其の参
3日目
目覚めると私は自宅の布団の上に居た。
いつもと何ら変わりない風景である。
―良かった。さっきまでのやつも全部夢だったんだ。良かっ…
「お目覚めですか。」
「にゃんですとぉ!」
思わず声に出してしまった。
少年はなんと私の枕元に立っていた。
「なんでいるんですか!」
「うむ、いい質問じゃないですか、答えは簡単です。なんか凄いもん見ちゃったんで。」
さも当たり前かの様に表情一つ変えることなく彼は言った。
「理由になるかぁ!ってアレ?」
―熱が…引いてる?
少年は、ふぅ。とため息をついた。どこか安心をしたかのような表情で彼は言った。
「良かった、良かった。いやぁ正直危なかったですよ。僕も死体を担いで街を歩くとかいう羞恥プレイは嫌でしたからね。」
「羞恥プレイ!?一体あなたは何に対してプレイ要素を見出しているの!?ってそうじゃなく!死体!?私一歩間違えたら死んでたんですか!?」
「ええ、死んでましたね。」
即答である。あまりにも清々しい即答なので理解に少し時間が掛かった。
「なんで!そもそもどうしてあんなに辛かった熱がもうほぼ引いてるの?私わかんにゃーい。」
「真顔で私の次の台詞を取らないで‼」
尚、最後の台詞は余計である。少年が初めて少し笑った気がした。この子、こう見えて結構面白いのね。
「まあ、僕はさっきも言ったんですが言霊を見ることができます。だからあなたにかけられたお呪いの対処法もわかるんですよ。ああ、因みに僕は心洞琥珀って言います。」
「自分の名前をそんな食玩のおまけのラムネみたいに言わないで上げて!」
「何を言ってるんですか。普通食玩はラムネ目当てじゃないですか。」
―ぶっ飛んでる、うん。琥珀君ぶっ飛んでるよ。
覚えやすい名前だなぁと思いながら私は琥珀君が言った言葉を一つ一つ質問することにした。
「琥珀君。」
「あ、寝たままでいいですよ。」
起き上がろうとする私を制止する。
「あら、そう。なら、お言葉に甘えて。で、どうやったの?この熱冷まし。」
ああ。と琥珀君は相槌を打つ。
「簡単ですよ。手に書きながら唱えたんですよ、お呪い。」
―お呪い?
「お呪いって確か痛いの痛いの飛んでけとかそういうやつですよね?」
「ええ、まさしくそれに近いものですよ。今、僕があなたにかけたお呪いは上がり首って言うやつです。まあ、お呪いの祝詞なんて大半が飾りです。重要なのは真意、つまり意思ですよ。意思が強ければ強いほど言霊も力を増すわけですよ。まあ、でもいつか切れますがね。」
へぇ。と私は頷く。
しかしさっきから話を進めてはいるが未だに今、自分に何が起きているのかがはっきりとしない。そもそも
「狗神ってなんですか?」
すると琥珀君は少し意外そうな顔をした。えぇ、知らないんですかと言わんばかりである。
「えぇ、知らないんですかぁ?」
―ほらね、言ったよ。
「よく出てくるじゃないですか、少女漫画とかに。私の狗神様とかそんな台詞とか聞き飽きましたよ。飽き飽きです。」
「少女漫画ねぇ」
生憎私はずっと週刊少年ジャンプさんにお世話になっていて、少女漫画とは縁がなかった。
昔からなにせ男勝りな性格だったのでね。よく父親が買ってきた漫画をずっと読んでいた、ら「変に男勝りな子に育ったねぇ」と母にも言われるほどである。
「解りましたよ、今から買ってきますから。お金ください。」
「やるかぁ!ってそういう事じゃなく!狗神ってなんなのさぁ!」
熱が下がるのに反比例して私の突っ込みボルテージは上がるのである。
いやぁ我ながら感心感心。
「ええとですね、狗神っていうのはですね。犬を兎に角兎に角飢えさせて、そいつをまあ酷い殺し方で殺すんですよ、あはは。そしてそいつに呪詛を施すんです、よく使う有名な呪術ですね。まあ僕もやってる人を見たことありますがねぇ。」
「え…」
私は耳を疑う。
琥珀君は笑いながら言う。
「流石に驚きましたよ。まさか犬があんな恨みのこもった眼をするなんて…」
「…助けなかったんですか?」
「ん?」
「何で助けなかったんですか!」
怒鳴り上げる。私は昔から怒ったことが数えられるほどしかない。昔友人から全然怒らないねと笑われたこともある。そんな私でも、流石に感情が隠し切れない。
―恨みのこもった眼だって?ふざけないで!そんな人間のための勝手な都合で、あるかも判らない適当な事の為に簡単に動物の命を奪ってはいけない。そんなの…
「自分勝手すぎます!」
琥珀君はきょとんとした顔で目をぱちくりさせる。僕、なにか悪いことでも言いました?と言わなくても伝わってくる。私は更に感情を露わにさせる。
「そんなんで!たった相手に何か恨みがあるとかそんな理由で簡単に!」
「命を奪ってはいけない…と。」
へぇ。そういう考えかと言わんばかりに手を打つ。
「しかしですね。」
だが琥珀君は続けた。
「仮に僕を悪と決めつけるのであれば、それはあなたの正義。あなたの考えです。しかしどう思いますか?狗神を使った人から見れば」
にへらと琥珀君は口角を引きつらせて言った。
「あなたが悪、なんですよ。」
「…何が言いたいの?」
「この世には正しいも間違いも無いんですよ。そんなもんがあれば僕は居ませんからね。いいじゃないですか。彼はある人を呪いたかった、殺したいほどに。それが彼の正義です。この世界は正しいとか間違ってるとかじゃなくて、今ある現状が、今其処に有る自分こそが全てなんですよ。だからですね、」
琥珀君は浮かべていた笑みを消しその大きな目で私を睨みつける。
「善人ぶってんじゃねぇよ。っていうわけですよ。」
街の生活音が澄み渡ったこの部屋の空気に吸い込まれる。静かだ。
私は彼に何も言わなかった、いや言えなかった。
悔しいことに琥珀君の意見は正しい。私がぐぅの音も出ないほどに言われてしまっている。
確かに道徳的ではなくその人の主観で考えれば私は道徳という鈍器を振りかざした偽善者になる。
狗神を使った人から見れば、私はただの悪人。しかしそう考えるとどうも自分が疑わしくなってくる。
本当に私は今正しく、自分に嘘偽りなく生きられているのか。私の正義に反せず生きていられるのか。
「しかし、ですね。」
琥珀君が口を開く。
「偽善とは言いましたが、それを気にする必要は無いんです。だってあなたはちゃんと道徳的に物を見れているんです。あなたがそう思ったんなら、あなたがそう思って口に出したなら、その声で空気を震わせたのならそれはあなたの中の正しいと思った行動です。ただ一人一人違う正義があるだけです。ほら、例えばランダム食玩だってそうじゃないですか。当たりも外れもその人次第。ほしいキャラが自分の中の正義、いらないキャラがその人の悪。でも見方を変えればいらないキャラが正義だっていう人もいるんですよ。つまるところそういう事です。」
「…その食玩の例えは…余計だったかな?」
しかし、気持ちは落ち着いた。なかなかに琥珀君は人の空気感を読みとるのが上手であると思う。
しかしあの時、さっきの表情
普通の人間がするような表情じゃなかった。
若干な恐怖、あの睨みつけた顔が脳裏をよぎるだけで背筋が凍り付く。
―あの顔は、私に対して完全な敵意を持っている顔だった。
「まあ、こんな前置きは放っぽり置いて。」
琥珀君はまた口角をニヤリと三日月の様に引きつらせ言った。
「本題と行きましょう。」
明日も頑張ろ