八話 命名
アーヴァは怒っていた。自分の知らないところで、奴隷たちを物みたいに扱ったのだから当たり前だ。
さすがのさすがに我慢はならなかった。
このまま問い詰めるべく、局長の部屋へと向かう。
大きなドアの前に立つ。ネームプレートには局長の名前が書かれていた。
「失礼します、アーヴァです。局長はいますか?」
返事がない。
「局長はいますか!」
やはり、返事がない。
ドアを開ける。目前に広がった光景は、凄惨たるものであった。
資料は散らばっている。本棚は何か大きな獣に襲われているかのように爪あとが残っていた。机は真っ二つに折れて、窓は割れている。
血は床や壁、天井にまで飛んでいた。人ひとりの出血量は超えているだろうと思うほどだ。
局長は、椅子に座っていた。身体は引き裂かれて、顔はつぶされている。局長と判断した材料は、胸に書かれたネームタグと血まみれの白衣。あとは背丈や髪型といったところだろうか。
白髪混じりのオールバックは彼の特徴である。
血なまぐさい臭いが鼻につく。それでも、アーヴァは平然としていた。
彼はいつか碌な死に方はしないと思ったからだ。
大した研究者でもないくせに、他人の権威だけで生きてきた人間だ。お似合いの最期ではないだろうか。問題は――
――この様子だと、奴隷たちの事件の証拠もなくなっているな。
顎に指を当てて考える。
あの奴隷たちの変化は明らかに自分たちの研究の規格を越えていた。さらに大量のマナをその身に宿した代償として、体が耐えきれなくなって破裂してしまっている。
誰かが裏で糸を引いているのは明らかである。
深く考えたところで、これ以上の答えは見つかりそうもなかった。
――今、私がやれることといえば……、一つしかないね。
大きくため息を吐いて、頭を振る。
◇
ラングニルは自分の目が離したすきにと悔しそうにしていた。なんでも、本国からの伝令で足止めを食らっていたらしい。さらに自分の預かる隊の中に裏切者がいるとは予想していなかったそうだ。
裏切者はすぐに見つかった。半狂乱となり暴れていたが、すぐに取り押さえられた。
この研究所で起こったこと、裏切者の処遇などのためリエル王妃たちは挨拶も半ばに王都へ帰っていった。
近衛兵団長なら、姫から目を離すなよと色々突っこみたいところだが、彼も何かと忙しかったのだろう。そう解釈することにした。
何より、39番の精神が、彼を問い詰めるほどの気力を残していなかった。
あれから何日経っただろうか。もう、数えていない。
研究所は半分閉鎖状態になっていた。数人の研究者を残して、大勢の人員が違う場所に左遷された。局長は、行方不明らしい。
新たな責任者となったアーヴァの指示で、この研究所は閉じることになったらしい。今はその手続きでいろいろと忙しくしている。
39番の処遇は前に比べて優しいものとなっていた。暴力もないし、無理な肉体労働もない。食料も朝昼晩ときちんと健康を考えたものに変えてくれる。
研究所内なら自由に歩き回れるようになったが、39番はもとの部屋でじっとしていることを選んだ。
いまだにあの光景が忘れらない。一面赤い血に染まった光景を。
『39番、いるか?』
アーヴァの声が聞こえる。39番は小さく唸るように応えた。
『入るぞ』
といいつつ、アーヴァはすでにドアを開けていた。いつもの眼鏡姿の女性研究員が目に入る。
「……何の用ですか?」
39番の死んだ瞳を見て、彼女はふむと小さく言った。
「最後の検査だ。ちょっと付き合ってもらおう」
「……どうせ拒否権はないんでしょ?」
「まぁ、その通りだな」
やる気なくゆっくりと39番は立ち上がった。
検査はいつもの部屋で行われた。鏡に映るのは、狐のメスの獣人族となった自分の姿。この姿にもだいぶ慣れてきた。
変わったところといえば、尻尾が二本になったところか。なんでこんな変化が自分に起こったのかは、この世界の事情を知らない39番にわかるわけがない。
『ま、いつもの通りだ。気を楽にしてくれ』
アーヴァの声に従って椅子に座る。顔によくわからない機械が巻きついて、数分した後に視界が晴れる。
いつものようにカルテを持ったアーヴァが部屋に戻ってきた。
「おおむね、体調に問題はないようだな」
「おおむね……?」
「あぁ、君に起こった体の変化に少々説明をしないといけないな」
少し間をあけて、目線を合わせるようにかがんでアーヴァは口を開く。
「君の体内には巨大なマナが渦巻いている」
マナというのは、この世界を作りかたどっている元素。そう思えばいいと付け加えた。
「人間にも魔族にもマナの許容量は決まっている。マナは多ければ多いほど良いというわけではない」
「許容量を越えた場合はどうなるのですか?」
「君も見ただろ。奴隷の姿を」
「……」
暴走した結果、破裂して死ぬ。そういうことだろう。
「しかし、何の因果か君はその許容量を越えているのにも拘わらず、生きている。まるで何かの加護を授かっているかのようにな」
「……加護?」
「そうだな、端的に言えば“悪魔の加護”とでも言うべきだろう」
「……そこは神と言わないんですね」
「言っただろ? マナは多ければ良いというわけではない」
マナは魔を司るものである。
魔法。魔族。悪魔。魔物。魔の付くものはすべてマナが関係している。
マナが多ければ多いほど、悪魔へと近づいていく。彼女はそう言った。
「これ以上のマナの大量の摂取は危険だ控えろ」
「危険と言われても、どう対処していいか……」
「そうだな。できる限り、マナの多いところに行くな。あと悪魔に好かれるな」
「……分かりました」
本音は全然分かっていないが、そう応えるしかない。
アーヴァは39番の心うちを知ってか知らないでか、大きくため息を吐いた。
「そうだな。それ以上、尻尾の数が増えたら危険。そういうことを念頭に入れておけ」
どうやら、尻尾の数は自分のマナに対応しているらしい。
「……もしかしたら、お前自身が悪魔になってしまうかもしれないからな」
彼女のつぶやき声は、39番に届かなかった。首を傾げていると、なんでもないと切り替えられる。
「そうだ、気落ちしていた39番に朗報だぞ。お前はこの研究所から出て王都の預かりになった」
「……つまり?」
「リエル王妃のお抱え使用人として働けることになった。奴隷から大出世ではないかよかったな」
それは手放しで喜んで良いことだろうか? 命を散らした仲間たちがいるというのに。無惨な姿になった奴隷たちがいるというのに。
「喜んでおけ。死んだ連中をどうこう言っても意味がない」
「……ですが」
「それよりも、お前がこのような被害者をもう生まないようにうまくこの世界で立ち回れ。ここで過ごすより、王都で過ごすほうがうまくいくだろう」
「……アーヴァさんは、なんで」
「お前なんかに……か」
彼女の眼はすべて見透かしているようだった。どこか知らぬ圧力に負けて、39番は黙るしかなかった。
「言っただろ? 私はすでに人の道を外れている。私が何をしてもこの世界は変わらない変えられない。そんな力は私なんかにないからな。それよりも、お前のほうがこの世界を変える力を持っている。私はそう確信している」
「……」
「お前は私の最高傑作だ。自信を持て」
その言い方はどうだろう。そう思ったのだが、口には出さなかった。彼女が初めて見せた満面の笑みに負けて、うなずくことしかできなかった。
アーヴァが言っていた王都へ行くことになったのは本当だったらしい。39番は王都に続く道の前で馬車を待っていた。隣には見送りに来たアーヴァがいる。
服装はいつもの奴隷服ではない。アーヴァが特別に用意していたものだ。どこかメイド服を改造したワンピースフリルに見えた。
男の39番からしたら気恥ずかしいったらありゃしない。
「娘を送り出す気分ってこんな感じなんだろうな」
アーヴァはどこか感慨深く言った。
見上げると、彼女は照れくさそうに頬をかく。
「いや、私は研究研究でこの歳にまでなってしまったからな。子どもなどいないのだ」
それだけ言うと顔をそむけてしまう。意外と可愛いところがあるもんだなと、39番は苦笑した。
馬車は少ししてからやってきた。王族御用達の白い馬車だ。側面には、フランシス王国の紋章が入っている。後方には、護衛の兵士たちが十数人ほど馬に乗っていた。どの馬もしっかりと馬鎧を装備していてかっこいい。
「39番さん!」
停車と同時に飛び出してきたのは、リエル王妃だった。彼女は勢いよく39番に近づくと、力強く抱きしめる。
遅れてラングニルが馬車から出てきた。
「リエル王妃。あまり抱き着くと、39番さんがお困りですよ?」
「だってですよラングニル! こんなモフモフふわふわの娘を愛でないで王妃が務まりますか! あぁ、ほっぺたも柔らかくて気持ち良いですわ。こんな娘をお持ち帰りできるなんてわたくし幸せですわ」
鼻息が荒い。頬を擦りすりされると暑苦しい。
一国の主を跳ね飛ばすわけにも行かず、39番はそのままなされるがままだった。
一通り感触を味わって満足したのか、リエル王妃は体を放した。顔はだらしなく弛緩しきっており、よだれは垂れている。これが王妃だから世も末である。
もしかして、この国が荒れている一因は王妃にもあるのではないかと思わされる。
「リエル王妃、このたびは39番を預かっていただけて光栄です。こちらとしても、これ以上負担が増やせないものでして」
アーヴァが深々と頭を下げる。
「良いのですわ。私にとってもうれしい申し出でしたので」
社交辞令のように応えてから、じーっと39番のことをリエル王妃は見つめる。自分の顔に何かついているのかと、首を傾げる。
「王都に行くのだから、いつまでも39番って呼んでいるわけにはいきませんわね」
そういえばそうだ。使用人として仕える今、39番などと呼ばれると奴隷だと言っているようなものである。
「でしたら、リエル王妃が名前をつけたらどうでしょうか?」
進言したのは、ラングニルだった。
リエル王妃は少し悩んだそぶりを見せる。助けを求めるように横に立っていたラングニルを見るが、彼は肩をすくめた。
「残念ながら、僕はネーミングセンスがないものでして」
「まったく、使えない家臣ですわね」
「申し訳も立ちません」
しばらく顎に手を置いて、リエル王妃はぐるぐると歩き回る。どうやら相当に悩んでいるようだ。
数分したうち、彼女は思いついたとでも言うように手を打った。
「貴女の名前は、これからルーゼ。ルーゼ・フランシスですわ」
「リエル王妃、良いのですか? フランシスの名をあげるということは、国の名をあげるということですよ?」
「良いのですわ。彼女は私の妹も同然ですから」
「リエル王妃が決めたなら仕方ないですね。僕はそれで賛同します」
小さくため息を吐いて、ラングニルが一歩前へと歩み寄る。彼は39番――ルーゼに向かって手を伸ばした。
ルーゼはその手を今度は握り返した。
「よろしくルーゼ。改めまして、僕は近衛兵団長のラングニル。以後、お見知りおきを」
手を放すと、彼は深々と頭を下げた。二人の様子を見ていたリエル王妃は、嬉しそうにうなずいていた。
ルーゼのほうを向くと、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「これから、よろしく“お願い”しますわ」
「……よろしくお願いします」
頭を下げると、馬車の中に案内される。
車窓からは、立っているアーヴァが目に入った。彼女は、ルーゼに向かって手を振る。
「うまくやりなよ、ルーゼ」
「はい、アーヴァさんこそ」
「ははは、お前をこの世界に引っ張ってきたやつの心配か?」
「……アーヴァさんは違うので」
彼女の心の奥底には、どこか正義の灯がある。そんな気がしてならないのだ。
心は読めないルーゼだが、人を見る目はある。そう自負している。
「出発させてください」
ラングニルの一声で、馬車は進み始める。これから大きな街道を通って、王都へと向かうのである。
◇
――――アーヴァ・エンリケスの研究報告書――――
39番改め、ルーゼ・フランシスに起こったの現象は過去に類を見ないものであった。
彼女は獣人族としての域を越えて違う生物に生まれ変わろうとしている。
これが吉と出るか凶と出るかはいまだにわからない。
獣人族から変異した彼女のことを新たに妖魔族と名付ける。
※なお、この情報は混乱を生むため、極秘とする。
ここからは私見。
私は彼女がこの世界を変える架け橋となってくれると信じている。
例えこの世界が壊れることになったとしても、私はこの結末を受け入れるだろう。
……ルーゼ・フランシスの枷は取れた。
彼女に付けられた枷は強力な魔法で縛られていた。それを外せるのは局長だけだった。
彼は異世界人の魂をしばる“禁術魔法”を一人一人に施していた。
あの枷を取るのは、ルーゼ自身に悪魔なみのマナを持っているか、魔法を上書きすることしか不可能だろう。
もしあの強力な魔法を上書きする人間がいるとしたら。……もしかしたら、その人間がすべての元凶かもしれない。しかし、これはあくまで仮説にしか過ぎない。
一つだけ分かっていることは、“ルーゼ・フランシスはいまだに奴隷である”ということだけだろう。