16:実菜と命
「先輩、メッセージ送っても返信来ないし、学校にもいないし、家に行ったら、親御さんが昼間に出て行ったって言うし、ほんとに、本当に心配してたんスよ」
「あっ、えっと、悪い、心配かけた」
鼻声で喋る後輩をなだめつつ、ヤジウマの小学生を追い払う。
こいつ。こんな感じだったっけな? というか、お前に住所を教えた記憶はないんだけど。
一瞬だけそんなことを考えてから、実菜をブランコに座らせる。
実菜は涙に顔を袖で拭うと、呼吸を落ち着かせてから、改めて俺の方を見やる。
「先輩、大丈夫なんですか? 昨日、生枝先輩が亡くなったのを……」
「ああ、この眼で見たよ」
いつもの口調も忘れ、こちらを心配そうに見つめる実菜に、俺は真実を口にする。
しっかりとした受け答えに、実菜は戸惑ったような表情を見せた。
「先輩、なんか落ち着いてません? あたし、気が気じゃなかったんですけど」
「昨日、一晩中泣いて、涙も枯れて、悲しむ気力すら使い果たしたよ。それに、いつまでも現実逃避してる場合でもないしな」
「それって、どういう?」
動き出そうと背を向ける俺に対して、実菜が食いついてくる。
魔術だの、一樹だのについて話すわけにはいかない。普通に頭がおかしくなったと思われるだろうし、もし信じたとしても、危険に巻き込むだけだ。
それらに関してはぼやかしつつ、俺は覚悟を口にする。
「昨日、いく姉……生枝先輩と話して、先輩がやろうとしてたことを知った。俺は、その願いを引き継ぐことにしたよ」
「じゃあ、話してください」
公園から去ろうとする俺の袖を、実菜が掴む。握力はそれほどでもないはずなのに、なぜか引きはがせない。
「なんで生枝先輩が亡くなったからって、先輩が遺志を継がなきゃなんないんですか? あたしは何も知りませんけど、それっ、すごく危険なことですよね? 先輩の表情がそう言ってます」
言葉を失う。それに反比例するかのように、実菜の語気が強まる。
「生枝先輩の死がつらいのは分かります。だから、生枝先輩のために何かしたいっていうのも理解できます。けど、そんな背負い込まないで下さいよ! 思ってること、抱えてることを全部話して、落ち着きましょうよ!」
俺のために、俺を助けるために、実菜は口を動かす。言葉だけが、俺を立ち直させる手段だと信じて。
「あたし、多分何の役にも立てませんし、他人に話した位で、先輩の心の傷が癒えるとも思いません。でも、痛み止めにはなりますから。傷口を隠す位のことはしますから!」
聞き覚えのある言葉。それを誰から、聞いたのかに思い至り、耳を塞ぎたくなる。
頼む。実菜。それ以上は、言わないでくれ!
「去年、ここで先輩と初めて会った時、先輩がそうしてくれたように」
それは、俺じゃない。
「先輩、覚えてますか? あたしたちが会ったの、部活の仮入部が初めてじゃないんスよ! 去年の四月、親友に裏切られて、ここで一人泣いてたあたしに、先輩は声をかけてくれました。初対面なのに、他人の心にズカズカと入り込んできて、それで傷口を覆い隠して、慰めてくれたんです」
俺はそんなことをしていない。その場にはいたが、ただムスっと突っ立てただけ。
実菜の傷に触れたのは、俺じゃない。昨日、夢で見た同行者、丸一樹だ。生枝先輩が死んだ今、それは俺一人しか知らないが。
「だから、今度はこっちの番です。先輩の心の傷に触れさせてください! お願いします」
真剣に俺のことを考えて、心配して、真っ直ぐに見つめて、実菜は俺の心へ手を伸ばす。何の悪意もない。慈愛だけが宿った腕。
しかし、その腕は俺の心を壊し尽くした。
きっと、いく姉はこの一年、不断からこの痛みに苛まれてきたんだろう。親から、友達から、そして俺から。
自分の知る一樹という存在を抜かしたままで、思い出を語られるのは、頭では分かっていても、相応の痛みがある。
でも、その痛みを悟られるわけにはいかない。
悟られた一樹のことを話すことになる。それだけは、絶対にダメだ。
「ありがとう実菜。そう言ってくれただけでも嬉しいよ。でも、話すと長くなるし、今は時間がないから、あとで。ニット帽のやつでも交えながら、部活の時にでもさせてくれ」
できるだけ優しい口調で語りかけながら、実菜の手を振りほどく。
「確かに、生枝先輩が為したかったことを俺が引き継ぐ必要はない。でも、それは同時に、俺がやりたいことでもあるんだ。故人の遺志がどうこうは関係なしに」
笑いかける。これ以上、心配させないように。これ以上、涙を流させないために。
「だから、心配せずに応援してほしい。きっと、大丈夫だから」
言い終わって、俺は実菜の双眸を真っ直ぐに見つめる。
一秒も経たずに、実菜は目を反らし、少し不機嫌そうな声をだした。
「ま、まあ、先輩がそういうなら、別にあたしはいいんスけどね。あ~、心配して損した。先輩がムダに立ち直りが早いバカだってことすっかり忘れてたっスわ~www」
「急にいつもの調子に戻ったな、お前」
俺の様子を見て安心したのか、実菜はいつも通りのウザい口調でまくしたてながら、こちらの肩を叩く。
「っていうか、スマホ! 傷ついてたら、責任とってもらうっスよ!」
「お前が落としたんだろ! それじゃあ、俺はもう行くからな。公園で大騒ぎしたの、子どもたちに謝っておけよ!」
「あっ、ズルい! ってか、さっき抱き着い……近づいたときに思ったんスけど、早く着替えた方がいいっスよ! 時間ないって言っても、そん位の時間はあるっスよね?」
途中から赤面しながら叫ぶ少女の言葉に、俺は首を傾げた。
普段通りの制服。しかし、昨日、学校から帰ったあとは、何もできずにベッドで泣いていて、今日はメモを見てすぐに、家を飛び出してきた。
つまり、昨日の朝から着替えてない。……下着も勿論そのままだ。
「もしかして、くさい?」
「盲目な恋心が冷めそうになる位には」
苦笑いと共に、随分と実感のこもった言葉が返ってきた。