#9 衝動
……僕は、目を開く。
あれ?ここは……どこだ?
目の前に見えているのは、そう、天井だ。照明が一つついた、白い天井。そして、ベージュ色のカーテンのようなものが下がっているのが見える。
僕は混濁した頭で思い出す。そういえばさっきまで、僕は何をしていたか……
ワープアウト先での敵の不意打ちに備えて、僕は砲撃管制室にいた。が、周辺宙域に敵影がないことが確認され、すぐに警戒体制が解けた。
それで僕は部屋へと戻る。カチェリーナが一人、待っているはずだ、と。僕はエレベーターへと急ぐ。
が、エレベーターの手前で、ある士官からカチェリーナが食堂にいると聞かされる。そこで僕は行き先を食堂に変えた。
そして、食堂にたどり着いた僕は、カチェリーナを見つけて……
変だな。そこから先の記憶が、一切ない。だが、ここは明らかに食堂ではない。僕は、ここがどこだか知っている。
あのカーテンに見覚えがある。そう、ここは診療所だ。
一年前、怪我をしたカチェリーナを運び込んだ場所。まさにそこに僕は今、寝ている。
そして僕は、ベッドの脇で座っているカチェリーナを見つけた。
妙に落ち込んだ様子だな。いつも表情一つ変えずに凛として振る舞うカチェリーナが、ひと目でわかるほどひどく落ち込んでいる様子が見て取れる。
そしてもう一つ、カチェリーナの顔に気になるものがある。
眼帯だ。なぜか右眼に、眼帯が付いている。なぜ、眼帯など付けているのだろう。まさか怪我でもしたというのか?
「カチェリーナ……」
僕は、彼女の名を呼ぶ。するとカチェリーナは、ガバッと立ち上がる。そして顔を寄せて、僕の手を握る。
「おい、ルイス!大丈夫か!どこか痛いところはないか!?」
カチェリーナは左の青い目で、僕を見つめながら問う。もしかして僕は、どこか怪我をしているのか?だが、どこも痛いところはない。僕はカチェリーナに応える。
「いや、どこも痛いところは……それよりもカチェリーナ、その右眼、どうしたの?」
僕が右眼のことを尋ねると、またさっきの暗い表情だ。そっと脇にあるパイプ椅子に座り、再び落ち込むカチェリーナ。
「……以前、この右眼のことを話したが、覚えているか?」
「右眼のこと……?」
「赤目の力のことだ。」
カチェリーナのこの言葉で、僕は思い出す。ああ、そうだ。そういえば以前、カチェリーナがあの赤目の力のことを話してくれた。その瞳に秘められた、不可思議な力のことを。
施術師の中でも、赤目を持つ者は珍しい。そしてその赤目には、厄介な力が宿るという。
衝動的な感情が起こると、その赤目の力が解放されるという。それは赤目を見た相手を、一瞬で気絶させることができるという、実に不可思議なものだ。
そのような力が発揮されることは、滅多にない。それこそ死を予感させるほどの衝動でもない限り、それは起こらないと言っていた。だが、今のカチェリーナの言葉から、その力が発揮されたのだと察した。それも、僕に目掛けて。
「もしかしてカチェリーナ、まさかあの食堂で、赤目の力を発揮させるほどの、何かとんでもない事態が起きたというの!?」
僕が尋ねると、カチェリーナは首を横に振る。
「いや、別に何も起きてはいない。だが、あの力が発動した。だから困っている。」
「えっ!?どういうこと!?」
「急に右眼が……この赤目が疼いたのだ。ちょうどその時、お前が現れた。よりによって、お前と目が合ってしまった。だからお前は気を失い、ここに運ばれたのだ。」
「そ、そうだったの?でも、なぜ……」
「分からない。だからこうして、右眼を封印している。」
眼帯を押さえながら語るカチェリーナ。申し訳なさそうに項垂れる彼女に、僕は尋ねる。
「きっかけ……そう、きっかけのようなものは、なかったの?」
「きっかけ……か。」
「そうだよ。だってその力って、滅多に発揮されないって言ってたよね?この一年、ずっと一緒にいて一度も起こらなかったことが今、突然起きた。何かきっかけのようなものがあったんじゃないかと思うんだけど。」
「ああ、一つある。」
「なんだい、それは?」
「食堂のモニター越しに、あの3色の星の一つ、赤い星を見た。その瞬間、この右眼が疼き出したのだ。」
右眼を押さえながら、カチェリーナは話す。
「……まだ、疼くかい?」
「えっ?」
「いや、力を発揮する時に疼くのなら、今はどうかなぁと。」
「ああ、今は大丈夫だ。ただ……」
「どうしたの?」
「あの赤い星のそばにいると、またいつこの力が発動するか分からない。だから、これは外せそうにないな。」
眼帯を摩りながら、彼女は申し訳なさそうに語る。さっきからずっとこの調子だ。どうも調子が狂うな……僕はカチェリーナの腕を掴む。そして、ベッドの上に引き寄せ、そのまま彼女を抱き寄せる。
「お、おい、ルイス!何をするか!?」
「いやあ、しおらしいカチェリーナも可愛いなぁと思ってさ。」
「ば、馬鹿!ここは診療所だぞ!何を考えているんだ!」
ぷりぷりしながらも、僕にされるがままベッドの上に引きずり込まれるカチェリーナ。そのままギュッと抱きしめてやろうかと思った矢先、カーテンがザッと開く。現れたのは医師だった。
「あー……中尉殿、すっかり元気そうだな。元気なのは結構だが、そういうことは……」
「ああ、すみません。いや、彼女が落ち込んでたので、つい……」
「運ばれた時は意識がなくて、皆で大騒ぎだったぞ。どうやら、脳震盪を起こしとったようだが……その様子では、すっかり良くなったようだな。」
そして医師は僕の頭に何かを当てる。ああ、あれは脳波センサーだな。それを頭のあちこちに当てては、横のモニターを見ている。
「……うーん、もうすっかり正常だな。外傷もないし、このまま帰っても大丈夫だろう。」
「あのー、僕は運ばれた時、どうなってたんですか?」
「ああ、なんと表現すれば良いか……そうだな、脳波が濁流で流されたような、そんな状態だった。」
「は?」
「つまりだ、小さな清流を、巨大なダムから放流された濁流が飲み込んだような、そんな状態の脳波だったんだよ。わしも、あんな脳波を見たのは初めてだ。ともかく、原因が分からん。が、異常もない以上、しばらくは様子見だな。」
医師はそういって、僕はその場で退院となった。診療所を出て、カチェリーナと一緒に通路をとぼとぼと歩く。
「そういえば、僕が気を失ってからどれくらい経ってるのかな。」
「ああ、30分くらいか。」
「えっ!?30分!?なんだ、てっきり2、3日経っているのかと……じゃあ、そんなに長い時間が経っているわけではないんだな。」
「いや、そうでもない。私の右眼の力は、せいぜい人を10分ほど気絶させる程度の衝動しか与えられないはずだ。30分も目覚めないとは、いくらなんでも長すぎるぞ。」
カチェリーナから、暗に寝過ぎだと言われてしまった。そうか、これでも長いのか。
そういえば、カチェリーナはこの力のおかげで、3度救われたと言っていたな。それはすべて、あの大戦の戦場下での出来事だと言っていた。
彼女のいた施術隊は防御用の鉄の盾のみを持ち、前線に出る。それゆえ敵の兵士に遭遇すれば、身を守る手段がないに等しい。
特にカチェリーナは前方に突出する傾向があったようで、敵兵とよく遭遇したといっていた。そして敵兵から銃を向けられ死を予感した瞬間、あの力が発動したのだという。
その兵士がカチェリーナに銃を向けてまさに発砲する瞬間、敵兵はカチェリーナと目が合う。そしてさっきの僕のように、その兵士は意識を失い倒れる。
するとカチェリーナは倒れた敵兵の銃を奪う。そしてその銃を使い、兵士の頭めがけて何発も撃つ。これは、ゾンビ化させないためだ。そしてカチェリーナは銃を捨てて盾を構え、さらに前へと進む……
そういう経験を、彼女はなんと3度もしたという。戦場下とはいえ、まだ二十歳前だったカチェリーナにとっては酷な体験だ。それに、遭遇した兵士も気の毒なことだ。彼らは何も分からないまま、死んでいったことになる。いやむしろ、恐怖の後に訪れた死でない分、マシだったというべきか?
そんな戦場体験を持つカチェリーナだが、この1年で随分と表情も増えてきた。笑みを見せることは滅多にないが、出会った頃はまるで蝋人形のようだった。その時から見れば、さっきのベッドの上での焦った顔といい、彼女の表情は格段に増えている。
1日も早く、孤児としての、そして戦場での記憶を消してやりたいものだ。そのためには、別の思い出を上書きする必要がある。苦い記憶など二度と思い出せないほどの、楽しい思い出を。