7:魔術師と命
「九字護身法?」
「そっ、両手を合わせて素早く印を切るから、見慣れてなかったり、遠くから見たりだと、ただ祈ってるように見えるかなぁ」
俺の質問に、魔術師、丸生枝はしゃべりながら、その印を紡いだ。よくよく見れば、複雑に指を絡ませていたり、手を開いたりしているが、恐ろしく速い動作のせいで、ただ両の手を合わせているようにしか見えない。
実際、九字護身法も祈りの一形態だから、祈っているという理解も間違ってはいない。
「この印の使い道は色々とあるけど、昨日の雨季さんや、今日の私が使ったのは隠形、つまり、身を隠す術だねぇ」
まるで、好みのアクセサリの話でもしているような口調で少女は魔術を解説する。
俺は、その人と並ぶ形で、ゆっくりと駅へ歩いていた。
生枝先輩。魔術師を自称する、オカルト研究部の部長。普段なら虚言、妄言の類と理解するが、それは難しい。お札の爆発や、俺たちを見つけられない実菜とニット帽といった不可思議現象は、俺をその理解から遠ざけた。
「それで、どこまで説明したっけぇ?」
「先輩がまだ中二病を卒業できてなかったってとこまでです」
「あぁ! まだ信じてないね、あれほど魔術を見せたのにぃ」
茶化す俺に先輩が文句を口にする。正直未だに、先輩主催のドッキリ企画だと思ってしまう。
理解が難しくなっても、無理なわけではない。
紙の爆発は何かのマジック。俺の存在に気付かない実菜は、あいつがグルになってからかっているだけ。そう考える方が、明らかに自然だ。
「痛みのある夢も、体感時間の延長も、魔術で説明がつくのに、なんで信じてくれないのぉ」
「それで納得するのは、幼稚園児だけですよ!」
「むぅ~、まあ、いいわ! どうせそろそろ、6時60分だしぃ」
それは7時でいいんじゃ……
心の中で呟きつつ、俺は先輩に腕を引かれる。駅はもう、すぐそこだ。
俺や生枝先輩の家は、戸門学園駅から下り方面に乗り、二回ほど乗り換えた場所にある。部活終わりの生徒は、もう帰っているし、サラリーマンもあまりこの路線を使わない。ホームに来たのは、俺と先輩だけだ。
「うわぁ」
「待ってる間、少し座ってようかぁ」
ホームに降りて、目に飛び込んできたのは、昨日俺が座っていたベンチ。生枝先輩はそこを指差し、笑いかけてくる。
正直座りたくない。先輩の話を真に受けるつもりはないが、何か変なことに巻き込まれそうな気がする。
「どうしたの? 次の電車まで、まだ結構あるよぉ」
「いやっ、昨日あそこで爆睡して、乗り損ねるとこだったんで、気乗りしないですね」
「……お願い」
テキトーな理由をつけて断ろうとした俺に、生枝先輩が普段とは違う声音で話しかけてくる。左腕を握る先輩の手が、少しだけ震えている。
なんか、断りにくい。
「わかりましたよ。とりあえずもう少しだけ、先輩の中二病と付き合います」
「中二病はいらないよぉ」
「そうすると、『先輩と付き合います』になりますけど、いいんすか?」
「私の話に付き合うって意味ならねぇ」
観念してベンチに座る。軽口は簡単にいなされた。
「命君はさ、一樹、私の妹のことは覚えてる?」
「先輩、妹なんていましたっけ?」
丸一樹。聞いたことのない名前だ。イツキという名前だと、男女が判別しにくいが、妹と言うからには女性らしい。
「先輩の家にはいませんでしたよね、そんな人。別居でもしてるんですか?」
今でこそ、ただの先輩と後輩だが、幼い時の俺たちは近所ということもあり、姉弟のような関係だった。当然、互いの家に遊びに行ったことも、一度や二度ではない。しかし、妹がいたという話は、聞いた記憶がない。
「いたよ。一樹はいた。一年前までは……」
悲しそう、本当に悲しそうな顔をしながら、先輩は呟いていた。先ほどのお願いの時のように、甘ったるい口調が消え去っている。
「だけど、消えた。いつの間にか消えていた。そして私以外、誰も覚えていなかった」
そういえば、去年の六月、丁度この時期に、先輩はかなり取り乱していた。先輩がBクラスからSクラスに移籍したのも、その時だ。
「魔術によって消されたとでも言うんですか?」
「うん、だから私は魔術師になった。行方不明の一樹を見つけるために、あの子を攫った犯人を殺すために」
こんどは虚言、妄言の類と思えなかった。こんな突飛な話を信じることはできないし、正直、理論的には嘘にしか思えない。
しかし、普段の彼女が見せない剣幕と、「殺す」の一語に込められた怨念が、それを嘘だと思わせてくれなかった。
「もうすぐ、6時60分。あなたにとって、二つ目の異世界が来るわぁ」
動揺する俺に、いつも通りの甘ったるい声が聞こえてくる。
「話の続きは、そちらでしましょぉ」
直後、急激な眠気が、俺を夢の旅路へと連れ去った。
「〈接続〉の魔術師が、昨日の一般人をかどわかしたか」
昨日聞いた誰かの声を聞きながら。