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悪い夢3

 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかったあの日の夢を



「はあ、はあ、ここまで来れば……」


 肩で息をしながら、私はそう呟いた。

 多少、時を前後する。これは、プリンを悪党に台無しにされた3年後。まだ私が7歳の時の話だ。


 夜。子供たちを縛るお帰りチャイムなる呪いはとっくのとうに鳴り響き、幼い頭では異世界のようにすら思える宵闇の中を駆けている。


「ハァ、ハァ、ハァ」


 すぐ後ろから、私と同じような荒い息遣いが聞こえてくる。振り向くと、私と同じくらいの歳の少年が、苦しそうな表情を浮かべていた。

 完全に呼吸困難に陥っている。


 どれだけ走っただろうか? 戸門学園のある場所からずっと走って、駅を幾つも越えた。

 いくら魔術の補助があるにしても、子供が休みなしに走るのは、ここらが限界だ。魔術使いではない背後の少年は、とうに限界を超えていることだろう。


「ちょっと、休もうか」


 丁度、近くに公園が見えた。あそこなら少しは落ち着くことができるはずだ。

 少年の手を引っ張り、公園の中に入っていく。


 鬱陶しいほどに明るい街灯が、公園の景色を映し出す。

 ベンチには数人の人影。多分、偶然居合わせただけの一般人だ。


「……ねえ、あの子たちって」

「わっ、コスプレじゃん! かわいー!」

「でももう、10時よっ。危なくないかな?」

「大丈夫だろ。すぐに親が追ってくるだろうよ」


 こちらに気づいても、訝しげな視線を送ってヒソヒソ話すだけで、何もしてこない。

 時は十月の終わり。ハロウィンという、人々が怪物化生の類に扮する日だ。


 逃げだす日を、今日にして良かった。

 私の奇抜な髪色はともかく、同行者の男の子の異様な見た目は、この日でなければ目立ち過ぎる。

 何せこの子は、戸門が長年、実験動物として扱ってきた妖。千年の昔から七度しか観測されていない化生の生き残りなのだから。



 私がこの子を知ったのは、三週間ほど前。シュン兄とともに、父の工房を見に行った時だ。柱の一本一本に退魔の札が貼られた牢の奥に彼はいた。


 シルエットは人のそれだが、暗闇の帳から垣間見える肌は人間のそれではない。

 白人、黄色人種、黒人、その他多くの民族。そんなレベルの差異を言っているのではない。根本的な在り方が、身体の設計図それそのものが、ヒトとは異なる。

 あれは違うと、あれは敵だと、人間の本能が訴えていた。


 その声を聞くまでは、


「誰? また僕に酷いことするの?」


 日本語だった。眼前の怪物は、ヒトの言葉を解した。あろうことか、それを用いて、私に問いかけてきた。


 その瞬間に、あれは怪物ではなくなった。



 それから今日までの間、私と彼は、よく牢を隔てて話すようになった。彼に名前はない。正確には、「被検体7号」なんて名称があるらしいが、これは断じて名前とは認めない。


 見た目以外に彼の特徴をあげるなら、彼はこの戸門家の中に住みながら、『普通』で『マトモ』だった。

 戸門家に捕まる前は、人と異なる部分を衣服で巧みに隠しながら、人として一般社会を生きていたらしい。

 それが数年前、彼が友達と遊んでいた時に、人とは異なる部分を露にしたらしい。

 友達は、彼をカッコいいと思い、周囲に喧伝、戸門の耳に入るに至った。


 自らの名すら見失うほどの地獄にあっても、彼の根底にある倫理観は、普通に5年を生きた人間の子どものそれだ。最初こそは怯えていたが、私が『酷いこと』をしないと理解すると、すぐに心を開いてくれた。私としても、既に狂った冬夜兄様や、色んな悪行に手を染めているシュン兄を除いたら、同年代の友達の話すのは、初めての経験だった。


 何ら魔術も関係のないお互いにとっての幸せな時間。しかし、私の願望はそれをそのままにすることを許さなかった。


 今を生きる化生、特に魔術師たちが捕らえられる弱い妖怪は、とんでもなく貴重だ。

 彼の場合は、化生がどれほど呪いに耐性があるかの実験に使われているらしい。人外の肌には、夥しい量の呪いが刻み込まれている。

 私は、それを解きたいと思った。彼を開放し、野に解き放とうとしたのだ。


 こうして、戸門家から逃げ出し、私たちは夜の公園に来るに至った。彼に用意できたのは、最低限の衣服のみ。人外の肌や髪を隠しきるには至らない。

 ハロウィンという防壁が、その違和感を拭い去るが、それでも人の目に留まる。

 周囲に親の影が見えないなか、夜の暗闇に子どもが二人。私の弱い隠形じゃ、拭いきれないほどの異常さだ。


「とりあえず、ブランコに座ろうか」

「う、うん」


 一般人が屯しているベンチを避けて、男の子をブランコに座らせる。

 何年も監禁され、厳しい栄養状態のなか、さらに呪いも受けているのだ。ここまで走って来れたのも異常、彼が人ならざるモノであることを示す事象だ。


「ふぅ~、さて、これからどうしようか?」


 ブランコに座り、人心地ついてから、男の子より自分に問いかけるように呟く。


 貴重な怪物の生き残りだ。戸門家の人間は、是が非でも彼を回収しようとするだろう。そうなれば彼は監禁環境に逆戻り、私もただでは済まされない。

 そうならないためには、戸門家の追手が手を出せない場所に隠れる必要がある。

 しかし、相手は魔術師。警察に保護してもらっても、関連人物の記憶を消されて仕舞いだ。

 より多くの人に知られて、手出ししにくくさせることが重要だ。


(いっそ、彼のことを公表するのも手か)


 魔術師に襲われないという目標を達成するだけなら、それが最適解だ。異形の姿が公衆の目に留まれば、それだけで彼の姿が高度情報社会に知れ渡るだろう。

 当然、魔術の秘匿に反する行為だが、そこで公の身分を得てしまえば、いかに魔術師だとしても下手に手出しはできない。


(でも、ダメだよな~)


 安全だけを追求するなら、それが一番だ。しかし、その先に彼の幸せはないだろう。悪ければ、科学者の研究対象、良くても見世物が関の山だ。

 魔術師のもとに身を置くよりかは幾分かマシだが、それで良しとするのは納得がいかない。


(結局、孤児院に入って、周囲に媚びを売りまくるのが一番か)


 詳しいことは知らないが、警察の中で事情徴収され続けるよりは、孤児院で匿ってとお願いする方がマシだと思う。

 自由時間があるうちに、奇異の目線を向ける人間相手に媚びを売り、知名度を稼ぐ。周辺住民に、「孤児院に訳アリの子ども二人が転がり込んだ」位の認識が固まれば、魔術師たちも手出ししにくくなるだろう。


 もちろん、それで安全になるかと聞かれたら、明らかにNOだが、現状使える手札の内では、一番強力に思える。


 ……孤児院なんて、どこにあるか知らないけど


「……決まりね」


 呟いてから、私は隣の男の子に、今まで考えていたことを説明する。彼はもう、魔術師がどれほど厄介な連中なのかを理解している。

 不安で、実際に不安定な作戦ではあるが、これ以上の手がないことに同意し、賛同してくれた。

 しかし、


「その、場合、アマキちゃんは、どうする、の?」


 途切れ途切れで、弱弱しい言葉。しかし、その言葉には、テキトーにはぐらかすのを拒む何かがあった。


 私は戸門雨季だ。しかし、ここまでのことを起こした今、戸門家に戻ることは叶わない。私の道はもう、彼の隣にしか伸びていないのだ。

 そもそも、これからは空の見える自由な生活と同時に、多くの魔術師から狙われた逃亡生活も始まるのだ。化生の類である以上、彼にも特殊な力はあるだろうが、その生活には、私の持つ情報も必要なはずだ。


「一緒に行く。一人になんてしてあげないから、安心して」


 微笑むと同時に、ブランコから立ち上がる。今までの人生、そのことごとくを否定するような行為だが、それで構わない。彼はきっと私の人生初めての友達だ。

 友達のためなら、どんな狂気的な道も突き進もう。


 とりあえずはまず、道を聞くところから、始めよう。ベンチに屯していた人たちは、まだいるだろうか? 


「ここにいたのですね。探しましたよ、雨季様」


 ベンチの方を見ようとした瞬間、声が聞こえてきた。

 見ると、ブランコを囲む手すりで、黒髪に白メッシュの影があった。戸門の魔術師、それも一番厄介な部類の人だ。

 しかも、


「アマキ、ちゃん、これって……」


 ベンチの一般人は、いつの間にか消えている。

 囲まれている。公園には複数の白い影。〈平和〉の魔術師だ。影の数は既に十を超えていた。

 すでに、この公園は魔術師の巣窟。逃げ場など一つもない。


「雨季様、そこにいる彼は、人を害する怪物です。こちらに牙を向けない内にお逃げください」


 白メッシュの影、冬夜兄様がそう告げてくる。どうやら、私が彼に脅迫されて、ここまで同行していたと思っているらしい。

 もしくは、そういうことにしてやるから、手を出すなと言いたいのだろうか? 


 どちらにせよ、答えは決まっている。


「アマキ、ちゃん?」


 戸惑う男の子を後ろに下がらせて、私は彼を庇う形になりながら、魔術師と対峙する。

 彼我の戦力差は膨大、〈断絶〉だろうが〈平和〉だろうが、魔術師一人一人の戦闘力が私よりも上なのだ。

 こちらは、走りまくって足がボロボロだが、向こうは疲れた様子は微塵もない。


 真っ当に戦って勝つのは先ず無理、何とか道を開いて逃げても、すぐに追いつかれるのがオチ。

 数の優位が向こうにある以上、私が囮になるのも意味がない。

 どうにかして逃げる方策を考えなければならない。

 どうにか、どうにかしなければ、


「ダメじゃないか雨季君。囲まれている時に護衛対象を後ろに下げるなんて、下策中の下策だよ」


 八方塞がりの中で聞こえた声、それがしたのはすぐ後ろからだった。


「えっ?」


 慌てて振り向く。男の子の肩越しに、何かが光っている。それが、刃物の金属光沢だと分かった時にはもう手遅れだった。


 銀色の光が、男の子のモモを刺し貫く。一見、狙いを外したように見えるその一手は、この場においては最悪を意味する。


「どうにかして逃げる方法を考えていたんだよね? でも、これで怪物の足は封じた。詰みだよ」


 男の子のさらに後方、白い髪に三本の黒メッシュの少年が何本かの投げナイフを弄びながら、こちらを見下していた。


「……シュン兄」

「ああ、安心してくれていいよ。ボクらが受けた指令は、彼の生け捕りなんだ。安心して捕まってくれたまえ」


 その言葉と同時に、シュン兄が腕を振るう。そこから銀色が飛び出し、男の子の足に刺さる。


「ぎゃ、うぅ、ああ」


 悲鳴。慌ててシュン兄、敵の方に向き合い、胸元からお札を取り出す。

 しかし、その魔術発動が許されるほど、私の置かれた状況は甘くない。


「させません!」


 後ろからの声、冬夜兄様のものだ。斬撃によるものだろう。

 浅い一撃だったはずなのに、その痛みを認識した瞬間、足の力が抜けた。自分がどうしてここにいるのか、その根幹の部分が崩れ去る。


 今まで何をしていたのか、これから何をすべきなのか、肝心な部分が零れ落ちる。

 そして直後に、何かが零れ落ちたことすら、認識の中から消え失せる。


「アマキちゃん!」


 見知らぬ少年が、私の名前を呼んだ。暗くて良く見えないが、その声音は知り合いの誰にも一致しない。

 というか、同年代の男の子なんて、シュン兄と冬夜兄様しか知らないので、その二人が横にいる以上、絶対に知っている人ではない。


「さて、雨季君。ここで君に決定権をあげよう。何を選んでもいいよ。ボクは何も強制しない」


 目の前で、シュン兄が楽しげな声をだす。いまいち状況が読み込めない。


「君は、ここにいる彼をどうしたいかな? 野に放ち、自由にしてあげたいというのなら可愛い妹のたっての願いだ、素直に願いを聞こうじゃないか。それとも彼は、術で君を操って逃亡の手伝いをさせたのかな? それなら、生まれたことを後悔するほどの拷問をかけてから、再び監禁するでもいい」


 意味が分からない。私がそこにいる少年の逃亡を手伝った? そんなこと身に覚えがない。きっと、シュン兄の言う通り、何かしらの術で操られていたのだろう。


「……えっと」


 困惑が冷めない。操られていたといえど、完全に初対面の人間の命運をいきなり握らされたのだ。どうするべきなのか分からない。分かるはずもない。


「へっ?」


 間抜けな声をあげながら、男の子が動いた。自分でもその動作に納得できないといった感じだが、重要なのはそこではない。

 倒れた状態からそのまま、吹っ飛ぶような形で、私の方に差し迫る



 闇に呑まれていた男の子の姿が、街灯によって露になる。顔は間違いなく人のものだ。しかし、頭より下は人間のそれではない。鳥類の羽毛に覆われた腕。魚類のような鱗のついた足。爬虫類のような表皮を持つ腰。そして、頭の上端には、肉食獣のそれと同質な耳。


 総じて、多くの動物を混ぜ合わせた異合の怪物、人ならざる者の貌だ。


「きゃっ」

「動くなっ!」


 想像を超えた異形の姿に、悲鳴が漏れた。私の恐怖を察知し、冬夜兄様が怪物を蹴飛ばした。


 その瞬間に、私の中の何かが壊れた。ただ恐怖のままに口を動かす。


「知らない! そんな怪物、私は知らない!」

「あっ、アマ、キ、ちゃっっ」

「いやっ!」


 愕然とした表情の怪物から後退った直後、冬夜兄様が怪物の腕を刺し、地面に縫い留める。

 怪物の表情が苦痛に歪むが、その顔には苦痛以上の絶望があった。


「ああ、怖かったね。こんな怪物に操られて、本当に大変だった。家に戻って休むといい。怪物はボクらが何とかしておくから」


 なぜか演技っぽい口調で、シュン兄が私に帰宅を促す。促されるままに、足を動かすと、後ろから声が聞こえてきた。


「ウソ、だよね? アマ、キちゃん、は、そんなこと、言わ……」


 怪物が漏らすそんな言葉に、私は奇異の目線を送りながら答えた。


「何のこと?」


 本当に、何のことだか分からない。

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