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17:死の神と命

 少し時間を遡り、電車を異世界の破壊が襲った直後。



 破壊の流れが治まる。

 電車内全てを襲った樹木の濁流は、俺の、木村命の身体を押し流し、電車とは遠く離れた森の奥地まで運んだ。


 身体のいたるところに、枝だの根だのが刺さっている。それだけじゃない。腕も足も胴から離れてどこか遠くへ吹っ飛んでいる。

 臓物も、腹の中にはありそうにない。


 明らかな致命傷。回復など有り得ない終わりの瞬間の光景だ。

 死因が、ヨモツヘグイ、黄泉の食べ物を食べて死ぬはずだったのが、樹木の破壊に変わっただけ。


 それだったら、まだ良かったかもしれない。

 遠くに消えた腕。バラバラに千切れた足。そこら中に散らばった臓物の一つひとつにも、あの根が伸びている。


 少しずつ、少しずつ、散らばった身体を怪物の根が引きずってくる。

 臓物が全て腹の中に納まり、手足が本来の位置に戻ってくる。


 切断された筋肉が繋がり、確かな四肢の感覚を取り戻す。

 昼間、〈正義〉の魔術師と戦った時と同じだ。


「本当に、不死身なんだな」


 ことここに至って、ようやく実感がわく。

 俺を蝕む植物の怪物が何なのか、どうして植え付けられたのか、どうすれば制御できるのか、分からない。


 それでも、これがどうしようもない化け物であり、俺が死ぬことすら許してくれないことだけは、分かった。


 全身に満ち満ちていた痛覚だけが残り、完全に傷が消えた。

 残った痛みに顔をしかめながら、俺は静かに立ち上がった。


 服はボロボロ。スマホも、〈正義〉の魔術師、都香里から貰った本もない。


 どこを見ても、どう考えても、四方全てがただの森。

 北も南も、電車の方角も分からない。完全な迷子だ。


 動くこともできず、呆然としていると、森の方が動いてきた。


 これがこの異世界。動く森。襲ってくる森。すでに四方を樹木に囲まれている。逃げ場はない。

 そう覚悟して、弱いなりにも、身構える。しかし、


「へっ?」


 怪物たちは襲ってこなかった。ただ移動している。右へ左へ。前へ後ろへ。植物という形状のため、正直前後左右なんて分からないが、怪物たちは、何ら目的や法則性もなく、辺りをうろついている。


 そっと足元を見る。根は踏んでいる。というより、どこか根を踏まないと、足の踏み場がない。


 寝ている時に、顔に引っ付いていたのをはたき落としたのより、罪が重そうだが、化け物たちが怒り出す気配はない。

 初めてここに来た時の、暴走がウソのようだ。


 身の安全を確信し、そっと息をつく。次の瞬間、


「—————っ」


 猛烈に、嫌な予感がした。


 予感。本来は曖昧なものであるはずのそれが、確かな形を持って訪れる。


 急激な温度の低下、漂い始めた腐敗臭。要素をあげれば、いくらでも予感の正体を言いようがあるが、それ以上の恐怖がそこにある。


 そして、死が舞い降りた。


 樹木の怪物たちによる激烈な破壊や、餓鬼による果敢なる襲撃などでは決してない。


 ただ静かに、ただ厳かに、絶対的なまでの死の予感。圧倒的な終わりの権化がそこにいた。


 真っ黒の靄。洞窟、黄泉にある闇と似ているが、その黒は、それと同質でありながら、遥かに、ただ遥かにおぞましい。


「縁結び、——国生みの女神(イザナミノミコト)


 黒と俺の間を、紅い糸が繋いだ瞬間、そんな声が聞こえてきた。


 その名は知っている。知らないはずがない。ある意味では、ヨモツヘグイの最初の犠牲者。火の神に焼かれ、現世を去った、日本創世の母、イザナミノミコト。


 黒が女性の容貌を模る。瞬間、森がざわめいた。左腕が急激に重くなる。


 俺が左腕に宿す怪物を含めた、この場にいる全ての怪物が、いやっ、この世界にいる全ての怪物がイザナミに襲い掛かる。


 全てを破壊するとでもいうような、破壊の濁流。それが全方位からイザナミを囲む。


 しかし、その破壊はなぜか、恐怖に怯える誰かが、震えているようにも見えて、そして、……


 破壊が死んだ。


 止まったとも言い換えられるが、その唐突な停止は、死と表現する方が似つかわしい。


「事後報告になるが、この世界に住まう全ての者の御魂を、わたしの世界に招いた。その数は……ひとつ。森の全てで、一つの生命であったか」


 おぞましい声が響く。イザナミの声だ。


「知性なき怪物といえど、わたしには恐怖したか。知恵の果実を食した人が、刹那のみの命を手に入れたように、この地に住まう化生どもも、未知に恐怖するだけの知性はあったか」


 今まで散々俺を苦しめてきた怪物たちが、全員死んだ。

 俺の左腕に宿った怪物も、イザナミの方を向いたまま動いていない。


 しばらくそのまま動けなかった。動かなくなった樹木たちと同様に、俺も死んだのではないか。

 そう思えるほど、その死は絶対的すぎた。


 20秒位経ってからやっと、自分が呼吸していることに気づいた。心臓の音が止まっていないことに気づいた。自分が生きていることに気づいた。


 息を吐く。やっと、死の圧迫感が消えていく。

 黒い死は、息を吹き返した俺に意識を向けた。


「これで、〈接続〉との契約は果たされた。あとは貴方が仕事をするだけだ」


 その言葉が空気を揺らすと同時に、闇が晴れた。嫌な予感も完全に消えている。


「何だったんだ、あれ?」


 理解不能なる怪異の中、虚空へと伸びた樹木の腕の一つが縮み、俺の左ひじ、そこにある傷跡に消えていった。

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