3:黒い勾玉と命
翌日。カウンセラー室。昨日、俺によって壊された壁が早くも直されている部屋の中。
破壊が起きた。
植物が俺の左腕にまとわりつき、ガントレットとなった。
昨日、魔術師、戸門冬夜を殺した異界の腕。その全力が、カウンセラーの先生に向けられる。
もちろん、ただのカウンセラーではない。〈正義〉の魔術師を名乗る隻腕の女性だ。二人でいるので、鬼の面はつけていない。
「なるほどな」
凶悪そのものを具現化したような一撃を、魔術師は軽くいなした。
樹木の爪が空を切り、すぐ横の椅子を吹き飛ばす。
魔術師というのは確かだが、多少の語弊がある。彼女は今、魔術を使っていなかった。
体裁きで躱し、左腕の付け根、ガントレットが伸びていない箇所を小突いただけだ。
それだけで、俺の身体は重心を見失い、地面に崩れ落ちる。本来ならそのはずだ。
「倒れてたまるかっ」
気合とともに、自身の体内に張り巡らされた異界の怪物の根に意識を傾ける。
魔術師たちの攻撃を喰らっても、この根は傷つかず、強固であった。
そして、細かい根の一本一本が、吹き飛んだ身体の部位を運ぶほどの膂力を持つ。
これを動かし、筋肉のように扱えば、
「オラァ」
倒れそうになった身体が、有り得ない動き方で立ち直る。
そのまま左腕を魔術師に向ける。
しかし、すでに距離を開けられていた。樹木の破壊は、虚空を虚しく通過し、魔術師はそれを確認しながら、左側にしかない拳を握る。しかし、
「いけっ」
掛け声とともに、樹木の指が伸びた。指はそのまま槍と名を変え、距離の開いた隻腕の魔術師へ肉薄し、
「ここまでで、十分か」
蹴り上げられ、あっさりと弾き飛ばされた。
追撃の気配はない。魔術師は既に、疲れをとるように首を回している。
槍を引っ込め、ガントレットを解き、左ひじに収容する。それを見届けた時点で、魔術師が笑った。
「今のを見るに、きちんとその腕は制御できているようだな」
「その確認のためだけに、本気で殺し合わせるやつがあるか!」
そう、今までの戦いは単なる動作チェックだ。
ついさっき、昨日と同じようにカウンセラー室に入った俺は、魔術師から、樹木の怪物の、その正体の推測を聞いた。
知恵の果実ではなく、生命の果実を食した人類。知性がなく、ただ無限の生を享受していたアダムとイヴ。
それが、あの怪物の正体。〈進化〉の魔術師がそう推測していたらしい。
あれの不死身性は、直接戦った〈正義〉の魔術師が、嫌というほど体感している。ただ俺が、「怪物は死んだ」、「身体を自由に動かせる」と言うだけでは、信用できない。
俺が本当に樹木の腕を制御できているか。また、どれほど力があるのか。
ただ、それだけを確かめるために、彼女は戦ったのだ。
「形状自由で破壊不能の樹木に、身体中に張り巡らされた根による身体強化。さらに不死身なのは相変わらずだろうから、貴様、かなり強いな。冬夜が負けたのも頷ける」
俺を軽くいなしておきながら、〈正義〉の魔術師はそう宣う。
さっきの戦いで、彼女が魔術を使った形跡はなかった。もしかしたら、俺の理解が及ばない所で何らかの魔術を行使しているのかもしれないが、見ている限り、彼女は、素の身体能力だけで、樹木の破壊を退けた。〈断絶〉の魔術師、戸門冬夜を倒した樹木をだ。
「これで、まあ、魔術師としての用事は済んだ。クソ上司には『暴走の危険なし』って伝えておくから、安心しろ」
戦闘で吹き飛んだ椅子をもとの場所に戻しつつ、〈正義〉の魔術師が口を動かした。
ただ、その安易な言葉に違和感を覚える。
「一回戦っただけで分かるのか、それ? もっと色々確認した方がいいんじゃ……」
「本来ならそうするべきなんだろーがな、貴様があの黒い勾玉を持ってんのを見たから、やる気をなくしただけだ」
俺の質問に、魔術師は俺の胸を指し示しながら答えた。
黒い勾玉の首飾り。あの異世界で、生枝先輩が最後に渡してきたものだ。
これに関しては色々と分からないことだらけだが、勾玉を見る魔術師の目には、確かな何かが宿っていた。
「これを知ってるのか?」
「もう二度と見ることもねえと思ってた品だがな。まあ、それがあるってことは、黄泉の怪物が動いたってことだ。死なない樹木が死んでも、おかしいとは思えない」
黄泉の怪物。樹木の怪物たちに囲まれた俺の前に突如現れた死の権化。
おぞましいという言葉すら割に合わない化け物だったが、眼前の魔術師の目には、それに対する嫌悪はなかった。
俺が感じた何かは、「懐かしい」だ。彼女はこれを見て、懐かしいと感じている。
「昨日、口を滑らせちまったが、ワタシが〈正義〉を受け継いでから千年が経ってる。あっ、疑問には思うだろうが質問はするなよ。それを説明するのは難しいからな。
ワタシが言いたいのは、ワタシが千年前、生前の黄泉の怪物と会ってて、その強さを知ってるってことだ」
地味に聞きたいところをはぐらかされた。あれか、昨日渡されて、そのまま回収された本に何か書いてあるのだろうか?
「あいつは千年前に死に、その精神を黄泉で保存するのに成功した唯一の魔術師だ。一応は魔術師だが、とうにヒトの域を超えた存在だから、本物のイザナミと言っても過言ではない」
俺の困惑を気にも留めず、〈正義〉の魔術師は言葉を重ねる。
「使う魔術もイザナミを原典とした凶悪なものだ。貴様、イザナギ・イザナミの伝説は知っているよな?」
「ん? ああ、日本を作った神様が、亡くなった奥さんを追いかけて黄泉に行って、結局逃げ帰るって話だよな」
雑談部と揶揄されることも多いが、これでもオカルト研究部の一員だ。これくらいの常識なら、もちろん知っている。
「はしょりすぎな気もするが、そこはとりあえず置いておこう。それで、イザナミは夫との別れ際、何と言ったかは知っているか?」
「えっと、たしか……生物を一日に千人ずつ殺していくってやつか」
今度は、頭を捻って記憶を絞り出す。イザナミが一日に千人を殺し、イザナギが千五百人を生む。いつか人口が爆発するなと思った記憶がある。
「そう、それがやつの操る魔術の一つ。一日に千人を上限に、相手の強さや居場所も関係なしに魂を黄泉に引きずるって魔術だ。あれを使われたんじゃ、異世界の怪物だろうが何だろうが、一発でお陀仏だよ」
「……はっ?」
瞬間的に噴き出した困惑は、昨日、イザナミが見せた圧倒的なまでの力を回想して納得に変わった。
俺の腕に宿ったものも含め、もともと死の概念すらなかった樹木の怪物たちを停止させたあの魔術。
餓鬼を相手には無双をほこっていた雨季も、樹木の怪物には逃げ腰だった。眼前の〈正義〉の魔術師も、俺に宿った樹木の怪物を殺しきることは出来なかった。
それすら一瞬で倒してしまうほど、イザナミは強いのだ。
「まあ、そうそう関わることのない人物だから、頭に留めておく必要はない。貴様は、そういうやつに救われたと覚えておけ」
いま、すげえ今後関わるフラグが立った気がする。
「うん、で、何の話だったか? ああ、あいつが関わっている以上、貴様に暴走の危険性が無くなったっていうのも信じられるってこった」
「……なら、なんでいきなり戦ったんだよ」
「どちらにせよ、貴様の戦力を測る必要があったからな。どこぞのクソ上司の気まぐれで、いつ敵対するかも分かったものではない」
俺の質問に、魔術師は悪態をつきながら答える。
俺の兄に薬を盛り、一樹の映った写真や戸籍を消し去った雨季の兄、戸門春秋。
魔術の秘匿を、社会の平和を守れる唯一の存在であるという事実を盾として、多くの人間を貶めているクズ。
〈正義〉の魔術師はきっと、どんなに気が進まなくても、最終的には魔術の秘匿を守るためにクソ上司に従うだろう。
俺と敵対するようになる可能性も、十分にある。
つまり、敵対する可能性を考えて、手の内を見たかったってことか。
「……やられた」
「クソ上司が余計なことをしないように祈っとけ。それより、そろそろあいつが来るぞ」
掌を顔にあてる俺に、魔術師は胸元から角の欠けた鬼の面を当てがいながら答えた。
コン、……コン
同時にノックが聞こえてくる。本当はカウンセラー室に入りたくないのか、ノックが地味に控えめだ。
「入れ」
鬼の面をつけ、〈正義〉の魔術師としての姿になったカウンセラーは、扉の前の人物に入室を勧める。
「……失礼します」
扉が開く。最初に目に入ったのは、特徴的な三本の白メッシュ。
それから、細部が目の中に飛び込んでくる。
制服の裾から覗かれる手首には昨日見た痣の他に、生々しい切り傷が見える。
足にきちんと力が入っていないのか、太ももが細かく震えている。
首の切り傷も跡が残っている。
満身創痍。意味にすればその四文字で終わる状態だが、そう形容するのがはばかられる何かがそこにはあった。
「……雨季」
「ミ……コト君。その……ごめん」
変わり果てた姿と態度で俺の前に立った協力者は、そうやって俺に頭を下げた。