#7 発進
休暇が、終わった。終わってしまった。
7日間なんて短い。せめてひと月……当然、ひと月とはこの星のひと月の34日間のことだ。それくらいは欲しい。
この短い休暇は結局、買い物をして海岸に行き、そのあと少し帝都を出歩いただけで終わってしまった。休暇中もカチェリーナは施術の仕事で呼び出されたため、休暇らしい休暇は2、3日しかなかった気がする。
そして、休暇明けはいきなり砲撃訓練だ。7日間、三色星域で行われる砲撃訓練のため、宇宙に出ることになった。
ところで、砲撃訓練には同伴者が認められている。具体的には、家族を連れて行くことが可能ということだ。
もっとも、砲撃訓練となれば、それはもうけたたましい砲撃音に晒されることになる。それゆえに、実際に連れて行くことはあまりない。
ということで、僕もこの帝都で住むようになってから、カチェリーナを連れて行ったことがないのだけれど、休暇の最終日に一応、聞いてみた。
「ねえ、カチェリーナ。」
「なんだ?」
「明日から砲撃訓練があるんだけど……ついてくるかい?」
どうせ断るだろう。そう思って何気なく聞いたのだが、彼女からは意外な返答が返ってきた。
「ああ、行こう。」
「ええーっ!?で、でも、砲撃訓練中は砲撃音が鳴り響くんだよ!カチェリーナにはとても耐えられないんじゃ……」
「砲撃など、大戦中に何度も経験している。あれに比べれば駆逐艦の砲撃音など、たいしたことはないだろう。」
「で、でもさ、7日間はあの狭い駆逐艦暮らしをしなきゃならないんだよ?」
「すでに駆逐艦暮らしなら経験済みだ。あの時お前が駆逐艦に連れ込んでくれたおかげで、私はしばらくあそこで暮らしていたではないか。」
ああ、そうだった。彼女は砲撃も駆逐艦暮らしも経験済みだった。よくよく考えれば、まるで問題ないな。そういうわけで翌日、僕はカチェリーナを伴って駆逐艦6636号艦へと向かった。
ドックに繋がれた駆逐艦6636号艦の艦底部にある出入口から乗り込むと、そこにいた乗員が僕の横にいるカチェリーナを見て声を上げる。
「あれ?カチェリーナさんじゃないか。」
「久しぶりだな、モーガン少尉。元気だったか?」
「ええ、おかげさまで。」
一年ほど前、彼女はこの艦にやってきた。そこで2ヶ月ほど暮らした後に、僕と共に艦を降りて、今の宿舎に移り住んだ。
そうか、あれからもう、一年も経つんだ。あの時僕は、砲撃により足に怪我をしたカチェリーナを抱えて駆逐艦6636号艦に飛び乗った。そう、この時まだ、彼女の名が「カチェリーナ」だとは知らなかった……
◇◇◇◇
「誰か!誰か、医務室に連絡してくれ!」
僕はカチェリーナを抱えたまま、艦底部の出入り口から飛び乗った。いきなり小柄な兵士を抱えて飛び込んできた僕を、出入り口で見張りをしていた2人の士官が出迎える。
「ルイス少尉か。誰だ、その人は?」
「この戦場で倒れていた!足に怪我をしている、直ちに治療を!」
「分かった!すぐにエレベーターに乗って診療所に向かえ!医務室には、こっちから連絡しておく!」
僕はそのまま奥のエレベーターに向かって走る。抱きかかえられたカチェリーナは、この不思議な艦内を呆然とした顔で見回している。あの土まみれの戦場から見れば、ここは明るく、そして静かな場所に映るのだろう。
すぐにエレベーターが降りて来た。僕はエレベーターに飛び乗り、診療所のある最上階に上がる。エレベーターの中、しばらく状況把握に専念していたカチェリーナは、ようやく口を開く。
「ここは一体……どこなのだ?私は、どこに向かっているのか?」
「ここは駆逐艦の中。今、あなたの怪我の治療のため、診療所に運んでいるところです。」
「診療所……?ということは、ここには医者がいるのか?」
「ええ、もちろんいますよ。駆逐艦内ですから。」
「いや、その……駆逐艦とは一体、何なのだ?」
「何なのって、そりゃあ……ご覧の通り、船ですよ。」
「おい待て!ここは海岸からも河からも遠く離れた平原のど真ん中だぞ!どうしてそんなところに、船があるのだ!?」
僕はそこで、ふと気づく。ああそうか。彼らにとっての「船」とは、水に浮かぶ船のことを指すのか。
「ええとですね、僕らの船とは、空中に浮かぶものなのです。ですから、海や川でないところでも船がいるんですよ。」
「なんだと!?だが、どういうことだ!?確かに我が帝国も飛行船をいくつか持っているが、これほど大きくて、しかもこれほど入り組んだ構造物を持った飛行船などない!?お前らは一体、どこの国の軍隊なのか!?」
そんな会話をしているうちに、エレベーターは最上階にたどり着く。僕は彼女を抱えたまま、診療所へと急ぐ。
「その話は後で!とにかくまずは、怪我の治療を!」
そして僕は、診療所に駆け込む。そこには連絡を受けた医師と看護師がすでに待機していた。僕は医師の前のベッドの上に、彼女を寝かせる。
「少尉、怪我はどこだ?」
「はい、左足です。」
僕は彼女の足の怪我を指差す。それを医師が確認し、看護師に包帯と貼り薬を持ってくるよう言う。
「うむ……血は出ているが、思ったより浅い傷だ。消毒して薬を貼っておけば、5日ほどで治るだろう。」
消毒薬をベタベタとその傷に塗り付ける看護師。痛みに耐えながらも、その治療を見守るカチェリーナ。
「それから……ええと、少尉。この方は、何とお呼びすれば良いのかな?」
彼女に何かを尋ねようとした医師が、僕の方を見る。そうか、彼女の名前か。よく考えてみれば僕も、彼女の名を知らない。
「ええとですねぇ……あの、なんというお名前でしたっけ?」
「カチェリーナだ。」
「か、カチェリーナさん……ですか。あの、下の名前は?」
「そんなものはない。カチェリーナ、我が名はそれだけだ。」
「ええと、ここの人は皆、名前だけなのですか?」
「いや、私は孤児だったから、姓がないだけだ。」
「ああ、そうなのですね……」
「そういうお前は誰だ!?こちらに名乗らせておいて、自分は名乗らぬとはどういうつもりか!?」
「いや、失礼しました。僕の名前は、ルイス・アディントン。地球220、遠征艦隊の駆逐艦6636号艦で、砲撃手をしてます。」
「あーす?にいにいまる?えんせいかんたい?がんなー?おい、なんだそれは!?」
「ええとですね、まあ早い話が、遠くの星からやって来た者なのですよ。」
この瞬間、僕は彼女の名を知り、彼女は僕らがこの地上の人間でないことを知る。
◇◇◇◇
エレベーターに乗り込む僕とカチェリーナ。まずは主計科のある8階に向かう。慣れた手つきで、カチェリーナが8階のボタンを押す。僕ら2人以外に、3人の乗員を乗せたエレベーターは、そのまま8階に直行する。
8階に着くと、乗り合わせたこの5人は一斉に降りる。皆、向かうところは同じ、主計科の窓口だ。僕とカチェリーナは、2人用の部屋の鍵を受け取ることになっている。
「にしても、相変わらずべったりですねぇ。」
脇にいるモーガン少尉が、僕とカチェリーナを見て呟く。
「いや、別にべったりなどしていないぞ。」
「そうですか?でも今、ルイス中尉と手を握っているじゃないですか。誰がどう見ても、ラブラブな夫婦ですよ。」
「い、いや、この方が歩きやすいから、そうしているだけだ!」
そうかなぁ、とても歩きやすいとは言えないけどな。ただ彼女はこの方が落ち着くというのでつないでいるだけだ。相変わらず言い訳が下手だな。そして僕とカチェリーナは手を繋いだまま洗濯室の横を通り、その向こうにある食堂も通り過ぎて、主計科の窓口へとたどり着く。
「あら、カチェリーナちゃんじゃないの!久しぶり!」
「おお、サンドラ准尉か。元気していたか?」
「ええ、元気だけは相変わらずよ。でもいい加減、私もカチェリーナちゃんのように誰かと一緒になって、こんな船さっさと降りてやりたいなぁ……」
「なんだ。男ならこの船に腐るほどいるではないか。適当なやつとひっつけば良いではないか?」
「ひっつくと言ってもねぇ……私だって、もうちょっと選びたいわよ。ほんと、ここにはロクな男が……」
おい、サンドラ准尉よ。この船の男の一人でもある僕の前で言いたい放題だな。こいつは相変わらず、態度が図々しい……だが准尉はふと僕の胸の勲章を見るや、急に態度を改める。
「し、失礼いたしました、ルイス中尉殿!よりによって一等突撃勲章を受けられ、一流の施術師の妻を持つ中尉殿の前で、いささか無礼な態度でありました!どうか、お許しください!」
「いやあ、今はまだ任務中じゃないからいいよ、別に……」
僕に敬礼するこの無礼千万な主計科の士官に、僕は返礼して応える。こう言っては何だが、サンドラ准尉は相変わらず変わり身が早い。
そんなサンドラ准尉から鍵を受け取ると、再びエレベーターに向かう。2つ下の階に降りて、そこのある2人部屋の中に入る。そこで僕らは持ってきた荷物を置いて、ベッドの上に座る。
「はぁ……これから7日間も、この狭い艦内生活を送らなきゃいけないんだよなぁ。憂鬱だ。」
「何をいうか。私を連れてきておいて、憂鬱とは何事か。」
ああ、そうだな。そういえば今回は、カチェリーナも一緒だった。彼女も一緒ならば、少しは気が紛れそうだ。
「だいたいお前は、私のことを枕元に置くぬいぐるみくらいにしか考えていないのではないか!私と一緒になろうと言ってくれた、あの時の熱意はどこへ行ったか!この間の海辺の時も……」
少々口うるさいのが難点だが、それでも銀色の髪を揺らしながら怒る彼女もまた可愛い。
「分かった分かった、大好きだよ、カチェリーナ!」
「うわっ、おい、ちょっと待て……」
そんな彼女を見てむらむらと来てしまった僕は、そのまま彼女をベッドの上へと押し倒してしまう。
……で、それから1時間後。
『達する。艦長のオーガスタだ。これより本艦は、艦隊合同演習のため、三色星域に向かう。機関始動、離陸準備!』
艦内放送が入る。いよいよ出発だ。
「おい、三色星域って、まさか……」
「あれ、言ってなかったっけ?この星では天三星と呼ばれている、あの星のある宙域に向かうんだよ。」
「何!?天三星に行けるのか!?」
「と言っても、三色星域って1光年ほどの宙域に赤、黄、青の3つの星が並んでいるだけのところだよ。別に行ったところで、何か絶景が見えるわけでもないけどね。」
「いや、それでも見たい!ぜひ見たい!」
そういえばカチェリーナはこの駆逐艦暮らしの最中も、あの星域に行く機会はなかったな。せいぜい小惑星帯に行ったことがあるくらいだ。加えて、彼女にとっては初めてのワープ体験でもある。ここから1日半かけて、6光年先の三色星域に向かう。
駆逐艦は上昇を開始する。部屋に備え付けられたモニター画面で、離れゆく帝都を眺める。赤い煉瓦造りの建物が多い帝都は、上空からはまるで赤い生地の絨毯を広げたように見える街。徐々に小さくなる赤い街並みを眺めながら、カチェリーナの心はあの3色の星に向いていた。