8:賢者の石と雨季
『すみません。昨日色々あって疲れてたせいで、寝込んじゃってました。今、起きたところっす』
メッセージアプリに返信が届いた瞬間、緊張の糸が切れた。
「良かった~。みっちゃん、無事だった」
カウンセラー室の壁に寄りかかりつつ、私、戸門雨季は胸を撫で下ろす。
〈正義〉の魔術師と、必要な情報の交換が終わった直後、ミコト君が鬼の形相で駆け込んできてから15分。
この間は最早、生きた心地がしなかった。
中学時代の親友が、みっちゃんこと、月石実菜が魔術に巻き込まれているかもしれない。そんな不安を抱えながら準備していた戦闘用品を片づけつつ、私は目の前、私と同じように安心に満ちた表情をしている少年を見やる。
「よく考えたら、無断欠席なんて、いかにもあの子がしそうなことじゃない! あーあ、心配して損した」
「いやっ、大げさに話したのは謝るけど、あいつ、そんなことするようなヤツなのか?」
高校に入ってから、というか、私が彼女に関する記憶を失っていた去年の四月からはどうだか知らないが、それ以前のあの子は、授業サボりを何回かしている。
あの子の目の届かない場所、つまりC組の授業の中で、私がイジメられてないかを確かめるためとかいう理由を宣うせいで窘められなかった記憶がある。
「親友、いや、元親友か、そんな間柄の人間にこんなことを言うのは嫌だけど、あの子、結構ウザいわよ」
「……ああ、それは知ってる」
自分から『元』という言葉を口にして、文字通り死にたくなる痛みに呻いていると、かなり実感の籠った返答が返ってきた。
ミコト君も、二人で食事に行く度に、度し難い交換を強いられたり、細かい会話の中で、精神攻撃を狙われたたりしているのだろうか?
だとしたら、同情する。
「貴様らが普通の少年少女のような会話をしているのはいいんだが、陰口は止めろ! カウンセラーとしては見過ごせん」
私たちの会話が一段落すると、気まずそうな女性の声が聞こえてきた。
声の主は〈正義〉の魔術師。表の肩書はこの学園のカウンセラーだが、どういうわけはマジメに仕事をしている。……口の悪さに眼を瞑れば。
私が色々と忘れた後に、みっちゃんの面倒をみたのも、それが理由なんだろう。
「あ、まあ、そうだな。実菜はもう、大丈夫なのか?」
「大丈夫、ではないけれど、とりあえず落ち着いたわ。あなたやみっちゃんが望まない以上、死んでも償いにならないからね」
話題を切り替えつつ、心配そうな視線を向けてきたミコト君に、軽く手を振る。隣で、鬼面の魔術師が難しい顔をしているが、気にせずにミコト君の方を見る。
私の罪をどう償うべきかは分からないが、おそらく「死」は有効な手段ではない。
とりあえず今は、ミコト君を取り巻く問題に集中しよう。
「今更だけど、改めて自己紹介した方がいいかしらね? 私は〈贖罪〉の魔術師。この身の全ては償いのため。私が償うべき対象は何人もいるけど、その人たちに迷惑をかけない範囲なら何だってやるわ」
心が言葉になり、誓いに変わり、呪いとなって私を縛る。別に魔術を使ったわけではないが、この言葉を破った瞬間、私の在り方は崩壊する。そんな理解が及ぼす拘束力は、下手な洗脳魔術より大きい。
相手の了承も得ない、一方的な契約。今この時をもって、私はミコト君の道具だ。
……まあ、彼からしたら、再び協力してくれた程度の理解なのだろうが。
「ありがとう。未だに何にも分からない手探り状態だから、お前の協力は本当に助かる」
「それじゃ、一刻も早く手探り状態を抜けましょうか。情報の少なさのせいで、色々と疑心暗鬼になってたけど、『丸一樹は存在する』ってことでいいのよね?」
感謝の言葉に安寧を感じながら、私は〈正義〉の魔術師の方を見る。ここら辺の情報は、彼女が一番詳しいはずだ。
「ああ。駅の怪異に巻き込まれて行方不明になった少女たちに関する記憶と記録をクソ上司が消し去っただけだからな。どこのどんな異世界に迷い込んでいるかは知らんが、少なくとも一年前までの生存は証明できる」
カウンセラーが戸棚をあさり、でてきたのは一冊のアルバム。一樹さんの戸籍や、〈接続〉の魔術師とそっくりな誰かの写真が大量に貼ってある。
「魔術による幻影の可能性は少ないし、全部が偽装の写真っていうには無理があるわね」
写真という媒体である以上、魔術的な影響は少ない。それに、このアルバムが必要になったのは、私やミコト君が一樹さんの実在を疑いだしたからだ。まだ二日しか経ってないのに、目の前には百を超える写真がある。
偽装が間に合う枚数ではない。
「うっ」
パラパラとアルバムを見ていると、急にミコト君が頭を抱えだした。軽い頭痛のようだが、痛みに呻くその表情には、何か、優しいものが交ざっている。
「写真を見るたびに、その時の一樹との思い出が蘇ってく。切れた縁が結ばれていく感じだ」
「縁結び。〈接続〉の魔術ね。写真とか、一樹さんに深く関連するものを見るたびに、縁が結ばれて、その時の記憶が戻るって寸法かしら」
黄泉であの魔術師は、ミコト君に一樹さんの記憶をねじ込んだと言っていたが、これがその理屈だろう。
あくまで写真に該当する部分だけだろうが、本人に会いさえすれば、記憶は全部戻るだろう。
私が記憶を失っていた時とは、色々と違う状態だ。
「あれ? 雨季は、あの魔術のことを知ってるのか?」
不思議そうな顔で、ミコト君がこちらを見る。
ミコト君と会う以前から知っていたと言えば誤魔化せるだろうが、話を進展させるには、ある程度あの時の話をした方がいいだろう。
「あなたを眠らせて、異世界に行った時、黄泉で彼女に会ったのよ。一樹さんの関連で聞きたいことがあったんだけど、今考えれば、意味なかったわね」
防犯カメラの画像。その加工について聞こうとしていたが、この状況になれば、あの推測は意味をなさない。
あの時に立てた推測なんて、とっくのとうに崩れている。
「防犯カメラの加工について話し合おうとしたんだけど、ミコト君のそれがある以上、前提が覆るからね」
そう言って、ミコト君の左腕を見る。先ほど、彼の左腕から生えてきた怪物の腕、あれは明らかに、
「質量保存則なんて、完全に無視した現象だからね。防犯カメラの画像が加工だったって仮定はとっくに否定されてるわ」
どういう理屈かは分からないが、あの巨大質量は、この世の法則に従ったものではない。
「別におかしくはない。木村命、貴様には言ったよな? 貴様の腕は神話の最高神に匹敵する力を持っていると。それだけのエネルギーがあれば、質量に変換しても、あれくらいの大きさになる」
「あ、……ああそうだな」
よく分からない現象に頭を悩ませていると、横から鬼面の魔術師が声をかけてくる。すぐにミコト君が首を縦に振る。
しかし、私は頷けない。質量を生み出すという現象は、そんなに甘くない。
「そうではあるんだが、正直、話についていけなくなってる。俺の腕が異常なのは分かり切ってんだけど、質量の増減ってのは、そんなにおかしいのか?」
私が頭を抱えていると、ミコト君が言葉を重ね、首を傾げてきた。
物理に明るくない高校生の一般的な反応だろう。質量とエネルギーの互換性とか、アインシュタインの理論だし。
そんなことを考えつつ、自分の頭も整理しながら、質量とエネルギーの関係、それに関する魔術的な解釈を説明する。
「そうね、物理の理論がどうこうと言っても分からないだろうし、どれくらい難しいことなのかを魔術の歴史の解説ついでに説明するわ。ミコト君は賢者の石って言葉は聞いたことがあるかしら?」
「そん位なら知ってる。錬金術における非金属を貴金属に変える石のことだよな? あとは、人に不老不死を与えるとか色んな話があるけど、持つものに万能の力を与える石ってイメージだ」
「ええ、一般にはそんな理解がなされているわね。強ち間違いではないのだけれど、正確に言うならば、『賢者の石を作れるような魔術師は、万能にも等しい力を持っている』って感じね。それほどに制作が難しいのよ」
あえて、核心をつかずに賢者の石が何故に万能の石とされているかを説明する。
きっと、次の彼の質問は、
「えっと、結局賢者の石ってのはなんなんだ? さっきのエネルギーの話と関係があんのか?」
「関係大あり、というかそれそのものよ。賢者の石っていうのは、魔力を質量に変換して生まれた物体をさす言葉なの。ほんの数グラムの賢者の石を作るだけでも、核爆弾の数倍のエネルギーを必要とし、それほど大きな魔力を操り、質量に変換するなんていう高度な芸当をなせる魔術師がいるなら、それは万能と呼んで差し支えない力を持っているってこと。
到底信じがたい話だけど、石という形状にこだわらなければ、ミコト君の腕も賢者の石の一つね」
「知性の存在しない世界から這い出たモノが、『賢者』を騙るのは、随分な皮肉だがな」
想定していた質問に間髪入れずに応えると、隻腕の魔術師が茶々を入れてきた。
賢者の石は、その製法もさることながら、石自身も、術式を解くことで膨大な魔力を確保できる、最高峰の魔力媒体として機能するのだが、今は言及しなくてもいいだろう。
回りくどくはなったが、ミコト君の腕、数グラムどころか百キロ単位の賢者の石の異常さは理解されたと思う。
「だったら一樹は、あの樹木の異世界にいるんじゃないか? 今んとこ、重さの変化があるのはあそこだけだろ?」
「難しい話ね。否定するだけの根拠は無いけど、状況的には違うと思うわ。あの世界からの帰りは、質量が増えてばっかだったからね」
あの腕や黒い勾玉など、あの異世界でミコト君が新しく身に着けたモノはこちら側で新しい物質になった。
しかし、破壊の奔流によって吹き飛ばされた靴などは、消えていない。
場数も少ないし、否定することはできないが、傾向としては、ない寄りだろう。
そうやって会話を重ねながら、時が過ぎていく。
異世界について、私たちが知っていることは少ない。〈進化〉の魔術師なら、何か情報を持っているかもしれないが、彼に頼るなどという危険は冒せない。
結局、可能性を一つひとつ潰して、考えていく以外に道はない。
そうやって昼が過ぎ、夕方になる。六月は日が長く。6時を回っても明るいが、茜色に染まりゆくそれは、あの時間の足音を示している。
話し合いを切り上げて、付き合ってくれたカウンセラーの先生(魔)に頭を下げてから、駅に向かう。
6:66まで、もうすぐだ。




