6:存在の喪失と命
少し時を遡る。
「木村命。少し席を外してくれるか?」
「何のつもりだ?」
「魔術師同士でないとやりにくい話もある。まあ、これ以上無駄に追い詰めることはしないから安心しろ」
「それを信用しろと?」
「信じられないだろうな。だが、自殺未遂が止まった以上、ワタシがこの女をいたぶる必要はない。不必要な暴言は〈正義〉に背く」
「……わかった」
「理解が早くて助かるな。ああ、丁度いいから、一年の教室から実菜を呼んでこい。それで丁度いい時間になる」
ガラガラ、ガラガラ
〈正義〉の言葉に一抹の不信を抱きながらも、扉を動かし外にでる。
後ろ手で扉を閉めると、カウンセラー室からの音声が完全に途絶える。
(防音完璧とは聞いてたけど、ここまでとはな)
今、部屋の中では二人が話しているはずだが、その声は全くもって聞こえない。
もしかしたら、音を遮る魔術か何かがあるのだろうか。
そんなことを考えつつ、一年の教室の方へ向かう。
昨日、ボヤ騒ぎが起きた(実際には俺が暴走した)というのに、学校は通常通りに動いている。
俺がぶっ壊したカウンセラー室の壁も、修理の跡が見つからないレベルで直っていたし、窓から見える中庭にも、戦闘の形跡は見受けられない。
まるで、昨日の出来事の全てが無かったことにされたようで……
「ああ、君が魔術師の戦闘の跡を見るのは初めてか。ここまで綺麗に元通りにするのは、どちらかというと日本人の気質だけどね~」
窓を見ながら廊下を歩いていたら、唐突に声をかけられた。
声の先には、金髪と杖の外国人。Sクラスの先生こと〈進化〉の魔術師だ。
「えっと、ミコト君だったね? トーヤ君を殺して、障害を乗り越えた気分はどうだい?」
「最悪ですよ。雨季に迷惑をかけただけで、何の成果も得られなかった」
〈断絶〉の魔術師、戸門冬夜。雨季の記憶を消し去り、俺を殺そうとした魔術師。
昨日は、怒りと敵意で気づいていなかったが、あいつの行動は、「雨季のため」という一点では間違いではない。
彼女を狂わせないために記憶を消し去り、彼女に近づく危険人物を排除するために俺を殺そうとした。
善悪の判断を言うのならば、悪そのものだが、あいつの魔術のおかげで、雨季はこの歳になるまで狂わずに済んだ。
俺は短慮的な善意で、その封印を解いてしまったのだ。それが雨季を追い詰める結果になるとも知らずに。
「『何の成果も得られなかった』か。なるほど、面白い考えだ。確かに君は昨日の戦いで何も得られてはいない。腕の暴走を止められたのは、戦闘が原因じゃないしね~」
「何で知ってるんですか?」
「ああ、あの怪物、あの異世界は、私の研究対象だったからね~。君でもトーヤ君でも、あれを殺すことはできない。戦い以外の場所で何者かが介入してきたとしか思えないのさ」
金髪の下の眼が、俺の左腕に注がれる。興味深そうな視線は、科学者がモルモット見る時のそれと酷似している。
「あんな怪物を調べて、どうするつもりですか?」
「それは私の〈願い〉に関わることだね。いくら生徒と教師でも、他人の狂気に土足で踏み入るのはマナー違反だ。誤って地雷を踏んだら、殺しあう程度じゃ済まないからね~。
そんなことをするのは、余程のバカか、自称カウンセラーの魔術師モドキだけだ」
俺の疑問を軽く反らし、魔術師は軽く杖を振るう。
「うん、あの世界の話はここまでにしようか。正直、君の腕がどういう状態なのか細かく調べたいところだが、教師として、今は紳士的に振舞いたいからね~。どうだい? 昨日は〈接続〉の魔術師に会えたかな」
話を変えつつ、魔術師は、俺が興味を抱きそうな話題を提示してきた。
〈接続〉の魔術師、生枝先輩。ヨモツヘグイによって死に、俺を魔術の道へと引き込んだ張本人。
昨日、俺と冬夜の戦いが終わるその刹那、俺は死んだはずの彼女に会っている。
「……」
「ふむ。その反応は肯定かな。どうやら彼女の実験は成功したらしい」
俺の無反応を肯定と捉え、魔術師が言葉を述べている。その声音に驚きはない。全部分かっていたとでもいうように。
「あの先生は、生枝先輩の……」
「ああ、言ってしまえば私は、彼女の担任だ。妹を探すのに躍起になっていた彼女に、魔術を教え、異世界への道を示し、異世界に長く留まる方策としてヨモツヘグイを提案したのもね~」
「ヨモッ」
「恨むのは構わないが、お門違いというものだよ。私は質問に答えただけ、方法を示しただけだ。それを実行したのは彼女の意思、私は関与しちゃいない」
自分の言葉で他人が、生徒が死んだというのに、その眼に曇りはない。それどころか、異世界に関する新たなデータを喜んでいるようにすら見える。
いやっ、実際にそうなのだろう。彼は教師である前に魔術師なのだから。
「ああ、そうだ。『恨む』と言って思い出したけど、君はシュンシュウ君も恨んでいるのかい?」
欲しいデータを手に入れて、話題の興味を失ったのか、魔術師がまた別の話題を切り出してくる。
雨季の兄、戸門春秋。あいつの所業は、到底許せるものではない。
「一樹に関する情報を徹底的に消し去り、俺の兄に薬を盛って狂わせ、雨季を襲わせた人物です。逆に恨んでないと思います?」
「おっと、想像以上に色々やってたね、彼。ちょっと薬の話は弁護できないけど、イツキ君のことに関しては、彼は悪くない。一応ね……」
俺の言葉に眼を反らしつつも、〈進化〉の魔術師は彼を弁護する。言葉の端が歯切れ悪いが、魔術師からしても、あいつの行動は酷いものなんだろう。
「彼はイツキ君に関するほとんど全ての情報を削除した。個々人の記憶から、公的な書類、アナログ、デジタルを問わない写真に至るまで、その全てから彼女の姿が消えた。彼に魔術は使えないはずだから、〈平和〉あたりを使ったり、ハッキングしたりしたんだろうね。
君からすれば、その行動は悪そのものだろうが、それが無ければ、イツキ君は行方不明者になっていた。実際に行方不明なんだけど、この場合は、警察の捜査が入るかどうかという意味で」
そこから先は言わなくても分かる。
警察の捜査が入れば、魔術の存在が明るみに出る可能性がある。
もし、魔術が戦争や、秘匿を無視した犯罪に使われれば、それは最悪な事態を招きかねない。
「秘匿を守るため、市民を守るために、彼の行動は必要な処置だった。昨日は、君を暴走させるために、わざと怒りを煽るような話をしたのだろうが、彼は起きた怪異を明るみに出ないよう処理しただけだ。多少、悪辣なやり口だがね」
「悪辣って?」
「そうだな。それを説明するには、まず彼が何をしたか説明する必要があるね~。『人間ひとりの存在が消える』というのは具体的にどういう状態か分かるかい」
教師が生徒を正解に導くように、その言葉が俺に思考を促す。漠然としていた認識を、整理しながら言葉に変える。
「そうですね。公私合わせて、全ての記録、記憶から消えるって感じですかね」
「いい答えだが、そこが思考の落とし穴だ。人間の存在を消すというのは、そこまで難しくはない」
俺の回答を受けて、魔術師が微笑む。予想通りの回答だと言いたいらしい。
「別に全てを消し去る必要はないんだ。ほとんどのコミュニティでは、人が一人来なくなっただけで、不審に思われたりはしない。孤独死した人間の発見がどれほど遅れるかを考えれば、実感が湧くかな」