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10:金星と雨季

「『人によって何を美しいと感じるかが異なるなら、人によって自分がどう映るかを変えればいい』そんな発想に至ったんスよ」


 美しい世界を歩きながら、美しいみっちゃんの容姿をとった美しい魔術師が、ニヤニヤと笑った。


 彼女が話すのは、変化の魔術の究極ともいえる美しい魔術理論。自分の容姿を、相手の思考によって変質させ、常に相対者が美しいと思う存在であり続ける。


 言葉にするのは簡単だが、実際はとてつもない魔術の力だ。私の隣には、美しいミコト君の姿があるが、彼の美しい目は、私のそれとは違うものを映しているらしい。


 私はティファレトを名乗る美しい魔術師はみっちゃん、もとい実菜の姿で認識しているが、彼は一樹さんの姿で認識している。

 その認識の差異は、美しい容姿だけではなく聴覚にも表れている。声紋の違いだけではない。口調そのものが、異なって聞こえるのだ。


 認識を誤魔化す魔術はこの世に数多くあれど、こんな現象を生み出せるのは美しい彼女一人だろう。


 おぞましく思えるほどの魔術の才だが、最も恐れるべきは、ここまでに至る全ての事象を美しいと認識していることだ。


 大した認識のできない周囲の空間。彼女の動作の一つひとつ。さらには、この世界とは関係のない、私やミコト君の身体ですら、美しいとしか思わない。

 美しい以上の認識が出てこない。


 例えここで、ティファレトが凶器をとりだし、私たちに襲い掛かったとしても、私たちはただそれを美しいものとしか認識できず、生命が絶たれるまで何の防御も回避もできないだろう。


 今、こうやって考察しているのも、恐ろしいから、死にたくないからなんて理由じゃない。ただ、美しいもののことをもっと知りたい、もっと触れたいという欲望。魔術師の狂気を思わせるほどの熱烈な〈願い〉が、この思考の原動力だ。


「はは、心配しなくても襲ったりなんてしないっスよ! あたしが美しいとしか認識されないのは、根本的にあたしが美しいことしかしないからであって、美しくないと思われる行動はとれないし、とれたとしても、〈美麗〉を願う身としては、したくないっスね」


 聞きなれた実菜の口調のまま、ティファレトが笑う。


「もっとも、命先輩やあーちゃんが襲われることを美しいと思うドMなら別っスけどね」


 茶化すように、バカにするように、ウザい口調が、美しい世界に木霊する。


 ティファレトが言うには、ここは金星世界。宇宙の中で、地球に最も近い異世界らしい。

 異世界と一口に言うが、実のところ、この定義は曖昧だ。

 そも、世界という言葉が示す範囲が、人によって異なる。


 飛行機で、各国を飛び回っている人からすれば、地球すべては一つの世界だろうが、日本から一歩も出たことのない学生からすれば、名も知らぬ海外の国など、異世界と言っても過言ではない。


 ここで重要なのは、単純に距離が離れている場所も、異世界いえる部分があるということだ。

 実際、原初において、海の向こうや地平の果ては異世界だった。聖書においては、東の果ての楽園エデン。道教においては、桃源郷や蓬莱などがそれにあたる。

 これらは、真っ当な手段では決して辿りつけぬ場所。まさに、異世界と呼べる世界だった。

 しかし現在、人の開拓は地表すべて、さらには月にまで伸びている。火星にさえ、辿りつく目戸はたっている。

 そういう意味では金星は、最も近い異世界なのだ。


 黄泉や餓鬼道のように、生命の有無で隔たれているのではなく、樹木の異世界のように、生命という概念の有無で隔たれているのではなく、単純な距離。最短でも4200万キロメートルという絶大な距離によって隔たれた、前人未到の美の極致、それが金星という異世界だ。


 そう、前人未到。たった一人、目の前にいる実菜の姿をした美しい魔術師を除けば、


 彼女は最初、私たちに対し「歓迎する」と言っていた。この言葉から、彼女は地球ではなく、この金星世界を根城にしていることが分かる。

 私たちみたいに、異世界を垣間見る夢によって行きつくだけでは、そんなことは到底無理だ。

 彼女は4000万キロメートル以上の距離、光速ですら瞬時には移動できない距離を渡り、そして、金星における自分の生活圏を、人の住める美しい世界に塗り替えたのだ。

 外国語の金星がヴィーナスの名を冠することからも分かるように、金星を美の象徴とする信仰は確かにある。

 その信仰のエネルギー、すなわち魔力を魔術に昇華するのは、確かに可能だし、実際にそういう魔術も実在する。

 それでも、ティファレトがなした超常は、人の、魔術師の起こしうるそれを超えている。


「この異世界のことはなんとなく分かったけど……、結局、あなたは何者なの? ティファレトなんて、どう考えても本名じゃないと思うんだけど」

「あー、あーちゃん、いけないっスよ~! 女の秘密を暴こうなんて、そんな醜悪な行為は此処じゃ禁忌中の禁忌。タブーっスよ」


 美しいものを知りたいという欲求を満たすためか、もしくは、わずかに残った理性が、危険性を測ろうとしたのか、私の口から飛び出した言葉に、ティファレトは過剰なまでのしかめ面を浮かべた。


 やんわりと、しかし有無を言わせぬ美しさをもって語られた拒絶。


 世の女性が、化粧だの保湿だので美しさを磨くのと同じ調子で、〈美麗〉の魔術師は、美の象徴たる星に移住したのだろう。スケールの大きさに眩暈を覚えるが、魔術師としての在り方としては納得できる。

 そんな力を持った魔術師がどこの誰だったのか興味は尽きないが、それに触れるのは、難しいようだ。

 名を明かすのに慎重なあたり、名を縛る呪いが健在だった時代、千年以上も昔から生きているのかもしれない。


「ごめんなさい。えっと、それじゃあ、そう一樹さん! 一樹さんのこと聞かなきゃ」


 地雷に近づいた話題を無理矢理反らしながら、私は自分たちがここに来た根本の理由を示す。

 今まで、電車の行きついた先にいたのは、(黄泉で戦ったあの魔術師を除き)言葉も通じず、コミュニケーションもとれなかった。まともな情報収集ができる相手じゃない。


 しかし、目の前の少女は、言葉が通じる。ならば、少しでも……


「あっ、そうだな。えっと、一樹の姿をしてるアンタに聞くのも変なんだが、今お前が擬態している女の子に心当たりはないか?」


 私の言葉を引き継いで、ミコト君が口を開く。彼からすれば、一樹さん本人に一樹さんの行方を問うような状態なんだろう。戸惑いというか、違和感というか、そういった感情が言葉の節々から滲みだしている。


「う~ん、自分は心当たりないっスね。あっ、詳しい説明は要らないっスよ。先輩たちがこの世界に来た時点で、色々と心の中見せてもらったんで、先輩たちの事情から、小さい時の恥ずかしい話まで全部把握済みっスよ」


 先輩の問いかけに、ティファレトは本家以上のウザさを見せつけながら、助けにはなれないことを示す。

 人の美的感覚に対応して姿を変える以上、対象の心を読み解く必要はあるだろうが、どうやら根っこの部分まで読み解かれているらしい。


「あ~、でも、あたし自身は兎も角として、この世界はお役に立てるかもっスよ!」


 そう言うと同時に、ティファレトが腕を振るう。瞬間、美しい以外に理解不能だった周囲の風景が花畑に置き換わる。


 色とりどり、種々様々な五弁花が視界全てを埋め尽くす。

 本当に、「埋め尽くす」だ。ティファレトとミコト君を除いた視界の全て、天も地も、何もかもが鮮やかな花弁に覆われる。


「あたしの指示ひとつで、この世界は姿を変えるんスよ。美しいという在り方だけは変わらないんスけど、先輩たちが美しいと認識するものなら、どんな理想も、どんな空想も、見せられるっス」


 得意げな顔をしながら、美しい少女は言葉を並べる。それがどう、一樹さん捜索の役にたつのかは分からないが、彼女の言葉は続く。


「えっと、役に立つところを抜粋するんスけど、あたしの見せる理想は、実現可能なものしか見せないんスよ! 起こりうる未来の最高値、実現したいと願う最善の目標、それがあたしの見せる理想っス! その一樹さんってのを助けるのが可能かどうか判別できるかもしれないっスよ」


 こんなことを言われて、胡散臭いより先に美しいという感情が浮かぶ当たり、致命的だ。

 根本的に、ティファレトが私たちにとって「最も親愛の置ける相手」の姿をとっていることが致命的だ。

 ただでさえ美しい世界のせいで思考力が下がっているというのに、その姿が無理矢理に私から警戒心を奪い去る。


「心配しなくても、騙してなんかいないっスよ! ウソなんて醜悪なこと、あたしはしないっス」


 冷静に考えれば、今の言葉だって本当とは限らない。しかし、言葉の一つひとつ、表情の全てが、彼女の言葉が本当だという印象を与えてくる。

 だから、結局、


「それじゃ、お願いするよ。えっと、俺たちはどうすればいいんかな?」


 私が口にする一瞬前に、ミコト君の方が先に決壊した。

 そもそもの話、ティファレトの魔術が私たちの精神に多大なる影響を与えている以上、この世界での決定権は、全て彼女が持っている。

 そんな彼女の提案を断る術を、私たちが持っているはずもないのだ。


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