#4 被害者
私は今、警察に呼び出され、病院に来ている。
女が一人、殺された。その犯人特定のため、その女を生き返らせて欲しいというのだ。
霊安室に入った私は、その遺体と対面する。
警察によれば、彼女は背中から刺されており、心臓を貫かれ、ほぼ即死の状態。凶器のナイフは見つかっていない。部屋には、犯人の痕跡はなかったらしい。
彼女が発見された時は、部屋中が流血で凄まじい光景だったというが、すでに彼女の身体は清められ、白い服を着せられて安置されている。背中の傷を見せられなければ、まだ生きているかのように綺麗な遺体だ。そんな彼女を見て私は、この仕事を依頼してきた刑事に尋ねる。
「死後、どれくらい経っているのです?」
「殺されたのは、昨晩から今朝の間だ。近所の住人が、夜中に帰ってきたところを確認しており、遺体は今朝、発見された。」
「つまり、すでに2時間以上は経過しているのですね。」
「ああ……やはり難しいか?」
「やってみます。」
施術が成功するかどうかは、2時間以内が限度とされている。それ以上経過すると、魂は遠く離れ、身体に戻せなくなる。
実は今回のような場合、時間はそれほど重要ではない。それとは別の問題の方が大きい。その難題を、私は突破できるか?
私は彼女の身体に手を当てて、施術を始める。
◇◇◇◇
暗い、音のない空間。そこはこの女の身体の魂の宿り場。
それにしても、ここは暗過ぎる。宿り場の雰囲気は、その主の心情を反映した場所でもある。それは彼女が、殺された理由とも関係しているのだろうか?
そんなことはどうでもいい。まずは彼女の魂を見つけよう。
魂は、まだそこにいた。真っ暗闇の中、薄っすらと光るそれは、この宿り場の片隅でしゃがみ込んでいた。どうやらうずくまって、泣いているようだ。
「うう……うう……」
無念の死を遂げた者は、魂がなかなか身体から離れようとしない。それゆえに、こういう死を迎えた者は、2時間以上経過していても、まだ復活できる可能性が高い。
しかし、ここで大きな問題がある。
それは、ゾンビ化するには、本人に戻ろうという意思がないと成功しないということだ。だが殺された者は、一度経験した死の恐怖から、復活を願わないことが多い。
それを説得するのが、施術師の役目だ。
「あの……」
うっかりしていた。さっきの刑事に、彼女の名を聞き忘れていた。なんと呼べばいいのか?
だが私の声に気づいた彼女が、振り返る。
「誰!?」
「私は施術師。あなたをゾンビにするため、ここにやってきた。」
「……てことは、やっぱり私……死んだのね……」
やはり、この魂はまだその死を受け入れていなかったようだ。おかげで2時間以上、ここに残っていてくれた。だが、ここからが本当の難関に差し掛かる。
「というわけで、あなたを復活させる。同意していただけないか?」
「いやよ!」
ああ、やっぱり拒絶された。これは長くなりそうだな。
「だいたい、なんだって私を復活させるのよ!誰よ、そんなことをあなたに依頼してきたのは!?」
「警察だ。犯人の名を聞くため、あなたを生き返らせて欲しいと頼まれた。」
「だったら、ここで今、私がその犯人の名をあなたに伝えればいいじゃない!そのためだけになんだって私が蘇って、もう一度死ななきゃならないのよ!」
ゾンビになるということは、もう一度死ぬということだ。一度、死の恐怖を味わった者が、再び死の恐怖に直面することへの恐怖。人間が本能的に最も拒絶しようとするこの恐怖に打ち勝つには、何か復活を促すきっかけが必要だ。この根源的な恐怖を乗り越えられるだけの、強いきっかけが。
「あなたは、家族に最期の言葉を残さなくていいのか?」
「私、家族がいないの。母は病で、父と兄は先の大戦で死んだわ。唯一の肉親である祖母とも疎遠だったし……私、この世に言葉を残したい人なんて、いないのよ。」
ダメだ。こういう時、家族との絆がきっかけになるのだが、それが使えない相手だとは。このままではダメだ。他に、この世に引き留めるための何かを探さねば……
「あなたを殺した者……その者に、恨みはないのか?」
「何よ、急に。」
「私が犯人の名を伝えても、本人でなければ証拠能力を持たない。このままでは犯人は捕まらず、あなたを殺した犯人はこの先、罪を償うこともなく、のうのうと生きながらえることになるかもしれない。それをあなたは許すというのか!?」
「いいわよ、別に!もう死んじゃったし、今さら恨みなんて抱くつもりはないわ!」
恨みの線もダメか……困ったな、もはや手がない。
考えてみれば、私は彼女の名も知らない。ましてや、どんな人生を歩んできた相手なのかも知らない。これでは生きるきっかけを見つけるどころか、会話を続けることすら叶わない。何か、流れを変えねば……
「あなたを殺した犯人……それは、あなたの恋人か。」
私のこの一言が、彼女の表情を変えた。核心をついたらしい。相手の驚いた顔が、それを物語る。
「な、なぜ、そんなことが……」
「刑事から聞いた。あなたの死因は、背中からのひと刺し。つまりあなたは、自分の部屋の中でその相手に背中を向けていた。背中を向けられる相手は、家族でなければ、親友か恋人くらいしかいない。」
「そ、そんなことは……」
「さらに、2時間以上もここに魂が残ること自体、普通ではない。よほど未練がなければ、ここにこれだけ長時間、魂が残ることがない。それはつまりその相手が、よほど想いを寄せた人なのだろう。」
私の今の言葉に、明らかに彼女は動揺している。流れが変わった。そう私は感じる。
「……そうよ!恋人よ!このまま結婚しようとまで考えた相手よ!でもそれが、どうだっていうのよ!あなたには関係ないでしょう!」
「相手が恋人ならばなおのこと、そのままで良いのか?」
しばらくの間、沈黙が続く。何を語るということもなく、ただ私の顔をじっと見つめる、その女の魂。
「あなたに何があったか、私は知らない。だが、共に暮らそうとまで考えた相手ならばなおのこと、このまま野放しで良いのか?本当にあなたは、それでいいと考えるのか?」
「……」
魂だというのに、すっかり涙目だ。こんな施術をやったことは、未だかつてない。それがこの事件の心理的複雑さを物語っている。彼女自身、揺れているのだろう。相手に恨みはないという言葉は、おそらく嘘ではあるまい。だが、どこか未練があるように思う。
「私は施術師だ。あなたを今ここで、生き返らせることができる。しかし今、私がここから去れば、あなたは二度と、この世には関われなくなる。」
なかなか口を開かないこの相手に、私は一言付け加える。ゾンビとして還るには、時間的制約がある。たとえ未練のある相手とは言え、もうあまり時間はないはずだ。
「……バートに、会いたい……」
と、突然、彼女は口を開く。
「バートとは、その恋人の名か?」
「そう……」
「だがそれは、あなたを殺した相手ではないのか?」
「そう……」
せっかく生き返る決意をするきっかけをしたというのに、よりによって殺された相手に会いたいなどと、物騒なことを言い出す魂だ。一体、何が希望なのか?
「では、殺した相手に、抗議でもするつもりなのか?」
「それもあるわ。でも私……謝りたい。」
「殺した相手にか?」
「ええ。」
「謝るとするなら、それはあちら側がするべきことではないのか?なぜ殺されたあなたが、わざわざ謝る必要があるのだ?」
「それは……私ね、酷いこと言ったの。そう、相手を逆上させ、背中を刺されて殺されても仕方がないくらい、酷いことを。」
「そうなのか?」
「だからまず、彼に謝りたい。その上で私、言いたいことがあるの。いつまでも、あっち側であなたが現れるのを待ってるって。」
殺した相手に謝りたい、しかも死んでからもずっと待っていると伝えたい、などと彼女は言い出した。およそ理解できない感情だが、彼女は本気なのだろう。ここから先は、施術師の入り込むところではない。私は、彼女に伝える。
「では、復活の施術を行う。手を差し出して欲しい。」
私の言葉に、彼女の魂が反応する。そして彼女は、手を伸ばす。
「一度死んだ身体、数日ほどで再び死が訪れるが、すでに痛覚を失った身体での死は、必ずや安らかなものとなることを保証する。今一度の生を、あなたに与える。」
私は彼女と手を合わせる。そして周囲が、白く輝き始める。
◇◇◇◇
再び、霊安室に戻ってきた。私は目を開き、彼女を見る。
ゾンビとなり、復活した彼女も目を開く。血の気を失い、顔色は真っ青だが、確かに彼女は生き返った。
そして復活した彼女は、私に言う。
「……私の名は、イリャイーダ。あなたは?」
「私の名は、カチェリーナだ。」
「そう……カチェリーナさん、私に機会を与えてくださって、ありがとう。」
最後に彼女は私に名乗り、お礼を言ってくれた。そして彼女はすぐに、警察の事情聴取を受ける。役目を終えた私は、霊安室を出た。
病院のロビーでは、ルイスが待っていてくれた。私を見るや、手を振るルイス。所用のため帝都宇宙港に併設する司令部に出向いていたが、そこから直接こっちに来たようで、あの勲章付きの軍服姿で私に手を振っている。あの姿はここでは目立ちすぎるな。
「やあ、どうだった?」
「ああ、大変な施術だった。でもなんとか、成功した。」
「そうか、お疲れ様。」
私の姿は、施術を行う際の祭衣に、施術師であることを示す緑色の聖帯を身につけている。そんな姿の者が、勲章付きの宇宙艦隊の制服を来た男と並んで歩く。こんな異様な姿の男女2人組が、目立たないわけがない。病院内にいる人々の視線が集まるのを感じる。
そんな視線を浴びながら病院の外に出て、帝都の街中を宿舎に向かって歩く2人。私はぼそっと、ルイスに呟く。
「あの犯人……おそらく、お前と同じ星の出身者だな。」
「えっ!?そうなの?被害者がそう、カチェリーナに話したのかい?」
「いや、そこまでは聞いていない。だが、間違いないだろう。」
「それじゃどうして、間違いないと言い切れるの?」
「もし犯人がこの星の、この帝都に住む者だったならば、ゾンビ化させないために頭部を潰すはずだ。だが、彼女は頭部を潰されていなかった。まさか殺した相手がゾンビとなって生き返り、その被害者と対面することになろうとは、あの犯人は考えてもいないだろうな。」
「そりゃあ、僕らは施術師の存在なんて知らなかったから……って、ちょっと待って!?殺された人と、自分を殺した犯人とを対面させるの!?いくらなんでもそれはちょっと、まずいんじゃない!?」
事情を知らないルイスは、私の言葉に驚く。イリャイーダが生き返った今、すぐに犯人は捕まるだろう。対面が叶い、彼女を殺したその恋人とやらに、彼女はうまく自分の思いを伝えられるだろうか?
「なあ、ルイスよ。」
「なんだい、カチェリーナ。」
「私がお前に酷いことを言ったとする。お前は私を、背中から刺すか?」
「ええーっ!?そ、そんなことしないよ!大体、ナイフなんて物騒なもの、僕には使えないって!」
「そうか。」
そうだな、この男に刃物は似合わないな。やるなら、遠く離れた場所から、拳銃で一撃。こいつの命中精度は、文字通り勲章ものだ。私も一度、戦場でその能力を目の当たりにした。
その勲章持ちの男が、ペレスグラード正教の軸祭と同じ格好をしている施術師の手を握りながら、嬉々として宿舎へと歩む。世間からはあまり好まれてはいない施術師の手など握って、何がそんなに嬉しいのだろう?この男、心が深く広いのか、それともただの能天気なのか、いまだ計り知れない。