17:忘れていたことと命
「ここが、あの魔術使いがいる病院だ」
「ああ、サンキュー。じゃあ、早速面会に……」
受付に入ろうとした俺の服を、〈正義〉の魔術師が引っ張る。
「ぐへぇ」
「バカか、お前は? うん、バカだな。時間を考えろ。面会の時間はとっくに終わっている」
馬鹿力で引っ張られた服が首を絞める。つーか、バカバカうるせえよ! 実菜かお前は!
「あ…………」
心の中で、魔術師に切れた瞬間、忘れていたことを思い出す。
今日は月曜日。Sクラス編入だの、雨季との会話だのですっかり忘れていたが、いつもなら部活に参加していた曜日だ。
ブーーーッ、ブーーーッ
ポケットの中で、スマホが鳴る。
土曜日、実菜に部活で話す約束してたよな、俺?
すでに時刻は8時を回っていたはずだ。完全にすっぽかした。
ということは、今のスマホの通知って。
「ん? 貴様、何を怖がっている? あれか、病院が苦手な手合いか?」
「あ、ああ、いやっ、何でも」
そうだ。病院の中では、携帯電話の電源はOFF! 一瞬、何か通知が見えたような気がしたが、気にしない方針で。
大丈夫。別に実菜とはケンカばっかだし、一回サボっただけで連絡してくるわけがない。
きっと、女子と二人きりにされたニット帽の恨み言だろう。無視、無視。
「よく分からんが……、貴様が持っているその板、女子の色恋と恨みつらみを強く感じるのだが」
慌てて電源を切った俺に、隻腕鬼面の魔術師が呆れた声をだす。
っていうかこいつ、何でこんな格好で目立たないんだ?
「そう。目立たないってんのが重要なんだ」
俺の心を読んだかのように、魔術師が呟く。
「魔術の秘匿のために、目立たないってんのが重要だ。いかなる形であれ、魔術師は隠形の一つくらい使えるの最低条件なんだよ」
あれ? いつの間にか、魔術の講義始まってないか、これ?
「取り合えず隠形印でいくぞ。隠形で姿を隠して病院の受付を通り抜ける」
片方しかない手で、俺の手を操る。生枝先輩が見せた九字護身法の九つの印の中の一つだ。
直後、病院から出てきた看護師と肩がぶつかった。
「あっ、ごめんなさ……」
「い」と言う前に、看護師がどこかへ行ってしまう。
ぶつかったこと自体に気づかなかったかのように。
「今の内だ。そこの不可思議ドアが開いているうち行くぞ。勝手にドアが開いたんじゃ怪しまれる」
言われて、病院のドアをくぐり抜ける。
不可思議ドアって、単なる自動ドアだよな?
そういえば、生枝先輩が魔術師は電子機器に弱いって言ってた。つまり、自動ドアを知らないのか、こいつは。
そして雨季は、幻覚はカメラに効かないとも言っていた。
「…………」
自信満々で受付を進む魔術師の横。防犯カメラ作動中の張り紙に目をやる。
今まで、神を熱心に信じるタイプではなかったが、今だけは、防犯カメラを誰も見ていないことを神に祈ろう。
※
〈正義〉の魔術師が病室の詳しい場所を把握していたらしく、受付を通り抜けると、すぐに雨季がいる病室についた。
「この先だ。早く帰りたいんだ。さっさと済ませろ」
「ああ。色々とありがとうな」
「礼ならクソ上司に言え。ただし、鉄拳一発での返礼でだ」
頭を下げる俺に、魔術師が目を背ける。春秋、こんなに護衛から嫌われてんのか?
俺も魔術師から目を離し、病室の方に向き直る。『戸門雨季様』と書かれたネームプレートが目に映る。
彼女が俺を眠らせて、何をしていたのか。その過程で何を得たのか。
それ以外にも、一樹のことや、腕のこと。離さなければならないことが、山ほどある。
制限時間は、病院の人間が来るまで。短い時間だが、それまでに話せるだけのことは、話しておきたい。
「す~~は~~~」
深呼吸し、頭の中を整理してから、ドアを開ける。
「え?」
「え⁉」
言葉が重なる。初めて会った時と同じだ。俺が扉を開けて両方が驚く。
雨季はあの時、自分以外の人間が、あの電車にいたことに驚いたんだろう。そして今は、俺が来たことに驚いている。
俺が驚いたのは、雨季の傷の量だ。頬、額、首、肩、腕、足。見える部分の至るところに包帯が見受けられる。いくつかの包帯は赤く染まっていた。
血まみれになったとは聞いていたが、ここまでだとは思わなかった。
無事とは全く言えないが、生枝先輩の時とは違い、呼吸はしているし、二つの目も俺を捉えている。
「よかった。心配してたんだよ。お前が一人で異世界に行ったって聞いたから」
「えっと……」
笑いかける俺に、雨季は曖昧な笑みを見せた。薬で俺を眠らせたのを気にしているのだろうか?
「別に薬のことは気にしてねえよ。お前が俺を守ろうとしてくれたことはよく分かっている」
白メッシュの少女は、未だに微妙な笑みを見せている。
「でも、どうしてやったのかは教えてほしい。俺に伝えたくないこともあるだろうけど、覚悟して聞くからさ」
無反応。雨季は表情一つ崩さない。
「それに、お互い何も分かんなかったから話題にしてなかったけど、左腕のあれの話をしておきたい」
「…………っ」
少女が何かを言おうとしたが、身体中の痛みがそれを阻む。
「ああ。無理に喋らなくてもいい。俺が話すから聞いてくれると嬉しい」
「うっ……ああ」
苦しむ顔を見て、慌てて制止するが、雨季は諦めずに唇を動かす。
どうやら、どうしても話したいことがあるらしい。
「話したいなら、急がなくていい。時間は……あるわけじゃないけど、きちんと待つから」
「あなっ……あなた……」
チラリとドアの方を見るが、病院の人はまだ来ていない。
そこに注意を向けていたから、気がつかなかった。
普段、俺のことを『ミコト君』と呼んでいる雨季が、『あなた』と口にしたことに。
「あなた………だれ?」
「は?」
俺の知る、俺を知る雨季はもう、この世のどこにもいなかった。




