10 湯屋
夕暮れになると、蒸し暑かった昼間が嘘のように涼しくなる。
帰路へとつく、子どもたちや大人たちを横目に、俺は湯屋へと足を進める。
週に一回ほど通っている湯屋は、南の区画にある。北の区画にある魔道具屋からは遠いため、帰りに湯冷めしないように無属性魔法、『恒温』が付与された指輪を装備している。もともとは装備者の能力を少しだけ上げる無属性魔法、『身体強化』を付与したものだが、なぜかこうなった。
この魔道具は装備者が魔力を流すことで発動する。帰りだけ発動すれば温まった状態で帰れるため、我ながら素晴らしい魔道具を作ったものだと思う。
失敗作だが……。
南の門へと続く大通に構える湯屋。木造のため安心感があり、とても気に入っている。
だが、今日は例の奴が入り口に見えたので、諦めて帰――
「貴様! ここであったが百年目! 勝負しろ!」
見つかった……。
「なんだ? その指輪。まさか!? ミル嬢と!?」
妄想がたくましいな。
「違う」
「フフフ。まあ、そんなことないとわかっていたが」
今さっきの自分の発言。
「そうか、振られた悲しみの涙を流すためにここに来たんだな」
訂正するのも面倒くせえ。
「勝負って何するんだ?」
「風呂で耐久だ」
発想が子供だな。
「魔道具、関係なくない?」
「貴様が言えることじゃないだろ!」
◇
浴場内の床は少しざらざらとしているが、それがまた癖になるような刺激で気に入っている。
外から見たよりも、広く感じるのは、高い天井や大きなスリガラスのおかげだろう。
「よし、早速湯船に入るぞ」
「お前ってバカなの?」
「ああ!?」
「ここ、体を洗ってからじゃないと、入れないぞ」
「わわわかってたぞ」
コイツ、偉そうな口調なのに、湯屋に来たことがないのか?
というか、今気付いたけど、ただの平民が偉そうな口調に育つとか……。どう育つとこんな捻くれた性格になってしまうのだろうか。
「貴様が何を考えているのかは知らんが、その哀れみの目で俺様を見るな!」
「今まで、ごめんな。これからは俺がお兄ちゃんだぞ」
「だから、そんな目で見るな!」
◇
「お兄ちゃんと、背中の洗いっこするか?」
「誰がするか!」
浴場の端にある洗い場には木でできた小さな椅子、丸い桶、お湯を出すことができるシャワーという魔道具がついている。
ほのかに甘い香りがする石けんは、安物ではないとわかる。
「結構、お金をかけてんだな」
体を洗いながら、オッペケに話しかける。
「大人一人、銀貨二枚と割高だがな」
「ところで、お前って仕事、どうしてんの?」
「接客業をしてる」
外見はコイツの長所だからな。
「すぐに、クビになるが……」
態度はコイツの短所だからな。
「何故、納得顔なのだ!?」
「そ、そんなことないぜ? 前にも言ったが、そこまで師匠にこだわらずに、ほかの所に行けよ」
「ミル嬢を見た後だと、他の人間がサルに見えるのだ」
お前は誰かに怒られろ。
「結構、良いものだぞ? 仕事終わりの一杯が楽しみな生活」
お、おう……。
「今日は何で湯屋に来たんだ?」
「お金が貯まったから、パーっと使いたいと思ってな」
銀貨二枚……。
「……帰りに、食いもん買ってやる」
「だから、そんな目で見るな! いや、買ってもらうけど。買ってもらうけど!」
「……入るか」
「あ、ああ」
◇
「言っておくが、魔道具は禁止だからな!」
「真剣勝負に魔道具なんて使うわけがないだろ」
「貴様は使ったんだよ!」
「にしても、学習したな~。偉いぞ」
「キモい!」
辛辣。
「んじゃ、入るか」
中央にある湯船に足からゆっくりと入っていく。
「「ん゛、おお~」」
「おっさんみてえな声だな」
「今さっきの貴様の声」
熱めなので、体がひりひりとしたが、しばらく経つと体の芯まで温まり、心地よくなる。
あまりの気持ちの良さに、二人でしばらく無言で浸かっていたが、これ以上はのぼせるので、オッペケに声を掛ける。
「もう出るわ」
「スー、スー、――ハッ! ね、寝てないぞ!」
死ぬぞ。
「俺はもう出るわ」
「ああ、って! 風呂で耐久の勝負!」
「悪い、忘れてた」
「俺はまだまだ余裕がある。この勝負はもらった!」
「まずい、今回は負けちゃうかなー」
オッペケよ、バレなければ魔道具を使っても反則にならないのだよ。
俺は、指輪に魔力を流した。
◇
「何故、貴様はそこまで耐えたのだ!?」
「温まった体から熱が逃げていく感覚が心地いいな~」
湯屋の目の前に設置されたベンチに、のぼせたオッペケを寝かせながら、そう呟く。
「貴様は麗しきミル嬢に弟子と認められている……それが俺様は気に入らない!」
逆恨みにもほどがあるぞ。
「もう歩けそうか?」
「ああ、また戦おう……!」
「まだ、食いもん買ってないぞ」
「あっ! そうだった」
なんとも締まらない。