死に至る眠り
布団に寝ころび、目をつむる。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・おかしい。
ここ数日はそれと同時に朝を迎えていたのに、今そうならない。
何故だ。
それこそ、ここ数日はどこか他人事というかそれこそ夢を観ているようなそんな感覚だった。
もちろん自分で考え話し、歩き動いていた。
が、それも夢を見ているもう少し言い換えればRPGをしているようなそんな感覚だった。
だから、宿屋に泊まればすぐ朝が来るように、布団に入れば朝になっていた。
が、今はそうなっていない。
しかし、確かに昔俺はある時期からそうなった。
寝てしまうことが怖くなった。
寝ることと死ぬことの違い、それを分かつのは、その後に目覚めるかどうかだ。
ちょうどこの年のころだ、睡眠を考え、生と死について無駄に考え、
全てに意味を求めたがゆえに、睡眠を恐れだした。
それから、寝ることが難しくなった。
最後の睡眠が死だと、そう思うと今のこれが最後にならない保証はどこにもなく、
など、考え続けて寝れなくなった。
最終的には寝るのだが、日々寝付くのに数時間を要した。
そんな状態に今なっている。
それはどういうことだ。
今までの「観ている」俺が「ここにいる」俺になったのか。
分かりはしない、しかし何を恐れるのか。
ともすれば、目を覚ませば元の俺に戻るかもしれないのに。
だけどそれはここが夢ではなく、今の俺にとっての現実、そう認知した現れのようにも思えた。
ただ目をつむり、何も考えないこと、この難しさを久しぶりに感じている。
考えないと意識することそれは考えることにほかならず、最近は酒に逃げることも・・・。
と、いつの間にか目覚ましに起こされる。そして今まで感じなかった寝不足感がある。
徐々にリアリティを増すこの状態にそこはかとない恐れを覚えた。
日常を続け、登校するとすでに違和感は別の方向からも出ていた。
まずは今まで感じなかった目線。
確かによくよく考えればあの下着窃盗事件においておれは一定の功労者ではあるわけだ。
不良が大声で逃げるところを恐れもせず、持ち物検査にまで持ち込んで、ついには不良の悪事を露呈することに一役買った訳だ。
伊藤みたいに、その内実を知らないのであれば、それはまぁそこそこに凄いことであり
今まで視界に入らない陰キャに注目せざるを得ないだろう。
そして自席から見える景色も異なっている。
濡れ衣を着せられて、今日からその席にいないはずの肉団子が席に座っており
真犯人である坂本と田崎がその席にいない。
ほどなくして退屈な授業が流れていく中、この後の行き先を考えていた。
知っていることはことのほかアドバンテージであり、少なくとも俺の知っている「事実」を覆すことはできる。
だが、だからと言ってそこに完全はない。
高々先日の思い付きで、図らずとも俺はスクールカーストの視認外から、認識されそのピラミッドに組み込まれた。
この「知っている」を利用して頂点に上り詰めることは容易だ。だが、それが良いのか。
そもそも俺はスクールカーストの傍流にいたがために、クラス外、校外のことをより多く「知っている」
この知っているというリソースをクラスにどこまでかけるべきか。
少なくとも、一度クラスの主流に組み込まれればクラスにリソースを割かざるを得なくなる。
それが正解という事もあろう。が、その保障がないのもまた正だ。
とすれば、実行者としての俺を隠匿しつつ「知っていること」で出来ることを見極めるのが良かろう。
今クラス内で動けば、隠れようとも目立つ。
まず、クラス外、学校外で「俺」を出さずに変えていく、幸いにして俺はそれをいろいろ知っている。
そうして俺はここ一週間の「事件」を書き出すことにした。