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9:悪い夢と雨季

 ガタンゴトン、ガタンゴトン


 甘美の音。このまま進めば、救いが訪れる。あと少し、あと少しで……



「危ない!」


 ハッピーエンドの直前で、世界が揺れた。単純に後ろから引っ張られただけだと気づいた時には、夢の微睡は、消え失せていた。


 異世界の入り口たる戸門学園駅のホーム。目の前を豪速が過ぎる。


 異世界に向かうための電車。ホームに入って減速してはいるが、それは人の肉体を真っ二つに切り裂く位の速度と質量を保っている。


 あのままいけば、自分がそうなっていたのだろう。本当に、そうなっていればよかったのに。

 夢の微睡が消えても、悪夢による発作は止まらない。ガタンゴトンという車輪の音色は、今でも甘美な音楽のように聞こえてくる。


 走っている電車に誰かが向かっていったら、誰だって止める。反射的に手が伸びる。「誰か」が知り合いなら尚更に。

 だから、私を引っ張った少年のことを責めることはできない。

 でもこの発作は、力で押さえつけられた程度で止まるものじゃない。


 瞬間、どうしようもないほどに何かが、私の中で崩壊する。


「イヤだ。もうイヤなの! 罪の意識に目を背けるのも、正面から向き合うのも懲り懲り! お願い逝かせて!」


 この言葉を彼に向けるのは、絶対にあってはならないことだ。

 服を掴む彼の腕が静かに揺れる。


 これはどうしようもなく身勝手な行為だ。自分の狂気、自分の在り方そのものに逆らい、逃亡しようする発作。

 辛うじて残った理性が、「これは〈贖罪〉じゃない」と訴えている。でもダメだ。

 ガタンゴトンという甘美な音が、そんな理性を押しつぶす。


「うっっ」


 鬼気迫る私の様子を見て躊躇ったのか、服を引っ張る力が不意に弱まる。

 余りにも唐突な力の変化に、私もバランスを崩してホームに転がる。


 終わりを告げる車輪までは、あと数十センチ。


「止めてくれよっ、危ないから!」


 私が再び動き出そうとすると、彼が覆いかぶさる形で、それを阻む。

 怪物の根を疑似的な筋肉に変えた膂力で、私の四肢をホームの床に縫い結ぶ。


 ビックッ


 一瞬、電車の速度が刻々と下がっているのも忘れて、身体が震えた。恐怖に酔った精神が、更なる恐怖によって冷え込んだ。

 想起したのは昨日、忘れていたものを思い出した直後の記憶。

 溢れだした自責の念に押しつぶされていた時、私は目の前の男に嬲られていた。


 今、目の前にいる彼と、あの男は別人だ。そんなのは分かっている。分かってはいるが、二人の見た目は酷く似ている。

 恐怖の上に恐怖が重なり、寒気が全身を駆け巡る。


「頼む。俺の前で死のうとするな」


 男の声。昨日私に恐怖を植え付けた男からは絶対に飛び出ない震えた声。

 それでようやく、自分が助けてられたことに思い至る。


 服を掴んで身体を引っ張り、動く電車から無理矢理に離す。

 電車の前に身を晒そうとした私への当然の対応だ。頭に血が上っているのか、私が恐怖に固まっていたことには気づいていないようだ。


「頼むよっ」


 私の腕を掴む手と声が震えている。彼も、突然の出来事に戸惑ったのだろう。

 ついさっき、ここに来る前に「落ち着いた」と言ったばかりなのに、この様だ。


 夢の中、自分の罪を改めて突きつけられて不安定になっていたという理屈はある。でも、それでも最悪な手段で逃げようとしていたのは言い訳のしようはない。


「別に俺はお前を恨んじゃいないし、実菜だって事情を聞けば納得するはずだからさぁ、だから、し……、死なないでくれよ」


 震えに震えた声で、少年は言葉を重ねてくる。頭では別物と理解は出来ても、この状態は怖気が走る。

 今すぐにでも脱したい。


「わかった。わかったから……」


 沸騰しそうな血液が頭に上り、声がでなくなる。しかし、バカなことをしでかしたことによる引け目と未だ身体に残った恐怖が、暴力的なまでに筋肉を硬直させる。


 それでも、私が何か反応しないと、この状況を脱せない。だから、


「わかったから、離れて」


 漏れだす震えを抑えながら、意思を伝える。

 すると、


「わ、悪い」


 ようやく言葉が耳に入ったのか、少年は若干頬を赤らめながら、飛ぶように退いていった。


 ふっ、と息を吐く。

 半分以上、というかほとんど自分のせいなのだが、余りにも唐突に色々起きすぎた。というか、お互いに冷静さを失っていたせいで気づかなかったが、とっくに電車は停まっているはずだ。だから、何ら危険も……


『ドアが閉まります。閉まるドアにご注意ください』


「えっ?」「えっ!?」


 聞こえてきたアナウンスに、私も彼も驚きの声を上げる。

 顔を上げた時点で、ドアとドアの間には人の入れるスペースは残されていなかった。


 異世界に向かう列車が、誰も乗せずに動き出す。


「…………」

「これ、どうなんの?」


 私に聞かれても分からない。

 困惑のままに時計を見るが、電光掲示板には6:66と記されていて、アナログ時計は一週を100分割していた。


 つまり、未だ異世界に向かう夢の中。しかし、異世界へ向かう電車はもう行ってしまった。


 その時である。


『続きまして、一番線に、6:66発、各駅停車■■■行きが参ります。危ないですので、黄色い点字ブロックの内側までお下がりください』


 アナウンスが聞こえ、同時に、ガタンゴトンという音が、先ほど電車が去っていったのと、同じ方向から聞こえてくる。


 初めて彼と、ミコト君と話すようになった時、彼は自分の家から電車に乗り、ホームの逆側から現れた。

 当たり前のことだ。戸門学園駅には、()()()()()()()()()()()。そういう駅のホームは、ホームの左右で行く先が逆になる。

 私たちが今まで使っていた二番線の下り方面だけでなく、一番線の上り方面も、このホームに停まる。


「下ではなく上へ」


 私と同じことに思い至ったのだろう。ミコト君が同じことを呟いた。昼間に、〈進化〉の魔術師がそんなことをミコト君に言っていたらしい。


 今までの異世界を振り返る。

 動く森。黄泉。餓鬼道。いずれも、地下か、ほとんど地表と同一の場所であった。


 すなわち、下り方面。


 ならば、上り方面はその逆、天上の地へと赴くための電車だ。


(これは、当たりかもね)


 一樹さんを攫った魔術師が誰かは知らないが、異世界にまで行って、そいつが求めたものがあるはずだ。


 魔術師が求めそうなものは、上と下のどちらにあるか。確定的なことは言えないが、傾向としては、上の方が公算は高い。

 そうでなくとも、下、もとい地下というのは、多くの神話において、死後の世界が広がる場所だ。

 一応は、同質の目的を掲げているあの魔術師と手分けをすると考えても、上を探した方が、効率がいい。


 〈進化〉の魔術師の掌の上で踊らされている感覚は否めないが、上の探索は、やるべきことだ。


「ミコト君」

「ああ、行こう!」


 ちらりと時計を見る。

 アナログ時計の秒針は、未だに一番上に回っていない。時の概念が壊れた夢のなかでは、1分も100秒あるのだ。

 6:66は未だに続いている。


 アナウンスが響き、上り方面の電車が入ってきた。



「あいつに『下ではなく、上を目指すといい』と言ったそうだな、〈進化〉の」


 時刻が7時、駅の怪異のことを考えると、6時60分になる少し前、二人と別れ、鬼面を付け直した私は、同僚たる魔術師を問い詰めていた。


「ええ、〈接続〉の目論見が成功したなら、役割分担はしっかりすべき。教師として実にいいアドバイスをしたと思いますよ、〈正義〉殿」

「それを信じられると」


 具体的にどういう研究かまでは知らないが、こいつの研究対象は、木村命に取り付いた植物らしきものだ。

 ともすれば、こいつにとって木村命は、絶好のモルモットだ。手出ししないわけはない。


「ご心配なく、アナタがカウンセラーであるように、私はこの学校では、魔術師である前に教師だ。後進の育成は〈進化〉への礎。これを疎かにする私ではありません」


 胡散臭いことこの上ない口上をたれて、金髪の魔術師が微笑む。彼の言葉に嘘はないだろうが、企みはある。わざわざ、「この学校では」と場所を限定したのがその証拠だ。


「後進の育成。はは、本当に大事だよね、そーゆーの」


 ワタシがさらに問い詰めようとした寸前、不愉快な笑い声が聞こえてきた。

 声の主は無論、戸門春秋。自らの善行を盾に悪逆をなす下衆の極みだ。

 傍らには、〈笑顔〉の魔術師も控えている。


「これは春秋様。接近に気づかずご無礼を」

「はは、今、すごい貶された気がするけど、気のせいということにしておくよ」


 頭を下げると、ワタシの心を見透かしたような声が聞こえてくる。

 もっとも、ワタシがこのクソ上司を貶してない時はないので、「今」という発言は間違っているが。


「それで……、そうだ! 後進の育成の話。素晴らしいよね、二日連続で魔術師が生まれるなんて。後進の育成、頑張ってくださいよ、せんせっ」


 ゾワッ


 上機嫌な言葉。しかし、そこに込められた意味は、無視できなかった。

 二日連続。昨日は雨季だ。では、今日は……


「知りたいかい? といっても、正確ではないんだけどね。既に彼は魔術師と呼ぶにふさわしい力を得ている。しかし、魔術師は狂気によって力を得るけど、彼は狂ってない。

 でも、逆に言えば、彼は自分の狂気を自覚しさえすれば、それは魔術師と何ら変わりはないんだよ」


 狂気の果てに力を得るか。力を得た後に狂い果てるか。この二者は、過程は異なれど、行きつく結果は等しい。

 ならば、狂気を自覚した木村命は、広義の意味で、魔術師と呼ぶのに相応しい怪物になる。


 しかし、重要なのはそこではない。彼が今日、狂うと、今、クソ上司はそう言ったのだ。


「雨季君は魔術師になったばかりで不安定だ。異世界へ行く途中に見る夢で壊れるだろう。そして、凶行を木村命君が防いでいる内に電車は行ってしまうだろうね。

 そうしたら、否が応でも、上り方面の電車に気づくはずだ」


 まるで、見てきたとでも言うように、下衆は言葉を並べ続ける。


「彼らは電車に乗るだろうね。〈進化〉の言葉を警戒するかもしれないが、それでも乗ってみるはずだ。問題は、電車がどこへ繋がるか。今回は丸生枝君も手出しできないだろうし、どこにも縁は繋がってない」


 汗が噴き出る。彼らに窮地を伝えようにも、もう時間がない。駅に向かう前に、7時が来る。


「というのはウソで、希薄ではあるけども縁はいくつかある。例えば、雨季君が電車に乗る前に時計を見て6:66を確認したらどうなるだろうね?」


 ああ、ダメだ。二人とも、そこに行ってはダメだ。


「完全なる6が示すは無限の美。人を越えた神秘を手に入れた十一の魔術師。その六番目が住まう場所」


 十一の魔術師。それは黄泉の(あいつ)も数えられる、魔術師の極致。しかも、六番目。


 心の底から言おう。ことこの状況において、六番目は最早、(あいつ)よりも厄介だ。


 日が陰り、夜を待っていた星々が輝き始める。

 宵の明星は、残酷なほどに、茜の空を照らしていた。



『■■■、■■■。開く扉にご注意ください』

「えっ??」


 ドアが開くと同時に困惑が訪れた。

 今まで、動く森だの、炎の世界だの、色々な異世界を見てきた俺だが、それらと比べてもこの光景はおかしかった。


 美しいのだ。


 いや、正確に言おう。美しいとしか理解できないのだ。目の前に何があるか。どんな音がするか、どんな匂いがするか、どんな形なのか、どんな色なのか。

 何一つ分からない。何も理解できないのに、美しいという感想だけは飛び出した。


 まるで、眼前に広がるナニカが『美』という概念そのものだというように、美しいという感想しか頭のなかに上ってこない。


 そして、その無理解すらも、美しいと考えてしまう自分がいる。


「ねえ、あれ……」


 横から、美しい声が聞こえてきた。その美しい指が示す先を見ると、無限ともいえる美の奥に、美しい少女が佇んでいた。


(生枝先輩に似ている?)


 正直に、そう思った。全体的にゆるゆるふわふわした美しい雰囲気も、その美しい目鼻立ちも生枝先輩にそっくりだ。


 しかし、似ているだけで、そのものではない。そう、それは、生枝先輩の姉妹の美しい顔。それ、そのものだ。


 ならば、答えは一つだ。


「い……つき?」


 もはや、困惑に震える自分の声すら美しく聞こえる。その美しい声が向こうの美しい少女にも聞こえたのか、彼女はその美しい手を振っている。そして、


「こんにちは! そして、ようこそ、美しき金星世界へ! 私は〈美麗〉なる魔術師ティファレト。歓迎するわ、美しき人の子たち」


 どうしようもないほどに美しい声が、聞こえてきた。

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