21:冬夜の命
「逃がさない」
呆然としている俺、唖然としている生枝先輩。その横で、何かが立ち上がった。
すでに心臓は吹っ飛んでいる。起き上がれるはずがない。
そんな常識的で、希望的な観測はもう、何の意味もなさない。
「まさか、現実との縁を切ったの!? まさか、そんなことをしたらっ」
「『誰も帰れなくなる』なんてつまらない批判はやめろよ。どうせ戻ったって死ぬだけなんだ。最期に貴様らを道連れにしようとするのは、当然の行動だろう?」
現在進行形で、胸から血を垂れ流しながら、魔術師が狂刃を振るう。銀光が切るは、この世界と現世の縁。つまり、俺が帰るべき道の全てだ。
「くっ、私が縁を結び直すわ!」
状況を理解し、すぐに生枝先輩が行動を起こす。彼女の十本の指から伸びた十本の紅い糸。内五本が俺に、内五本が電車の残骸へと伸びる。
よく知らないが、これが彼女の魔術なんだろう。しかし、よく知らなくても分かる。彼女はこれで文字通り、手一杯だ。
「させると思うか? なあ、〈接続〉!」
そんな状態の先輩を放置する敵ではない。〈断絶〉の刃から放たれた雷の斬撃が、先輩へと迫る。
「させるかっ!」
咄嗟に樹木の腕を伸ばして、斬撃を受け止める。まっすぐだった電流が、俺の身体を駆け巡り、脳を震わせる。
「アガッ、カハッ」
頭が真っ白になる。直後に全身の痺れ。しかし、気を失うわけにはいかない。
バカになった筋肉の代わりに、全身に張り巡らされた木の根に意識を向ける。
それらを動かして、無理矢理に平衡を保つ。
かなりの力技だが、こうしなければ立っていることすらままならない。
「厄介だな。その糸も、その腕も、その信念も」
眼前、血塗れも魔術師が呟いた。向こうだって満身創痍。刀を持つ手もゆらりと垂れている。
それでも脅威を感じさせるのは、銀光を放つ刃のせいか、死を前にしてなお立ち上がる狂気のせいか。
「オン・バザラ・ヤキシャ・ウン」
一瞬の相対の後、冬夜が詠唱を口にする。生み出された雷は、彼の周囲に迸り、盾としての役割を果たす。
その盾の内で紡がれるのはきっと、さっき見せたのと同じ忘却の魔術だ。
「させるかよっ!」
普通に考えて、忘却の魔術を発動されたら、対処は不可能だ。何をすべきかを忘れてしまえば、手の施しようがない。
しかし、いやっ、だからこそ、勝機は今この場しかない。
雷電の渦巻く壁の向こう、そこで魔術の準備に取り掛かっている奴を、ここで止めるしかないんだ。
「ハァッ!」
「バカが、自分から死にに来たか」
気合とともに、雷電の渦に身を投じる。さっきの斬撃は比較にならない量の電流が体と心を焼き尽くす。
すぐに痛みが消えた。電撃に囲まれた感覚神経が、その役割を停止したのだ。
すぐに目も見えなくなった。狂おしいほどの稲光が、マトモな視界を押しつぶす。
最後に聴覚だけが残った。すぐ目の前にいるはずの誰かの歌が、敗北のカウントダウンに聞こえる。
「さむしろに 衣かたしき 今宵もや」
縁切りの魔術の詠唱。これが終わった瞬間、俺は為すすべもなく負けるだろう。
ただ、嬉しいことに、その音が聞こえる。音が聞こえるなら、位置が分かる。位置が分かるなら、まだ進める。
「汝祀らむ 宇治の橋姫! む!?」
歌の下の句が紡がれる。その言葉尻が、僅かに乱れた。俺が一歩前に踏み出したから。
足を動かした感覚は無いし、視覚的にもそれは確認できない。
ただ、俺の身体を犯していた樹木の根を筋肉のように使い、歩くという動作を再現しただけ。でも、歌の音源には近づけた。
「橋姫神社が祭神に乞い願う」
その音源にさらに近づく。一歩、二歩。あともう少し。
「分かち給え、離し給えと」
詠唱の終わりまで、あと一節。でももう、きっと拳の届く距離に奴がいるはずだ。
「急急如律―」
その言葉と同時に、俺も拳を振るう。あいつの魔術は、常にその刀によって発動していた。魔術の基盤が切ることに由来するからなのだろう。
今回もそうだ。あいつは詠唱を終えてもなお、刀を振るわなければ、魔術を使えない。ほんの一瞬、刹那にも満たない微小な時間だが、そのほんの少しの時間だけ、俺の拳の方が早い。
バコオォォォォン
電撃で麻痺した神経が、それでも確かな手応えを伝えてくる。
筋肉は使えないが、体内の根を総動員して生まれた膂力は、人のそれを大きく上回る。死に体の魔術師には、回避も防御もままならない必死の一撃になる。
「よく頑張ったわねぇ。それじゃあ後は、お姉ちゃんに任せて」
後ろからの声。稲光が消えて、ほんの少しだけ視界が戻る。ぼやけた視界が、顔の骨格が歪んだ魔術師を映し出す。
(良かった。俺、勝ったんだな。……これで、雨季も、)
心に安心と安寧が灯った瞬間、今度こそ俺の意識は、遠き夢幻の彼方へと溶けていった。
『電車が参ります。黄色い点字ブロックの内側まで、下がってお待ちください』
全身を巡る激痛の嵐。そのすぐ横で、赤い液体が舞い上がった。
「〈断絶〉の姿を隠せ! すぐに電車が来るぞ!」
白い影が蠢き、駅から冬夜の身体を隠す。痛みに呻きながら顔を上げると、〈正義〉の魔術師が、白ローブの魔術師たちに指示をだしている。
「貴様は生きているな。とりあえず、ここから去るぞ。余りにも目立ち過ぎる」
視線に気づいて、鬼面の魔術師が俺の身体を持ち上げる。
以前異世界に行った時のように、破れた服は直っている。破壊に巻き込まれてどこかに消えたスマホや本も手元にある。
そして、黒い勾玉、異世界で生枝先輩に渡された首飾りも手元にある。
無理矢理に維持していた意識が、苦痛に溶けていく。
駅に舞った血液は洗い流され、魔術の跡が駅から完全に消えていった。
※
『以上が、今回の木村命処刑に関する報告となります。ご質問はおありですか?』
普段の彼女からは想像もつかない、丁寧な口調。
ボク、戸門春秋は、通信の魔術で〈正義〉の魔術師……せいちゃんの木村命君に関する話を聞いていた。
木村命君は異世界から生還。逆に、冬夜兄様は、胸に風穴を開けられて死亡、か。
「それじゃ、質問を一つ。木村命君の暴走はどうなった?」
『うわ言で呟いた本人の話ですと、もう暴走の危険性はないそうです。後日、詳しい事情聴取をしたうえで、改めてご報告致します』
「りょーかい。じゃあ、また後でね」
そう言って、せいちゃんとの通話魔術を切る。
はぁ、冬夜兄様が死んだか。
妹を狂わせない。そんな〈願い〉のために狂気に、魔術に手をだした、愚かだが優しい兄。
そんな兄が、死んだ。
「はは、はははは」
こういう時、ボクの顔には笑顔が浮かぶ。兄が死んだというのに、その口角は歪に上がっている。
本当に、面白すぎる。
「くくっ、はは、はははは! 死んだ! ついに冬夜が死んだ。さいっこうだぁ」
嬌声をあげて、ボクは一人、廃ビルの中で踊り狂う。
「どうして死んだのかな? 異世界の化け物? それとも木村命君の正当防衛かな? 後者だったら、最高に面白い展開だよ!」
「急にどうしたのよ? 冬夜兄がどうかしたの?」
盛り上がるボクの声が、廃ビルの一階で木村命君の兄と戦っている雨季に届く。
冬夜兄? 死んだよ、彼は。狂気的なまでの君の盾は、君を守ろうという意思に殺された。
それじゃあ、舞台は整った。
さあ、最悪を始めよう。
「ああ、木村命君。君は失敗した。雨季君を助けたいんだったら、彼を殺すべきじゃなかった」
ボクは魔術師じゃない。雨季のように、狂気を持たない魔術使いでもない。
ただ魔術を知っているだけ。基本的な念力の一つすら使えない。
神の奇跡を簒奪するなど、ボクには畏れ多くてできない。
でも、言葉は時に魔術以上に力を発揮する。
「『悪い魔法使いが倒されたら、お姫様の呪いは解ける』お伽噺じゃお決まりの展開だ。ねえ、そうでしょう、雨季?」
自分のことを思い出してもらう。後輩のことを思い出してほしい。
そんな思考だけで、木村命君は冬夜兄様を殺したのだろう。
〈断絶〉の魔術師が雨季から、どれほど大切なものを奪ってきたのか、どれほどの狂気から救ってきたのか、彼は知らないのだ。
「……あっ、ああ」
ボクの言葉、何の魔術も使っていないただの言葉が、雨季に届く。
雨季の、拳を握る力が抜けて、さらに、膝が折れる。
ボクの言葉をきっかけに、〈断絶〉の呪いが解けたのだ。
その眼前には、Sクラスに入るために、雨季から裏口編入の話を聞くために、手段を選ぼうとしない木村兄の姿がある。
失っていた記憶を取り戻して、困惑と罪悪感で押しつぶされた少女と、薬で理性を失った男。
まあ、両方ボクが仕込んだやつなんだけど。
あれだ、よく聞くやつ。『何も起こらぬはずもなく』ってやつ。
「話せ。お前が話したら、俺がSクラスに……」
「あああっあ」
すっかり抵抗力を失った雨季に、木村兄の魔の手が伸びる。
「はは、本当に、面白くなってきた」
三章終了です。四章までは結構かかりそうなので、首を長くして待っていただけると幸いです。
それまでの間、別の投稿サイトで、一から投稿を開始します。(詳しくはあらすじにて)