丸裸にしていくんで、よろしくっス』


 どうやら、挨拶がてらに実菜が私にダイレクトメールを送ってきたらしい。キャラ付けの口調が、文面にも表れている。

 そういえば、現実世界でミコト先輩に無事のメールを送っていた時も、同じような文面だった気がする。


 慣れないアプリで見ているからか、そもそも彼女の文を見る機会が少なかったからか、微妙な違和感はある。

 でも、彼女から親しく接してもらえるというだけで、心が安らぐ。正に理想的な時間だ。


『そーっスよね! 理想的っスよね。苦労して構築した甲斐があったっスよ』


 そう思った瞬間、SNSアプリから実菜の使う文面で、実菜が絶対に発しえない言葉が届く。


「ティファレトか」

『ピンポンピンポーンっス! やっぱいいっスよね、理想。あーちゃんの場合、いや、あえて〈贖罪〉の魔術師の場合と言うっスけど、あなたが求める理想はどうやら『許し』なようっスね』


 心の底から愉快そうに、新しいメッセージが表示される。実菜との会話に割り込まれたような形だが、不思議と不快感はない。いや、この世界において、ティファレトに悪感情は抱けないのだろう。

 認識を新しくして、新しいメッセージを待つ。


『〈贖罪〉、罪を贖うという行為は何処まで行っても、許しを求める行為なんスよ。だから〈贖罪〉の魔術師であるあーちゃんが美しいと位置付けたのは、自分を許してくれるかもしれない存在、それがあたしと命先輩だったんスね』


 否定はしない。魔術師とは、その存在の全てでもって大願に臨む者だ。当然、その美的感性すらも、〈願い〉に関するものになる。

 私の〈贖罪〉の対象となっている人たちの中で、所在がはっきりしているのはミコト先輩と実菜の二人だけで、実際、許しを得られる可能性があるのも、この二人だけである。

 ティファレトがこの二人の姿をとったのも、私のそういう感性を反映させてのことだろう。


「それじゃあ、なんであそこに一樹さんの姿が無かったのかしら? やっぱり、もう一樹さんは亡くなってるの?」


 DMを返すのではなく、誰もいない虚空に向かって問いを投げかける。この理想の世界は、全てティファレトの権能によって構成されているのだから、問いかけはこれで十分のはずだ。

 実際、さっきは私の呟きに反応していた。


『う~ん、残念ながらそれに関しては何とも言えないっスね。理由は、あーちゃんが一番理解してるんじゃないっスか? 先輩と同様、気づかないふりをしているだけで』


 はっきりとしない答えが、スマホの画面に表示される。

 連続して、メッセージが送られてくる。


『う~ん、結局のところ、あーちゃんが一樹さんのことを気にするのは、彼女を助けることが、命先輩への〈贖罪〉に繋がるからっスよね。だから、〈贖罪〉が叶ったこの状況において、あーちゃんは一樹さんの生存には関心がないってことっスよ、多分』

「えっ」


 言われた瞬間、頭が空白で埋まった。すぐに否定しようとするが、言葉が出てこない。否定する要素が見当たらない。


 今までの私にとって、ミコト先輩への〈贖罪〉と、一樹さんの救出はほとんど同義だった。この二つを切り離したとき、果たして後者に意味があるのか。


 考えたこともなかった。だけどおそらく、先ほどの光景こそがその答えなのだ。

 頭ではそう理解するが、感情がそれについていかない。


「まあ、情報集めにはならなかったけど、自分の願いを見つめ直すいい機会にはなったんじゃないか?」


 困惑する私の後ろから、誰かが話かけてくる。見るとミコト先輩が立っていた。

 この発言は明らかに、ミコト先輩のものではないが。


「一樹のことはもういいよ。今でも助けたいのは本当だけど、もうこれ以上魔術師と関わりたくもない。最初から言ってるけど、俺はお前を恨んじゃいない。だから、気に病まないでくれ

 俺本人に、そう言ってほしいんだろ、お前は?」

「何の用かしら? 私の理想に割って入るなんて、とても美しいとは思えないんだけど」


 ミコト先輩の形をしたティファレトの問いかけには答えず、質問を重ねる。

 ティファレトは私たちに対し、美しいことしかできないと言っていた。

 何を持って美しいとするかは曖昧だが、劇を見ている最中に運営の人間が割って入るような光景は、あまり美しいとは思えない。

 理想に浸っていた意識が、無理矢理に現状へと戻される。


「たしかに、それはそうなんだが、終わりの挨拶には脚本家も舞台に上がるだろう。遊園地みたいに言うなら閉演のお知らせ。夢の世界から現実世界への案内は、多少無粋でも美しいものには必要な事象だよ」


 その言葉が意識に上ると同時に、駅前の時計が変化する。

 数字は1から10まで、それぞれの数字の合間には10個の目盛りがある。1時間が100分ある時計。

 その針が6時90分を示している。


「私の感覚だと、もうこの理想の世界で過ごした時間は2時間以上になってるはずなんだけど、まだ最初に電車に乗ってから25分も経ってないのね」

「俺がお前の時間感覚をいじって、滞在時間を超過させたけど、ここらが限度だ。理想の世界はここら仕舞いだよ」


 ティファレトが終わりを宣言すると同時に、世界にヒビが入る。理想の世界が崩れていく。


「限度って、まだ90分でしょ? 私たちが異世界から去るまで、あと10分あるわよ? まあ、私はこれ以上ここにいても得る者はないでしょうけど、ミコト先輩の方までこんなに早く終わらせる意味はないと思うんだけど」


 この言葉はもしかしたら、単純に私がこの居心地のいい世界にしがみついているだけかもしれない。

 それでも、電車に乗るまでの時間を含めても、異世界にいる時間は40分しかないのだ。10分前に終わらせるのには違和感がある。


「……? ああ、そうか。お前からしたら、そういう終わりの方が理想的か。でも残念ながら、ここが終わる理由はそうじゃない。もっと単純で、簡単で、残酷な理由だよ」


 私の言葉に一瞬だけ首を傾げたティファレトは、納得を示してから、私の考えを否定する。最後に言われた「残酷」という言葉だけが、耳に残る。


「そう、どうしようもなく単純な答えだ。この理想はたった今、有り得ない空想へと置き換わった。ほら、あのように」


 世界のヒビが、理想の破壊が、全て一つの方向へと進んでいく。戸門学園駅のホーム。現実世界で異世界への入り口にあたる場所。


 ティファレトが示したその場所は、たったの数秒で、亀裂しか見えないほどに壊れてしまう。


「はは、ここに来る前にあの人間モドキに言われたはずだよな? 『木村命が自分の狂気を自覚するのを一番避けたい』って。なら、残念だけど、私の誘いに乗った時点で、いや、この金星世界に来てしまった時点で詰みだ。

 俺の美しい世界は、無自覚の感性を、隠された狂気をも暴き出す」


 亀裂の量が限界を超え、駅の光景が崩れていく。落ちた破片は消えてなくなり、後には、見覚えのある、しかし決して、今この場では見えてはいけない光景が見える。


「どう……して?」

「これにて彼は願望を自覚した。俺はさ、自分の望みのために邁進する人を、己の全てを懸けて、大願を為そうとする魔術師の在り方を〈美しい〉と思うんだ。だから、この世界に迷い込んだ人に理想的な景色、無自覚の〈願い〉を自覚させる世界を見せて、ただの人を、自身の感じる美の極致に至らんとする魔術師に変える。

 お前たちが元の世界に戻るまで、およそ10分、それまでの間に」



「美しい光景が見られそうだ」

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