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悪い夢4

 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかった、あの日の夢を。


 雨の降るトイレの個室。雨除けの呪を使っているというのに、目元には水滴が浮かんでいた。

 今、ホースで雨を降らせているのは同じクラスの少女たち。下卑た笑い声は、最近兄の護衛についた魔術師に似ているが、明確な悪意がある分、こちらの方が幾分か不快だ。

 個室から出ることもできず、しばらくじっとしていると、雨が止み、少女たちが立ち去っていった。

 それでも、誰かがいる。ドアの向こうでじっとこちらを窺う視線が、ありありと感じられた。

 濡れていないことに関する言い訳を考えつつドアを開く。そして、


「あたしは月石実菜。二年のBクラスっスよ」

「……アマキ、戸門雨季。Sクラ……じゃなかった。二年のCクラス」



 いくつかの会話のあと、後に親友となる少女が、その距離を詰めてきた。


 それから時は流れ、去年の四月。


「あーちゃん、あーちゃん!!」


 後ろから、やかましい声が聞こえてきた。誰かを呼んでいるのだろうが、軽い愛称に対し、その声音は重い。

 ケンカをした友達を呼び止めているようだ。

 まあ、自分には関係のない話だ。Sクラスを離れてから半年近く経つが、友達と呼べそうな連中は一人もいない。ろくに思い出が残っていないあたり、相当一般人の学び舎に興味がないようだ。

 しかし、


「あーちゃん、あ、あっ、雨季!!」


 手首を掴まれるのと同時に、私の下の名前が呼ばれた。

 振り返ってみると、見覚えのある顔が目の前にあった。


(ああ、たしかこの子は)

「あたし、謝るっスから!」


 私が言葉を告げる前に、少女が急に謝ってきた。必死の形相に、思わず気圧される。そして、少女は勢いそのままに、言葉を並び立てていく。


「あいつらのこと、ずっと黙ってたの、本当にごめんっス! この前、ポテトとナゲット食べてた時に心配してくれてたっスけど、あたし、あーちゃんを傷つけないことに必死で、自分にまで被害が及ぶのを言えなかったんスよ。ああ、大丈夫っスよ、あたしがされた嫌がらせなんて大したことないし、これ以降も、あたしの目が黒いうちはあいつらに手出しさせやしないっスから、だから、責任を感じないでほしいっス! あいつらがあたしを攻撃するようになったの、別にあーちゃんのせいだとは思ってないし、嫌いにもなってないっス! だから、一緒にいてください。一人で受け止めるのはきついっス」

「……えっと」


 感情のままに、勢いのままに、整然とした理論も何もなく、少女は言葉を並べ続ける。強い何かで押し寄せてくる言葉は、しかし、私の返事一つで壊れそうなほどに、儚げだった。

 だけど、それでも、


「何のこと? というか、どちら様?」


 救いを求めていた見覚えのある、しかし、見ず知らずの少女の腕を軽く拒んだ。

 力強く掴んでいたはずの手が、もろく解ける。そして、改めて少女に向き直った。


 やはり、さっき廊下でイジメられていた少女だ。通り過ぎる時に一瞬だけ目があったのを覚えている。

 ただ、面識はそれだけ。ただ、顔に見覚えがあるだけの、ただの他人だ。

 きっと、目が合った私に助けを求めに来たのだろう。同情はするが、迷惑な話だ。


 あの子じゃないんだから、他人を助けるような酔狂も優しさも、私にはないんだ。


「あーちゃん??? えっ、どうして???????」


 壊れたように機能停止する少女に背を向けて、廊下を進む。もう少しで、Sクラスに戻れる。

 暦の上では、半年近くも一般人と混じって勉学に励んでいたわけだが、本当に興味がなかったのだろう。その間の記憶は、ほとんど頭から抜けていた。


「そいつは都合の悪いことがあったら、全部無かったことにして、少し心に留めないクズなんです! 自分だけズルして楽な道を選んで、関わった人間には、どうしようもない重荷を背負わせる地雷女なんです! だからっ」


 遥か未来で、自分が裏切った少女にこう言われ、心を壊すことになるなどとは、この時は、全くもって思っていなかった。



 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかった、あの日の夢を。



「あなた、誰?」


 異世界に向かう電車の中で、唐突に入ってきた一般人に私はそう尋ねた。


「えっと、俺はミコト、木村命だ。2年D組の」






「あなた…………だれ?」


 数日経って、私は彼に同じ質問をした。何の悪気もなく、何の引け目もなく、簡単に彼を傷つけてしまったのだ。



 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかった、あの日の夢を。



 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかった、あの日の夢を。



 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかった、あの日の夢を。



 夢を見ていた。

 夢を見ていた。

 夢を見ていた。

 夢を見ていた。

 夢を見ていた。






 今を見ていた。全ての罪、全ての咎、全ての思い出。何もかもを思い出した、最悪の今を。



「ごめんなさい」


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい


 そんな言葉じゃ足りない。これは〈贖罪〉じゃない。それでも謝ることしかできない。

 月石のおばさんもおかーさんも、もうこの世にはいない。

 ともに公園を走った少年も、とっくに死んでいるだろう。

 その他、多くの人たちも、私と関わり、そして忘れられたことで、拭い難い傷を負った。


 みっちゃんが、実菜がその最たる例だ。ミコト君だって、私の事情を把握しているからこそ平静としているが、私が彼をどれほど傷つけたかなんて、計り知れない。


 私は巻き込まれただけだと、私は悪くないと、どこかで悪魔が囁いている。

 捕らえようによっては、それは真実なんだろう。実際、ミコト君はそう認識して、全ての罪過は冬夜兄様にあると思っているだろう。


 そう考えれば、救われる。そう信じれば、罪の意識に苛まれなくて済む。

 でも、でもでもでもでもでも、それは同時に逃避でもある。私と関わったばかりにつらい目にあった人たちから、恨む対象すら奪う暴挙である。

 ああ、ダメだ。目を背けられない。

 回想の夢が、表面上は立ち直りかけてきた意識を、再び罪悪の泥の中に落とす。


 イヤだ。こうじゃない。私はこうなりたくて、月石のおばちゃんに懐いたんじゃない。おかーさんと遊んだんじゃない。男の子と逃げたんじゃない。みっちゃんと友達になったんじゃない。ミコト君と出会ったんじゃない。


 罪の意識が私を呑み込む。鳥かごのように、牢のように、私を地獄に閉じ込める。

 ああ、逃げたい。己が罪を、抱えきれない咎を、誰かに押し付けていなくなりたい。

 でも、逃げられない。私の意識の全てが、ここから逃げ、のうのうと生きていくことを拒んでいる。


 罪を抱えて生きていくのも、罪から目を背けて生きていくのも耐えられない。どちらも、最早魔術の苦痛よりも怖い。


 ガ……………、…タ…………


 ふと、何かの音が聞こえてきた。

 何の音だろう。罪に耳を穢されて、正確に聞き取れない。


 ガタ…………、……ンゴ……


 唐突に気づいた。これが救いだと。

 どうにも逃げ場を失った私の救いだと、何となく認識した。


 ああ、そうだ。そこに逃げれば、もう罪の意識に苛まれることもない。苛まれる意識が無くなれば、背ける目が無くなれば、全てが丸く収まる。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン


 そうだ。日本の最大の刑罰はこれじゃないか。私はこれによって裁かれるのだ。決して逃げるのではない。


 これは、言い訳だ。ついさっき、昼間に自分自身で否定した行動を、もう一度行うために、認識を繕ったのだ。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン


 甘美の音。このまま進めば、救いが訪れる。あと少し、あと少しで……

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