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#2 施術

 その人はまさに、死の淵にあった。


 目の前でまもなく消える、命の炎。微かに灯るその炎の断片も、その全身を蝕む病によって、かき消されようとしている。


 私の役目は、人の死に寄り添い、見届けること。危篤の報を聞きつけ、森の中にあるこの人の家までやってきた。

 医師が、脈を取る。すでに回復を諦めた家族は、その最期の瞬間を固唾を飲んで待つしかない。その医師の傍らに、私は座る。

 やがて、医師が動く。患者の目を開き、懐中電灯で照らし、前後に動かす。そしてもう一度、脈を取る。

 そして、医師は家族に告げる。


「……残念ですが、御臨終です。」


 その人の奥さんらしき人が、口に手を当て嗚咽する。その横にいるのは、息子だろうか?カーキ色の、士官の飾緒をつけた制服姿のその人は、母親を慰めようと、肩を握る。

 医師と入れ替わりで、私もたった今、亡くなったその方の脈を取る。もはやその方の手首からは、脈動が感じられない。


 そして私は、家族に告げる。


「いかがいたしましょう……この方を、ゾンビになさいますか?」


 ◇◇◇◇


 ひと仕事終えて、私は家路を急ぐ。今日は、ルイスが帰ってくる。私は、まだ使い慣れないスマートフォンとかいうこの通信機器を弄りながら、ルイスからの連絡が来ていないか確認する。

 なんでも勲章を受けることになったと、2日前に連絡があった。そのため帰還が1日遅れると、その時のメールには書かれていた。


 勲章か……私は結局、受けることはなかったな。機銃掃射と砲弾の雨の中を掻い潜って走り回ったけれど、我々のような者の命の価値は、この国にとって安過ぎるのだろう。


 私の名は、カチェリーナ・アディントン。21歳を迎えたばかり。つい1年前は、ヴォルクタスグラード方面軍、第3施術隊所属の上等兵だった。今は軍を退役し、街の施術師をしている。


 施術師。正確には、亡骸施術師と呼ばれる。その名の通り、人の亡骸に術を施す者。つまり、ゾンビを作り出すのが仕事だ。


 人は死ぬと、身体の生体活動が停止し、魂が離脱する。つまり施術師とは、その離れようとする魂を再び身体に呼び戻すことができる技を持つ者のことである。

 身体は死んでいても、魂を取り戻した身体は再び動き出す。要するに、生き返るわけだが、ただしこれは死んでから2時間以内に施術せねばならない。


 死者を蘇らせる、一見するとこれは不老不死の夢を叶える画期的な技であるかのように思われるが、実態は違う。

 魂は戻っても、身体は死んだまま。だから、いずれ身体は朽ち果て、本当の死が訪れる。

 だから、たとえ生き返らせても、その身はせいぜい1週間しか持たない。時間が経つと脳が腐り、その結果、魂が再び離れてしまう。だから私の施術とはつまり、1週間程度命を延ばすだけのことなのだ。

 たった1週間の延命、しかしそれは死んだ本人や残された遺族にとっては、貴重な1週間でもある。


 ある者は遺言を残すため、またある者は家族との最後の時間を過ごすために、その限られた命を使いたいと願う。病気にせよ怪我にせよ、死ぬ間際に肝心なことを家族に伝えられずに命を失う者が多い。ゾンビとなれば、本当の死が訪れるまで、身体は比較的自由に動き続けることができ、言葉を話すこともできる。死に際の昏睡状態では家族に伝えられなかった最期の言葉を、ゾンビならば伝えることができる。


 それゆえに私は死に際の人の元に向かい、家族に施術を希望するかどうか尋ねる。先ほどの家族も、私に施術を依頼してきた。その男性は生き返り、今、家族と限られた最期の時を過ごしている。

 施術師は、誰でもなれるわけではない。「天三星」と呼ばれる、天空に一際明るく光る三色の星が天上高く輝いた時に生まれた、左右異なる色の瞳を持つ者にのみ宿る力である。千人、いや1万人に1人とも言われる稀少な能力。私はその能力ゆえに、死を迎えた人々にわずかばかりの期間の生を与え続けている。


 ところで、私はこの技を持つがゆえに、戦場を駆け巡ることになったことがある。施術師ばかりを集めた部隊が編成され、先の大戦では……


「カチェリーナ!」


 と、背後から私の名を呼び声がした。振り返るとそこに、ルイスがいた。


「なんだ、ルイス。もう帰っていたのか。」

「なんだって……相変わらず素っ気ないなぁ。愛する夫が、戦場から無事に生きて帰ってきたというのに。」

「べ、別にそういう意味で言ったのではない!ただ、メールの文面からは、もう少し遅いかと思っていただけだ!」


 呑気な顔をして、私に向かって素っ気ないなどと言うこの男に、私はついムキになって応える。しかしこの緊張感のかけらもない男の胸には、大きな勲章が輝く。


「そういえばルイス、ついに勲章を授与したのだったな。」

「そうなんだよ~!これでいよいよ軍人を辞められなくなった……ほんと、この先、どうしようか……」


 贅沢なことを言うやつだ。これほどの名誉を受けながら、それを気に病むなど、こやつに殺された者たちが聞いたら何と思うだろうか?

 私などは、人の命をより戻して今一度の命を吹き込む力を備えながらも、その力ゆえに敬遠される存在だ。勲章どころではない。


 一方は、命を奪って賞賛される。もう一方は、命を取り戻して、忌み嫌われる。

 なんという理不尽、しかし、その不可解な者同士が夫婦という、さらに矛盾に満ちたこの関係。

 私は時々、思う。もしかしてこれは、この宇宙で一番結ばれてはならない者同士が出会ってしまったのではないか、と。だがそんな私の夫は、私の右手をギュッと握る。


「さ、家まで手を繋いで歩こう。」

「な、何だ急に!」

「えー、いいじゃない。新婚なんだし、手を繋いで帰った方が、ほのぼのとするよ。」


 始まった。この男の口癖だ。ほのぼのとしたい、のんびりしたい。時が過ぎるのを忘れてしまうほど静寂な場所で、脱力した生活を送りたい。まるで観葉植物のような生き方が理想だと、この勲章付きの男はいつも、うわ言のように私に説く。

 人は、精一杯動いてこそ人でいられる。一度、魂を失った身体に再び魂を引き戻せば、誰もが動き出そうとする。ゾンビでさえ、身体を動こうと思うのだ。なぜ生きながらにして、植物のような生き様を理想とするのだろうか、この男は。

 だが、手を握って緩んだ笑顔を見せるルイスの顔を見ると、そんな野暮なことを口にする気力も失せる。

 いや、最近、そう言うのも悪くないと思い始めている。腹立たしいことだが、私はこの夫の馬鹿げた理想に、染まりつつある。

 そして私はルイスの手を、握り返す。


 さて、その馬鹿げた我が夫は、宿舎に戻るやすぐに行動を始める。部屋に大きなハンモックを広げ、プロジェクションマッピングで、部屋の中を海辺の風景に変えてしまう。

 そして、ルイスはハンモックの上に寝そべると、私に手招きをする。渋々、私はその招きに応じる。

 決して広いとは言えないハンモックの上で、ルイスは私のためのスペースを開けてくれる。不自然なほどの綺麗過ぎる海岸の風景と、あざとい波音に囲まれて、私はルイスの横に寝そべる。するとルイスは、右手で私を抱き寄せる。

 私はその招きに応じて、ルイスの腕の中に収まる。


 ああ、この感触、そう、忘れもしないこの感触。私がルイスと出会った時に感じたあの感触と同じだ。


 それは、機銃の弾と砲弾飛び交い、息苦しいほどの硝煙の臭いが充満する、戦場のど真ん中でのことだ。

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