表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/85

21:冬夜の命

「逃がさない」


呆然としている俺、唖然としている生枝先輩。その横で、何かが立ち上がった。

すでに心臓は吹っ飛んでいる。起き上がれるはずがない。

そんな常識的で、希望的な観測はもう、何の意味もなさない。


「まさか、現実との縁を切ったの!? まさか、そんなことをしたらっ」

「『誰も帰れなくなる』なんてつまらない批判はやめろよ。どうせ戻ったって死ぬだけなんだ。最期に貴様らを道連れにしようとするのは、当然の行動だろう?」


現在進行形で、胸から血を垂れ流しながら、魔術師が狂刃を振るう。銀光が切るは、この世界と現世の縁。つまり、俺が帰るべき道の全てだ。


「くっ、私が縁を結び直すわ!」


状況を理解し、すぐに生枝先輩が行動を起こす。彼女の十本の指から伸びた十本の紅い糸。内五本が俺に、内五本が電車の残骸へと伸びる。


よく知らないが、これが彼女の魔術なんだろう。しかし、よく知らなくても分かる。彼女はこれで文字通り、手一杯だ。


「させると思うか? なあ、〈接続〉!」


そんな状態の先輩を放置する敵ではない。〈断絶〉の刃から放たれた雷の斬撃が、先輩へと迫る。


「させるかっ!」


咄嗟に樹木の腕を伸ばして、斬撃を受け止める。まっすぐだった電流が、俺の身体を駆け巡り、脳を震わせる。


「アガッ、カハッ」


頭が真っ白になる。直後に全身の痺れ。しかし、気を失うわけにはいかない。

バカになった筋肉の代わりに、全身に張り巡らされた木の根に意識を向ける。

それらを動かして、無理矢理に平衡を保つ。


かなりの力技だが、こうしなければ立っていることすらままならない。


「厄介だな。その糸も、その腕も、その信念も」


眼前、血塗れも魔術師が呟いた。向こうだって満身創痍。刀を持つ手もゆらりと垂れている。

それでも脅威を感じさせるのは、銀光を放つ刃のせいか、死を前にしてなお立ち上がる狂気のせいか。


「オン・バザラ・ヤキシャ・ウン」


一瞬の相対の後、冬夜が詠唱を口にする。生み出された雷は、彼の周囲に迸り、盾としての役割を果たす。

その盾の内で紡がれるのはきっと、さっき見せたのと同じ忘却の魔術だ。


「させるかよっ!」


普通に考えて、忘却の魔術を発動されたら、対処は不可能だ。何をすべきかを忘れてしまえば、手の施しようがない。

しかし、いやっ、だからこそ、勝機は今この場しかない。

雷電の渦巻く壁の向こう、そこで魔術の準備に取り掛かっている奴を、ここで止めるしかないんだ。


「ハァッ!」

「バカが、自分から死にに来たか」


気合とともに、雷電の渦に身を投じる。さっきの斬撃は比較にならない量の電流が体と心を焼き尽くす。

すぐに痛みが消えた。電撃に囲まれた感覚神経が、その役割を停止したのだ。

すぐに目も見えなくなった。狂おしいほどの稲光が、マトモな視界を押しつぶす。


最後に聴覚だけが残った。すぐ目の前にいるはずの誰かの歌が、敗北のカウントダウンに聞こえる。


「さむしろに 衣かたしき 今宵もや」


縁切りの魔術の詠唱。これが終わった瞬間、俺は為すすべもなく負けるだろう。

ただ、嬉しいことに、その音が聞こえる。音が聞こえるなら、位置が分かる。位置が分かるなら、まだ進める。


「汝祀らむ 宇治の橋姫! む!?」


歌の下の句が紡がれる。その言葉尻が、僅かに乱れた。俺が一歩前に踏み出したから。

足を動かした感覚は無いし、視覚的にもそれは確認できない。

ただ、俺の身体を犯していた樹木の根を筋肉のように使い、歩くという動作を再現しただけ。でも、歌の音源には近づけた。


「橋姫神社が祭神に乞い願う」


その音源にさらに近づく。一歩、二歩。あともう少し。


「分かち給え、離し給えと」


詠唱の終わりまで、あと一節。でももう、きっと拳の届く距離に奴がいるはずだ。


「急急如律―」


その言葉と同時に、俺も拳を振るう。あいつの魔術は、常にその刀によって発動していた。魔術の基盤が切ることに由来するからなのだろう。

今回もそうだ。あいつは詠唱を終えてもなお、刀を振るわなければ、魔術を使えない。ほんの一瞬、刹那にも満たない微小な時間だが、そのほんの少しの時間だけ、俺の拳の方が早い。


バコオォォォォン


電撃で麻痺した神経が、それでも確かな手応えを伝えてくる。

筋肉は使えないが、体内の根を総動員して生まれた膂力は、人のそれを大きく上回る。死に体の魔術師には、回避も防御もままならない必死の一撃になる。


「よく頑張ったわねぇ。それじゃあ後は、お姉ちゃんに任せて」


後ろからの声。稲光が消えて、ほんの少しだけ視界が戻る。ぼやけた視界が、顔の骨格が歪んだ魔術師を映し出す。


(良かった。俺、勝ったんだな。……これで、雨季も、)


心に安心と安寧が灯った瞬間、今度こそ俺の意識は、遠き夢幻の彼方へと溶けていった。






『電車が参ります。黄色い点字ブロックの内側まで、下がってお待ちください』


 全身を巡る激痛の嵐。そのすぐ横で、赤い液体が舞い上がった。


「〈断絶〉の姿を隠せ! すぐに電車が来るぞ!」


 白い影が蠢き、駅から冬夜の身体を隠す。痛みに呻きながら顔を上げると、〈正義〉の魔術師が、白ローブの魔術師たちに指示をだしている。


「貴様は生きているな。とりあえず、ここから去るぞ。余りにも目立ち過ぎる」


 視線に気づいて、鬼面の魔術師が俺の身体を持ち上げる。

 以前異世界に行った時のように、破れた服は直っている。破壊に巻き込まれてどこかに消えたスマホや本も手元にある。


 そして、黒い勾玉、異世界で生枝先輩に渡された首飾りも手元にある。


 無理矢理に維持していた意識が、苦痛に溶けていく。

 駅に舞った血液は洗い流され、魔術の跡が駅から完全に消えていった。



『以上が、今回の木村命処刑に関する報告となります。ご質問はおありですか?』


 普段の彼女からは想像もつかない、丁寧な口調。

 ボク、戸門春秋は、通信の魔術で〈正義〉の魔術師……せいちゃんの木村命君に関する話を聞いていた。


 木村命君は異世界から生還。逆に、冬夜兄様は、胸に風穴を開けられて死亡、か。


「それじゃ、質問を一つ。木村命君の暴走はどうなった?」

『うわ言で呟いた本人の話ですと、もう暴走の危険性はないそうです。後日、詳しい事情聴取をしたうえで、改めてご報告致します』

「りょーかい。じゃあ、また後でね」


 そう言って、せいちゃんとの通話魔術を切る。


 はぁ、冬夜兄様が死んだか。

 妹を狂わせない。そんな〈願い〉のために狂気に、魔術に手をだした、愚かだが優しい兄。


 そんな兄が、死んだ。


「はは、はははは」


 こういう時、ボクの顔には笑顔が浮かぶ。兄が死んだというのに、その口角は歪に上がっている。


 本当に、面白すぎる。


「くくっ、はは、はははは! 死んだ! ついに冬夜が死んだ。さいっこうだぁ」


 嬌声をあげて、ボクは一人、廃ビルの中で踊り狂う。


「どうして死んだのかな? 異世界の化け物? それとも木村命君の正当防衛かな? 後者だったら、最高に面白い展開だよ!」

「急にどうしたのよ? 冬夜兄がどうかしたの?」


 盛り上がるボクの声が、廃ビルの一階で木村命君の兄と戦っている雨季に届く。


 冬夜兄? 死んだよ、彼は。狂気的なまでの君の盾は、君を守ろうという意思に殺された。


 それじゃあ、舞台は整った。

 さあ、最悪を始めよう。


「ああ、木村命君。君は失敗した。雨季君を助けたいんだったら、彼を殺すべきじゃなかった」


 ボクは魔術師じゃない。雨季のように、狂気を持たない魔術使いでもない。

 ただ魔術を知っているだけ。基本的な念力の一つすら使えない。

 神の奇跡を簒奪するなど、ボクには畏れ多くてできない。


 でも、言葉は時に魔術以上に力を発揮する。


「『悪い魔法使いが倒されたら、お姫様の呪いは解ける』お伽噺じゃお決まりの展開だ。ねえ、そうでしょう、雨季おひめさま?」


 自分のことを思い出してもらう。後輩のことを思い出してほしい。

 そんな思考だけで、木村命君は冬夜兄様を殺したのだろう。


 〈断絶〉の魔術師が雨季から、どれほど大切なものを奪ってきたのか、どれほどの狂気から救ってきたのか、彼は知らないのだ。


「……あっ、ああ」


 ボクの言葉、何の魔術も使っていないただの言葉が、雨季に届く。


 雨季の、拳を握る力が抜けて、さらに、膝が折れる。

 ボクの言葉をきっかけに、〈断絶〉の呪いが解けたのだ。


 その眼前には、Sクラスに入るために、雨季から裏口編入の話を聞くために、手段を選ぼうとしない木村兄の姿がある。


 失っていた記憶を取り戻して、困惑と罪悪感で押しつぶされた少女と、薬で理性を失った男。

 まあ、両方ボクが仕込んだやつなんだけど。


 あれだ、よく聞くやつ。『何も起こらぬはずもなく』ってやつ。


「話せ。お前が話したら、俺がSクラスに……」

「あああっあ」


 すっかり抵抗力を失った雨季に、木村兄の魔の手が伸びる。


「はは、本当に、面白くなってきた」

三章終了です。四章までは結構かかりそうなので、首を長くして待っていただけると幸いです。

それまでの間、別の投稿サイトで、一から投稿を開始します。(詳しくはあらすじにて)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ