13:〈断絶〉と冬夜
「雨季君も、冬夜兄様も遅い。早く食べましょうよ、プリン!」
「そう慌てなくても、プリンは逃げませんから! 雨季様も冬夜様も、まずは手を洗いましょうね」
儀式を見終え、子ども部屋に戻ると、すでに弟の姿があった。
戸門春秋。四歳とは思えない落ち着きようで、こちらが席につくのを待っている。
私は石鹸で手を洗い、妹は軽く手を水に濡らしただけで席についた。
机には、三個のプリンが並んでいる。
「月石のおばちゃんは食べないの?」
「これはお母上が貴方方にと用意したものにございます。私の分などありません」
「ぶ──」
妹の問いに、月石さんが困ったような顔を見せる。案の定、妹は不機嫌な表情で、膨れ上がった。
「なら、月石さんはこれを食べてよ。プリンじゃないけど、美味しいよ」
「あら、春秋様、ありがとうございます」
妹の不機嫌に対処するように、春秋が月石さんにチョコレートを手渡す。市販の、四角くて小さいやつだ。
「良かったね、雨季君。これで、みんな一緒に食べられる」
「うん!」
そういって妹は、スプーンとフォークとナイフが一緒くたになった謎食器を手に取った。
「いっただーきまーす!」
「はい、いただきます」
妹の元気いっぱいの挨拶に合わせ、月石さんが呟く。
瞬間、ほのかな違和感を覚えた。月石さんが持つチョコレートに開封したような跡があったのだ。
どうでもいい。気にせずともいい違和感。しかしそれがどうしても気になった。
「あの、月石さん」
「はい? 何でしょ——」
遅かった。私が違和感を口にだそうとしたその時には、月石さんは、チョコレートの端をかじっていた。
「はは、はははは」
春秋が笑う。次の瞬間、月石さんが地面に倒れ伏した。
※
「えっ?」
呆然とした顔で、妹が倒れた月石さんを見つめていた。
私が睨んでいたのは、別の方向。部屋の出来事全てを受けて、ほくそ笑む弟、戸門春秋に向けられていた。
「何をした? 春秋!」
テーブルを乗り越え、反対側に座っていた春秋の襟首を掴む。
月石さんが倒れたのは、こいつが関わっているはずだ。
「別に、ただチョコに毒を入れただけさ、致死性のやつね」
バシッ
本家と分家の差も忘れて、私の平手が、春秋を襲う。六歳の子どもが四歳の子どもを殴るなど、やってはいけない行為だが、今回ばかりは、こちらに正義があるはずだ。
「なんで、月石さんを殺そうとする!? なんで?」
「逆に聞くけど、面白そうだから以外の理由が見つかるのかな? ボクが動く原因は、いつだって、どこだってそれだ」
「……この外道が」
きちんとした方向性があるだけ、まだ魔術師の方がマシと言える。齢四歳でありながら、その精神は根っこの根っこまで腐りきっている。
もう一度腕を振りかぶり、弟を殴ろうとする。しかし、
「ボクの方を向いてていいのかな? 向こうはどんどん面白くなっていくよ」
「……月石のおばちゃん」
二つの言葉が耳に入り、たまらずに振り向く。
泡を吹いて倒れる月石さんに、雨季が手をかざしていた。
真剣な表情とともにかざされる両手が、黄金色の光を放つ。
「あま、き……さま?」
虚ろな目で、月石さんが疑問の声を浮かべる。魔術使いでもない彼女には、何が起こっているのかはさっぱり分からないだろう。
私には分かる。あれは毒消しの魔術だ。しかも、扱う力が大きく魔術使い程度じゃ扱えない部類の。
「さあ、冬夜兄様。一緒に新たなる魔術師の誕生を祝おうじゃないか。四歳で魔術師なるなんて、うちの雨季君は天才だな~」
「……これがお前の狙いか」
さっきの儀式と同様だ。
今回、魔術使いの男は雨季に、男の妻が月石さんになったに過ぎない。
魔術師の家系に生まれた雨季にとって、月石さんはたった一人の優しい大人だ。
そんな人のためならばきっと、魔術の狂気すら受け入れられる。
儀式で見た〈平和〉の魔術師のように、最悪な道が待っている。
そんなこと、私が、兄が、戸門冬夜が受け入れられない。
「はは、その結果も面白いね。冬夜兄様ぁ」
机に向かい、妹がついさっきまで手にしていた食器を手に取る。
妹の代わりに、魔術を使って月石さんを助けることはできない。毒消しの魔術の組み方は知らないし、妹と違い、狂ってでも月石さんを助けたいという思いは、残念ながら抱けない。
だから、優先順位で絞り込む。
私が優先すべきは、妹の正気。妹に大きな魔術を使わせず、狂わせないこと。
そのためなら、私は狂える。
そのためなら、妹を狂わせるもの、妹が狂おしいほどに大切に思うものの全てを、妹から〈断絶〉できる。
狂気に目が眩み、血液が身体中から染み出てくる。
俺が知る魔術。俺が使える魔術。その中で、この状況を切り抜けるには、この魔術が必要だ。
手にした食器。その先端のナイフ部分で、魔術を発動しようとしている妹の手を切る。
それが、魔術発動のサインとなった。
この斬撃をもって、妹と、妹を狂わせる使用人の縁は切れた。
雨季にとって、今目の前で倒れているのは、名前も知らない誰かだ。
「はは、改めて祝おう。〈断絶〉の魔術師はここに誕生した」