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5:巨腕と雨季

 目の前で、腕が伸びた。肩の向きを変えて腕を真っ直ぐ前に向けることを言い表した表現ではなく、そのまま腕がその長さを変えて、眼前のナイフと机を吹き飛ばしたのだ。


 植物を思わせる緑の筋。それら絡み合うことで生まれた腕の形状だ。

 しかしそれは、植物には有り得ない明確な意思を持って、机へ伸びていった。


 これを見たのは初めてではない。最初は、彼と、ミコト君と初めて会った直後だ。


 戸門学園駅で起きた怪異の調査。そこで訪れた異世界に住んでいた樹木の怪物。マトモに魔術が効かず、炎にも耐え抜いた怪物の腕。


 その腕は、他の異世界でも見た。彼に協力することを決めて、彼と共に赴いた異世界、餓鬼道。

 餓鬼に追い詰められたミコト君が最後の最後に見せた暴走。それがあの腕だ。


 魔術を使う私ですら理解できなかった災厄への恐怖、そして、彼を人殺しさせかけた自分の無力に震え、月曜日に会ってからも、それについては話すことができなかった。


 その報いを、今受けている。


 これは私の罪だ。

 彼を巻き込んでしまった罪。彼を植物の怪物から逃げ切れさせられなかった罪。記憶を消して事態を終息させるため、〈接続〉に彼のことを話してしまった罪。〈接続〉の魔の手から彼を助けられず、彼を魔の道に進ませてしまった罪。彼の変貌に目を反らし、それ関する思考を停止させた罪。〈接続〉を問いただそうと独断専行した罪。全てを忘れ、彼を絶望させた罪。結果、大事な時に彼の力になれず、彼が死にかけていたその時ですら、何もしなかった罪。彼をここまで変貌させた罪。


 全部、私の罪だ。


「どうしようもなく大きい罪だ。果たして、貴様のちっぽけな生命一つで贖えるかな?」


 〈正義〉の魔術師の言葉が、私の、戸門雨季の脳を支配する。

 ミコト君、ただ一人に対することでも、私はこれほどの罪科を背負っている。

 そして、ミコト君の他にも、私のせいで不幸になった人間が、そして、不幸にしたことさえ忘れていた私の罪が、山のようにいる。


 そうだ。償いようがない。例え生命を犠牲にしても……


 思い至って、足の力が完全に抜ける。

 昨日、ミコト君の兄から受けた暴行、私の罪を雪ぐには、余りにも小さすぎる報いのせいで、もともと足に力は入っていなかった。身体の中から湧き出てくる痛みは、今も私に報いを与えてくれている。


 それでも歩けた。ただ謝るため、償うために、移動できた。でも、改めて罪を自覚し、償う手段を見失ったことで、足を動かす気力が完全に抜け落ちた。


「はぁ、これでとりあえず、自殺はしないだろう。一度死が償いにならないと思えば、自殺は止まる」

「……お前、そういうことならもっと言葉を」

「何回も言わせるな。この娘はカウンセリングの対象外。自殺を防ぐのも、あくまで貴様や実菜のため、巻き込まれた人間の心の保護が目的だ。

 そうでなかったら、クソ上司の家系の人間なぞ助けはしない」


 ああ、しかもこれは償いですらないのだ。この失意も、この絶望も、私の生命を繋ぐための対応だ。

 贖罪ではなく、新たなる罪を消し去るだけの対応だ。


 本当に、本当に本当に本当に、私の罪はどうやって償ったらいいのだろう。




「木村命。少し席を外してくれるか?」


 どれほどの時間が経ったのだろう。〈正義〉の魔術師の声が聞こえてきた。


「何のつもりだ?」

「魔術師同士でないとやりにくい話もある。まあ、これ以上無駄に追い詰めることはしないから安心しろ」


 意図を問うミコト君に、鬼面の魔術師が答える。


「それを信用しろと?」

「信じられないだろうな。だが、自殺未遂が止まった以上、ワタシがこの女をいたぶる必要はない。不必要な暴言は〈正義〉に背く」


 彼女の言う〈正義〉は、かなり曖昧なものだ。詳しくは知らないが、事実、その行動は多くの矛盾を孕み、魔術師らしくないことも平気でする。

 魔術使いだったころの私みたいに、魔術に巻き込まれた一般人を助けたり、カウンセラーとしてマトモに働いたりといった行為もその一例だ。


 マトモに働き、普通に生活するのは、大体において正しい行為だが、常に狂気の中にいるはずの魔術師がそれをしているのは、どうしようもないほどの違和感がある。


「……わかった」

「理解が早くて助かるな。ああ、丁度いいから、一年の教室から実菜を呼んでこい。それで丁度いい時間になる」


 数秒の沈黙を終えてから、ミコト君が扉に向かって歩き出す。カウンセラーの仮面を被った魔術師は、仮面の下からにこやかな声をだす。


 ガラガラ、ガラガラ


 扉の音が二回鳴り、カウンセラー室から少年の姿が消える。

 部屋の中には、二人の魔術師、〈正義〉と〈贖罪〉だけが残った。


「さて、これで邪魔者は去った。魔術師同士、建設的な話ができそうだ」

「……随分と物腰が柔らかくなったわね」


 防音が効いた部屋の中、鬼面の魔術師の言葉に答える。

 さっき、ミコト君の現状を暴いた時の、攻撃的な声音はどこにもない。


「不必要な暴言はしないと言っただろう。貴様が自殺未遂を止め、ここからあいつが消えた以上、もう貴様にきつく当たる必要はない」

「へ? 何でミコト君が関係が?」


 私への態度と、ミコト君の不在。ダメだ。関連性が読めない。


「現状のワタシの目的のためには、あいつが持つ魔術師のイメージは悪い方がいいんだ。だから、魔術師になった貴様に厳しい態度をとった。それだけだ」


 その説明に、納得がいった。どうして〈正義〉がミコト君のことを気にしているかは分からないが、魔術師に関する彼の心象を気にしているのなら、彼女の態度の変化も頷ける。


「さて、そこで相談だ、〈贖罪〉の。貴様はあの少年への〈贖罪〉のために、あいつの魔術師化を阻止するつもりはあるか?」


 その問いが、ここで二人きりになった理由を示していた。


「言うまでもなく、あいつは今、魔術師になるかならないかの瀬戸際の状態だ。狂気の谷の淵を目隠しで歩いているようなものだ。本人に自覚がないだけで、とうに狂っているのかもしれんがな」

「……そこまで、ですか?」


 〈正義〉の主張に、今度は疑問が浮かんだ。

 たしかに、ミコト君の行動は端から見てもおかしい。かつて付き合っていたといえど、今の彼には、「丸一樹」などほとんど他人と変わらない。


 そんなものを生命懸けで救おうとする行為は、マトモな価値観を持った行動ではない。

 でも、それは……


 そこまで考えてから、不意に気づいた。私は月曜日に黄泉へ行った時のことを、他人に話していない。

 〈正義〉はある程度察しているらしいが、〈接続〉の魔術師が何をしたかを詳しく知っているのは、私だけなのだ。


 あの屍人が何をしたかを知らなければ、ミコト君の行動は、彼自身の狂気によるものに見えるだろう。

 言葉が贖罪に繋がることを信じて、口を動かす。


「確かに、ミコト君の行動は、大して覚えてもいない恋人のために戦うという行動は明らかに不自然です。狂気的な行動とも思えます。しかし、あの執着は、〈接続〉の魔術師によるものです。黄泉にて、本人がそう言ってました」


 罪の意識に苛まれ続けているせいか、喉の筋肉が重い。説明する言葉は、きちんと伝わっているのだろうか? 


 そう思って隻腕の魔術師の顔を窺うが、鬼の仮面のせいで反応が分からない。驚いているのか、納得しているのか、読み取れない。


 数秒の沈黙の後、唐突に魔術師が、片方しかない手で頭を抱えた。


「あっ、あ~、一樹、丸一樹か! いたな、そんなやつ。ワタシのしたことが、……説明不足だったな。貴様からすれば、あいつの狂気はそう見えるか」


 驚きと納得がごちゃ混ぜになった反応。しかしそれは、見過ごせない単語を含んでいた。


「私からそう見えるって、あなたにはミコト君の狂気が違うように見えるんですかっ!?」


 何か重要なことを聞かされていない。そんな予感があった。

 表情の見えない仮面を通して、困ったという感情が伝わってくる。


「ふむ、いやっ、さっきまでの話は忘れてくれ。貴様は知らなくていいことだ。うん」


 話をはぐらかされた。いやっ、はぐらかそうとされた。

 ミコト君への贖罪のために、この話は聞くべきだ。聞かなくちゃいけない。


「話してください」


 まっすぐに前を見て、〈正義〉の魔術師と対峙する。鬼の仮面の向こうで、魔術師の眼が泳いでいるのが分かる。

 そして、


「知りたい気持ちは分かるが、知らないなら、知らない方がいい。

 現状、一番避けたいのは、あいつが自分の狂気を自覚することだ。なら、周りの人間は知識を持っていない方が都合いいだろう?」


 真っ直ぐに、見つめ返された。


「魔術師の家系の出である貴様には今更な話だが、対魔術において無知とは時に武器となる。

 正常性バイアスなんて言葉があるように、人間は常に『まさかこんなことにはならないだろう』という思念を、魔力を纏っている。無知ゆえの過小な想像は、魔術を妨害する思念となりうるのだ」


 その考え方は、実際にその通りではあるのだろう。

 実際、私も最初、ミコト君の正常性バイアスに委ね、異世界に行った記憶を夢として処理させようとした。

 結局、それは上手くいかなかったし、怪物に左ひじを傷つけられた以上、それでは済まなかったのだが、あの時点で私が知りえた情報の中では、それが最善だった。


 今、鬼面の魔術師がなそうとしている所業は、これと酷似している。でも、


「お言葉ですが、今回の場合は難しいかと。私は既に全くの無知ではなく、彼が危険なことを知っています。

 全くの無知ならば楽観的な思考もできますが、中途半端な知識は、更なる恐怖や悲観を呼び起こします。ならば、全てを知った方がまだマシというもの」

「分かってる。だから貴様に中途半端に話したのを後悔しているところだ。くそっ、こういうドジは昔から変わらんな」


 私の言葉に、魔術師が悪態をつく。いまいち実感が湧かないが、本当に彼女はミコト君のことを思ってくれているらしい。


 そう、私の言葉がどうしようもない結論だ。

 魔術師でも抗えない、人の心根。完全なる無知ゆえの楽観と、半端な知識ゆえの悲観。


 例えば地震。平時は全く気にしない事柄だが、一度報道で大きく取り上げられれば、目に見えて防災グッズの売り上げは伸びる。いつか起きると分かっていて、いつ起きるかは分からないがゆえに起きるヒステリーだ。


 今回の場合、私は何も気づいていない無知の状態から、ミコト君が狂いかけているという知識と、その委細に対する無知を得た。

 無知の知と言い換えれば聞こえだけはいいが、それは悲観的な思考の悪循環を及ぼす。

 その悲観的な思念は、魔力へと変わり、ミコト君の狂気を引き出しかねない。本当に由々しき事態だ。


「さて、どうする? いっそ、貴様の記憶を消すか? いやっ、ワタシにも貴様にも忘却の術式は使えないし、他の魔術師に頼むのは危険だ。〈平和〉たちを頼りたいところだが、クソ上司が介入してきたら手の施しようがない」


 本気で頭を悩ませながら、鬼面の魔術師が口を動かす。「記憶を消す」という考えは、今の私にとって、途轍もない拒否感を及ぼすものとなっている。


 しかし、それが贖罪に役立つのなら、受け入れよう。そう思った、矢先。


「いやっ、今から策を考えるのは無理か。仕方がない。現状のワタシがとれる最善の選択肢をとるとしよう」


 策謀を諦めた魔術師が、息を吐いてこちらに向き直る。

 魔術師が危惧する、彼、ミコト君の狂気。その全てが明かされるのだ。


「悲観的な考えを直す方策を教えてやる。これでもカウンセラーなんだ、心理学は心得ている。魔術師相手にどこまで通じるか分からんが、ポジティブシンキングを植え付けてやろう」


 半端な知識は事態を悪くすると知ってもなお、彼女は私に推測を告げないと決めた。


 私がどれだけ悲観的な妄想を膨らませたとしても、現実よりはマシだと。

 そう、私に告げたのだ。


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