8:根と命
命が消えていく。イノチという意味でも、ミコトという名でも。俺は消えていくのだ。
胸に空いた穴から、赤が流れ出していく。
意識が溶けていく。血液が地面に吐き出されるたびに、頭の回転が遅くなる。
心臓を抉り取られたらしい。鼓動が響かず、血液が流れず、出血が止まる。
傷がついたところから、血がでるという生命の特徴すら消え去った。それでも、溶け切らない意識が、醜くも生にしがみつく。
意識が途絶えたら、そこで終わりだ。もう、起き上がることはない。
その時だった。
トクン
心臓の音。誰かの鼓動が、血の池を伝って耳まで響いてくる。
トクン、ドクン、ドクン
弱弱しい心臓の音が、徐々に確かになっていく。そして、
「あああ、ウグアアアア」
怪物が起き上がった。俺は何もやっていない。ナニカが俺を動かしている。
ドクン、ドクン
「……昨日の時点で気づいてはいたが、貴様、体内にとんでもない化け物を飼っているな」
起き上がっても、鼓動が聞こえる。俺の心臓が、復活しているようだ。
血流も戻っているのに、出血は生じていない。
「胸に風穴が空いていたというのに、すでに塞がっているときたか。貴様、まさか不死身か? まったく、どういう理屈だよ」
言って、魔術師が一つしかない腕を振るう。瞬間、左腕の感覚が消失する。
俺の力の根幹となっていた左腕が根元から切り落とされたのだ。
しかし、地面には落ちなかった。腕は胴から離れたが、地面に落ちる前に落下が止まったのだ。
細い、本当に細い線が、俺と腕とを繋いでいる。
植物の根だ。
根が蠢き、胴と繋がる。失っていた腕の感覚が戻ってきた。
「なるほど、貴様が飼う化け物が、植物の形をとっている以上、宿主に根を伸ばすのは当然か。そんなことで傷が治るなら、本格的に不死身だな」
再び、破壊が生まれる。身体の修復を終え、巨腕が再び顕現する。先ほど、〈正義〉の魔術師が歌を詠む前と、同じ状態だ。
「これは……ワタシでは、対処できんな。〈平和〉たちよ。ピエロを呼んでこい! それまで、ワタシが足止めする」
方針を俺の殺害から、別の方策に切り替えたらしい。鬼面の魔術師の指示に従い、白い影が飛び去った。
怪物がそれに反応して、影に向かいツタを伸ばす。影の喉元に届かんとした破壊は、しかし、横から飛んできた物体によって遮られた。
さっきまで、カウンセラー室の壁だったコンクリート片だ。
「貴様の相手はワタシだ。他には手出し無用で頼む」
コンクリートを片手で投げた姿勢のまま、鬼面の魔術師は言葉を紡ぐ。
「すまないな。本来ならワタシが歌の一つでも詠んで、貴様の心を救いたいところなんだが、所詮ワタシは偽物の〈正義〉だ。そこまでのことはできない」
自らを偽物と称し、魔術師は懐に手を入れる。そこから取り出されたのは、一枚の写真だった。
「貴様に理性が残っているのなら、これは効くだろう?」
「イデゥキぃ」
一樹の写真だ。怪物に支配された身体で呟いたせいで、声が掠れている。
カウンセラー室で、俺が落としたアルバム。そこから、持ってきたのだろう。
「犠牲を少なくするためだ。悪くは思うな」
瞬間、一樹が映った写真が握りつぶされる。衝撃が怒りを呼ぶと同時に、枝の槍が魔術師に殺到した。しかし、
「はっ!」
着弾の寸前、魔術師は気合とともに飛び上がり、槍を足場に俺本体に差し迫る。
魔術師を突き刺そうと、槍から枝が突き出される。しかし、それらの攻撃は、魔術師の脚力に追いつけずに空を切っていく。そして、
「あがっ」
俺の目の前に着地した魔術師が、斬撃にも思える蹴りで、俺の頭と胴を分かつ。
しかし植物の根は、頭にまで伸びていた。
「せいぜい、再生に時間を使え。〈笑顔〉が来るまで、暴れさせねえぞ」
根が、首と胴とをつなぎ合わせる。その瞬間には、腹が吹き飛んでいた。
その次は胸。その次は首。腹、胸、首、腹
こちらの再生の度に、他の部位が吹き飛ぶ。怪物の根が、すぐにそれらを繋ぎ直すが、痛みと衝撃は消え去らない。
破壊と再生が五順ほどしてから、ようやく変化が現れた。
「はあ、はあ、和歌の力が切れたか、詠みなおさねばな」
どうやら、魔術の効力が切れたらしい。拳を叩きつけられた胸が、吹き飛ばずに残っている。
軽く天地を動かすと謳われた和歌の力。それを用いて、魔術師は俺を殺し続けた。そして、力尽きたのだ。
自らが足止めしていた破壊の災厄。その目の前で。
「ウグワァアアアアアアァァァァァ」
絶叫と同時に、樹木の巨腕が、隻腕の魔術師へ迫る。彼女の身体能力を持てしてもなお、回避は不可能だ。
しかし、腕の攻撃が、鬼面ごと頭を潰す寸前に、魔術師の姿が消失する。
代わりに現れたのは、白装束に刀を持った謎の男だ。樹木の巨腕に、その刃を当てている。
見覚えのない顔。しかし、俺にはこいつの名前が分かった。
前髪の中央に、太い白メッシュ、戸門家特有の髪色だ。歳は俺と同じ位。その条件に該当する人物のことを、俺は何回も聞かされている。
「〈断絶〉の魔術師、戸門冬夜だ。妹が世話になったな」
刀を俺の方に向けながら、冬夜は軽く自己紹介をする。
〈断絶〉の魔術師、戸門冬夜。雨季から、俺や実菜の記憶を奪った犯人の名だ。
「オマ……コロ」
怒りと敵意が、そのまま巨腕に伝わった。眼前の魔術師に破壊が迫る。しかし、
〈正義〉の時と同様、姿が消えた。
そして、
「やれ、〈笑顔〉」
「ヒヒヒ、分かっていますとも」
声が聞こえた瞬間、霧がかかる。その霧を吸い込んだ瞬間、俺の意識は、はるか夢幻の彼方へと消えていった。