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2:後悔と命

 すぐ目と鼻の先が病院だったのが、不幸中の幸いだ。


 あまりの衝撃に実菜が倒れたあと、〈正義〉の魔術師が傷を塞ぎ、道行く人が、すぐに病院に知らせてくれた。


 首切り自殺への対処としては、最高の部類だ。だから、


「一命は取り留めました。傷も出血量ほどは多くないですし、明日には復活するでしょう」


 手術室から出てきた医者が、冷淡な声で告げてくる。

 良い知らせのはずなのに、それを聞く俺たちの通路のベンチに座り、俯いていた。


 それ以上に、雨季が自殺しようとした。その事実が、俺たちの肩に降りかかっていた。


「違う。あたしは、こんなことしたかったんじゃ……」


 隣で、実菜が肩を震わせている。

 あれの直前、実菜は感情のままに雨季を罵倒していた。

 それに責任を感じているのだろう。


「木村君、月石さん、ちょっといい?」

「誰だ?」

「へっ、都先生?」


 病院の隅で縮こまっていた俺たちに声がかかる。にこやかな表情、高らかな声。

 俺が知るその人物とは大きく異なるが、カウンセラーの先生という意味では、これが正解だ。

 カウンセラー、都香里。〈正義〉の魔術師が、学校の表舞台で被っている仮面。それが彼女だ。


「カウンセラーとして、戸門さんの様子はワタシが見るわ。今日はもう遅いし、あなたたちは帰りなさい」


 普通の大人として、マトモな教師としての対応だ。


「あっ、あの、あたし、親に電話してきます」


 逃げ出すように、画面の割れたスマホを抱きしめて実菜が走っていく。

 そのあとを、水滴がなぞった。


「あっ、そうだ、俺も……」

「木村君、ちょっと話してもいいかな?」


 スマホを持ってベンチから立ち上がろうとした俺を、香里が制止する。

 相変わらず、カウンセラーの仮面を被っているが、その声音が少し暗くなっている。


「君のお兄さん、戸門さん以上に酷い状態になってる」


「貴様」ではなく「君」と言って、香里は俺にそう伝えてくる。

 ボロボロの状態になった雨季が出てきた廃ビル。あの時、俺の兄はそこからでてきた。


 暴行の犯人が自分だとでもいうように。


 実菜の足音が十分に離れた。もう、こちらの声は彼女に聞こえない。

 それを知覚するとともに、香里の口調が変わる。


「〈笑顔〉の薬だな。脳の機能が大きく低下している。マトモな判断能力すらできない状態だ。狂気的な魔術師と大した差はない」


 その言葉に恐怖を覚える。俺が糾弾されているような気がした。


「貴様は関係ないさ。全部、クソ上司のせいだ。あいつが貴様の兄を騙し、あいつが薬を盛った。そしてあいつが、貴様の兄が戸門さんを襲うように仕向けた。貴様に責任はない」

「でも、春秋がそれをする原因を作ったのは俺だ。俺が魔術になんて手をだしたから、春秋は兄貴を……」


 励ます香里の手を払う。それでも、〈正義〉の……カウンセラーは言葉を継ぐ。


「自分に責任があるって、そう思いたいだけだろ?」


 口調が荒れる。素の彼女の声音だ。


「あの魔術使いを恨んでいた月石ですら、責任を感じて自分を責めた。薬漬けにされて利用され貴様の兄ですら、頭を抱え苦しんだ」


 声が思考を誘導する。なのに、


「しかし、貴様は何も感じていない。だから、責任を背負いたい。自分を卑下し、周りと一緒に傷を舐めあいたいから、舐められる傷が欲しい。そうだろう、木村命?」


 言葉がでない。代わりに首を縦に振る。彼女の言葉は間違っていない。


 いやっ、間違っているかどうかすら分からない。そう言われたら、そんな気がする。


「なら、ちょうど良かった」


 俺の反応を肯定と判断したのか、隻腕の魔術師は笑顔を見せる。


「雨季の変化は、間違いなく貴様のせいだ。貴様が冬夜を殺し、彼女にとって辛い記憶を全部掘り起こしたから、彼女は死を選んだ。

 よくよく考えてみるといい。魔術使いである彼女が、薬中に襲われた程度で負けるわけがないんだ。目の前の事態に抵抗できないほど打ちのめされていない限りはな」

「あっ」


 そうか。考えもしなかった。記憶が戻ったら、俺にもう一度協力してくれる、実菜ともう一度親友になれる。

 そんな結果だけを考えていた。

 思い出すことが、忘れていたという罪悪感と向き合うのがどれほど辛くて苦しいことか、俺は一樹を思い出した時に知ったはずなのに。


「さ、罪は自覚させたぞ。あとはそれに触れて、向き合い、乗り越えろ。幸い、魔術使いは生きている。取り返しのつかない事態にはなってない。

 貴様と月石と三人で集まって話せ。全員が傷ついて、全員が責任を感じているんだ。対等に話せる」


 魔術師の言葉が、自らが強いた重荷を取り去っていく。一見、矛盾した行動だが、彼女の場合は、


「こうすることが、あんたの〈正義〉か?」

「ああ、罪を自覚せず、のうのうと過ごす貴様を見るのは我慢ならなかったが、罪悪に潰される貴様を放っておくのも〈正義〉の在り方に反する。その結果がこれだ。

 ああ、貴様の兄のこと、親族として伝えはしたが、そっちは本当に気にしなくていいぞ。もし、クソ上司以外に責任の所在を追求するなら、騙されたバカが一番悪い」


 ドタ、ドタ、ドタ


 その言葉が紡がれた直後、足音が聞こえてくる。実菜が電話を終えて戻ってきたらしい。


「ありがとな。あんたのおかげで、少しは楽になった」

「当然だ。〈正義〉として、カウンセラーとして、落ち込んだ生徒には声をかけるさ。今回ばかりは、時間外労働も許容してやる」

「カウンセラーを名乗るんなら、言葉遣いを直せよ」

「貴様以外には、きちんとした言葉で話すか、鬼の仮面を使うさ。死ぬはずだった貴様には、全部話しちまったからな、どうも仮面をつけられん」


 その言葉を耳に通してから、席を離れる。異世界に行く前、俺はあいつから〈正義〉の意味を聞いた。仮面で繕わざる彼女の本心を聞いた。

 そんな俺には、仮面は必要ないんだろう。


「残念なことに、貴様はまだ、カウンセリングの対象だ。また明日、話すことになるだろう。カウンセラー室に来い、一度目は一人でな」


 後ろから声がする。まあ、ここまでのことがあれば、カウンセリングに呼ばれるよな。


 そんなことを考えつつ、足音をする方へ向かう。廊下の角から、見覚えのある後輩の顔が現れた。


「あの先輩……今なんか、すごい乱暴な声が聞こえたような気がしたんスけど」

「ああ、せい……香里先生は、あれが素だから」


 問いかけてくる実菜に、一瞬、〈正義〉の魔術師と言いかけて、即座に訂正する。

 案の定、唖然とした表情が見えた。


 それよりも、


「……話の内容、聞いてたか?」


 魔術云々の話が聞かれていたら、色々とマズい。


「えっと、乱暴な口調の大人が、生徒を防音が完璧な部屋で二人きりになろうとしているってとこは……」

「変な言い方すんな」


 確かに、カウンセラー室の防音は完璧って話だけど、そこを切り取るな。

 そうやって揚げ足とってくるところがウザいんだよ! 


「すみませんっス……でも、必死にいつものキャラ作っておかないと、壊れちゃう気がするんスよね」

「……」


 その言葉に息が詰まる。雨季の自殺未遂がそれほどまでにショックだったのだ。

 おそらく、生枝先輩が死んだときの俺、もしくは、それ以上の……


 だから、「ウザい後輩」というキャラクターを通さないと会話できないほど、本来の気持ちの整理がついていないのだ。


 そもそも、彼女の理解では、自分の罵倒が雨季を追い込んだようにも思える。


 実際、間違いじゃない。

 記憶が戻り、突然の罪の意識に戸惑っていた彼女に現実を、最悪を突きつけたのは、間違いなく彼女なのだから。


「……お前さ、雨季のこと、どう思ってる?」


 答えは返ってこない。


 そのまま無言の状態で、病院の自動ドアを開けてもらい、外に出る。

 なるべく向かいの廃ビルが視界に入らないように、俯いたまま歩いた。


「…………大切な友達だったっス」


 廃ビルに背を向けてから、答えが返ってくる。過去形で。ウザい後輩としての口調で。


「最初は多分、可哀想って思っただけだったっス。見て見ぬふりするのが怖くて、手を差し伸べることしかできなくて、……そしたらいつの間にか、自分を傷ついても守りたいほどの、大切になってて」

「うん」


 湧き出てくる言葉に相槌をうつ。それが仲良くなるということだ。


「だからこそ、なかったことにされた時は、本当に悲しくなったっス。あたしを助けてくれなくてもいい。ただ、あたしが自分の被害を隠してたのを謝ろうとしただけなのに、あいつは必要以上に距離をとったんス」


 必要以上の距離、すなわち、他人のふりだ。

 他人のふりをされた。正確には、他人になったのだ。ゆえに『元』親友。

 そしてついさっき、冬夜が死んで、雨季の記憶が戻るまでは、完全に他人だった。


「まあ、もう一年も前にことなんで、もう気にしてなかったんスけど、あいつがいきなり先輩に近づいたのを見て、ビックリしたんスよね」

「ビックリじゃ済まない非難の数々だったけどな」

「うっ……そりゃ、好きな先輩にいきなり変な虫がついたら追い払いたくなるっスよ。しかもそれが、関わっちゃいけないと思った人物だったらより一層っス」

「……そうだよな」


 記憶喪失のことを知らない彼女の視点では、雨季は正真正銘のクズだった。

 あまり自分の知り合いと関わってほしい人物ではない。

 仮にそれが、俺、つまり、好きなせんぱ……ん? 


「あっ、隙だらけな先輩ってことっスよ! 先輩ちょろそうで、少し優しくされるだけで雨季のこと好きになりそうだったから、心配したんスよ。ほら、生枝先輩のことがあった直後だったし、先輩の心も不安定だと思ったんで!」


 俺の思考に割り込むように、実菜が赤い顔で言葉を並べる。

 病院を出てから初めて、彼女が顔を上げた。


「あっ、ああ、隙だらけね。分かってる分かってる、お前が俺を好きなわけないしな」

「えっ、……あっ、その」


 変な勘違いはしていないことを胸を張って示すと、実菜は再び俯いてしまった。

 暗くて良く見えないが、その顔は少し赤くなっている気がする。


「まあその、そんな隙だらけの先輩に騙されほしくなくて、先ほどの罵詈雑言に繋がったわけっス。雨季があんなに責任を感じているとは思わなかったっスけど」


『ごめんなさい』と雨季が最後に言った言葉を思い出した。

 あれが、誰に対しての言葉なのかは分からない。


 魔術の世界に俺を巻き込んで、そのことを忘れていたことに対するものか。

 もしくは、実菜との友愛を忘れ、他人になってしまったことに対するものか。

 はたまた、俺の知らない、他の誰かに対するものか。


 その全てか。


 何にせよ。〈正義〉の魔術師が言ったように、あいつと話さなくちゃならない。実菜も交えて、皆で立ち直らないといけない。

 そうしなければ、何も先には進まない。


「先輩と雨季って、どんな関係だったんスか? あたし、きちんとは知らないんスけど」


 自分のことを話し終えた実菜が口を動かす。

 魔術のことについては触れられないが、この状況では回答拒否もできない。


 考えるそぶりを見せながら、上を向く。

 星々の光は街灯に塗りつぶされていた。

 見える星は月くらいだ。


 満月は昨日だったか、明日なのか、それとも今日なのか。細かい違いは分からないが、月は「丸い」という形容詞がピッタリな形をしていた。


「丸い月は、随分と遠いな」


 実菜の問いの返答にはならないが、俺はそう呟いた。もちろん、月に手を伸ばしても届かない。




 こうして、俺の一樹捜索は一時停止し、雨季との関係を修復することに決めた。自分ひとりでの捜索にも限界があるとか、そんな理由をつけて、俺は目的から、自らの願いから目を背けた。


 その行いが示していた。俺はまだ、狂ってなどいなかったことに。

 他のものに目を向ける余裕があったことが、真に〈接続〉を引き継いでいないことを示していた。


 俺が狂うとしたら、もっと別のもの。何の関係もなく、しかし、片鱗は見えていた俺の本当の〈願い〉。

 この時、違う決断をしていれば、きっと……


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