其の伍
ヤッベェ
電車に揺られ、私と琥珀君は街から段々と周りの風景が田んぼになるのを眺めていた。
私は生まれが群馬の嬬恋村で、親も祖父もそのまた祖父もずっと嬬恋村に住んでいるという事らしい。
嬬恋村。それは天明の大飢饉の影響がとても大きかった場所。
当時は鎌原村と呼ばれていたらしい。
其処は今では「日本のポンペイ」とも呼ばれるほど名高い観光スポットにまでなっているが昔の飢饉当時、沢山の人が火砕流に飲み込まれ亡くなった、沢山の家屋が火山弾に破壊された、沢山の農作物が火山灰によって太陽を塞がれ枯れていった。
私の先祖はそれを身をもって体験したのだ。目の前で人が死んでいくのをその目で居ていたのだ。と琥珀君は外の田園風景を眺めながら言った。
「鎌原村は実はとても凄い勢いで復興に成功しているんですよ。黒岩長左衛門でしたっけ、確かその方々のお陰で何とか冬を安泰に越す事が出来たんですよ。しかし、普通そんなに運よく冬を問題なく越せるっていうのは珍しいんですよ。普通死にますよ、人が。人肉を食べた、という例が在るほど飢えていたんですよ、人々は。だから、この結果は…」
「狗神でも居ないと…在り得ない。」
私は後ろを振り返ってみる、何も居ないのも解りきっている。けれども、自分の先祖が狗神を作り上げた。その狗神が私に憑いている。そう考えると何となく私の後ろにでもふわりふわりと居るんじゃないか、其処に有るんじゃないかという気がしてならない。
きっと琥珀君にはその姿が見えているに違いない。彼曰く言霊の世界で見ているに違いない。
と思うと私は何となく少し寂しい気がする。すこしむず痒い。居るのに見えない、隣の彼は見えるのに私には見えない。そういうものだ、と割り切れればいいのだが居るとなれば気にならない筈が無い。まあ、心境的には部屋の中の蚊を始末したけれども、何となくまだ羽音がする気がして寝付けないのと同じだった。
琥珀君は足を組ませ続ける。
「ええ、だから今僕と狗辻さんはこうして、因縁の地、狗辻さんの家へと向かっているんですよ。そこに行けば、多分助かりますよ。場所が正確に分かればですけど、ね。」
頬杖をしていた左手を顎へと当て、探偵のように人差し指で顎を弄る。考え込んでいるのかうーむと唸り声まで上げている。
「場所…と言いますと?」
「…狗神というのはですね。」
先ほどと同じように彼はえぇ知らないのぉ?という視線を向ける。
「犬を飢えさせて殺した後に、辻に埋めるんですよ。辻は良く人が通ります。幽霊とかそういったものを信じる人は『踏まれて恨みがさらに増す』って言うんですけど私には違って見えますよ。言霊です、人が通るということは言霊が其処に着く確率も跳ね上がるということなんですよ。狗神も私には言霊、まあ目で見ると文字の塊に見えるんですけどね、そいつが結びついて大きくなる。そうしたら存在感も増す。言霊は消えないんですよ、だから時として怖い。」
けど、だから面白いんですけどね。最後にそう付け足した。
「さて、そろそろじゃないですか?荷物、忘れないでくださいね。」
外をふと見るともう既に暗くなっており、時計を見ると既に7時を回っていた。
電車から降りるとほぼ同時に携帯の着信音が鳴る。
「あ、琥珀君。ちょっと待って。」
「どうかしましたか?」
「うん、ちょっと電話…」
荷物をその場に置き画面を見てみるとそのには「やばい奴」と書いてあった。
尚、この名前は親不知和尊からの着信を意味し、「やばい奴」というのは彼を電話帳登録するときに自分でつけた名前である。
「あ、ちょっとやばい奴から電話が掛かったからちょっと待っててね、琥珀君。」
「…普通やばい奴から電話って掛かってくるもんなんですか?」
琥珀君は心なしか困惑した表情を見せた気がした。
「ああ、もしもし。狗辻さんなら今外出中ですが?」
「携帯でその返答は初めて聞いたよ、狗辻ちゃん。にしても事実だから仕方ないけどさ。」
―何故知っている。
「何故知っている。的な電波を感じる…!そりゃ簡単だよ、狗辻ちゃん。なんせ今僕は君の家の台所で優雅にプリンを食べているからね。」
「ああ!私が楽しみにとって置いたのにぃ~!和尊お兄ちゃんのバカぁアホぉ…なんて言うと思ったかぁ⁉どうしてあんたが私の家に居るのよ‼」
外、それも駅舎内にも関わらず私は大声で怒鳴り散らす。
「狗辻ちゃん、それは愚問だぜ。狗辻ちゃんのセクハラー歴4か月のこの僕ならば君の昼休憩中に合鍵を作製しに行くことくらい朝に起床するレベルで終わらせてある!」
「あ!あの時!無いなぁと思ってたんだよぉ…お前が持ってたのかぁ!」
―こいつ、帰ったら覚えてろよ!
「おっとっと、僕の身の保身の為に話題を転換するけど。なんで君は今家に居ないんだい?熱が1.6Eあるんじゃなかったのかい?」
「あんたのボケのセンスは朝の私と同レベルってことは解ったよ。えっとね、まあ、帰省帰省。」
あえて責任転換問題を自分から告白したことに対してはノーコメントである。
「えぇ、まじかよ狗辻ちゃん。どうしよ、上になんて説明しよ。」
電話でも伝わるほどに和尊が焦り始めるのが解る。
―いいぞ、もっと焦ればいい。
「まあ、上には病気だって説明しといて。じゃないとあんたが私のプリン食べたこと上に報告するから。」
「脅迫する内容間違えてない!?」
「泥棒は泥棒の始まりなんだよ。和尊君。」
「そんな殺生な…!」
「突っ込まずにボケるなんて、そんな殺生な。」
「解りました、善処させていただきます狗辻ちゃん様。」
超適当なボケでもしっかりと返してくれるのは好きだが、まさかこれで話が通るなんて全く思ってなかったので驚きである。
―今度かくかくしかじかで通じるか試してみよう。
「じゃあ、よろしくね。和尊君。」
そしてもう一つ驚きなのは、今回は一切セクハラ発言は無かったのだ。家に無断で侵入してプリンを美味しく頂いている事がセクハラと言えばそうなのだがもうそれはセクハラではなくただの不法侵入とストーカー行為より今回はまだノーカンである。
―良かった、こいつもセクハラしない日があるん…
「ええ、いいですよ。報酬にパンツ貰っていきますね。」
私の期待が音を立てて崩れていくのを聞いた。
―お前いつか絶対にぶん殴ってやる。
ふぅ。とため息をつき私は電話を切る。と其処には体を痙攣させながら口角を引きつらせている。
―琥珀君、まさか…!
「っくはははは!最高っ!駄目だ、ツボにはまっちゃいました、あはははは!」
と声は平淡のままに言う。
「にしても仲良いんですね。お二方。」
「良くなんかないよ!あんなセクハラ野郎!」
「うげ、本心とまるっきり逆じゃないですかぁ。ドン引きですよ、正直。」
「言霊を読むなぁ!」
しかし、そんなこと1ミリも思っていないんだが、琥珀君は一体何を見ているのだろうか気になるところではあった。
さて。私は荷物を持ち上げる。
「行くよ、琥珀君。今日はもう家に泊まろう。ついてきてね、近いから急いじゃおう。」
「良いんですか?僕みたいな他人がづけづけと上がり込んじゃって。」
琥珀君はまだ少し笑いながら言う。
―そんなに面白かったか…?今度会わせてあげようかな?
多分面白かったのは私があいつに対して相当タイトなことについてなのだろうけれども。
―いや、タイトというよりかはどっちかというと突っ込みかな?
「いいのいいの。普通に友達ってことで通すから。母さん、そういうところでは結構ルーズだし、大丈夫大丈夫。」
「まあ、友達ではないんですけどね。ちなみに僕はご飯は和食しか食べれないのでよろしくお願いしますね。」
案外、注文が多いんだなぁ。と思った。
「和食は良いですよ。1日二食で十分事足ります、っていうか二食が普通ですよね?」
「いやいや、いつの時代の話をしているのさ。」
「拙者、出雲国の武士にて候。」
「一人称を改めなくていい!」
―因みに一日二食が普通だったのは鎌倉の武士までだよ、琥珀君。
家に着いたのはそれから約30分後であった。
「ね?近かったでしょ?」
息を切らしふらふらと歩く琥珀君に私はあらかじめ荷物に入れていた扇子で自分を仰ぎながら言った。
「はぁ、はぁ。何が『近いから』ですか。徒歩、其れも速足で30分ってあなた頭おかしいんじゃないですか?」
「人に自分の価値観を押し付けるのは良くないって自分で言ってたじゃない、琥珀君。」
「うぅ、しかし流石にこれは酷すぎますよ、拷問ですよ、ファラリスの牡牛も顔負けですよ。」
と琥珀君は古代ギリシャの処刑器具で有名なワードを引っ張り出してきた。
―まあ、確かに暑いけどさ。
「もぉ~。もぉ~。」
「既に事後だった⁉」
「もお、良いですよ、もお。もお、早く入りましょうよ、もお、家に、もお。そしてもお何も考えずに眠りたい、もお。」
普通ファラリスの牡牛の内部から声が聞こえるわけではないが琥珀君は少しにやけながら言った。すこし私もムッとしたので反撃を仕掛けることにした。
「解ってるって、琥珀君。アイアンメイデンの方が良かったね。私もそう思うよ。」
「アイアンメイデン!?実際使用されたかも怪しいあれですか!?確実に死ぬじゃないですか!確死ですよ、確死!」
「いやぁ、一応ファラリスもやばいとは思うんだけどねぇ…」
「はぁ、何言ってるんですか。ファラリスに入っても別に死ぬわけじゃないんですよ?そんな当時の火力で人間を炭にできるわけないじゃないですか。常識ですよ、このくらい。あなたは実は拷問器具オタクの振りしたにわかですね。知ったかぶりのにわか野郎なんですね!」
「別に私は拷問器具オタクでもないし野郎でもないよ。野郎歌舞伎は好きだけどね。」
「えぇ、むさい歌舞伎の何が楽しいんですか。」
琥珀君、名前で判断してると痛い目見るよ。野郎歌舞伎は現在の歌舞伎にも通ずる女形を開発したものである。昔は若衆歌舞伎や遊女歌舞伎などがあったが不埒として江戸時代に無くなってしまった。
「っていうか本当に今日は蒸し暑いですね。まるで野郎歌舞伎を見るための客席に居る気分ですよ。うへぇ、あっちぃ。」
「凄い的確な比喩だね。」
確かに江戸時代の浮世絵にもあるように昔の客席は今でいうボックスのようなところに4,5人が立って観覧するというものであった。そこでは色々な食べ物や飲み物を食べる文化が伝統としてある。幕の内弁当などはここが発祥である。
「まあ、とりあえずもう早く休みたいです。入れてください。」
言い方が少し癪に障るが私は久しぶりに、実に独立以来、つまり2年ぶりに実家のインターホンを押した。
ピンポーンと無機質で懐かしい音が響く、と中からはぁいと声がする。
「どちら様で…あら、嵩之じゃない。お帰り。思ったより早かったのね。」
予め母である狗辻茶佳之には連絡を入れておいたので会話はスムーズであった。
「ただいま。」
「お帰り。それでね、いきなりなんだけどさ。」
母は首を傾げながら言った。
「その子は…?お友達?」
「えっと、まあ、うん。そんなとこ。」
「違いますよ。」
台詞が被る。いやいやちょっと待て琥珀君。話をややこしくしようとするんじゃない。
「えぇ…?」
母が困惑した表情を浮かべる。まあ、それも当然である。
おかしいのはこの空気感を全く読めていない琥珀君である。
「まあ、僕の素性はどうでもいいんですよ。今は。」
琥珀君はニヤリと笑い目を細める。
「単刀直入に言いますね。娘さんの嵩之さんはですね、今。呪われているんですよ。」
―いきなり何を言うんだ琥珀君!
母がさらに首を傾げ、嫌悪の表情を見せる。明らかにこのままだと琥珀君は不審者である。
「呪われているって、」
母はやっとの思いで口を開く。
「どういう事なんですか!?あなた一体娘に何を企んでいるんですか!?」
御尤もである。一般的な親であればいきなりこんな突拍子のない話をされたら悪徳商法かなんぞかと疑うのは当然である。しかし、琥珀君はそんなことはお構いなしに続ける。
「企んでなどいませんよ。悪しきことはね。お金もいりません、別にあげたいというのであれば頂きますがね。」
「だから、あなたは、あなたは一体、何者なんですか!?」
「嵩之さんの命を救う唯一の手段ですよ、僕は、ね。」
間髪を入れずに琥珀君は答える。
母が目を見開く。つまりはいきなり娘の命が危険にさらされていることを告白されたのだ。デリカシーが無いのか、はたまたただ、
見えている世界が違うだけなのか。
「…ください。」
母が俯き加減に言う。
「帰ってください!」
「お母さん!待って!」
話を制止したのは私であった。これ以上二人に会話をさせていては話が悪い方向に持ってかれるだけだと確信したからである。まあ、もう既に帰ってくださいという最終手段までに達していたようだが。
「この話はね、信じられないかもしれないけど、全部ホントなの!全部嘘偽りない現実なの!」
「そんな呪いとかあやふやなものなんてある筈無いでしょう!?」
「いいえ、ありますよ。」
琥珀君がさらに口角を引き上げて言う。
「なんなら、見せてあげましょうか?呪い、と呼ばれている言霊の恐ろしさというものを。恐ろしくて面白い世界のことを、あなたにも見せてあげましょうか?」
と琥珀君は目をつむりブツブツと何かを唱え始める。
詠唱である。
母は半分怒鳴り気味で言う。
「ええ!そうして頂戴!出来るものなら見せてみなさいよ!」
と言い切るか否かのときにふと玄関にあった革靴が一つ浮き上がった。
母が目を見開く。
しかしまだ、この言霊の力の序文だったと私は思い知った。
そこら一体にあった、琥珀君を中心にして、私と母以外の、人間でも動かせそうなものが全て
全て浮き上がった。浮遊した。
琥珀君はふぅとため息をついて閉じていた眼をぎょろりと開き母を見た。
「どうです?これなら信じますか?」
母は口をパクパクさせたまま浮遊した革靴を眺めていた。とその震え交じりの声で母は言った。
「信じます…信じますから取り敢えず。この現象を直してください。」
「解りました。」
と琥珀君はもう一度目をつむりブツブツと何かを唱え始める。とだんだんと浮いていたものがゆっくりと、雪がふわりふわりと舞うように降りてくる。
「これが、言霊なんだね…琥珀君。」
「ええ、そうですよ。」
琥珀君はもういちどふぅとため息をつき静かに言う。
「まあ、こんなもの序の口でしたね。お母さんがあそこで止めて正解ですよ。特にあれはね。やばい奴ですから。」
「琥珀君!?一体どんな呪いを使っていたの⁉」
「ありとあらゆる超常現象が一斉に起きるっていう化け物級な言霊ですよ。」
―そんな物騒なものをよく知っているよね、琥珀君。
「まあ、取り敢えず。今のでより疲れました。寝かせてください。」
「わかったよ。案内するからついてきて。」
私はそう言うと白色のハイヒールを脱ぎ揃え、2年ぶりに実家の床を踏みしめた。
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