七話 二本尻尾の白狐
リエル王妃は、39番に起こったことをすべて見ていた。
彼女が光に包まれたと思ったら、すぐに光が収まる。戻ったところで立っていたのは、尻尾が二本に増えた白狐の獣人族の姿だった。
獣人族は、個体ごとによってそれぞれ異なる力を備わっている。素体となっているものが違うのだから当たり前だ。
狐は狡猾さと愛嬌が取り柄の獣人族だった。だから、奴隷となる狐は愛玩用が多い。どだい戦闘用とは無縁のものである。
だが、彼女は一瞬にして二匹の獣人族を鎮めた。
しかし、リエル王妃が驚いているのはそこではない。
“彼女の尻尾が増えたのである”
このことは、獣人族として異質だった。そもそも動物を素体としている魔族である彼らは、動物の形をある程度取るのだ。尻尾が二本の狐などいるだろうか。
彼女はもしかしたら、獣人族ではないのかもしれない。
リエル王妃の脳裏に彼女の可能性を考えた。
39番はもしかして――
◇
39番は自身の力があふれているのが分かる。これなら目の前の狼にも勝てる。
巨体を見上げて、小さく息を吐いた。
「ぐるああああああああ!」
狼は理性を感じさせない遠吠えを響き渡らせる。
地面が揺れる。草木がざわめく。空気が一変する。
彼が39番の雰囲気が変わったのを本能的に感じ取ったのだろう。その遠吠えが危機感からなのか、己を鼓舞するためなのか39番にはわからないが。
地面が深く割れる。本気で来るのは考えなくてもわかった。
だけど39番は落ち着いて、ただ狼を見据えていた。
狼の左の爪が左上から襲い掛かる。39番は身を軽くひねるだけで交わした。そのまま地面に振り下ろされた腕に、右フックを入れた。
骨が折れた音がした。彼の腕が逆の方向に曲がる。関節の可動域としてはあり得ない方向だ。
「ぐ、あっ!」
初めて、相手に一発当てることができた。そんな一喜を感じることもなく、39番は右手を下げた。
左足を軸にして、体を回転させる。右足のハイキックが、前かがみになっていた狼の頬に刺さった。
彼は口から血を飛ばす。結構の衝撃のはずだが、一歩身を引いただけで耐えた。
瞳が鋭く39番のことを睨み落とす。
息が荒い。明らかに頭にきている。力任せに、狼は腕を振る。
本能でただ振り回しているだけの攻撃は、当然39番には当たらない。頭を下げると、狼の腕はそのまま空を切った。
39番はがら空きになった脇腹に頭突きをする。そのまま身を引いて、後方に身体を倒すようにして飛ぶ。地面に両手をついてそのままそれをばねにするように、両足を狼の膝に対して放つ。
左腕に続いて、右脚も折れるような音が聞こえた。さすがの狼も耐えきられずに、地面に転がった。
彼の瞳にはまだ戦う意思があった。しかし、体は倒れたまま動かないようだ。右手に力を入れて立ち上がろうとするのだが、少し体を起こすだけで倒れてしまった。
左腕と右脚が骨折しているのだから動けないのは当たり前だろう。
倒れる狼に向かって、39番は瞳を下した。
「まだ、やるか?」
言葉を落とす。彼は虚ろな瞳をこちらに向けた。
瞳の奥に見えたものは、理性のないものであった。
「……何を言っても無駄か」
39番はため息を吐いて、かがみこむ。そのまま彼の頭に手を伸ばした。
最初牙をむき出しにしていたが、気にせず頭をなでてくる39番に対して大人しくなった。
「お前は悪くない。お前は悪くないよ」
悪いのは、お前らを利用したやつらだ。
言葉にせずに、心の中だけでつぶやく。
狼の瞳が、徐々に光を取り戻していく。その変化に、39番は気が付いた。
「お……れ?」
「お前、私が分かるか!?」
「わ、かる……何を……」
理性が戻っている。あのときの黒狐のようだ。
「何……してたん……だ」
「お前は操られてたんだよ! 待ってろ今、治療を」
リエル王妃を呼ぼうと振り返ろうとした。
変化はそこで訪れる。
「いたい……」
最初は小さな声だった。動く右手で、狼は自分の身体を貪る。
「いたいいた……」
その手は段々と早くなっていく。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!」
叫びが大きくなっていく。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!」
狼は涙を流していた。口から血を流していた。身体は痙攣するように動いていた。
暴れる。
まるで自分の中から何かが貪り狂うように。
まるで自分の中から異物を這い出すように。
「ぐ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
大きく叫んだ。身体がブリッジのように浮かび上がる。尋常じゃない様子に、39番はただ呆気に取られているだけだった。
暴れ狂う狼の姿は、何かが乗り移ったかのようにしか見えなかった。
「……あ」
狼の口から小さな声が漏れた。瞬間、彼は大人しくなる。光が戻っていた瞳がまた虚ろになった。
口の端を曲げて、歪な笑みを浮かべた。
「キ
モチ
イ
イ」
気持ちの悪い一言だった。生物のものではない、心の奥底から嫌悪する声だった。
39番は尻もちをついて、後ろに下がる。少しでも遠くに離れようとするが、体が思うように動かない。
「ア、ハ……」
悪魔が投影したかのような、
「アハハハハハハハハハ、キモチイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」
気味の悪い咆哮が、
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
響き渡った。
数瞬後、狼の身体は膨張して破裂した。辺りに血をまき散らせる。
狼だけではない。倒れていた三匹のメスの獣人族たちも破裂した。そこにはもう彼らが生きた痕跡は、真っ赤な血だけだった。
返り血まみれになった39番の瞳が揺らぐ。目前で起きた現象の整理をするのに、数秒ほどかかった。
頭が理解した途端、ふつふつと気持ち悪さが腹の底から湧き上がってくる。それは胃液となって込みあがってきた。
地面に向かって喘ぐようにせき込んだ。血なまぐさい臭いが、さらに気持ち悪さを際立たせている。
「39番さん……」
そんな39番にいつの間にか近くに寄っていたリエル王妃が、そっと抱きしめた。
彼女の耳元で、王妃は言う。
「分かりましたか……? これが、今の王国の現状ですわ……」
◇
言の顛末を観察していたラングニルは小さく息を吐いた。
結果的に言えば失敗だ。思いのほかあの奴隷が頑張ったからといえる。
「39番か……」
ラングニルは嘆息気味に小さくつぶやいた。彼女さえいなければ、自分の思惑はうまくいったというのに。まぁ、ほとんどただで禁術魔法と、奴隷の成果を受け取れただけましだということだろう。
ラングニルは、拳を握りしめた。侮蔑の表情で、39番を抱きしめるリエル王妃を見つめる。
「お前が生きているから、こうなったんだ」
リエル王妃が泣いている。それは、まったくの嘘だ。
「お前が生きているから、この国は狂ったんだ」
ラングニルが頭に思い浮かべるのは、先王のことだった。
先王は偉大な方だった。民の意見をよく聞き、民の期待に応えた。
なのにその王は、フランシス王国創立以来の愚王として貶されている。なぜ、そのようなことになったのか、ラングニルは思い出して腹を立てる。
「僕を生き残らせたことを後悔するんだな。“魔女王リエル・フランシス”」
侮蔑の意味を込めて言葉を吐くと、彼は踵を返した。
私はほのぼのハーレムが書けないようです(´・ω・`)