#6 水死体
ああ……とうとう、海辺に来てしまった。
白い砂浜の上に2つのビーチチェアを並べて、パラソルとやらで強い太陽の光を遮りつつ、ルイスと隣り合って寝転がっている。
波の音、人々が砂浜を走る足音、あちこちから聞こえる歓声……その音のほとんどは海水に吸い込まれているのか、耳に届くまでにはかなり小さくかすれた音で届く。
この砂浜には、思った以上にたくさんの人で溢れている。どうやら星の向こうの世界では、真夏に水着を着て海辺で戯れることはごく普通のことらしい。ここにいる人の大半が、地球220出身の人々のようだ。
だから私のこの際どい水着姿は、思いの外、目立たない。私などよりももっと際どい姿の女はいる。そして、私よりも大きな胸を抱えた女も……
くそっ。私の胸が控えめだと、昨日この男は言った。それがこの場では私の存在を打ち消してくれるだと?そんなようなことまで言いやがった。だが悔しいことだが、それは認めざるを得ない。
にしても、せっかく海辺にまでやってきて、皆は砂浜の上ではしゃいでいるというのに、この男はさっきからずっとビーチチェアの上で笑みを浮かべたまま、漁村でよく見られる干した魚のように動かない。しかし私はこの男と違って、干し魚にはなれない。
「おい、ルイス。」
私の声を聞いて、むくっと顔を上げるルイス。どうやら、妄想空間から現実世界に帰ってきたようだ。
「なんだい、カチェリーナ。どうしたの?」
「退屈だ。私は少し、波打ち際の方に行ってみる。」
「ああ、分かった。いってらっしゃい。」
なんだこいつ……妻を放っておいて、また寝るつもりか。こんな水着にビーチチェアとパラソルまで買い込んでわざわざここまでやってきて、この男は一体、何がしたいのか?
立ち上がろうとする私に、ルイスが声を掛ける。
「カチェリーナ。」
「なんだ。」
「やっぱりカチェリーナは、とても綺麗だよ。」
何だこいつは。突然、何をとってつけたようなことを言い出すのか、この男は。私は少しムキになって応える。
「……だが、周りの女達と比べて、私の胸は小さめだぞ。いいのか?」
「とんでもない、何を言っているんだ。だからこそ、いいんじゃないか。」
こいつ、馬鹿にしているのか、それとも本気で言っているのか?呆れた私はその場を立ち上がり、周りを見渡した。
ルイスは再び、妄想の世界に取り込まれたようで、干し魚のように動かなくなった。一方で海辺の方は、何やらとある一団が、透明な球を互いに打ち合ってきゃあきゃあと騒いでいる。私はそんな一団の真横を一人通り過ぎて、打ち寄せる波打ち際へとたどり着く。
ザザーン……足元に海水が、寄せては返す。波や穏やかで、波が寄せる度に足の周りで砂が渦巻いているのがよく見える。そんな光景を一人、じっと虚しく見つめている。
それにしても私は一体、ここで何をしているのだろうか……下着同然の服を着せられ、干し魚のようにただ砂浜の上に置かれた椅子の上で干され、それに飽きて一人ここで、波打ち際の砂が流れるのを見つめている……
これのどこが楽しいのだろう?目の前に広がる海の中に入るわけでもなく、なにゆえ海などにやって来る必然性があったのだろう。私は思わず、腹立たしくなる。
もう少し海の方へ入ろうかと思い、波に逆らい歩み始めたその時、背後から声をかけられる。
「あの、お姉さん。」
私は振り返る。そこにいたのは、頭にはサングラスをひっかけた、少し浅黒い色の肌の男。しかし私などよりもずっと背は高く、年齢も私より明らかに上だ。とても私をお姉さんなどと呼べるような人物ではない。
なんだ、人違いか……そう思って再び歩き出すと、その男が私の肩を叩く。
「ちょ、ちょっと、お姉さん!」
「なんだ、私はお前の姉などではない。どう見てもお前の方が、歳上であろう。」
「い、いや、お姉さんって、そういう意味では……」
「では、どういう意味なのだ!?それに私は、お前のことなど知らない!見知らぬ者に声をかけられるいわれはない!」
見るからにルイスといい勝負の歳の男だ。そんな男から姉呼ばわりされるとは、腹が立つのは当然だ。
「じゃあ、どう呼べばいいのかなぁ……お嬢さん、かなぁ。」
「そんなこと、私に聞かれても困る。だが、私も施術する相手の名前が分からぬときは、もう少し丁寧な言葉遣いで話しかけるようには心がけている。お前の場合は、少々馴れ馴れし過ぎる。」
「し、施術……?なにそれ?」
私が施術する相手は、初対面であることがほとんどだ。会話が苦手な私だが、初対面の人と接する最低限の礼儀はわきまえているつもりだ。この男には、それがまったくない。
「いや、一人で寂しそうに歩いているから、私がお相手して差し上げようかなぁ、なんて思っただけで……」
「そうなのか?私が、寂しそうに見えるのか?」
何だこの男、私のことをよく分かっているではないか。名も知らぬ、たった今顔を合わせたばかりの相手だというのに、ルイスよりも私の心の内をよく理解している。この言葉を聞いた瞬間、私は突然、この男に興味を抱く。
「そ、そうですよ!だって、こんなに可愛らしい人がたった一人で波打ち際を歩いているだなんて、男として放ってはおけるわけないじゃないですか!」
いや、放っておける男は一人いる。おかげで私は今、一人でこんなところを歩いているのだ。そんな男と比べたら、この男は私のことをよく理解してくれているようだ。なんてことだ、私は少しこの男を試したくなった。
「では、どうするというのか?」
「そうですねぇ……では、あのビーチバーでドリンクでもご一緒に……」
男がそう言いかけた時、背後から私の肩を掴まれる。
「バーナルド少尉。こんなところで一体、何をしているんだい?」
「げっ!ルイス……中尉殿!?」
振り返ると、それはルイスだった。何だこの男、干し魚のように寝ていたのではあるまいか?私はルイスに尋ねる。
「おい、ルイス。どうしたのだ?」
「どうしたって……そりゃあ、自分の妻がナンパされているところを見たら、誰だって駆けつけたくなるさ。」
「ナンパ?なんだ、それは?」
ルイスのこの言葉を聞いて、この男は動揺し始める。
「いえ、ルイス中尉殿……いや、ちょっとまて、今はオフじゃないか。おい、ルイス!彼女は一体、誰なんだ!?」
「僕の妻の、カチェリーナさ。」
「つ、妻ぁ!?お前、結婚してたのか!?」
「あれ、知らなかったか?もう1年ほど前の話だぞ。」
唖然とするバーナルドという男。どうやらルイスとは知り合いのようだ。
「はあ……危うく勲章ものの名砲撃手の奥さんをひっかけるところだったぜ。おい、ルイス!自分の妻なら、彼女を一人で放り出すんじゃねえ!ちゃんとエスコートしてやれ、分かったな!」
そう言い残すと、このバーナルドという男は去っていった。
「やれやれ、困ったものだな」
「そうか?私はあの男についていった方が良かったと、本気で思ったぞ」
「えっ!?なんで!?」
「海辺に妻を一人、放り投げておいて、よくそんなことが言えるものだな」
「いや、そういうわけでは……」
「では、どういうわけだというのだ?」
今度は、私が問い詰める番だ。あのバーナルドという男を追い返したわりに、今度は私に狼狽している。いい気味だ、こうなったらとことん問い詰めて、先ほどまでの寂しさを埋め合わせをさせてもらおう。
と、私がやる気を出したその時、この海岸にしては不釣り合いな格好の2人組がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。あれは、どう見ても警官だ。警官がこんな海岸に、何の用だ?
その警官2人組は、ルイスと私の脇を通り過ぎる。彼らの向かう先を見ると、人だかりができている。その人だかりの輪の中に、2人は割って入る。
そこは波打ち際だ。そんな場所に、警官が2人。尋常ではない。私もルイスも、その人だかりに関心が向く。
「なんだ?」
「なんだろう、ちょっと行ってみるか」
それにしても都合よく、私達の注意を逸らす何かが現れたものだ。せっかくこれからがお楽しみ……いや、ルイスに反省を促せると思っていたのに、とんだ横槍が入ったものだな。ともかく私とルイスは、その人だかりの方へと向かう。
波打ち際で、警官が何かを見ている。その警官の目線の先に、水際で倒れている人が見える。
「あー、もう死んでますね、この人。」
初老の男性で、姿格好から帝都に住む一般人のようだ。そんな人物が、この砂浜に打ち上げられている。その人だかりの中の一人が、警官と何かを話している。
「しかし、弱ったなぁ。事件なのか、それとも事故なのか、これだけでは分かりませんね。他に、この方の目撃者はいませんかね?」
「いえ、ついさっき流れ着いたばかりなので、この人を見たのはここにいる人だけだと思いますが……」
あの人達も休日を利用してこの海に来ているはずだが、突如現れたこの水死体のおかげで、警察の尋問を受ける羽目になった。偶然とはいえ、少しかわいそうだ。私は前に出る。
「あの……」
「なんでしょう?もしかして、この男性をご存知で?」
「いや、この人は知りませんが、この人と話ができる者ですが」
「は?話ができるって……この亡くなった男性に、ですか?」
「私は施術師。見たところ、死亡してまだ2時間は経っていないと思われます。今ならばまだ、魂と会話できるかと」
「えっ!?施術師!?」
警官は驚く。だが彼らはどうやら、帝都側の人のようだ。施術師と言って、その意味をすぐに理解した。
「ねえ、カチェリーナ。いいのかい?そんなこと言っても」
「仕方ないだろう。もし事故や事件だとするならば、この人はゾンビとして復活させて欲しいと願っているかもしれない。事は一刻を争う。すぐに施術に入るぞ」
ルイスにそう言うと、私はその男性の背中に手を当てる。そして目を閉じる……
◇◇◇◇
ここはまるで、海の中だ。青い透明なものが、魂の宿り場を満たしている。そしてこの男の魂は、目の前に見えた。
なんだろうな、何やら必死にもがいている。どうやら、まだ水の中で溺れているのだと勘違いしているようだ。私はその男の魂に声をかける。
「ああ、もし……あなたもう、死んでます。これ以上、もがかなくても大丈夫だ」
それを聞いた男は、急にもがくのをやめて我に帰る。
「えっ?あ、ほんとじゃ。苦しくないぞ。いやあ、さっきまで本当に苦しかったわい。どうやらようやく、死ねたようじゃなぁ」
何だこの男。まるで死ぬことを望んでいたような台詞だな。
「ところであんた誰じゃ?あの世からのお迎えか?にしちゃあ、随分と際どい格好じゃのう……」
じろじろと見つめる男性の魂の視線に、私はハッとする。そういえば今の私の姿は、あのビキニとか言う水着姿だ。死んだ人間の前とはいえ、じろじろ見られるのはさすがに恥ずかしい。
「い、いや、私は施術師。あなたが水際に打ち上げられていたので、あなたの中にやってきた。」
「なんじゃ、この世の者か……てっきり、べっぴんさんがお迎えかと思って、喜んでおったのに……」
さっきからこのジジイ、私の身体をじろじろと見てくる。先ほどの海岸ではこういう格好をしている人が多く、さほど恥ずかしくなかったが、今は私とジジイだけだ。とても長時間は耐えられない。さっさと終わらせよう。私は話を進める。
「も、もしも現世に戻りたいと願うならば、今なら施術により蘇らせることができるが、どうするか?」
「はぁ、蘇る?まっぴらごめんじゃよ。せっかく死ねたと言うのに、蘇ったら意味がない」
「……ということは、やはり自殺なのか」
「そうじゃよ。崖からポーンと海に飛び込んでやったわい。そのまま深みに沈んで、息ができんようになってなぁ」
「では、一つだけお尋ねしたい。あなたの職業と名前を、お聞かせ願えないか?」
「職業と名前?なぜ、そんなものを聞くんじゃ?」
「あなたの打ち上げられた遺体を見て、警官が2人、今ここに来ている。彼らにあなたのことを伝えて、適切に処理してもらう。そのために必要だ」
「ああ、そういうことか」
するとこの男は宿り場の床に座り、語り始める。
「わしゃあ、職人のマルコビッチという者じゃ。帝都で細々と、銃弾を作っとったんじゃよ」
「はぁ、銃弾を」
「じゃが、妻には先立たれ、一人息子も先の大戦で失ってもうた。独り身じゃし、今さらゾンビになって話さにゃあならん者もおらんけぇ。このまま死んだ方がスッキリするんじゃよ」
「あの、一つ聞いても良いか?」
「ああ、ええよ。なんじゃ?」
「どうしてまた、死のうと思ったのか?」
「そりゃあお前、銃弾が売れんようになってもうたからじゃ」
「そうなのか?」
「そうじゃよ。もう弾を込める旧式の銃なんて、誰も使わんようになってもうた。今はほれ、星の国からやってきたっちゅう連中が持ち込んだ、ビームとかいう不思議なもんを吐き出す新しい銃にとって変わってしもうた。あれのおかげでわしは、職を失ったんじゃよ」
「だが、それならば他の道もあるはず。今や帝都は交易が始まったおかげで、空前の人手不足と言われておる。その職人の技を活かせば、他に生きる術もあったのではないか?」
別に生き返ろうと願っている相手ではない。が、私はつい、マルコビッチという男に問いただしてしまう。
「いや、そこまでして生きようとは思わんよ。そう思ったから、息子の命日に死のうと思ったんじゃよ」
「命日……?」
「2年前の今日、息子が死んだ。2年前のこの日に行われたオポーレスク攻略戦で、敵陣に突撃し勇敢に戦い亡くなったと、軍から送られた電報にはそう書かれとった」
オポーレスク攻略戦。その名前に、私は聞き覚えがある。いや正確には、私もその戦いに参加していた。
それは初めて施術師が、戦いに投入された戦闘だ。この戦いで無数のゾンビが敵の塹壕に襲いかかり、ついに敵陣地の突破に成功した。あの大戦で、施術隊が初めて活躍した戦いでもあった。
ということは、この方の息子さんも最期にゾンビとなって戦ったのかもしれない。この時の兵士達には、ゾンビとなったらその身が尽きるまで突撃せよと命令されていた。愛すべき祖国のため、残された家族のため、自らを犠牲にせよ、と。
だが、その息子の死は、結局この方を救うことができなかった。息子がいないこの人は、自ら命を絶った。何という悲劇か。
「さてと、もうそろそろええじゃろう」
マルコビッチという男は立ち上がる。そして、私にこう言った。
「申し訳ないが、警官には適当に話しておいてくれんか。面倒かけてすまんのう。それじゃあわしは、息子と妻のところへ行くけぇ」
そう言うと彼は頭を下げ、魂の宿り場の向こうにある細い回廊に向かって歩き始める。そこは、死出の道に通づる出口。一度入ったら、二度と戻れない。私はその男性に、深々と頭を下げる……
◇◇◇◇
目を開くと、私の目の前にはあの男性の身体があった。警官の一人が、私に尋ねる。
「あの、どうでした?」
「はい、この人の魂に出会いました。この方は帝都に住む職人のマルコビッチさんという方で、息子の命日に合わせ、崖から飛び降りて自殺したんだそうです」
「そ、そうですか、自殺、ですか……」
「ですから、ゾンビにはなりたくないと。そう言い残し、死出の道に旅だたれました。そういうことですので、後のことを頼みます」
そう言い残すと、私は立ち上がる。そして、マルコビッチという男性の顔をもう一度見た。
長年、苦労を重ねてきた顔だ。シワの一つ一つが、それを物語る。その顔を見た後、私はルイスと共にこの場を離れる。
「あの、自殺って……」
「先の大戦で、息子を失ったそうだ。それでその命日に、崖から飛び降りたと言っていた」
「そ、そうなんだ……」
もはや、ルイスのことを責めようという気持ちは消えていた。先ほどの男の話を、私は思い出していた。そして、オポーレスク攻略戦の時のことも……
そんな私を見て、ルイスが提案する。
「そうだ、カチェリーナ、この先にあるホテルに行こうか」
「ホテル?」
「そこに大きなカフェがあってね、そこでズコットを食べようよ」
「……なんだ、海にまでやってきてそれでは、ショッピングモールと変わらんではないか。」
「いや、そんなことはないよ。そのお店、ショッピングモールのような安いケーキじゃないんだって。一度食べれば、カチェリーナにも分かるよ」
「そ、そうなのか?それじゃあ……」
そして私とルイスは、海岸のすぐそばにある大きな白い建物に向かって歩き始める。
その途上、私は考える。
年齢差から言っても、おそらくルイスの方が早く死ぬだろう。その時ルイスは、私のことをあの世で待っていてくれるだろうか?
自分のことばかり考えるやつだからなぁ……少し心配になったが、すぐに私は思い直す。
思えばこいつ、砂浜の上で何時間も干し魚のように寝そべっていられるやつだ。ならばこいつは、死出の道の途中でビーチチェアあたりを広げて、私が通るのをいつまでも待っていてくれるのではないか?
そう考えれば、この男の妄想癖も案外、役に立つかもしれないな……そんなことを考えながら、私はその格別に美味いというズコットを食べに向かった。