2:教師と命
「ごめんなさい。あなたをここに迎えたくはなかった」
周りに誰もいない教室にまで連れられた直後、雨季が俺に頭を下げてきた。
「別にいいよ。ここは魔術師の育成機関なんだろ? なら、一樹を助けるための知識を得られるかもしれない」
「たしかにそれは、そうなんだけど……それでも、Sクラスっていう場所は危険すぎる。一歩間違えば、餓鬼道以上に危険になる」
雨季の言葉で思い出したのは、土曜日に行った、炎と黒い怪物の異世界、餓鬼道。
炎の怪物に吹き飛ばされ、他の餓鬼に蹴られて、死に目にあった記憶がある。
あの巨腕が現れなければ、確実に死んでいた。
「あれより危険って、どういうことだよ?」
「魔術師っていうのは、自分の願いを叶えるためなら手段を問わない連中なの。上位の魔術師に狙われたら、簡単に殺されるわ」
その言葉で思い出したのは、洞窟の異世界での出来事だった。
あそこで俺は、生枝先輩に水を飲むのを勧められた。おそらくは生枝先輩が死ぬ理由となった水を、だ。あの世界で、俺がせずに、先輩がしたのはそれしかない。
先輩は水の危険性を知らなかったらしいが、危険だという可能性を考慮していた。
それは、あの時の先輩の発言から分かる。
だから、自分で飲む前に、俺に勧めてきた。俺が飲めば、水の危険性と異世界の危険性を証明できるから。自分が飲んで、不確定要素の多い後継者に託すより、相手を犠牲にした方が効率的だから。
俺はあの時、それだけの理由で、幼馴染に殺されかけていた。
それが、魔術師の危険性だ。
「詳しく説明したくはないんだけど、神秘を利用して、魔術を使うっていうのは、とんでもない苦しみが伴うの。人間性を壊す位のね」
俺が回想を終えたのを察したのか、雨季が説明を開始する。必死に言葉を選んで、言いたくないことを避けようとしているようだ。
「私みたいに多少身体を強化したり、武器を改造したりする程度ならともかく、魔術で大きな事象を起こそうとすると、相応の苦しみに襲われるわ。そんな中で意識を保つのに必要なのが〈願い〉よ」
「なんか急に精神的な話になってきたな」
「魔術なんて元から精神的なものよ。で、その苦しみに耐え、〈願い〉に手を伸ばし続けたのが、魔術師っていう連中なの」
「私は味わったことないから、分かんないんだけどね」と付け足しつつ、こちらを指差す。
その目が、これから話すことが重要だと告げていた。
「苦しみの過程で、その人が持っていた人間性とか、常識なんてものは崩れてしまうらしいわ。それがいかなる聖人であれね。だから基本的に、『魔術師と呼ばれる人間にはクズしかいない』Sクラスにいるなら、そのことを覚えておいてね」
「おやおや、そんな評価は些か心外だね~」
雨季の言葉が終わった瞬間に、男の声が聞こえてきた。
見ると、教室のドアに金髪の男が杖をついていた。歳は三十代前半くらいだろうか。
「Sクラスで教鞭をとっている〈進化〉の魔術師だ。古い風習に忠実な質でね。本名は控えさせてもらうよ」
流暢な日本語。見た目は完全に外国人だが、相当長い間日本にいるらしい。
「アマキ君は実に優秀な生徒だが、未だ魔術師ではない。これから魔術の道を歩む後輩に偏向した知識を植え付けそうで心配でね~」
「お言葉ですが、〈進化〉様。魔術師の皆様が危険なのは列記とした事実です。警戒させるのに、越したことはないでしょう」
「君が、〈接続〉に出し抜かれたときの、二の舞にならないように、かい?」
雨季の否定に、〈進化〉の魔術師を名乗る男、このクラスにおける先生が応じる。瞬間、彼女の顔が歪んだ。
「君が彼女への警戒を怠り、ミコト君のことを話したのが、彼を巻き込むことになった理由の一つだ。反省は大事だが、それを他人に強要するのは良くないよ」
教師が生徒を諭すように、〈進化〉の魔術師は雨季に声をかける。教鞭をとっていると言った以上、『ように』ではないかもしれないが。
そうした後で、先生の顔がこちらに向けられる。
「ミコト君、だったかな。すまないね。彼女はつい先日、魔術師に出し抜かれたばかりでね~、少々過剰な言葉を使ってしまったようだ」
「そうでもないですよ。俺も、生枝先輩には一度殺されかけてるんで」
笑いかける男に、俺は警戒心剝き出しで告げる。〈進化〉の魔術師は、笑顔を崩さずに言葉を重ねてくる。
「イクエ……? ああ、〈接続〉のことか。可哀想に、異世界で何かされたんだね~? しかし、魔術師だって危険な者だけではないんだ。
日本人に几帳面な傾向があれど、そうでない者がいるように、魔術師にも比較的安全な者がいる。わたしを筆頭にね~」
そう言って、先生は、こちらに背を向ける。
「ついてくるといい。教師らしく、神秘を知ったばかりの君に、魔術の何たるかを教えよう」