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悪い夢2

 夢を見ていた。まだ何も忘れてはいなかった、あの日の夢を。



「おかーさん、大丈夫?」

「ええっ、大丈夫よ、雨季。そこのお水、とってくれるかしら」

「うん!」


 ベッドで寝てるおかーさんのお願いに応えて、机からペットボトルを持ってくる。それをそのまま、おかーさんの口にまで持っていって、ゆっくりと慎重に傾けていく。

 中の水の一割程度が口に流れたのを見て、ペットボトルを口元から離す。


 私は「とってきて」としかお願いされていない。それでも、「飲ませる」までの行為をした。その理由は、そもそも彼女に「自分で水を飲む」という選択肢がないからだ。


 腕にペットボトルを持てるほどの筋力が残っていないのだ。


 戸門家は千年続く魔術師の家系だが、家の全ての人間が魔術師というわけではない。

 表向きの家の運営や、魔術の秘匿に関する諸々を担う工作員。

 宗家はともかく、分家筋には、そういった手合いの人間も多い。おかーさんも、その中の一人。

 ただ単純に学校運営を担っていた分家の次女に生まれ、大きくなるまで魔術の魔の字も知らずに生きてきた。


 彼女が魔術を知ったのは、次期当主の妻、もとい、遺伝を操る魔術の実験材料に選ばれた時である。

 幼いころから、魔術師やそれに類する人しか知らない私にとって、『普通』の感性は想像し難いが、おかーさんにとって魔術師の行動は、とんでもない悪逆に映ったらしい。


 おかーさんには自由が与えられなかった。実の娘、私に会うことが許可されたのも二年前、ちょうど、悪い女の人が、私のプリンを台無しにした直後からだ。

 その時までにおかーさんがしたことといえば、ただ子供を産み、出された食事の中で、子供が好きそうなものを私たちに贈ることだけだ。


 運動もできず、筋力が衰え、先の長さが知れた今になってやっと、私たちとおかーさんは会うことができた。

 シュン兄は興味なさげだったけど、私はその出会いが嬉しかった。

 シュン兄やとーや兄さまみたいに、私を大切に扱ってくれる大人は、これが()()()だったから。


 だからこうやって、せっせと親孝行、もとい介護をやっているのだ。


「雨季、ごめんなさいね。こんなダメな母親で」


 心の底から自身を責めるように、おかーさんが口を動かす。

 正直、私にはおかーさんがダメなのかどうかは分からない。ダメじゃない、『普通』の母親を知らない。だから、おかーさんがそれに当てはまるか、当てはまらないか、判別がつかない。


 でも、今まで接してきた人間の中で、おかーさんが一番優しいのは確かだ。

 私の周りにいた大人は全て、子供を魔術の道具としか思わない人たちだった。


 おかーさんのように、頭を撫でてはくれない。お菓子を与えてはくれない。

 私に、微笑んではくれない。


「だいじょーぶ、おかーさんはちゃんとおかーさんだよ! 今まで全然会えなかったけど、おかーさんがずっと私のことを思ってたの私、知ってるんだから!」


 会えるようになる前でも、おかーさんからお菓子が送られてきたことは何回もある。

 時々、自分にいいことをしてくれる謎の人物。それが私にとってのおかーさんだった。

 西洋の宗教を信じる子供たちが、サンタクロースなる怪異に親愛を向けるに近しい。


 例えそれが、俗にいう『親子の情』とはかけ離れたものだったとしても、決定的に狂って壊れたものであっても、そこに親愛があることに変わりはないのだ。

 ……だから、


「だから私、おかーさんがまた歩けるようになってほしい。一緒に原っぱを走って、疲れ切ったあとに椅子に座ってプリンを食べたい。だから」


 少しだけ中身が減ったペットボトルを握らせる。おかーさんの筋力低下は多分、運動不足だけのせいじゃない。


 そもそも、魔術をロクに知らず、マトモな感性を持った彼女が、魔術師たちの巣窟をウロチョロするのは、誰にとっても都合が悪い。

 血液や特殊な条件のために、一般人を工房に招いた魔術師は何人もいるが、その全てが、魔術で自由を縛っている。

 言ってはなんだが、未だに理性や知性を残した状態で生きていること自体が謎だ。


 子供はもう産ませたのだ。筋力低下なんて手間がかかる割にメリットの薄い魔術を使って生かすより、薬で自我を壊すか、いっそ殺してしまった方が楽だろう。


 話はそれたが、おかーさんの筋力低下は、十中八九、戸門の魔術が原因だ。おそらくは非人道的なそれは、逆に回復の可能性を提示とも言える。


 いかな魔術、呪いであれ、原典に立ち上り、その術の在り方を調べれば、解呪の方法がある。というか、解呪の方法がない呪いは、呪詛返しをされたときに詰む。自らの命をモノの勘定に入れない魔術師でも、一般人一人を縛るのに、そんな危険な術は使わない。


 問題は、必ず実在するはず解呪の手段が、皆目見当がつかないという点だ。


 おかーさんの生命が、あとどれ位あるのかは知らないが、顔色から察するに、明日明後日の話ではない。勝手な推測だが、文字通り狂うほど研究したら、手の届く〈願い〉だ。

 呪いを解き、おかーさんとともに走る。狂うには小さすぎる〈願い〉だが、そんな些事を気にするのは、戸門の人間のやることではない。


「それじゃ、おかーさんがまた歩けるように、けんきゅーしてくるね!」

「えっっ? ちょっ」


 おかーさんの困惑を他所に、私は部屋を後にする。


 夢として改めて見て、短絡的な行動だと思った。

 魔術師の狂気は、視野を狭めるという話があるが、この事例もそれだ。「おかーさんを歩けるようにしたい」という願望は「おかーさんともっと一緒にいたい」という願望の手段だったはずだ。

 それなのに、その研究のためにおかーさんとの時間を減らした。手段と目的が入れ替わり、そのまま研究に没頭した。


 それだけなら、まだマシだっただろう。自分を救うために子供が狂ったなど、親からすれば悲しみでしかないだろうが、それでも救いはある。

 おかーさんにかけられた呪いは大して強くない。魔術師として覚醒すれば、その結果を得るのはそう難しくなかったはずだ。


 この後の私は、もうひとつ、絶対にやってはいけないことをした。彼のことを〈接続〉に話したのと同様、同一の失敗だ。


 自らの願望の協力を外部に、しかもよりにもよって、当時の私が絶大なる信頼を置いていた天才、〈断絶〉の魔術師に求めたことだ。


 繰り返すが、魔術師は視野が狭い。「私を狂わせない」という目的を達成するなら、私の言葉通りに研究に協力、そのまま私が狂う前におかーさんの呪いを解く手もあったはずだ。


 しかし、彼は〈断絶〉を遂行した。ただ一人、私に優しくしてくれた大人の記憶を切り裂いた。

 銀の一閃が煌めいて、私はおかーさんとの会話も、願いも、思い出も、自分が犯した失敗も全てを忘れ去った。

 こうなってしまえば、彼女は最早、ただの他人だ。部屋に向かうことも、介護をすることもない。


 そして、二年が経った。



「雨季君、あそこにお母さまがいるよ。ご挨拶しなきゃ」


 ある日、戸門家の宴会。冬夜兄様が相も変わらず私の強化銃を褒め称えている姿を眺めていると、横から、シュン兄が話しかけてきた。

 指が示した方向を見ると、私から白いメッシュを無くし、そのまま大きくしたような女性が佇んでいた。


 正直、姿を見てもピンとこないが、私とここまで似ているということは、そういうことなのだろう。


「別にいいよ。おとーさんもおかーさんも、私たちを魔術研究の道具としてしか見てないんだもん。挨拶に行ったって面倒に思われるだけだよ」


 魔術師たちが集う宴会。多くの大人が蔑むにしても、兄が褒め称えるにしても居心地は悪いが、そこに大して知らないおかーさんを加えるのは、どう考えても得策に思えない。


 そう思いつつも、おかーさんと思しき女性を見やる。

 魔術師の出で自身の工房に引きこもっていたのか、一般人の出で、監禁されていたのか知らないが、肉付きは悪い。

 こちらを向いたまま微動だにしないせいで分かりにくいが、歩くのがやっとくらいの筋肉しかない。その筋肉も、遠目から見ても奇妙で歪な形をしている。

 最近学んだ呪いの症状を例に例えるなら、呪われた状態で、二年間必死にリハビリを続けて、無理矢理に呪いの力を抑え込んだら、あんな感じの筋肉になると思う。


 まあ、そんなバカのことをする理由もないし、呪いの実験をしていたら、暴発して筋肉がおかしくなったってのが妥当か。


 だとすると、あまりこれは気持ちのいい場面ではない。おかーさんは、消え入りそうな視線をこちらに向けてくる。母親とはいえ、大して知らない魔術師に見入られるなど、厄介事の種としか思えない。


 そう考えている内に、人ごみが動き、私とおかーさんとの間に壁を作る。


「雨季様、どうかなさいましたか?」

「あっ、いいえ何も! ちょっと珍しいモノを見ただけです」


 しばらく人ごみを眺めていると、冬夜兄様が訝しげな声をかけてきた。

 その声に反応して、その場から離れる。


 おかーさんの訃報を聞いたのは、それから三日後のことだった。

 一言も話したことのない他人が一人、死んだだけ。涙なんて出るはずもなかった。


「死因は、彼女を蝕んでいた呪い。ずっと精神の支えだった雨季君。彼女に会っても、興味を示されなかったのが原因だね。全く、救われない話だ」

「その救われない話を用意したのは、どなたです? わざわざ理性や知性を残した状態で生かし続けるなんて、何か狙いがあったんでしょう?」


 声が聞こえる。シュン兄と、冬夜兄様が話しているらしい。私が関わっているらしいが、その内容はさっぱり理解できない。


「君がとぼけるなんて珍しいね。そんなの、雨季君の狂気のダシにするために決まっているだろう? 会ったことはないが、定期的にお菓子をくれる母親。サンタクロースみたいな母親のために狂える。あれはそうゆう人間だよ」


「…………」


「まあ、君に妨害されてしまったけどね。それでも意味はあった。これからどんどん面白い展開になっていく」


「意味などありませんよ。彼女は雨季様、妹に何も残してません。彼女の意味は、あなたと雨季様を生んだことだけ。意思は何も残さなかった」


「はは、相変わらず、妹を狂わせるものには辛辣だね、冬夜兄様は! でも、君の呪いが解けて彼女が記憶を取り戻したとき、優しい母親を見殺しにした事実は、確実にあれの心を蝕む。ボクはその日を楽しみにしているよ」


「そんな日は来ませんよ。彼女が魔術師になることなく幸せに一生を終えるまで、私は全てを断ち続ける。思い出すことなどありえません」


「はは、『全てを』、ね。もう説明する意味はないだろうけど、あれは底抜けに優しい。チョロいと言い換えてもいい。あれが彼女を助けようとしたのは、『母親だから』じゃない。『優しくしてくれたから』ただそれだけ。

 狂気を推進させる戸門の教育の威力は絶大だ。あれはもう、微小な恩義、ちょっとした引け目だけで魔術師になれる。まさに最高級のチョロインだ! 君は本当に、『全て』を彼女から断つつもりなのかい?」


「ええ。〈断絶〉の願いは、ただそれだけのために」


「はは、いいね、いい狂気だ! あれの幸せなんて、何も考慮しちゃいないし、結末なんて、見向きもしない! 妹を思う兄の気持ちはもうグチャグチャに壊れてる! まあ、壊したのはボクなんだけどね」


 意味が分からない。チョロインって何? 冬夜兄様がグチャグチャに壊れてるってどういうこと? 

 それでも、シュン兄の言葉が、冬夜兄様の願いが、どうしようもなく歪に聞こえた。


「ああ、そういえば冬夜兄様、今の会話、実は雨季にも聞かせていたんだ。こんな会話、あれの記憶に留めたまんまでいいのかい?」

「ちっ」


 盗み聞きがバレた。そう気がついた時には、目の前に刀を構えた魔術師の姿があった。

 冬夜兄様が刀を振り上げる。その直前、にやけた声が聞こえてきた。


「ああ、かわいそうな雨季君。君が全てを思い出した瞬間、その時こそがきっと、最強最悪の魔術師の生誕のときだろう」


 未来を予言するような一言は、1秒の後に忘れ去られた。


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